三、「義」の旗の下(福田八郎右衛門)

 市川に大鳥らが集結したのと同日、これとは別に江戸を脱走して上総の木更津に集結した一団があった。幕府散兵頭福田八郎右衛門の一団で、彼らは最初は長須賀村泉著寺に本営を置き、後に真理谷村に陣を移すが(どちらも現在木更津市内)、その本営を木更津義軍府と称して「義」の一字を旗印にした。

 この木更津義軍のうち江原素六の第一大隊、堀岩太郎の第二大隊が市川、船橋で佐土原、津、岡山各藩兵を主とする官軍と閏4月に戦った。これは4月の江戸城開城以来、江戸脱走諸隊と官軍の初めての武力衝突である。

 江原大隊は船橋大神宮まで進み、さらに中山法華経寺まで陣を進め、船橋大神宮には堀大隊が入った。こうして市川の岡山藩軍と対峙する形になった。

 この時の戦前交渉で、江戸開城時の官軍の江戸総攻撃中止の条件である武器の引き渡しを官軍は江原に要求したが、武器は徳川のものではなく自分たちの私物であるとして江原は断固としてこれを拒絶した。

 こうして閏4月3日、まずは市川市の八幡で戦闘が始まり、一時は江原大隊が有利であったが、真間山に官軍が砲台を据えたことによって形勢は逆転、真間山はまさに日露戦における二〇三高地さながらであった。江原大隊は船橋まで退却を余儀なくされ、そこへ鎌ヶ谷に布陣していた佐土原藩軍と行徳の薩摩藩軍で挟み打ちとなって集中砲火を浴び、江原大隊は霧散した。

 この戦いの中から単身脱出した江原素六は、後に麻布高校の初代校長となる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る