第85話

 微睡みの泥に沈みながら、軽く身動ぎをする。即座に鈍痛が全身を駆け抜けて、一瞬で意識がはっきりとした。

「……てぇ! 痛ッ……いてぇぇぇ!」

 四角い箱か何かに、閉じ込められているみたいだ。のたうち回ると硬い壁を蹴って、自由に動くことができない。そのうえ動く度に、痛みが酷くなっていく。

 アタシは仕方なく、自分を抱きしめて耐える事にした。


 何でこんなに身体が痛いの――ってそうだ! あのチ○ポ野郎に好き勝手身体を弄ばれたんだ。よくもアタシを辱めやがって。このお礼は絶対にしてやる。

 痛みが引いて余裕が出てくると、自分の置かれた状況が気になるモノ。きょろきょろと周囲に目をやった。

 どうやら鉄の箱に入れられているらしい。上下左右背後は鉄張りだが、正面だけがガラス張りになっている。そこから見える外の景色から察するに、箱は階段の踊り場に置かれてるようだわ。


 ガラスから差し込む微弱な光で、中は仄かに照らされていた。アタシは闇に浮かぶ自分の身体を見て、ものすんごいへこんだ。

 あの麗しきナイスバディが見る影もない。胴体は痣だらけだし、右指と左腕には添え木に包帯が巻かれていた。そして両の太ももには、大きなガーゼがベッタリと貼られている。

 つーかこのガーゼなに? この下がジンジンして物凄く痛いンだけど。興味がてらめくってみる。

「うげぇぇぇえええ!」

 太腿の皮膚が、濁った黒に変色している!

 何すんだ! アタシの麗しいカモシカのような足が!

 原因はあのチ○ポ野郎で間違いない! ショットガンなんかで撃つからだ!


「ああ……アタシの足……足がこんな……あのチ○ポ野郎……何て事しやがるんだ!」

 立とうとしたが、痛くて立てない。嘘でしょ? じゃあこの箱から出れないじゃん。苛立ち紛れに壁を殴ると、衝撃が全身に伝わって身悶えした。

 馬鹿やってる場合じゃないわ。ひとまず助かったのは間違いない。さっさとここから出て、隙を見てアタシをこんなにした童貞チ○ポ殺してやる。


 ガラスに張り付いて、誰か来ないか気を配った。しばらくすると、階下からマリアが上がってくる。作業着姿でモップとバケツを担いでいるから、掃除でもしてんだろ。

 ちゃ~んす。こいつ日和見主義だから、舌先三寸で丸め込める。

「マリア! 助けてくれる!?」

 アタシが声をかけると、マリアは飛び上がって掃除用具を床に放り出した。モップが床を転がり、バケツの中の水がそこら中に飛び散る。

 ラッキー。こりゃ後始末に手間がかかるわね。その間に上手い事同情させてやる。


「ねぇ! アタシたち友達でしょ! 助けて! 足が痛くてしょうがないの!」

 う~ん。我ながら涙を誘う、悲痛な演技だ。っておい、マリア。無視してんじゃないわよ。なぁにせっせとモップで掃除してんだ。

「ねぇ! ねぇってば! 無視しないで! 脚から血が出て止まらないの! 指も腐って……変な匂いが……もう……意識が……」

 気を失った芝居をする。これなら飛んできて開けてくれるでしょ。アタシは哀れな被害者になって、救いの手が伸びるのを待った。


「よし……っと」

 マリアの声がしたかと思うと、そのまま足音が遠ざかっていく。驚いて目を見開くと、マリアはこぼした水の始末を終えて、踊り場から廊下に出たところだった。

「えっ! ちょっ! ま! 待ってよ! 待てよこの尻軽マ○コ! 待てって! 無視するなァァァ!」

 次に階下から、アジリアとサクラが上がって来た。あの頭でっかちども、一つの作業用デバイスを互いに覗き込み、何かを話し合っていた。


「だから一生懸命探していると言っているだろう。欲しいコードと端子が見つかったらすぐ持って行く」

「へー。そー。ふーん。それで? 早くバイオプラントを復旧させる部品が欲しいのだけど」

 サクラは真顔のまま、機械的に答えている。かなり頭にきてるようだわ。アジリアも同じ問答を繰り返したのか、ピリピリしていた。

「だから――まず優先すべきは、今ある物資の確認と整理だ。バイオプラントは二の次! 再稼働に一月、収穫までに一月かかる計算だ。整理のついでに部品は探しておく」

「へー。そー。ふーん。それで? それはあなたの考えで、あなたの仕事の話しでしょ。私はナガセの考えで、私の仕事の話をしているのだけれど。早くバイオプラントを復旧させる部品が欲しいのだけれど」


「ナガセも物資の確認に力を入れているだろ! ロータスみたいにまたアホが暴れんようにな!」

「でも私にはバイオプラントを直すようにお願いされたわ」

 アジリアは溜息をついて足を止める。そして階段の踊り場で、サクラと見つめ合った。

「電撃の件……まだ根に持ってるのか……謝っただろ……」

「奪還作戦の前、突入する時に言ったわよねぇ。『何でも一つ助けてくれる』って。今助けてもらおうかしら」


 アジリアはいきなりキレた。いい加減にしろと言わんばかりに、電子ペンを床に叩き付ける。

「今はそれどころじゃないだろ! いいか!? 私はあの化け物に興味はない! むしろ反吐が出る! お前の好きにすればいいじゃないか!」

「いきなり大声あげないでよ。はしたない。やっぱり部品はいいわ。見つかったら言って」

 サクラはそう言ってアジリアに見切りをつけると、すたすたとボックスの前を横切っていった。どうやら目的は嫌がらせだったようだ。やっぱイッてるわコイツ。

 おっと。メンヘラの醜い争いに見とれている場合じゃねぇ。こいつらは自由にはさせてくれないけど、もっと上の待遇にしてくれる。


「お二人さん乳繰り合ってるところ申し訳ないんだけど~。ねぇ! 助けてくれる!?」

 サクラはボックスの方を見ようともしない。まるで私が存在しないかのように振る舞っている。

 アジリアはアタシを一瞥して、軽く鼻を鳴らしただけだった。電子ペンを拾うと、サクラの後に続いた。


 ちょっと待てフザケンナ! このままアタシをほっとくつもりか! 閉じ込められるのはしゃーないけど、こんな檻の中の動物以下の扱いはヤだぞ!

「ねぇ~。お二人さんが偉いのは知ってるのよぉ~? 暴れたのはほんと謝る。謝るからお願い~。ねぇって! おいタンポンにこびり付いた血ィ見たいな真似してんじゃないわよ! ここから出してって――」


「あら。ナガセ。仕事は私たちでやりますので、おやすみになって下されば宜しいのに」


 サクラが廊下の曲がり角で停まり、そのような事を言った。

 途端アタシは総毛だち、震えに襲われた。

 曲がり角の陰に。あいつがいる。

 先まで溢れていた闘志も、殺意も、生気も、あいつが傍にいるって分かっただけで、萎えてしまう。あいつに味あわされた苦痛の記憶が、恐怖となってアタシを押し潰す。

 ヤバい。何されるか分かんない。今は身動きが取れない。怖い。逃げられない。


「用事だ。マリアがちょっとな。気にするな」

 アジリアも曲がり角に差し掛かり、サクラに並んだ。そして人間が表現できる限りで、最大の侮蔑の表情を作った。

「いいご趣味だ」

「ほざけ」

 三人はそれから小さな声で、何度か言葉を交わす。そしてアジリアたちは廊下を曲がり、入れ替わりにナガセが姿を現した。


 いつものライフスキン姿。だが松葉杖をついており、ザンバラだった髪型は、短く刈り上げられている。どうやら戦闘で焼けたため、切って揃えたらしい。ンなことはどうでもいい。アイツこっちにくる。

 ナガセはボックスの蓋を開けた。ボックスには完全に開かないよう鎖が駆けてあるのか、じゃらりと金属の鳴る音がした。

 隙間からアタシの様子を窺っている。とっても冷たい目。マシラやジンチクを見る時の目。それも生きてる奴をじゃない。死肉を見るぞんざいな目だ。


 ナガセは溜息をついた。

「ちゃんと死んでいるようだな」

 ナガセはゴミを捨てるように、隙間から水の入ったボトルを入れる。そして蓋を閉じて、どこかに行ってしまった。


 残された私は、呆然とするしかなかった。いや。アイツに何もされなくて良かったけど、このまま放置もキツイッつーの。つーかアイツ、アタシをどうしたいんだ。アタシこれからどうなるんだ。

「な……なんなんだ……って出せよ! 出せよォォォ!」

 誰か。アタシの声を聴いてよ。

 アタシを助けてよ!

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