第79話
俺はダクトを這いずって、九階監督区画前まで向かった。
エントランスの通風孔で、じっと彼女たちが行動を起こすのを待つ。
ここはドームポリス攻略時、サブコントロールを制圧したアジリアたちが通過した場所だ。円形のエントランスは分厚い鉄の壁で二つに隔てられており、通風孔側にはエレベーターが、壁の向こうにはサブコントロールのある監督区画へと繋がっている。
ロータスはここに食料を運ばせている。奴がいるのは監督区画で間違いない。
デリンジャーのグリップを指で弄りながら、ダクトの闇と同化して、変化が起きるのをじっと待った。
一時間ほど経過しただろうか。
『異常事態発生。異常事態発生。九階第三セクターの機関部にて異常発生。至急点検されたし』
ドームポリス内に、アイアンワンドのアナウンスが流れた。すぐに駆け足の音がして、俺の眼下をアカシアとパンジーが走り抜けていく。
アカシアは何も知らないようで、苛立ちで拗ねた顔つきをしながら、一心不乱に目的地へ駆けていく。その後ろを詰めるパンジーは、不安そうな面持ちで頭上の通風孔に視線を送っていた。俺を探しているのだとしたら、可愛らしいことで。
次に、アイリスのアナウンスが流れた。
『ロータス? 監禁しているサクラとアジリアの容体がおかしいです。二人を一時的に薬品室に移します。よろしいでしょうか?』
人の生死がかかっているにしては、妙に落ち着いた口調である。ヒステリックな彼女なら喚いてもよさそうなものだがな。恐らくパンジーは、アイリスには教えたのだろう。
『あん? あ~……でもそいつら糞生意気だしねぇ……』
ロータスの渋るような声が、スピーカーから響く。
『死んだらどうしようもないですよ。お願いします。早く判断を』
アイリスがせっつく。ロータスが不機嫌そうに、鼻を鳴らす音がした。
『仕方ないわねぇ。別にいいわよ。ちゃちゃっとやって元気にして。あとでお仕置きの一発食らっても、平気なまでに回復させといてよ~』
無音の一時が訪れ――すぐにロータスが不審点に気付いて、慌ててアナウンスを流した。
『ちょと待て。何で治療室じゃなくて薬品保管室なのよ。行くなら治療室でしょ~間違えないでよね~……ネェ……どうして薬品保管室にいるのかしら? アイアンワンドでアンタが何処にいるのかはお見通しなのよ。今すぐそこを出ないと、きっついビリビリお見舞いするわよ』
ロータスの声が、怒りを孕んで低いものになる。しかしそれは、すぐ驚きに上ずった。
『えっ? あっ? ちょっと~? デージー、サン。何で仕事場から離れて機関部にいるのぉ? 異常が発生したのは九階よ。そこは七階。全然違うッつーの。すぐ持ち場に戻れオイ! ピオニーお前もだよ! 勝手に動いてんじゃねぇノータリンブス!』
アナウンスの声に混じり、わたわたとコンソールを叩く音がする。全員が一斉に想定外の行動をとったため、情報の把握に躍起になっている様である。そんな事をしている間にも、彼女らは無事避難を進めている事だろう。
『おいローズクソガキ連れてどこに行くつもりだ! なに口答えしてんのよ……サボり? って……皆どうして勝手に動いて集まってるのかなぁ? あん……良くないこと考えてるみたいね。レベル5イっちゃうわよ~。まぁたションベン垂らしてひくひくするハメになるけどいいの? 大人しく出てきたらレベル3で許してあげる』
「えっ……いやぁぁぁぁぁ!」
廊下からアカシアと思しき絶叫が響いて来る。しかしすぐにプロテアが勇ましく啖呵を切る声に塗りつぶされた。
「おう! おめえのやり方に俺たちはうんざりしてんだ! やれるものならやってみろ! もうお前の言う事は聞かないからな!」
ロータスは嗜虐心をそそられたように、くすくすと笑った。
『意固地になるのは駄目よ~ダメダメ。アンタは勇ましくて、潔癖で、強いって分かってるわぁ。私じゃかないっこない。ウン。それは分かってるわぁ。だから代わりにパギちゃんにメってするわぁ~……』
この脅しを耳にして、プロテアの声が裏返った。
「なっ! パギは関係ないだろこのジンチク野郎! 俺にこい! 俺にこいよ! テメェパギには手を出すんじゃねぇ! やめろよ! 俺が遊んでやるァ!」
『遊んでくれるの? 嬉しいわぁ。良い悲鳴聞かせてねぇ。アイアンワンド。パギは暴徒よ。レベル4。やっておしまい!』
「この腐れ外道がぁぁぁ!」
そろそろ頃合いかな。俺は通風孔の金網を蹴り落とすと、エントランスに降り立った。
「随分と景気が良さそうだな」
突然の俺の登場に、場はしんと静まり返る。やがて取り乱したロータスの悲鳴が、スピーカーからこだました。
『のわぁッ!? っとォ! ナナナナ……ナガセェ!? てッテメェ! 死んだはずだろいいい一体何でぇ!』
まるで鳩が豆鉄砲を食らったような反応だ。俺は笑いを堪えつつ、諸手を広げで健在をアピールして見せた。
「御覧の通りだ。だがそんな事はどうでもいい。俺がいない間、随分と好き勝手やってくれたようだな……」
ロータスがごくりと生唾を飲む音がする。同時に緊張で息が上がる気配も。かなりショックを受けているようだ。
正直。
俺は戦いたい。
だが大義名分が失われつつある。アロウズは俺を縛り、置いてきぼりにした。はっきりと敵対した。だから一切の予断なく、戦闘に突入出来たのだ。今回もそうでなければなるまい。
「一回しか言わん。武器を捨てて投降しろ。それならお叱りだけで済ませてやる」
スピーカーから、声にならない呻きを漏らす。どうしようか迷っているようだ。だが彼女は唐突に、ふっと笑い声を漏らした。それは次第に大きくなり、意地の悪い哄笑となって、ドームポリス中を揺るがした。
『もうお前の天下は終わったんだよ。今じゃ私がアイアンワンドを握ってるし、武器だってたくさんある。もうお前じゃ勝てないんだ。逆に聞いてやるよ。這いつくばって私の靴を舐めるなら、生かしておいてあげるわん』
やばい。お前最高だよ。自ずと満面の笑みが浮かぶ。
「それはNOという事でいいんだな?」
『お前もNOという事でいいんだな? アイアンワンド。こいつは不審者だ! レベル5殺せェ!』
『マム・イエスマム』
俺は腰に手を当てて、身体に電流が走るのを大人しく待った。しかしいつまで待っても電撃は襲ってこない。
『エラー。命令を執行できません。コンディション確認。異常ナシ。エラー。ヒューマンエラーの可能性大。至急点検を実行して下さい――』
『……は?』
アイアンワンドの報告に、ロータスが間抜けに呻いた。
俺は説明するのも面倒臭くて、ぽりと頭を掻いた。
「電撃の仕組みについて知っているか? ドームポリス内のアンテナはな、電波の他にもマイクロ波を送れるんだ。そのエネルギーをライフスキンで電力に変換し、電撃を与えている」
俺はチョーカーの嵌っていない首を、爪で軽く引っ掻いて見せた。
「受信機であるチョーカーが無ければ意味がないんだよ。それにどうせやるなら、マイクロ波でそのまま焼き殺す方を選んだ方が賢いぞ。全身の血を沸騰させてボン。楽に殺せる」
ロータスは余裕の俺に当惑しつつ、アイアンワンドに聞いた。
『そんなことできるの? アイアンワンド』
『マム。イエスマム。マイクロ波をウェーブ状に放射し、対象を焼き殺すことは可能です』
『じゃあこいつを焼き殺せ!』
『エラー。命令を執行できません。コンディション確認。異常ナシ。エラー。ヒューマンエラーの可能性大。至急点検を実行して下さい――』
『なにしやがったテメェ!』
別に大したことはしていない。
エントランスの送電線を切って、コンディションパネルに異常ナシの信号を送るよう細工をしただけだ。もちろん細工する時にエラー報告が出るが、あんなに故障と修理の毎日じゃ、どれが人為的なエラーなのかわからないだろう。お前は管理者失格だ。
俺はもう一度腰に手を当てて、出来るだけ穏やかな口調で言った。
「俺はすごぶる機嫌が悪い。ここらへんでやめて置け」
ロータスが黙り込む。怒りに身体を戦慄かせているのか、コンソールを爪が引っ掻くキリキリという音が、微かに聞こえてきた。
やがてロータスは大きく息を吐いて落ち着きを取り戻すと、低い唸り声を上げた。
『ナガセ……お前あいつらが大事なんだろ』
「あいつら……?」
『そうさ女たちさ! 訓練の時苦しそうだったもんなぁ! いいのか! お前が生意気コクとあいつらがひどい目に合うのよ! 電撃ビリビリってねぇ! もしチョーカーを外させたんなら後悔しな! お前のせいだ! 電撃を使えなくしたお前が悪いんだからな! まいくろ何とかで焼き殺してやる!』
いいぞ。そのまま狂ってくれ。俺が殺しても誰も咎めないくらいに。
「やれるものならやってみろ」
『上等だボケ! アイアンワンド。まずは反抗的なクソッタレ共だ! サクラとアジリアをまいくろ何とかで焼き殺せ!』
『マム。効果範囲内に対象者がいません』
『何なんだチクショーがこのクソッタレェェェ!』
アイアンワンドの即答に、ロータスがキレた。ガンガンとコンソールを殴りつけ、息の続く限り悪罵を連ねた。それは機械が幾つか壊れ、声にダミがかかるまで続く。やがて気力が尽きたのか、荒い呼吸だけが残った。
「あのなぁ……機関部や薬品保管室に、アンテナがあるわきゃないだろ。引火したらどうするんだ? だから立て籠もられないよう鍵を閉めたり、入室許可を出したりして厳重に管理するんだ。お山の大将さんよ……」
これではっきりした。ロータスは危険だ。そして彼女らを殺そうともした。ぐちゃぐちゃにしても、誰も文句言うまい。
「まぁ……もうどうでもいいな……貴様は俺たちのたった一つのタブーを犯した……有罪」
カメラ越しにこちらを見ているであろう彼女に、殺意で尖る視線を送った。
「……今からそちらへ行くぞ。アロウズ」
ロータスが一瞬、怯んで息を飲む。だがそれはすぐに、強気に息巻く野蛮な声にとって変わった。
『上等だァこのイ○ポ野郎! 来てみろよ! ミンチにしてアタシのションベン引っ掛けてやる! それでハンバーグこねてあいつらに食わせてやるわ!』
ゲーム開始だ。
ずかずかとエントランスと監督区画を区切る鉄壁に歩み寄った。壁の中央は通路になっており、左右には窓口が構えられカウンターとなっている。右側の窓口は強化ガラスで封がされているが、左側はキャリアのアーマーで雑に塞がれていた。恐らくアジリアがデトコードで開けた穴を、ロータスが塞がせたのだろう。
雑な補修なだけあって、軽く力を込めただけでアーマーは剥がれ落ちる。俺は露わになった窓口の穴を潜って、監督区画へと足を踏み入れた。
「さてと……ここから先のアンテナは生きてるしな……」
またダクトを移動する羽目になりそうだ。ぐるりと頭を巡らせて、通風孔を探した。
カウンターの中はまるで事務所の様だ。窓口前には事務机がキッチリと置かれ、その背後にファイルキャビネットが整然と並んでいる。だがここには通風孔が無いらしい。代わりにエアシュート(空気の力で専用の筒を送る装置)が設置されているようだ。
仕方なく用心して、向かいのカウンターへと移動する。こちらにはきちんと、天井に通風孔が設置されている。事務所机を踏み台にし、通風孔のカバーを外そうとした。
その時、足が何を踏んで軽く滑った。視線を落とすと、足が小さな紙片を踏みつけている。
拾ってみると、それは手紙の様だ。俺の足跡のついた表面には、「一万年後の私へ」と、可愛い文字でつづってあった。
今はそれどころではないが、彼女たちが過去を知る必要はない。
無言でその手紙を、懐の中に捻じ込んだ。
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