第86話

 アタシが箱に閉じ込められてから、三日が過ぎた。


 最初はわんわん喚いて気を引こうとしたけど、誰も構ってくれないからやめた。もう声も枯れて、唸る気力もないわ。

 身体の方も限界だ。ナガセは必要最低限のご飯しかくれないのだ。その量も目に見えて減っている。

 そしてずっとこのボックスの中に入れられたままなのよ。下の方は垂れ流しで、どうしたって気分が滅入っていく。あの野郎、じわじわとアタシを殺す気だ。


 他の女どもはと言うと、みんな私のことを無視してフツーに生活していた。

 何してんのかまで詳しくは知らねぇ。だけどボックスの前を行き来する姿が、嫌でも目に入る。

 ローズは新しい服を見つけたようで、嬉しそうに着こなしてる。マリアはイヤリングなんかつけてた。ピオニーは美味そうな肉運んでるし、プロテアは新しい銃を持っていた。

 すげぇ羨ましい。だけどここからじゃ手が届かない。

 それは全部アタシの物だったんだ。アタシが強くて全部手にしたはずなんだ。そのアタシが手にするのが……ナガセが放り投げる水と僅かのご飯だけなんて……間違ってる。


 根暗なパンジーの様に、ぼそぼそと呟く。

「アタシはゴミじゃない……アタシはゴミじゃない……こんな事してタダで済むと思ってんの……」

 最近は独りごとの数も減った。りゆーは簡単。

『あら。あなたはマム・リリィを、ゴミのように扱ったのをお忘れですか?』

 このポンコツがいちいち煽って来るから。つーか見てるなら助けなさいよマジで。

「だから何だよ……結局アイツ生きてんだろ……死ななかったならいーじゃないのよ」

『ならあなたがそこで苦しむことも受け入れて下さいな』


 あー。アタシが天下を取った時、このオモチャを真っ先に吹き飛ばしとくべきだった。

「ねぇ……もうアタシは十分な罰を受けたでしょ……このままだと死んじゃうよ……助けてくれよ……」

『マムの発言には一貫性がございません。反省したと仰れば、同じ口で人を罵倒します。と、思えば舌の根も乾かぬうちに許しを脅しで乞うのです。私がサーを説得する論拠を見出すことができません。故にその要望には応えられません』

「お前なんかイッちまえ!」

『ではそのように――』

 クソッタレが。

 いーわよ。どうせそのうち女たちが困って、アタシを助ける羽目になるんだから。





 さらに三日が過ぎた。

 ナガセはついに、アタシにご飯と水を運ぶのをやめてしまった。


 相変わらず目の前では、女たちが行き来している。

 皆ナガセにビビっているけど、アタシの事を忘れて楽しそうにしていた。あのリリィも回復したようで、足取りは危ういが何度か箱の前を通っていった。


 つーかアタシがいないと、こいつら上手くやっていけないはずなのに。一体どうなってんの?

 こんなの、まるでアタシなんか最初からいなかったようじゃない。

「何で無視すんのよ……アタシゃここにいるのよ……生きてるんだぞ……こんな扱いはねぇだろ……」

 親指の爪を噛みながら、孤独に呻く。その声ですら、誰も聞いてくれない。


 第一何だって外の世界が見えるよう、一面だけガラス張りにしやがったんだ。そして何だってこんな人通りの多い所に置いたんだ。無視されてるってはっきりわかって、より惨めじゃねぇかチクショー。


 あ。そういう事か。


 やっと分かった。私は『死んだ者』として扱われているんだ。

 死人とは話せない。死人には構えない。だから徹底的に無視されているんだ。

 箱の中で身動ぎした。限られた世界。薄暗い世界。何も感じない世界。

 アタシの周りには何もない。ただアタシだけがいて、その存在がくっきりとしている。誰も構ってくれない。誰をも構う事も出来ない。繋がりがぷっつりキレて。アタシだけ。


 そのアタシが、少しずつ、少しずつ、暗い闇の縁に呑まれて、同化していく。

 その闇の向こうに何があるのかは、馬鹿でもわかる。

 死だ。

 圧倒的孤独。究極的断絶。

 これが、死なんだ。


 アタシが闇に微睡んでいると、がたりとボックスの蓋が空いた。何かが投げ込まれ、素早く閉じられる。

 走り去る足音なんて気にならない。美味そうな匂いがするそれを、アタシは鷲掴みにした。

 焼いた肉を葉っぱでまいた食い物だ。

「飯だ……やった……」

 口に持っていこうとするが、鼻をついた汚物の臭いに思わず顔を背けた。

 箱はアタシの出したもので汚れている。投げ込まれた飯は、その中に落とされたのだ。

「ヒッデェ……糞まみれじゃねぇかよ……こんなの食えねぇよ……」

 物凄く腹が減ってどうしようもない。だけどこんなもん食ったら腹を壊して死んじまう。アタシは断腸の思いで、排泄物を出す穴から肉の塊を捨てた。


 その翌日。またボックスにご飯が投げ込まれる。またか。食えない飯を貰ったって、腹がすくだけなのよ!

 空腹に負けて汚物を口にする前に、料理を穴に落とそうとする。そしていつもと違う手触りにハッとした。

「あれ……今度はビニルでまかれている……あは……あははは……ぅう」

 ビニルでまかれていようが関係ない。ションベンが……ビニルを浸透して……あんまりだ。何でこんな虐めるような真似をするんだよ。アタシは死んでるんだろ? ほっといてくれよ!


「汚れて食えねぇよぉ……汚れて食えねぇよぉ……何でこんなひどい事するんだよぉ……」

 ビニルごと料理を握りつぶし、すすり泣いた。

 その時、ボックスの蓋がまたかたりと鳴った。隙間からリリィが覗きこむ。どうやらこいつが飯を投げ込んでいたらしい。

 アタシが殺しかけた事を根に持ってるんだ。だからこんな嫌がらせを――クソ奴隷のくせに何て奴だ。


 アタシは気力を振り絞って、きっとリリィを睨んだ。

 リリィは怯えて視線をそらしたが、そっとビニルでまかれた料理を隙間に差し出した。

「ごはん……ごはん食べて。早く。ナガセに見つかっちゃう」

 え? は? 何それは? 頭が真っ白になる。

 意味が分からない。アタシアンタを殺そうとしたんですけど。純粋に食べてもらいたくて、ご飯放り込んでたの? 本気で? 何言ってんのコイツ……どこかおかしんじゃないの?


 ぼーっと見上げるアタシを、リリィは急かしてくる。

「早く手に取って。怒られるのヤだから。食べれないんでしょ」

「何の用よ……からかいに来たんでしょ。それ取ろうとしたら、落とすつもりだろ」

「あなたじゃないんだからそんな事しないよ。早く取って。ナガセが……ナガセが……」

 騙される訳ねぇーだろーがこのトンチキが。唇を尖らせて、ジト目で睨んでやる。何時までたってもアタシが手を伸ばさないでいると、リリィは一度ご飯を引っ込めて複雑な顔を隙間から見せた。


「私嫌いだよ。あなたの事。あなたがナガセにされたこと知って、ものすごく嬉しかったし、正直その姿を見るとすっきりする。でもそれで十分だよ。皆が殺すのを止めてくれたの知ってホッとしたし、私のせいで誰かが死ぬのは嫌。それだけ」

 リリィはそう言うと、もう一度料理を差し込んできた。

「文句なら直接言うし、仕返しならちゃんとする。だから――うんだからこそ、ロータスが死んだら……やっぱり寂しいよ……何もできなくなるんだもん。少なくとも……皆そう思ってるよ……」


 なん……で……。どうし……て……。


 理解できない。

 そう言えば、こいつらが何を思って、何を感じてるなんか考えたことなかったな。とにかく自分が大事、自分が第一だったから。そう考えると、この奴隷や雑魚のこと考えるのにも、多少は意味があるのかも知れない。したらもっと口先で騙しやすくなるじゃん。

 そうしたら今度は殺してやるからなクソ奴隷が。まぁ今はそんな事どうでもいい。このアマちゃんが飯をくれるんだ。とにかく腹が減った。

 アタシは手を伸ばして、リリィの差し出す包みを手にした。


 誰かがリリィの首根っこを引っ掴み、グイッと持ち上げた。そして離れた彼女の手に代わり、蓋を持ち上げる。

 黒の短髪、中肉中背の身体、黒いライフスキン。

 ナガセだ!

 リリィは半狂乱になり、手足をデタラメに振り回して逃れようとした。


「うわぁぁぁあああ!」

 ナガセは鬼のような顔で、リリィを詰問する。

「病み上がりでも容赦はせんぞ。ルールを――」

 ナガセはそこで、アタシが持つビニルの包みに気付いた。そしてしばらく考えたのち、安堵のため息を漏らした。


「ロータス。生きていたのか? 参ったな。処刑したのに生きていたのでは、どうする事もできんな。リリィに感謝しろ」

 ナガセはリリィを降ろすと、懐から鍵を取り出す。そして蓋を押さえる鎖を解いて、大きく開いた。

「風呂に入れ。上がったらピオニーに飯を貰え。その後しばらく療養しろ」

 ナガセはまるで世間話をするようにそう言った。そして踵を返すと、アタシたちを残して階段を降りていった。


 アタシは久々に拝んだ天井を見上げて、とてつもない解放感に全ての感覚を奪われた。新鮮な空気、清々しい外の匂い、そして動ける場所を堪能する。

 生きてる。やっと自由になれた。

 霞がかった頭で、今までの流れを回想する。そういう事か。リリィが死んだって認めなかったから、生き還れたのか。

 くっそ惨めだ。何でこの雑魚に生殺与奪握られなきゃならないんだクソッタレ。プライドがズタズタだ。それにクソ奴隷動くのがおせぇんだよ。おかげで酷い目見たじゃねーか。


 箱の縁にしがみ付き、外に出ようとした。だけどまだ足が刺すように痛い。一体どうしたらこんなに傷むんだチクショーめ。

 出る事に手こずっていると、リリィがアタシの腕をとった。

「手伝ったげる」

「お~早くしろクソ奴隷……」

「次クソ奴隷って言ったら箱ン中突き落とすよ」

「図に乗るなよお子ちゃまがよ……」


 リリィは顔を歪めながらも、アタシが外に出るのを手伝ってくれた。

 アタシが外に出ると、階下からプロテアとマリアが上がって来る。二人は両側からアタシを挟み込み、汚物が付くのに肩を貸して来た。

「出してもらったんだね~。これに懲りたらもうナガセに逆らっちゃ駄目だよ~……私たちにとばっちりが来るからねぇ……大体あんたはさぁ――」

 マリアは肩を貸しつつ、アタシが弱ってるのをいいことにグチグチと文句をこぼし出した。聞いてられるかボケ。くっそこいつ心の中でそんなこと考えてたのか、もっと電撃を浴びせとけばよかった。


 一方プロテアは、簡潔にこう言った。

「おう。洗ってやんよ」

 何でさ? あたし結構アンタらをいたぶったんだけど。電撃流したり、危ない仕事させてさー。ようやく奴隷としての自覚に芽生えたの? この馬鹿共がよ。

 そう思っていたら、脳天を衝撃が駆け抜けた。プロテアが拳骨を振り下ろしたのだ。

「これはパギの分な。俺のはお前が元気になってから、利子付きで返してやる」

 この牛糞ヤロー……。


 身体を綺麗に洗うと、食堂に連れていかれる。そこは昔のドームポリスより広く、悠々としたスペースにテーブルにパイプ椅子が並べられていた。椅子の数は15脚。アタシの分も含まれている。ハナから助けるつもりだったのか。びくついて損したなクソ。いや……でもナガセが慈悲を見せるとは思えなかったけど――分かんねぇ。


 部屋の奥はキッチンになっているに違いない。そこから食欲をそそる匂いが漂っていた。

 マリアはアタシを椅子の一つに座らせて出ていった。プロテアは見張りなのか、両腕を組んでアタシを注視している。けっ。病気持ちの犬かよアタシは。

「ピオニー。来たぞー」

 プロテアが呼ぶと、厨房からピオニーがスキップして出てくる。そしてアタシの目の前に、料理の乗ったトレイを置いた。

 メニューは豆と肉のミンチ、野菜のスープ、そしてコーンフレークだ。貧相だが箱から出たばかりのあたしにとってはご馳走らしい。料理から立ち込める湯気は、アタシの鼻孔をくすぐって、空腹を癒すよう促した。


「美味しいご飯さん。作り立てですよぉ。バクついても大丈夫ぅ。吸収しやすくてお腹は壊しませぇん」

 アタシお前に出来ない仕事やらせたよな。失敗するの見て喜んだよな。

 何で……? 何で……?

 分かんねぇ。何もかも分かんねぇよ。

 あ。だめだ。もう我慢できない。

 アタシはここで、みっともなく泣いた。

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