蘭、和歌をつくる

増田朋美

蘭、和歌をつくる

蘭、和歌をつくる

ある日、蘭の家の前に、一人の女性が、やってきた。自転車に乗り、スーツ姿で、古臭い鞄を持ったその女性は、どこかの雑誌記者とか、新聞社とか、そういう関係のひとという感じを与えた。其れとも、フリーランスのライターとか、そういう身分の女性かもしれない。とにかく彼女の職業を考えると、報道関係だろう。

「おい、お前さん。人の家の前で何をやっているんだ。」

と、女性が、蘭の家の前にいると、杉ちゃんが彼女に声をかけた。

「用があるなら、ちゃんと言ってもらいたいんだがな。」

「ええ、一寸、伊能蘭というひとに用がありまして。」

と、彼女は言った。

「伊能蘭なら僕の親友だ。そいつがどうしたんだよ。」

「ええ、一寸、お願いしたいことが在りまして。」

「お願いしたいことってなんだ?」

杉ちゃんが詰め寄ると、彼女は、

「ええ、先日、蘭さんが作られた、長歌に曲を付けて、うちの生徒たちに歌わせようと思って。」

そういって、女性は名刺を杉ちゃんに差し出した。須磨学園校長、須磨美子と書いてあるのだが、杉ちゃんには読めるはずもない。

「よくわからないな。名刺をもらってもしょうがない。一寸読んでみてくれないか。僕、読み書きできないものでさ。」

「そうなのね。じゃあ読むわ。須磨学園、校長、須磨美子。これでどう?」

と、彼女は、なにも動じることなく、名刺に書いてある、文句を読み上げた。

「つまりお前さんは、学校の校長なわけね。小学校、中学校、それとも高校か。」

と、杉ちゃんが聞くと彼女は、

「ええ、区分で言えば、高校だけど、実際は、もっと年代が上のひとも意外に多く来ているわよ。」

といった。つまり、どうやら、普通の全日制の高校とは違うらしい。もっと年代が上の人も来ているということだから。

「そうなんだね。まあ、有害な奴ではなさそうだな。ほんなら、僕も蘭に用があるから、いっしょに入れや。」

と、杉ちゃんはそういって、蘭の家のインターフォンを五回鳴らした。

「おい、蘭、お前さんに用があるんだって。なんでも、須磨学園というところの校長先生だって。」

杉ちゃんがでかい声でそういうと、がちゃんと音を立てて、玄関のドアが開いて、蘭が出てきた。蘭は、まだ下絵を描いていたらしく、指に絵の具が付いている。

「ほら、この女のひと、えーと名前は、須磨美子さんだって。お前さんの作った和歌に、曲をつけたいのだそうだ。まあ、使用目的とか、そういうのはよくわかんないけどさ、とにかく、有害な人物ではなさそうなので、あとは直接お前さんが話をしてくれ。」

と、杉ちゃんが、蘭に彼女を紹介した。蘭は一体何の事だという顔をしている。取りあえず、外に長くいさせるのもおかしいので、全員、部屋の中に入った。部屋の中に入ると、杉ちゃんの方が勝手にお茶を入れてしまうさまを見て、美子は一寸驚いている様子であったが。

「で、蘭に何の用なのか、もう一回言ってみな。」

と、お茶を置きながら、杉ちゃんはそういった。

「ええ、こちらの方には、一度お話したんですが、蘭さんが富士市民文芸に掲載されていた長歌に、曲をつけたいと思っているんです。今日は、その承諾を申し込みにまいりましたの。もちろん、使用料はちゃんと、お支払いいたしますよ。原作者は蘭さんなんですから、其れは、ちゃんとわかっておりますわ。どうですか。あなたの書いた長歌を、うちの学校の校歌の歌詞として、採用させてもらえないでしょうか。」

と、美子はそういうのであるが、市民文芸に出したのは、何か月も前の事。なので何を書いたのか、蘭はすっかり忘れている。一体何を書いたっけと蘭が思い出そうとしていると、杉ちゃんが、こんな事を聞いた。

「お前さんの学校っていうのは、どういう学校なんだ?何だか、さっき会ったときは、普通の年代の学生さんじゃないって話してくれたよな。そこのところ、もうちょっと詳しく教えてくれ。」

「ええ、私たちは、以前は私塾としてやっていたんですが、今年から、学校法人の格を得て、須磨学園として開校いたしました。体とか、心とか、そういうところに問題がある生徒さんたちが、もう一度人生をやり直すために、勉強をし直したいという思いに応えて、オンライン授業を中心として行う、通信制高校です。」

彼女はにこやかに笑ってそういうことを話した。

「へえ、でもオンラインレッスンだけで、学問は成就するもんかな。学問ってのはじかに学びにいかなきゃだめだと思うけど。」

杉ちゃんが言うと、

「いいえ、対人恐怖症がひどい方や、妄想がある方は、学ぼうという意思があっても、周りのひとが怖くて学校に来たくても来られないこともあるんです。だから、そういう時に、自宅でオンライン授業は

、役に立つと思います。」

と、彼女は言った。

「そうですか。確かに、今は変な伝染病も流行っていますし、オンラインレッスンで学ばせるというのも、ありですね。そのための機器は、どうするんです?貸与するんですか?」

蘭がそう聞くと、

「はい、専用のテレビを買ってもらうことにしています。いわゆる光テレビというのでしょうか。それを契約してもらって、そのサービスを使って、授業を受けてもらうことにしています。」

美子は自信ありげに答えを出した。

「そうなると、金持ちの子女しか、学べな、」

と杉ちゃんが言いかけると、蘭は失礼なこと言っちゃダメと杉ちゃんに言った。杉ちゃんがはいよと言って、続きを言わないでいると、

「光テレビを使って、オンライン授業ですか。確かに、小さなパソコンやスマートフォンの画面では

、黒板が見えませんもんね。」

と蘭はそう訂正する。

「ええ、全員同じ機種を使って学ばせますから、故障しても対処できるというわけで。やっぱり、それぞれ違う媒体で学ばせると、そういう時に落差が生じてしまいますからね。意外に多いんですよ。体や心に、問題があって、学びたくても学べないというわかい方々。」

「そうなんだね。で、話は変わるけれど、蘭の作った和歌って、どんなものなんだよ。蘭のやつ、たくさん作ってるから、覚えてないんだってよ。」

美子がそう弁論すると、杉ちゃんが口をはさんだ。蘭はそれをしてくれてよかったと思った。自分の作った歌をとうに忘れてしまったなんて、恥ずかしくてとてもいえないものである。

「ええ、こちらの歌です。市民文芸に掲載された、こちらの作品よ。」

そういって美子は市民文芸と書かれた本を取り出した。杉ちゃんが、一寸読んでみてくれというと、彼女はページを開いて、次のように読み始めた。

「命あり、熱き思いを

持ちつつも、重すぎし過去

飛び越せず、苦しみ続け

生き続く、清き命に

手を添えて、ともに歩まん、険しき道を

命あり、過去を忘れず、教訓と

心輝き、進まん我ら。」

これでやっと蘭は自分が何を書いたのか、思い出すことができた。それは、とうの昔に書いた和歌で、市民文芸に投稿したのも、忘れていたほどである。もう市民文芸に出してから、何か月もたっていて、結果通知も蘭のもとに来なかったので、没になったと思い込んでいたほど忘れていた。

「ああ、蘭が水穂さんに出そうと思って、出せなかったんで、代わりに市民文芸に応募したやつだな。」

かえって杉ちゃんの方が覚えていたらしい。

「ほらあ、今年の夏ごろに投稿したじゃないか。水穂さんに暑中見舞いを送りたいって言ってさ、浩二君か誰かに、返事をかけないので、ださないでくれって言われて、お前さん、激怒しただろう。その時に僕は、お前さんがどうしても、悔しいんだったら、ほかの媒体で描けと言って、せめて市民文芸に出そうと書いた和歌だ。ま、長々しい暑中見舞を送るよりも、そういう書き方で表した方が、いいっていう事だな。」

杉ちゃんは、納得しているようであったが、蘭は、どうしてこういうことになるんだろうと思った。確かに、和歌を書いて、市民文芸に投稿したのは覚えている。でも、其れがなんで、こんな支援学校の校歌の歌詞になるほど、芸術的なものになってしまったのだろうか。

「でも、其れは、僕が書きたかった目的とは違いますよ。僕はただ、自分で納得できなくて、申し訳ないと思ったから、和歌を投稿したのであって、そんな学校の校歌になるような立派な歌詞ではありません。」

蘭は、申し訳なさそうに言った。

「でも、いいじゃないかよ。和歌もそうだけど、音楽や小説とか、そういうものは、人によっていろんな使われ方をしてもいいってもんじゃないか。例えばだよ、ショパンの前奏曲が、テレビのコマーシャルで使うようになるなんて、ショパン本人はこれっぽっちも知らないんじゃないかよ。そういうこととおんなじだよ。だから、蘭も同じ気持ちで使わせてやれ。」

「そうなんですけどね。でも、其れは、意味が違います。僕は、ただ、僕の大事な親友を励ますために書いたものであって、そんな不特定多数の生徒が歌うような、そんな価値はありません。校歌にするんだったら、ほかのひとの歌詞を使ってください。」

蘭は、そういうことを正直に言ってしまった。蘭という人は、もともと問題のある人に刺青をするという仕事をしてきたためか、理由を隠して何かする、ということはできないのだった。校歌として採用するのなら、それでいい、という曲がった解釈をすることは、蘭にはできなかった。

「バカだなあお前さん。自分で自分の名誉を傷つけているようなもんじゃないか。」

と、杉ちゃんはそういうが、

「いや、そうすると、可愛そうなのは水穂じゃないか。僕は、それが我慢ならないんだよ。あれはそもそも、水穂に向けて描いたものだから、そこを利用されては困る!」

と、蘭は涙をこぼして言ってしまうのであった。確かに、歌詞そのものを見れば、特に問題はないのであるが、裏話を聞かせてしまうと、採用されなくなるということはいくらでもある。

「あの、その水穂さんという方は一体どんな方なんですか。もしかしたら、伊能さんが、思いを寄せている恋人の方ですか?名前から判断すると。」

と美子が好奇心のある目でそういうことを言った。

「いや、恋人じゃありません。水穂さんは男ですよね。それは間違えるなよ。」

と、杉ちゃんができる限りさらりと言う。

「もし、可能であれば、生徒たちに紹介したいと思いますから、何か蘭さんと水穂さんのエピソードを教えていただけるとありがたいわ。」

美子は、手帳を開いて、メモを取り始めた。蘭は、それを言うのは一寸できないという。でも、校歌にするんだから、教えてほしいと美子はつづけた。其れを言ってしまうと、かえって教育上不利になってしまうと思った蘭は、どうしようか迷っていると、

「い、いやあねえ。その水穂さんの出身地は、伝法の坂本なんだ。あの、立ち入り禁止と言われていた区域でね。そっからきているから、ものすごい苦労をしたと言えばいいのかな。無理して、音楽学校まで行ったせいで、今は体もボロボロにしちまってよ。寝たきりの生活を送ってるよ。」

と、杉ちゃんが、あっさりと言ってしまった。蘭は、そういうことをすんなりと言ってしまえる杉ちゃんに、思わず怒りの目を向けてしまう。水穂さんのためを思っているのなら、かくしておいてあげて、出来るだけそこに触れないようにさせてやるのが、あいつのためなのではないか、と蘭は思っていたから。

「そ、そうなんですか!あなた、そんな人に向かってあんなきれいな歌を作ったんですか。まあ、あなたもおめでたい人だわねえ。篤志家を気取っているのかしら。まあ、せいぜい、それをたのしむことだわ。」

と、蘭が予想した通り、美子の態度は変わる。美子でなくても、杉ちゃんが言ったことを聞けば、そういうことを言うのだろう。誰にでも、そういう風にするようにと、日本の教育機関は、教えてしまうのだから。

「だから言ったでしょ。そういう風に反応すると思ったから、こいつは校歌として採用してもらいたくないと言っているんだ。きっとお前さんも、校長を名乗るくらいだからよ。きっと高等教育というか、そういうものをたくさん受けているんだろうな。それで、水穂さんみたいな人は、ことごとくバカにしろ、と、教えられてきたのでは?」

と、杉ちゃんはからっと言ったが、蘭は、馬鹿に彼女の態度が感情的になっているということに気が付いた。ただ偏見があるというのなら、其れならお断りするとか、そういう言葉で済ますはずだ。しかし、先ほどのような言葉を、なんであんなに感情的にしゃべったのだろうか。

「ええ、当たり前じゃないですか!そういうひとたちは何をするかわからないって、みんなそういいますよね。そんな人と付き合いがあるんだったら、どうせろくな人じゃありませんよね。ええ、もちろん、こちらの方がお断りしますことよ。まあ、あんなきれいな歌を、ああいうひとのために書いたなんて、蘭さんも、ほんと、おかしな人だったと思うことにするわ。」

と、美子は椅子から立ち上がり、つかつかと出て行ってしまった。おい、待て!と杉ちゃんが、車いすを操作して追いかけるが、当然、追いつくはずはなかった。蘭は、これでよかったんだ、こうすることが、水穂のためだと思い直して、再び下絵を描く作業に取り掛かった。

杉ちゃんは、ドアをガチャリと開けた。全く車いすだと、こういう時に困るよな、なんてでかい声で言いながら、外へ出た。もう美子は帰ってしまっただろうな、と予想していたが、彼女は、自転車でやってきていた。そのときは雨は止んでいたが、実は数時間前に雨が降っていて、水たまりが蘭の家の前にあった。その水たまりから、一本の黒い線が描かれている。つまり彼女は、自転車を走らせて帰っていったのだ。よし、これをつけていけば、彼女を追いかけられると思った杉ちゃんは、車いすを動かして、その線をなぞるように追いかけ始めた。

その線は、意外なことに、バラ公園の前で切れていた。ということは、バラ公園のカフェにでも入ったのか、と思った杉ちゃんは、車いすでバラ公園を入ってしまう。わからなくなったら、カフェのマスターに聞いちゃえ、という気持ちでバラ公園を移動していると、近くのベンチに美子が座っているのが見えてしまった。

「ここにいたのか。」

と、杉ちゃんは、良子に近づいた。

「お前さんなんで、そんなに冷たい態度をとったの?」

杉ちゃんの言い方は、単刀直入だ。前置きも、弁解も何もない。すぐに本題を話してしまうのが杉ちゃんである。

「なんで、僕が水穂さんの話をしたら、ああいうことを言ったのか、教えてくれるか?なんか、偏見の塊みたいな態度だったよな。」

「どうして。」

と彼女は言った。

「どうしてがなんだよ。」

杉ちゃんが言うと、

「どうして、私は、こういう差別的に扱われている人に、遭遇してしまうのかしらと思ったのよ。」

と、彼女は答えた。

「そうなんですかと言いたいところだが、お前さんは、あの時、水穂さんの出身地を話した時ね、どういう気持ちだったんだ?」

「ええ、又かと思ったわ。」

杉ちゃんの質問に彼女はそういった。

「またか?それは何だ?」

「ええ、あたしは、何だろう、そういうひとに、追いかけられるというか、そうなる運命にあるみたいね。まあ、そういうことは、避けられないっていうけど、無理なのかな。」

杉ちゃんが、どういうことだと聞くと、

「私の家族が、やっぱりそういうことしてたのよ。私は、絶対に弱い人の味方になるような生活はしないで、もっとすごいことをやってやるって思ってたのに、結局やることは、家族と同じ事ばかり。なんで私には、そういう道しか用意されてなかったのかしらね。私が選ぶものは、そういう弱い人ばっかり。心や体に問題のある人とか、さっきも言われた水穂さんのような人。いやになって、海外留学したこともあったけど、好きになった人が、ほんらいすきになってはいけない、少数民族の出身だったりして、別れなきゃならないこともあった。結局私は、親とおんなじことやってる。なんで、そういう風になっちゃうんだろう。」

と、彼女はため息をついて答えを出した。

「あなたは、きっとご存じないと思うけどね、うちの母は、篤志家としては結構有名な人で、私塾をつくって、問題のある生徒さんたちに、勉強教えたりしてたのよ。其れが子供心にも嫌だった。でも、私ときたら、母と同じことをやっている。何なんでしょうね。親がしていたことを、真似するしかできないなんて。」

「其れは、ほかのやつに聞けば、わかるかな。僕、文字を読めないから、お前さんのお母ちゃんの名は知らないけどよ。」

と、杉ちゃんが正直に答えると、

「ええ、たぶん、テレビが何回も取材に来たりしているから、わかると思うわ。須磨江梨子と言えば。」

そう答えが返ってきた。

「私には何もしてくれなかったくせに、須磨江梨子は、心を病んだ人達の教育を、一生懸命やっていたわよ。」

「やっぱり、親子だな。」

と杉ちゃんは言った。

「きっと、頭ではいやだいやだと言っているけれど、心の底では、お母ちゃんの事が好きだから、お母ちゃんとおんなじことをやっちゃうんだと思うよ。ただ、お前さんのことを必要とする奴は、いっぱいいると思うから、それだけは忘れんでもらいたいな。」

「本当にだめね、私って。母の事越えようと思っても、其れはできないでいるから。」

きっと彼女は、お母さんのことを越えたかったんだろうなと、杉ちゃんは思った。多分、表向きでは成功していると言っても、内面では乗り越えられない壁のようなものがあるんだろう。それは、口に出して言わなくても、反射的に出てしまう場合もある。

「でもさ、お前さんはお母ちゃんのことを、越えられないで悔しいと思ってるだろうけど、お前さんのやってることで、救われたやつはきっといっぱいいるよ。」

そういう彼女に、杉ちゃんは、にこやかに笑って言った。彼女がそれに気付いてくれたかどうか、は不明だが、とりあえず、其れは伝えておきたいと思った。


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蘭、和歌をつくる 増田朋美 @masubuchi4996

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