第84話

 ロータスの反乱から十二日が過ぎた。


 最初の五日間は彼女たちの回復に使い、それから七日間は荒み切ったアメリカドームポリスの復興を行っている。

 端的に言えば異形生命体の死体処理、勝手に運び出された物資の確認と収納だ。異形生命体が徘徊している区画は危ないので、最初に決めたように餓死を待つ事にした。とにかく今は、使える区画を住めるように改築するのが最優先だ。

 色々あったが作戦は完了。ドームポリスが二つに増えたので、俺はアメリカドームポリスを避難地(ヘイヴン)、彼女たちの居たドームポリスをゼロと呼ぶことにした。

 ヘイヴンを新たな拠点に、さらなる奥地へ人類を探しに行かなければならない。


 あくる日、俺は松葉杖をつきながら、ヘイヴン内部を見回っていた。

「ヘイブン内の戦力で、一個戦機(人攻機を中核に据えた部隊)中隊は運営できる。バイオプラントも再稼働の見通しが立ったし、飼料の栽培もできるようになった。家畜を囲えるな……これで前より楽が出来るはずだ。リリィとサクラが全快したら、そちらも考えるか」

 作業用デバイスをペンで突きつつ、ぶつぶつと独り言をこぼす。廊下を曲がった時、ばったりサンと出くわした。


 サンは廊下に屈みこんで、隅っこで激しく吐いている。何事かと思ったが、その理由はすぐにわかった。

 サンの奴、異形生命体のフンを詰めた死体袋を引きずっていたのか。

 フンはただでさえ臭いのに、腐敗しているのだ。かなりきつい仕事だ。


 サンは俺に気付くと無理やりえづきを抑え込み、口周りの吐きカスも拭わず、気を付けの姿勢をとった。

「ちゃんと……仕事してます……」

 それを見た俺の心は、強烈に傷んだ。さらにサンを駆り立てているのが俺への恐怖だと分かっているので、とてもやるせない気持ちになった。だが表情に出してはいけない。俺より遥かに、彼女たちの方が傷んでいるのだから。


「今吐いただろ……少し休め……」

「でも……」

「いい。もう脅かすような敵はいないんだ。ゆっくりやれ」

「でも……! ぇう!」

 サンはその場で蹲り、両手で口元を覆う。間を置かず彼女の両手から、吐しゃ物がぼとぼととこぼれ落ちた。


 分かっている。俺がいる。俺が脅かしている。でも守りたいのは本心なんだ。だけど俺では守りきれないんだ。

 一刻も早く、他の人類を見つけないと。

「いい。続きは俺が運ぶ。休んで来い。他にも無理している奴がいたら休ませろ」

 サンから無理やり死体袋を奪い、ゲロが付くのも構わず気を付けを止めさせた。


 サンは俺から距離を取り、びくびくと顔色を窺っている。やがて遠慮がちに聞いてきた。

「ロータスは……」

 それだけは譲れん。視線を尖らせると、殺意を込めて彼女を睨んだ。

「お前も死にたいのか……?」

「失礼しまぁす!」

 サンは地面に頭をぶつけそうな勢いでお辞儀をすると、俺の前から逃げていった。


『サー。何も驚かせる必要はないのでは?』

 サンが完全に視界から消え、その足音も聞こえなくなったころ、アイアンワンドが話しかけてきた。

 覗き屋め。一部始終を見ていたらしい。俺は死体袋を引く紐を肩にかけて、松葉杖での歩みを再開した。

「ロータスを処刑する時、言ったはずだ。奴の話はするなと、した奴も処刑すると。サンは処刑されなかっただけ、ありがたく思って欲しい」


 アイアンワンドは溜息に似た雑音を漏らす。強情な俺を、やれやれと言っているようだった。

『そろそろ許されてはいかがですか?』

「分かってないなポンコツめ。俺はロータスに許しを請う側だ。無力化以降、無意味な暴力を振るったのだからな。しかし……だ。ロータスを許すのは、彼女たちの仕事だ」

『もし許さなかった場合、如何なさるので?』

「人を殺そうとしたんだぞ? 抹殺する。心配しなくても形式上、俺が手を下したことになる。彼女らの罪にはならん。どの道奴には『一度』死んでもらう」


 ここでアイアンワンドの声が、俺を皮肉るような調子になった。

『やり方が文明的ではないと思えるのは、私だけでしょうか? 皆の意見を求めず、サーの独断でこの裁きは下されました。余りにも独善的だと思えます』

「重々承知だ。人治など人の形をした猿のすることだ。だが法治を実現するには、人手がないし、環境も悪いし、規模が小さすぎる。それに何の法を採用する? 今できる最善の選択がこれだ――と記録に残しておけ」

『サーだけは人類と合流後、法の裁きを受けると。ご自分だけ文化の恩恵を受けるのは卑怯ではありませんか?』

「一応俺は法が定めている、全体の幸福の追求と、公正さ、そして正義に則っている。それに俺は、ロータスの裁きにノったんだ。こっちの裁きにもノッてもらう」


 話すうちに、非常階段に辿り着いた。エレベーターが故障中である今、彼女たちは非常階段を使って階を移動している。当然人通りは多く、デージーやマリアとすれ違った。

 彼女たちは一様に、俺を見て肩をびくつかせる。その後自分の仕事が分かるように運ぶものを見せたり、雑巾を広げたりした。

 ピコの時も似たような状況になったが、今回は和解なぞ出来そうにない。ピコの時は子供の駄々に近いものがあったが、今回は自分の身に危険が及ぶと心底怯えているからだ。


 彼女らは自分が仕事をしているとアピールした後、ちらと階段の踊り場に置かれた『それ』を一瞥する。そして『いつまで放っておくのか』と、暗い視線で訴えて逃げていった。

 彼女らの視線の先には、存在感のある黒いボックスがあった。正方形で、大きさは人一人がくつろげるくらいだ。鉄でできているが、一面が鏡張りになっていて、俺の姿を映していた。

 ボックスの下部には穴が空いており、真下に受け皿となるトレイが敷かれている。そこには人糞と尿が溜まっており、辺りに異臭を放っていた。


 俺はボックスに歩み寄り、トレイの汚物を死体袋に移し替える。その際ボックスがガタリと揺れて、何者かの呻き声がした。

 無視だ。

 非常階段の踊り場にあるダストシュートへ、汚物をまとめて捨てる。そして空になった死体袋を持って、その場を後にした。


 自分がいかに、非人道的な処罰を与えているか分かっている。だが俺はこれ以外の方法を知らない。そして手を抜くことはできない。ここで失敗すれば、ロータスはきっと復讐のため、皆を殺すだろう。

 俺には愛がない。温かくロータスを更生させる術を忘れてしまった。人を愛せず、自分すら愛せないから。

 いずれ……いずれきっと。

 いや、必ず。

 俺は彼女たちの死肉を貪るだろう。

 そうなる前に——

「アイアンワンド……俺はイカれている……俺を殺してくれ……」

『サー。私では、まだサーに勝つ事が出来ません』

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