第76話
俺は、何をしているんだ?
そもそも俺は、誰だ?
何をすべきなのか。そしてどこにいるのか。
考えこみ、ふと思い出す。
俺は永瀬恭一郎。出身はミクロネシア連合の日本。所属は国際連合軍、三級特佐。
すべきことは、遺伝子補正プログラムの配布。
そしてここは――どこだ?
白い壁に囲まれた、何もない部屋にいた。足を伸ばして床に座り、背中を壁に預けている。
気分は最悪だ。頭がガンガンするし、胸糞が悪い。そして腹も空いていた。
天井には空気供給口とスピーカー、そして眼に痛いほど強烈な電灯がつけられており、格子でしっかりと防護されている。床は軽く傾斜しており、排水をよくする為に溝が掘られていた。
「クソったれが……」
思わず悪態が口から漏れる。こういう部屋はろくな使われ方をしない。拷問か尋問、処刑に使われる。
そう言えばここ、見覚えがあるな。俺がレッド・ドラゴンになった時に、連れてこられた場所によく似ている。
そこで気付いた。
これは夢だ。
俺は第666独立遊撃部隊を壊滅させた。その妥当性を判断するために、これから尋問されるのだ。
乾いた笑いが零れる。現実に見た地獄を、夢にまた見るのだから。
『さて……キョーイチロー・ナガセ君だったね』
スピーカーから、流麗な日本語が聞こえた。非常に聞き取りやすく、アクセントをキッチリと抑えており、声の主は物腰穏やかそうである。だが微かになまりが残っており、相手が日本人でないことは分かった。
察したものだ。これからかなりきつい尋問を受けると。
「誰だ貴様は……」
『おっと失礼。私はそうだな……トムだ。トムと呼んでくれ。君の尋問を任されている。長い付き合いになるので、よろしく頼むよ』
トムはまるで十年来の友人の様に、気さくに話しかけてきた。
俺は投げやりに笑う。
「ハッ。じゃあ俺はジェリーか……?」
『そうなるかな? だが残念なことにこれはカートゥンじゃない。鼠は猫にいたぶられることになるな……』
地獄はもう、あいつらを殺したのでたくさんだ! 俺はもうこんなところで生きていたくはない。疲れた……本当に疲れたんだ……。
眼を細めて、天井で俺を見下す監視カメラを睨んだ。
「尋問の必要なんてない……話した通りだ。俺がチームを殺した。戦闘中無関係の人間も巻き添えにした。非人道的な虐殺を行った。それだけだ。すぐに処刑してくれ」
『ハッハッハッハ! ジェリー……それを決めるのは君ではない。私でもない。真実だよ。君が領土亡き国家に毒されていないとは限らない。君が反乱分子に属していないとも限らない。私はあそこで何があったか、それを正確に知りたいだけなんだ』
人の話を聞けよクソッタレが!
「全部話した。それで全てだ」
トムは子供の駄々を聞くように苦笑した。
『おいおいおい。私たちはまだ初対面だろう? これからゆっくりと、お互いを知っていこうじゃないか。君が嘘つきでない事を祈るよ』
トムの尋問が始まる。彼の質問はシンプルだった。俺の任務、部隊の動向、そして何が起こり、このような結果になったのかだ。
うんざりだ。
「何度聞かれても変わらねぇよ。作戦行動中俺はキレたんだ! あのクソッタレ共と一緒にいるのが、嫌で嫌でたまらなかったんだよ! だからブチ殺した! だけど遺伝子補正プログラムだけは……届けなきゃなんねぇ。それで救援要請をしたんだ。あとはお前らに回収されて、このザマって訳だよ! 分かったか!?」
この矛盾だらけの話をトムは聞いた様子がなかった。あからさまに聞き流し、それでも面白いジョークを聞いたように鼻を鳴らして笑った。
『そうか、そうか。じゃあ今日はこれまでとしよう。次回は明日の同じ時間だ』
トムの声が聞こえなくなる。すると機械音がして、部屋の照明が徐々に強くなっていく。やがて目を開けることが難しいほど、強烈な光を放ちだした。更にスピーカーからは、耳障りな雑音がうなりを上げた。
目を固く閉じ、耳を両手で抑えつける。それでも瞼を貫いて光が目を焼き、手の平を通り抜けて音が鼓膜を震わせた。歯を食いしばりつつ、自然と身を丸めて蹲った。
これじゃあ眠れない。気を休める事も出来ない。
この騒音と照明は、ずっと続く。俺がボロボロになるまで。そうして俺から正常な思考を奪い、真実を聞き出そうとしているのだ。
ここで時と場所が歪む。俺は自分が狂っていく様を、記憶の断片と言う形で追体験する。そして一週間後まで、一気に時間を経た。
室内は俺の排泄物で、酷く汚れていた。壁際にはストレスに耐えかねて、ゲロをぶちまけた跡も残っている。この部屋は悪臭が蔓延し、人の存在できる場所ではなくなっていた。
俺がまともに物を考える事が出来なくなったころ、トムは質問の内容を変えて来た。
この夢を嫌いな理由が三つある。一つは苦痛の追体験。二つは罪を再確認させられる事。三つめは夢を見るごとに、受けた質問の中から一つがランダムで選ばれる事だった。
見飽きることの無い、悪夢と言う訳だ。
そして今回の質問は、俺が二度と答えたくないものだった。
『君を保護した時、君は切り落とした首をネックレスの様にぶら下げていた。六つだ。まぁそれがレッド・ドラゴンのあだなの由来の一つだが……その首と面識はあったのかね?』
やめてくれ。あの時の俺は、どうかしていたんだ。とにかくアロウズと組んでいる奴がいてムカついた。そいつらが連合国と領土亡き国家の混成部隊だから、殊更ムカついただけなんだ。
「そんなもんねぇよ……だから……見せしめにするため……刈り取ったんだ……」
脳ミソは砂糖に漬けられたように、ドロドロになっていた。だから真実をそのまま答える事しかできなかった。
『君が戦闘したのは、連合国はもちろん。領土亡き国家ですらない。謎の勢力だ。この勢力で彼らは『トランペッターズ』と言うコードで呼ばれていたのだが……何か足りないと思わないか?』
トランペッターズとはヨハネの黙示録の登場する、七人の天使の事だ。彼らがラッパを吹き鳴らし、最終戦争(アーマゲドン)の幕開けを告げるのである。
俺は首を斬り落とした連中のコードを、今初めて知った。だからトムが何を聞き出したいのか、さっぱり分からなかった。
「羽でも……生えてなかったのか……」
これを本気で言っているのだから、だいぶ参っていたのだろう。トムは少し苛立ち混じりに咳を払った。
『一人足りないじゃあないか。えぇ? ラッパ吹きは七人だ。首は六つ。残り一人はどこに行ったのかねぇ?』
なんてこった。俺は徹底的に殲滅したつもりでいたが、どうやら取りこぼしがあったらしい。
俺の心の奥底から、熱い何かが込み上げてくる。独占欲、支配欲、顕示欲、それらがないまぜになった、人の心に巣食う獣。それがじわじわと滲み出て、砂糖漬けの脳ミソをバリバリと貪っていく。
「ハハ……一人逃したのか……あのゴミクズどもを……」
トムは俺が自発的に喋りだしたので、すかさず探りを入れてくる。
『中々強者揃いだったそうじゃないか……我が軍のMIA(作戦中行方不明)の兵士も混ざっていたそうだ。それを君がねぇ……君はダンと喧嘩でボコボコにされるようなモヤシ野郎だ。そんな大それたことが出来るとは思えないのだがね?』
「ああ……クソ強かった……クソ強かったよ……ダンや、リーや、リタやアロウズよりも強かった……だけど奴らは立ち塞がった! 俺が殺したかったのは奴らじゃねぇ! 俺の同僚どもだ! だが奴らが邪魔するんだ! だから仕方ないだろ! 頑張って殺したんだよ! 普段やらない事も、普段できない事も、自分でイカれてると思える事を、覚悟を決めてやったんだ! フヒヒヒヒ……強かった……すげぇ強かった……そこまでしなきゃ勝てなかった! 俺が俺のままじゃ……ヒヒ……ヒヒヒヒ……あの首はトロフィーさ! 俺の強さの証明なんだ!」
俺は矢継ぎ早に喋りまくった。俺の意識がしっかりしていた時は、あの蛮行を大義名分で飾りてる事が出来たかもしれない。だが思考をやられた今、俺はひた隠しにしていた物を剥き出しにしていた。
あの時、楽しくて仕方がなかった。そしてそのことに生きがいすら見出していた。
『仲間割れかね……そして不意打ちを食らわせたと……』
俺のやったことにケチをつけるのか!? 誰が不意打ちなんてキタネェ真似するか! 俺は正々堂々と戦った! そして殺してやったんだ! 侮辱は許さん! 許さんぞ!
「逆だ! 俺が不意打ちを食らったんだ! 遺伝子ほしぇいプログラムの輸送中……あの……デカい鉄の箱……『コンテナ?』そうコンテナだよ! ほしぇいぷろぐりゃむがおかしいってアロウズが……入ったら頭をガツン。俺は倒れた! さすが白豚はキタネェな! そして奴らはトンズラさ! 追いかけたら例の六人……ラッパ吹き共がアンブッシュ(待ち伏せ)をかけてきたんだ! どー考えても俺が不意打ち食らってるだろ! へへへ。でもみんな殺してやった。俺の方が強いからだ! 俺は強い! 強いんだ! テメェら白人を山ほど殺してやったぞ! どうだ黄色い猿に仲間を殺された気分は!? アァ!?」
『ぜひ武勇伝を聞かせて頂きたいな。キョーイチロー君……』
俺の豹変に、トムが嬉しそうに声色を明るくした。
また時と場所が歪み、場面がスキップした。
辿り着いた場面はそれからさらに三週間後だ。
部屋の様子は凄惨を極めていた。排泄物が所かまわず巻き散らかされ、汚物の水分で霧が発生していた。酷い悪臭がするはずだが、嗅覚が壊れて何も感じない。壁には糞が塗りたくられて、何かを描こうとした痕跡が残っている。常人からしたらイカレタ行為だが、俺からしたらこうでもしないとほんとに狂ってしまう。
俺は自らの糞尿で汚れた身体を、部屋の隅っこで縮み上がらせていた。
『君は隊長であるアロウズ・キンバリーと、関係を持ったことはあるかね?』
面白くない質問だ。だけど拒む気力もない。ここまで来ると、もう嘘も何もない。聞かれたことに、自分が知っている事をつらつらと話す。俺はもう考える事ができない。知っている事を垂れ流す肉なのだ。
「一度だけ……たった一度だけの過ちだ……あの女……瓶を……精液に詰めて……イヒヒ……サイコ野郎だよ……イカレてる……」
親指の爪を噛み砕きながら、ぼそぼそと答える。親指の爪はぼろぼろになって、まるで拷問を受けたかのようにめくれていた。
『愛情はあったのかね?』
「さぁ……分からない……俺には分からない……誘ったのは奴だ。安物の煙草、高級な酒、きつい言葉に、優しい態度。全てがちぐはぐだった……」
過去を思い起こし、心臓がにわかに騒めき出す。このままだとまたキレそうだ。俺の尋問官を「トム」ではなく、「白豚野郎」と呼ぶ人格に切り替わってしまう。
トムもその事に感づいてか、それ以上は踏み込んでこなかった。
『この話は後に回そう。ではリタ・スコフィールドとは?』
「アバズレに興味はねぇ……あいつは……あいつは……俺の古巣に電話を入れて……勝手に別れを告げやがった……もう……織宮からかかって来ないんだよ……どんだけコインを入れても……子供の声も聞こえないんだよ……コインが……チャリン……チャリン……どんだけ入れても戻って来るんだ……」
『リタがしていた指輪は、ユウ・キサラギ博士の私物だった。彼女はそれを君からもらったと触れ回っていたのだがね。キサラギ博士が元気にしているのか、聞かせてくれ』
俺が馬鹿になっちまったからだろう。トムははぐらかした質問ではなく、真に迫った質問を重ねてくるようになった。
「ユウ……なんだって? そんな奴は知らない……」
『ハワイでの救出作戦だ。君達は壊滅した救出チームに代わり敵陣に潜入。一人の科学者を助け出したはずだ。君のコールサインはスネーク4。覚えているだろう?』
トムの言葉に想起されて、するりと記憶が出てくる。
乗機はミスリルダガァ。ハワイの軍事施設が領土亡き国家に侵攻された。基地は放棄し、爆弾で海に沈める。その前に研究と人材を回収する。あいつは鉄扉の向こうにいて、脱出ポッドに入った。俺はそれを回収して、沿岸の前線基地に戻った。
「あの博士……そんな名前だったのか……顔も見せない……声も聞かせない……」
『当たり前だ。彼女はドータヌキの設計開発者だ。むやみに人の目に晒すことはできない。あの救出作戦の後、彼女は失踪した。同僚のコニー・プレスコットと共にな。君が関与しているのではないのかね? 彼女を拉致し、謎の勢力にドータヌキと遺伝子補正プログラムの情報を、横流ししたのではないのかね?』
ずっとそれを疑われていた訳か。まぁ仕方ない。部隊の唯一の生き残りで、今までスケープゴートと馬鹿にされた奴が、虐殺をやり出したんだ。敵方の工作員かも知れないし、仲間割れを起こした裏切り者かも知れない。本物は既に死んでいて、偽物とすり替えた可能性もある。ひょっとしたら一連の事件は、俺を連合軍に売り込むための芝居かも知れないんだ。
だが俺は誓って。何も知らない。
「あれっきりだよ……知らない……同じ日本人だからな……そこそこ丁寧に護衛したの覚えてる……そしたらやっこさん……キャリアに指輪を置いてった……これは失くしたものだって手紙を添えて……報酬にくれたんだ……高そうな指輪で……金のリングにデカイダイヤがついていた……売れば相当な金になった……」
『……それを何故リタにあげたのかね』
俺は黙り込んだ。俺は強いんだ。この理由を言ったら。きっと馬鹿にされる。俺は最強なんだ。だから弱みを見せたらいけない。頭の悪い餓鬼の様に、口をつぐんだ。
『やはり関係があったのだろう?』
冗談じゃない。そんな事があってたまるか。俺は監視カメラをちらと見上げた。
「リタはアバズレだ……見も知らない奴に、ただ快楽の為身体を許していた……いっつも俺が迎えに行かされる……下っ端だからな……精液クセェあいつを背負って……イキ狂って失神したあいつを背負って……もうたくさんだ……あんなもの見たくない……電話……電話に出ない……声が聞きたいのに……声が……あのアバズレの声じゃない……ヒマワリが植えたの……聞いてない……子供の声が聞きたかった……織宮の声が聴きたかった……フツーの声が聴きたかった」
『じゃあどうしてリタに、指輪をあげたのかね!?』
トムが恫喝するように問い質してくる。俺はごくりと生唾を飲む。
言いたくない。だけどそれを実行できるほど、意志の力は残っていない。トムは怒っている。怒られたら話さないといけない。この子供のような思考が、今の俺を支配していた。
ボロリと、瞳から涙がこぼれた。そして震える唇で、ぽつぽつと語り出した。
「自分を安売りするなって……俺……それだけなんだよ……指輪あげたのは……売っても金にしかならない……俺は……綺麗なもの……見たかったんだ……人がフツーに笑って……フツーに泣いて……おれ……誰でも良かったんだよ……リタでも……フツーに笑う所が……見たかっただけなんだ……寂しかったんだよ……恋しかったんだよ……フツーの人に会いたかっただけなんだよ……」
『君がアロウズにあんな真似をしたのも……人恋しさからかね……』
心底軽蔑した、トムの声。ちゃぶ台を返したように、俺の感情がひっくり返った。
それだけは言うな!
全身を駆け巡る血液が、マグマのように煮え立った。ぼろぼろとこぼれていた涙が、嘘のように止まった。代わりに憎悪と憤怒が心から滲み出て、俺の顔全体に満ちていった。
情緒不安定な精神を病んだ人間のように、俺の感情は180度スイッチする。俺は全身を荒ぶる気勢に震わせながら、気力を振り絞って立ち上がる。そしてカメラを指さしつつ吠え猛った。
「あれは人じゃない!」
『ほう。では許されると? 君がアロウズにした行為が』
「ああ……そうさ! あいつは俺に黙ってあんなもの仕込んでやがったんだからな! 俺は認めない! 俺の断りなく……あんなものを……認めないからな!? 俺にどうしろていうんだ! あいつが勝手に作ったものだぞ!」
『いいや。あれは合意の結果できたものだ。それにあんな真似が許されると思うか? ダンやリー、リタを殺したことはまあいいだろう。トランペッターズを壊滅させたことはむしろ勲章ものだ』
吐き気が込み上げてくる。やめてくれ。やめてくれ。
「トム! もうその話はするな!」
『だが君がアロウズ・キンバリーにした行為は、到底許されるものではない』
「やめろ! 言うなァ!」
『君はアロウズ・キンバリーを射殺した。そして妊娠していた彼女の腹を裂き、子宮から赤ん坊を取り出して解体した。どうしてそんな事をしたのかね? しかも自分の子供を』
やめろ。やめろ。やめろ。とにかく違うって否定しよう。
「あれは違う! 俺の子供じゃないはずだ!」
『DNA鑑定の結果、君の息子であることが判明した。アロウズは反逆の主犯格だ。
君はその彼女と子を儲けるほど、近しい関係にあったという訳だ』
やめろ。やめろ。やめろ。とにかく事実を軽くしよう。
「俺はあいつの玩具として使われただけだ! 愛情なんてある訳がない! だから違うんだ! あの女は俺から身を護る盾として子供を孕んだだけに過ぎない! ガキがいれば殺せないだろうって保険だよ! そうだよ! そうに違いない!」
『アロウズに抵抗した痕跡はなかった。君が国連に戻れるよう、命を捧げたのではないのかね? レッド・ドラゴン』
事実から。逃れられない。
「黙れェェェ!」
俺はキレた。人として振る舞うのをやめて、恥や外聞を捨て去る。そして頭上に取り付けられた監視カメラに猿のように飛びかかり、唾を撒き散らしながら絶叫した。
「テメェもそうなりたいかぁぁぁぁ! 俺をその名前で呼ぶなぁぁぁぁ! ここから出たらテメェの不細工な嫁と糞可愛くないガキどもを殺してやる! ただでは殺さねぇ! 逆さに吊るして生皮剥いで殺してやる! 殺してやる! このクソッタレがぁぁぁ!」
カメラを引っ掴むと、宙ぶらりの状態でカメラを殴りつける。レンズが砕けて破片が飛び散り、カメラを壁に取り付ける金具がひしゃげた。そしてカメラごと地面に落ちた。それでも俺の怒りは収まらない。カメラを地面に叩き付け、むきになって足で踏みつけ続けた。
ぐしゃりとカメラの外殻が壊れ、中の電子機器が剥き出しになる。
その光景が、アロウズと重なる。
ぐしゃりとアロウズの頭が爆ぜて、倒れ込む。まだ生きている。まだ生きている。腹の中に奴がいる。俺はナイフを抜いて。飛びかかった。そして腹を切り裂き。中に手を。
ぐちゃぐちゃだ。
もう生き還れない。
奴も。
俺も。
ぐちゃぐちゃ。
血で赤い。
コイツが人の姿をしている事すら。
許せない。
ばらばら。
お肉の塊。
全て終わった。
終わった。
何も残らない。
俺は。
俺は……。
手で肉と血をすくい上げる。
さっきまでそれは人になる前の形。
だけど今では赤い。
赤い肉。
すくったそれを。
身体に擦り付ける。
俺が赤く染まっていく。
俺は人間じゃない。
化け物なんだ。
だからセーフ。
身体に擦り付ける。
刈り取った首が。
首の周りでごろりと転がる。
血で体を塗りたくる。
俺は何のためにこんな事を。
背中で何かが揺れた。
中隊旗と国連旗。
誇りを胸に戦ったのだ。
だがだんだん目的と手段が入れ替わり。
俺は楽しんで。
それは血に濡れた。
赤い翼と化した。
俺は。
レッド・ドラゴン。
最強の獣。
皮膚に痛みを感じて、我に返った。俺はカメラの残骸を手にすくい、身体に擦りつけていた。
『気は済んだかね……』
トムは夢幻に狂う俺を、冷めた声で迎え入れた。
『もう一度聞く。どうして……あんな真似をしたのかね?』
今いるのは俺だ。レッド・ドラゴンではない。俺だ。その俺は限界だ。嘘も誤魔化すこともできない。俺は子供のように泣きじゃくりながら、膝を抱えて、ぼろぼろと話した。
「アロウズは撃てと言った……ここまで来たら……もうどうしようもないと……」
『それで?』
「俺は怒った……何で裏切ったのか……何で俺を生かしたのか……何で子供なんか作ったのか……奴から聞いた……俺の子供だって……それ以外はぼろぼろ泣きながら奴は……煙草の煙を吐くだけだった……」
『君は情けをかけるつもりはなかったのかね? 捕獲できたはずだ』
「助けてどうなる……あいつもここに入れられる……あいつが耐えても……お腹の子供は耐えられない……それに俺はあいつらを罰しに行ったんだ! あいつら全てを滅ぼしに行ったんだ! 俺のせいで反逆が起きたんだ! 現場には俺しかいなかったんだ! だからやるしかなかったんだよ! 分かってるやっちゃ駄目だって……でもそれはあいつを殺すために始めた事なんだ! 全てを捨ててここまで来たんだ……俺が俺であるためのもの全て捨てて……追い詰めたんだ……だから……最後までやり遂げなきゃ……引き返せなかったんだよ! 殺したんだ……この手で! ちゃんと! 幕を下したんだ!」
『赤ん坊への残虐行為について、弁明は? 親元の判明を妨害する試みではないのかね?』
「お母さんを殺したら……子供も死ぬだろ……だけど子供を殺すなんて……妊婦を殺すなんて……だから俺は……子供を子供じゃなくそうとしたんだ……子供を違うものに……証拠を隠滅しようとしたんだ……俺……」
俺はとてもこの先、生きていくことなんてできない。だけど自殺もできない。レッド・ドラゴンがそれを許さないからだ。
俺はあの事件の最中で、レッド・ドラゴンになったのだ。あの事件の最中に死ぬことができれば、レッド・ドラゴンは生まれなかったことになる。俺の中の獣を殺すためには、あの時誰もが止める事が出来なかった俺を、止めてくれる人が必要なんだ。
俺のねじ曲がった考え、想い、願いが、この時生まれた。
「あいつらが……あの六人がもっと強かったら……俺を殺してくれたら……俺はアロウズに辿り着けずに済んだんだ……俺は……間違ってるって納得できたんだ……」
『と言うと?』
「俺は連合軍兵士として……正しい行いをした……そうだろ……トム……」
『ああ。その通りだ。物資を取り戻し、情報の流出を防ぎ、敵対勢力を一掃した』
「でも俺は間違ってるんだよ……間違ってるんだ……」
『そうかもしれない』
「だから俺は……殺されたいんだよ……俺より強い誰かに……あの時六人が止めれなかった全力の俺を……誰かに殺して欲しいんだよ……そうすればアロウズまで行けなかったんだ……トム……頼むよ……俺を殺してくれ……ここまで仲良くなっただろ……殺してくれ……今なら納得できる……」
「俺が間違っていたと!」
『遺伝子補正完了。補正遺伝子の働きが安定するまで、安静に過ごしてください』
スピーカーから声がした。トムの声じゃない。安っぽい電子音声だ。
尋問部屋の景色が歪んでいき、辺りが海の底のように暗くなった。
蹲っていたはずの俺は、いつの間にか直立で横たわっている。どうやら水か何かに浸っているらしく、全身を生ぬるい感触が包みこんでいた。
肺が重く呼吸できない。だが息苦しくはない。これは……メディカルポッドに入れられたな。
彼女たちが助けてくれたようだ。
俺は内部のハッチ開閉ボタンを弄り、ポッドを解放した。水平だったポッドが直立し、中に満たされていた水溶液が、外に排出されていく。その際俺は激しくむせて、肺の中の水を吐き出すことになった。
「チューブぐらい咥えさせろ……苦しいんだぞ……」
ぼやきながら、カバーがスライドするのを待つ。その間体調を確認する事にした。
脈が速い。熱もある。身体の節々が痛い。右の耳は聞こえない。後頭部がずきずきする。散々な状態だ。どうやら身体はまだ病気に犯されているらしい。それでもポッドに入る前と比べたら、気分は格段に良くなっていた。
「遺伝子補正完了と言っていたな……治してくれたのか。これで病死する心配はなくなったな」
目の前でカバーがスライドする。
俺はポッドの外へ一歩を踏み出した。
しかし気分が悪い。夢のせいだ。
物凄く腹が立っている。何に? むせび泣いた夢の中の自分にだ。
俺が間違っているはずはない。だから生き残れたんだ。それを証明したい。
誰でもいいから。殺したい気分だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます