第82話
入り口のシャッターが吹き飛び、爆風が炎を伴って入ってくる。バリケードのパイプが焦げ、隙間に詰めた資料が灰になった。それでもバリケードは役目を果たし、爆風は天井へと滑っていく。
反らし損ねた熱風が、生き物のように俺を舐める。体中がひりひりして熱い。この痛みを日焼けと表現するのは生ぬるい。紙やすりで全身を磨かれたような激痛だった。
爆風が駆け抜けた後、痛みを堪えて立ち上がる。太腿からメスを抜き、紙吹雪が部屋を飛び交う中を、棒のような足を引きずって廊下へと出た。
入り口は焼けて黒ずみ、周囲には灼熱と化した空気が充満している。起爆現場の床は大きく陥没しており、小さな焔が燻って辺りを微かに照らしていた。
ウリエルの姿はない。逃げたようだが、かなり慌てているらしい。足跡が炭のひっかき傷として、現場から廊下へと伸びていた。
足跡はそう離れない場所でぷっつりと途絶えてしまう。代わりに天井の通風孔から、真っ黒に焦げたウリエルの下半身がぶら下がっていた。もそもそと動いている事から、中身は入っているらしい。どうやら配電盤のブレーカーを上げて、電力を復活させようとしているようだ。
俺とやり合うのが怖くなったか。
軽く鼻を鳴らして、やりたいようにさせてやることにした。
通風孔から拙い手つきで機械を弄る、冷たい金属音が響いている。やがてそれが落ち着くと、レバーを上げる音がした。
閃光。通風孔から白光が迸り、電撃が空を裂く。
漏電の細工が機能したようだ。垂れ下がるウリエルの下半身が電撃を受けて、小刻みに痙攣した。機体からはパーツがぼろぼろとこぼれおち、関節は派手に火花を撒き散らす。
漏電を感知した安全装置が、すぐに電流をカットする。ウリエルは俺の目の前に、花火の燃えカスの如くボトリと落ちた。
高圧的な威容を誇ったウリエルは、見るも無残な姿に成り果てていた。アルマジロのような丸い胸部装甲は爆圧で歪み、骨格からはずれてコードがはみ出している。内部の電子機器には火が灯って、プラスチックの焦げる嫌な臭いの元となっていた。脚部にももはや、外骨格だけが残るだけだ。
完全なスクラップだ。やれば破壊できるもんだな。
だがまだ俺は勝っていない。
ウリエルの背中で小爆発が起き、背部装甲板が剥がれ落ちた。内部から全身汗まみれになったロータスが這い出てくる。
「あっ……が……っ……なに……なん……なんだ……わけ……わかんねぇ……ふざけんなチ○ポ野郎……なんなんだよぉ……フザケンナ……フザケンナ……フザケンナ……」
やっこさん、震え声でベソをかいている。怪我はしていない様子だ。まだ戦える。背後からロータス髪の毛を掴んで、無理やり立たせた。
「立て」
ロータスは甲高い悲鳴を上げて、髪の毛を掴む俺の腕を握りしめてくる。彼女は振り返ると、媚びた笑みを恐怖で引きつらせた。
「ひ……あ……あは……あははははは……すごいわねあんた……やっつけちゃった……」
まるで一緒に強敵を倒したかのような口ぶりだな。他人事じゃねぇんだぞ? 俺と、お前が、今まさに、命を懸けて、ドンパチやってんだ。
白けた視線でそれに応える。
「戦え」
ロータスはぎくりと肩を強張らせた。何を思ったか——目の前で手を合わせて、俺を拝み始めた。
「参った。許して」
おいおい。降参した振りが通用すると思っているのか? もう少し本気になって欲しい。惨めにくたばるのは嫌だろう?
クスクスと忍び笑いを漏らす。ロータスも俺に合わせてへらへら笑い出した。
ご機嫌とりのつもりか? いつになったら反撃するつもりだ。いい加減にしろ。
俺は髪の毛を掴んだまま腕を振りかぶって、力いっぱいロータスの頬をぶった。掴んだ髪の毛が千切れ、ロータスは勢いよく廊下に倒れ込んだ。彼女は即座に立ち上がり、信じられないような眼で睨んできた。
「降参じゃねぇかよ! 何すんだ痛ェなチクショー!」
何をほざいている? そんな暇があったらかかってこい。
手元に残ったロータスの髪の毛を、ぞんざいに投げ捨てた。
「戦え」
ロータスは訳が分からないように、眼を丸くする。
「は……いやだから……ごめんなさい。もう無理。降参。抵抗しない。これで分かった!? お叱り受けるわよ!」
俺の知った事か。ロータスに歩み寄って腕を振りかぶり、横っ面を思いっきり張った。
ロータスが吹っ飛び、廊下に尻餅をついて倒れる。今度は立つ余裕すらないようで、呆然と俺の事を見上げていた。
ロータスの口の端から、つぅっと血の糸が垂れる。彼女はそれを手の甲で拭い、こびり付いた血を見ると喚き出した。
「無抵抗の人間を殴るのかテメェはァァァ! この腐れ外道めぇぇぇ!」
意に介さず、指で立つよう示した。
「立て」
「テメェこれは暴力だぞコラァ! やっちゃいけない事だぞ! やめろって! 反省してるだろぉ!」
こいつ。俺の話を聞いていないな。ロータスの胸倉を掴んで立たせると、平手打ちをして無理やり黙らせた。彼女は三度廊下に倒れ込むと、心底怯えた眼を俺に向けた。
「戦え」
ロータスは場をとりなす為か、それともそうするしかなかったのか。ヘラリと笑った。
「お前マジでイカレてんな。自分の身体を見てみろよ。ほらボロボロじゃない。皮膚は焦げてるわ……ガラスできれてるわ……早く治療しないとまずいってコレ。アタシが何とかしてやるからよ……もう止めような? な?」
「戦え」
冷徹な俺の言葉に、ロータスの顔が丸めた紙のようにクシャクシャになった。彼女は即座に背中を見せて、一目散に逃げ出そうとした。
「戦えェえ!」
絶叫し、逃げるロータスに飛び掛かる。風になびく彼女の後ろ髪を引っ掴み、仰向けに地面へ引き倒した。そのままロータスに馬乗りになると、胸倉を掴んで激しく揺すった。
「何故逃げる? 俺を殺せるんだろ。殺せよ。殺してくれよ」
止めてくれ。俺を止めてくれ。
ロータスはしゃにむに手を振り回して、俺を突き飛ばそうとした。
「もう無理だ! アタシの負けだ! 完敗だ! 認める! 認めるよ! アンタがここのリーダーだ!」
「たたかえええええ!」
胸倉を掴む手を交差させ、ロータスの首を絞めあげた。
ロータスの呼吸が擦れたものになり、口角から泡が滲み始める。彼女は息の続く内にと、早口で喋り出した。
「アイアンワンド! 私は降りる! アカウントを元あった場所に戻すよ! ナガセだ! ナガセが一番だ! ナガセに従え! だけどこの命令はアタシが生きている間だけ有効な! アタシが死んだらここの全てを暗号化しろ! な!? ナガセ! もう無意味だ! やめよう! やめようぜ! 困るだろお前も! 皆も! な!?」
ロータスは懇願するように俺を見上げた。
俺は首を締める力を緩め、彼女に顔を近づけた。
「抵抗はそれで終わりか?」
ロータスは俺の視線に応えられず、ふいと顔をそっぽに背けた。
「これくらいの抵抗は仕方ないでしょ……お前殺す気だろ……もう分かった……アタシはアンタより下だよ……馬鹿なことをしたよ……」
「ふ~ん……そうか……」
左手でロータスの首を押さえ、右手で拳を振りかぶる。そして力いっぱい、彼女の顔面を殴った。
「殺されてぇのかッ! このアマッ!」
俺たちがしているのは殺しあいだ! 遊んでるんじゃないんだぞ! 俺は真剣に戦った。手足の欠損どころか、命を失うことを恐れず、貴様に挑戦したんだ! 貴様もそうじゃないのか!? 命ある限り殺そうと思ったんじゃないのか!? 俺のように死ぬまで戦うつもりではなかったのか!? その狂気を誰かにとめて欲しかったんじゃないのか!?
この噓吐きめッ!
「いだぁぁぁあ! おま! グー! グーで殴ッ! 鼻が! お前!」
ロータスは顔面を押さえこみ、悶え狂った。指の隙間からは鼻血がぼとぼととこぼれている。
「フザケンナこのトンチキヤロー! お前が暴力はいけないって言ったんだろうこのキンタマ野郎が! 痛ェ! もう無理だって許してくれよ頼むよ!」
この期に及んでまだほざくか。聞く耳もたん。固めた拳を彼女の腹に、何発も打ち込んだ。
「黙れ! やかましい! 今! 俺が! 喋っているんだ! このポンチ野郎が!」
ロータスは呼吸難に陥り、咽喉に声を詰まらせた。
俺は彼女が落ち着くのを待って、静かに聞いた。
「戦えるか?」
ロータスは弱く首を振った。
「お前なんだ……誰だよ……ナガセは死んだのか……分かったお前と取引するから……何すれば許してくれる……」
期待外れの答えだ。
「どうあっても……戦う気はないんだな?」
彼女は今度、激しく首を縦に振った。
「ごめんなさい……すいません……ちょっと調子コイただけなんだ……」
「一度だけ手を貸してやる」
俺はそう言うと、手持ちの工具入れから薬瓶を取り出した。薬品室から持ち出した、向精神薬と覚醒剤が充填されている。素早くロータスのライフスキンの、薬物注入口に取りつける。
「やめろぉぉぉぉぉ!」
ロータスは得体の知れない薬を打たれる恐怖に、過敏に反応した。身をよじって激しく抵抗し、唾を撒き散らして威嚇の雄叫びを上げる。暴れたらうまく薬を打てないだろ。ロータスの頭を鷲掴みにすると、床に思い切りたたきつけた。彼女が悶絶する内に、薬物を注入する。
薬を打たれてしばらく、ロータスは自らを襲うであろう薬効に怯え、赤子のように震えていた。やがて彼女はいきなり、白目を剥いて痙攣し始めた。そのまま震えは大きくなり、呼吸は興奮で荒くなっていく。そして黒目が元の位置に戻って来た時には、虚ろな光が宿っていた。
立ち上がってロータスを解放してやると、相手はすぐに立ち上がり、突然自らの胸を揉みしだいた。
向精神剤が発情の方に働いたか――と勘繰ったが、杞憂だったようだ。ロータスは狂った笑みを浮かべて、胸の谷間からグロックを取り出した。
「ころ! テメェ殺してやる! このヤロ! 死ねチ○ポ野郎が!」
それぐらいで俺を殺せるか。銃身を乱暴に掴んで、銃口がこちらに向かないよう捻り上げた。グロックはあっさりとロータスの手を離れたが、引き金にかけた指はトリガーガードに引っかかって、あらぬ方向に折れ曲がった。
ロータスがぼーっと折れた指を見つめる中、俺はグロックから弾倉を抜き、スライドの中の銃弾を排莢した。
「戦え」
弾倉内の銃弾を、指で弾き出しながら冷たく言った。
ロータスは尻辺りを探り、幅広のサバイバルナイフを取り出した。
「ぃひー! ぃひー! ニャイフがあるんだァ! ズタズタにしてやるぅ!」
ロータスはナイフを順手に持って、突き出してくる。俺は彼女がナイフを持つ手を器用に捕まえ、銃の時と同じように捻り上げた。だが二度も同じ攻撃をした罰だ。
ナイフを落とした後も捻り続け、ロータスの腕をLの字に極めて背中を向けさせる。そのまま力を弱めず、へし折ってから離してやった。
ロータスは悲鳴を上げなかった。千鳥足で廊下を数歩ふらつくと、折れてぶらぶらする右肘から先を見てへらへら笑った。
「戦え」
ロータスの背中ににじり寄る。彼女は俺の声に、びくりと肩を跳ねさせた。そして恐る恐る振り返り、俺と向かい合った。
俺と、奴の、視線が重なった。
その時、彼女の虚ろな目に、一瞬だけ光が宿った。何を感じたかは分からない。だがロータスはこの世の終わりを見たかのように表情を壊すと、俺に背を向けて遁走を始めた。
「ひひひ……ぃ……ドラゴンだ……赤いドラゴンがいるゥゥゥ! 何で生きてるんだよぉぉぉ!」
「戦えェ!」
俺はその背中を追いかけた。
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