第87話



 ヘイヴン奪還から、一か月が経過した。


 未だに異形生命体はしぶとく生き残っているが、ほぼ虫の息である。比べて我々は全快に向かって、着々と進んでいた。

 俺も歩くのに松葉杖を必要としなくなり、耳も再び聞こえるようになった。

 彼女たちもリリィの傷は癒え、サクラは電撃による吐き気を訴えなくなった。しかしながら心の傷は残ったようで、夜中に跳び起きたり、大きな物音に過敏に反応する者が何名か残った。こっちは長い時間をかけるしかない。


 俺が作戦前と同じ監督能力を発揮できるようになったところで、やっておきたいことが二つある。

 一つは監督区画内シェルターの確認だ。ここに異形生命体がいないのは、アイアンワンドが知らせてくれた。そしてドームポリスのトップが難を逃れているはずなのだ。上位のアクセスコードや、彼女たちが知るべきではない情報がゴロゴロしている可能性が高い。

 俺一人で探索しては、猜疑心をあおる。だから彼女たちも参加させて、その監督ができるまで保留にしておいた。

 もう一つは保管庫内の大量破壊兵器貯蔵庫の確認だ。こっちの理由も同じ。どこぞのアニメみたいに、核爆弾でフットボールをされては大変だ。核やポールシフト爆弾が貯蔵してあった場合、封印を施さなければなるまい。


 シェルターの探索の日、俺はアジリアとプロテア、そしてサクラに集合をかけた。各自ライフスキン装備で、密閉式ヘルメット持参でだ。

 皆がシェルターの鉄扉の前に立つと、俺はアジリアに葉巻を投げた。

「吸え。三人で回せ」

 アジリアは受け取った葉巻を、訝しげに眺める。そして彼女たち三人は、各々が抗議の声を上げた。


「何故だ? クスリでも入っているのか?」

「俺さァ……葉巻よりも、紙巻の方が好きなんだよ。特にお前が禁じた安物のヤツな」

「私……煙草は好きじゃありません……気を静めるためでしたら不要ですわ」

 抗議を無視して、俺は自分の葉巻を取り出し片側を噛み切った。


「直にわかる。肺まで入れずに、口の中で煙を転がせ。終わったらいくぞ」

 手本になるよう葉巻を火で炙ると、ゆっくりと煙をくゆらせた。

 アジリアは肩をすくめると、ナイフで葉巻の先を切る。そしてゆったりとふかし、三人で回し飲んだ。

 十分に煙が行き渡り、嗅覚が葉巻に奪われるのを待つ。

 扉を開けたら、『サプラーイズ』ってクラッカーで出迎えられたら、どんなにいいことか。そんな夢を見ちまうほど、


 シェルターのドアを開けると、気色の悪い風が溢れてくる。

 同時に、地獄の縮図が目の前に広がった。


 まず我々は、腐った死体に目を奪われる。壁に背を預けたり、うつ伏せに横たわったり、二人で折り重なったりしている。

 死体はある意味、異形生命体よりグロテスクだった。死んで白くなり、腐って黒くなり、まだら模様になっている。肉は体液を吐き出して、ライフスキンを気色悪くテカらせていた。

 死体から視線を逸らすと、床と壁に張り付いた血の赤が視界を支配した。ただ血が出たのでは、こうはならない。誰かが塗ったくったに違いない。


 最後の内輪揉めがあったらしい。かなり精神的に追い詰められたものがいたようで、死体の一部は酷い暴行を受けて四肢が欠損しているものがあった。

 壁には肉を叩きつけた後が残っているばかりか、入ってすぐにでかでかと血文字が書かれていた。

『これはおごり高ぶった我々への天罰だ!』

 その血文字を中心に、反省文のように様々な筆跡が踊っている。

『赦したまえ』『赦したまえ』『赦したまえ』

 大方閉じ込められて、パラノイアにでもかかったのだろう。


 俺は何とも思わなかった。同じ光景を何度も目にした。もっと酷いものも見た。

 だが三人は圧倒的な視覚への暴力に、縮み上がって震えていた。やがてアジリアが我慢できなくなり、口元を押さえてシェルター前から逃げた。サクラは俺の背中に隠れて、しがみ付いてくる。

 残ったプロテアは、死体に釘付けになっていた。ロータスのように、喜悦の表情を浮かべてはいない。今にも泣き出しそうな貌は、『もうやめてくれ。俺の目の前から消えてくれ』と祈っていた。しかし恐怖で凝り固まった彼女の身体は、呼吸を後回しにしてまで地獄を見るよう強制していた。


 俺はそっとプロテアの目を、自分の手の平で隠してやった。

 プロテアは大きく咽喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。そして貪るように空気を吸うと、パニックになって舌を回した。

「ニンッ!? ニンニンッ! ニンゲン! ニンゲンがッ! ニンゲン! ニンゲンなんで! これロータスや『お前』とかわんないぞ! ニンゲンこんなのなのか!」

「落ち着け。こいつらは人間だ。だが追い詰められた人間だ。辛くて……おもわず逃げてしまったんだ。楽な方にな。誰だってこうなる可能性はある。誰だってこっちがマシだと思ってしまう時がある。だから助け合うんだよ。今回は間に合わなかったがな」

 プロテアは声を一度引っ込めて、雑な深呼吸を繰り返した。そして多少落ち着くと、震える声で聞いてきた。

「俺たちが遅かったからか……遅かったからこうなったのか……」

「前に来た時、とうに死んでいた。どうしようもなかった」


 俺はプロテアを回れ右させて、シェルターに背を向けさせた。そのまま背中をさすってやる。

「こうならないために、これからも協力し合ってくれ」

「ああ……ああ……」

 プロテアは軽く上の空だったが、それでもしっかりと頷き返した。


 俺はプロテアとサクラを、一度シェルター前から連れ出し、そこでえずくアジリアと合流させた。そして彼女らが落ち着くのを待ってから、ヘルメットを装着した。

「ついていけないものは、ここで休んでいればいいぞ」

 アジリアは口の周りを手の甲で拭うと、すぐにヘルメットを被る。サクラも負けじとそれに続いた。一方プロテアは、思い悩むように手持ちのヘルメットをじっと見つめていた。

 俺はプロテアを壁際に寄らせて、その手に葉巻を押し付けた。

「葉巻でも吸って、ゆっくりとしていろ」


 プロテアは慌てて首を振る。そして葉巻を俺に押し返して来た。

「ちげぇよ! 行けないわけじゃねぇ! ただちょっと考え事を……俺も行ける……大丈夫だ」

 本当にそうならいいんだが。俺は頭を掻くと、言葉だけでも念を押した。

「各自辛くなったら、倒れる前に外に出ろよ。無理強いをしている訳ではないんだ」

 あくまでお前らへの、印象操作が目的だからな……。


 俺たちはシェルターに入り、探索を開始する。シェルターは入ってすぐがエントランスで、奥には広間が位置していた。

 広間の左右には個室が三つずつ並んでおり、最奥が保管庫となっていた。内部の人間が長時間立て籠もれるよう、ある程度の設備があるようだ。

 広間も酷い有様で、人間が数人惨殺されている。そして壁には壁紙の代わりに、あの『赦したまえ』という文句で埋めつくされていた。

 ああ。この芸術の作者と、殺し合いたかった――俺がそんな事を思っている内に、彼女たちは早く終わらせようと、個室を漁り始めた。


「んぉ。何かのコード表だ。訳分かんねぇ。サクラー。これ何か分かるかー?」

 と、プロテアの声。暗号表だろう。それを使えば基地内の、アイアンワンドが掌握できなかった場所も手にすることが出来るかもな。

「今行くわ。ちょっと待って……こっちには駆動キィがありました。え~と……D‐32……デュランダル!? これ人攻機の駆動キィですよ!」

 サクラは何で、開発の終了していない人攻機の名前なんぞ知っているのか。

「うぅーむ。遺伝子補正プログラムの資料だ。恐らく植物を、改良農作物に補正するものだな……?」

 お前もな、アジリア。普通の人間は資料でそんな事は分からない。

 彼女たちの素性が気になるが、それは追々探るとしよう。個室や棚などの相手は彼女らに任せ、自分は遺体を漁っては死体袋に収納する仕事を始めた。


 一人目は憲兵の階級章のついた、ライフスキンを身に纏っていた。死体の損壊は少ない。懐を漁ると、血であの『赦したまえ』と書かれた紙が出てきた。こいつが犯人か?

 二人目はライフスキンの上に、白衣を着ていた。科学者か? こいつの死体が一番傷んでいる。腕は折られ、足はズタズタになり、割れた腹から内臓がこぼれていた。一体何の研究をしていた事やら。ネームプレートには『ディック・アンダーソン』と記されてある。一応覚えておこう。

 三人目。陸軍士官の階級章付きライフスキン。こいつも損傷が少ないな。懐には――またか。あの『赦したまえ』の紙だ。複数人でこの惨事を引き起こすほどの妄想を共有していたという事か? 閉鎖空間ならあり得なくもないが、ここまで怒りが膨れ上がっていたことがどうも引っかかる。

 普通閉鎖空間で怒りが爆発しても、一瞬の出来事に過ぎない。徐々に無気力になり、感情が萎え、やがてひっそりと死に絶える。

 だがこいつらは壁一面を使って赦しを請い、死体を壊すほどの怒りで満ちている。一体何が彼らをここまで激怒させたのか。

 いやぁ……彼らは本当に人類の一員だったのか? 後でDNAを照合しておくか。


 死体漁りを続ける内に、腐肉の中から豪奢なライフスキンを掘り出した。胸にちりばめられた勲章、首と四肢に取り付けられた一際太い専用チョーカー、そして燦然と輝く三ツ星の階級章。

 中将殿。こんな形でなければ、お会い出来て光栄なのだが。今まで込めていた死者への敬意をより強め、中将の死体を改めた。

 損壊はないな……だがこの腐り方――内臓よりも皮膚の方が速く腐っているのは、死ぬ前にしこたま殴られた証拠だ。顔面がボロボロに腐っている事から、そこを中心的に殴られたようだ。


 下品な傷口から察するに、拷問じゃない。こんな風に殴ったら、下手したら相手が死ぬし、自分の拳もただでは済まない。明らかに苦痛を与えることが目的ではなく、身の内に猛る憤怒を晴らしたいだけだ。やり口が俺に似ている。

 一体何があった。


「御無礼をお許しください」

 俺は中将閣下の為に、彼の信じる神に祈った。胸で十字を切ると、その首と手足を折って、チョーカーを回収した。チョーカーのデータは装着者が死ぬと、遺言など特定のデータ以外が消去される。そして生きた友軍がいない状態で外すと、完全に消去される。これで殺される前に何があったか分かるかもしれない。

 中将からチョーカーをとった際、彼の胸ポケットから一枚のカードが落ちた。そこには所属と階級が記され、鷲のような相貌の、老軍人の写真が貼ってある。

『アメリカ共和国防衛軍中将 アンドリュー・サンダース』

 カードキィか。一番の収穫だな。俺はそれを懐に捻じ込み、アンドリュー・サンダース中将閣下を、死体袋に入れた。


 しばらくの作業の後、全ての死体を収容し終える。その頃には彼女たちも、目ぼしい物資は全てシェルター外に運んでいた。

「今日はここら辺にしておこう。回収した物資を隣の小部屋に運び、解散とする。ご苦労だった」

 俺は彼女たちに荷運びをさせて、自分は死体を医療区画に運ぶ下準備を始めた。


「なぁナガセ。黒い肌の人間いたか?」

 プロテアがいきなり聞いてきた。俺は目を丸くする。

「いや……何故だ?」

 プロテアは何でもないように、ヘルメット越しに頬を掻いた。

「別にィ。ちらっと見たら、白ェ肌の奴ばっかだなぁって。俺だって俺の事知りたいんだよ。だから同じ肌の色した奴がいればよかったんだけどな」


 これはいけない兆候だ。自ずと顔が険しくなった。

 だが声色は穏やかになるよう努めた。

「肌の色で、その人が誰で何かが分かる訳ないだろ。その人が何者で何かは、その人の今までの行動で決まってくる。必ず生きた人間を見つけ、その答えが出るようにする。だから見た目に先を急ぐな」

 プロテアは考えるように視線を上向かせて、浅い首肯を何度か繰り返した。そして質問を重ねた。

「そう言えば黄色い肌の人はいたか? オメェの仲間は? 多分お前ここから来たんじゃないのか?」

「だから色が黄色いからと言って俺の友人とは限らんと――後で話す必要があるな。それと俺はここの出身じゃない」


 プロテアは「ふぅん」と鼻を鳴らした。そして複雑な面持ちで、死体袋とアジリアを交互に見やった。どうやら白い肌の人間がドームポリスを支配している事と、俺がアジリアを上に立てている事を共通点だと思ったらしい。

 俺はアジリアを優遇しているが、それは肌の色が理由ではない。適正だからだ。力があるなら肌の色が青でも緑でも、マシラでも構わん。


「たまたまここの偉い奴が、肌の白い奴だけだったと言うだけだ。お前がアジリアより適正だと思えば、お前を上に立てる」

 するとプロテアは、そう意味じゃないと慌てて首を振った。

「それは俺の性に合わねぇから遠慮するよ。悪ィな。なんか変な事言っちまった」

 プロテアは気分を切り替えるようにからりと笑った。そしてアジリア、サクラと一緒に、物資を小部屋に運び出した。

「たまたま……な」


 おれもそう信じたい。

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