第74話
あのクソッタレがアイアンワンドを掌握して、早や三日が経とうとしている。
私は弾薬箱を抱えて、居住区の廊下をのそのそと歩いていた。
「おい! こっちを手伝え!」
プロテアの大声が廊下の向こうから響いてきた。
怒りというよりは、切羽詰まった声色だ。
仕方がない。
プロテアの指揮によって、仕事の成否が。仕事の成否によって、罰則の有無が決まるのだから。
電撃レベル四の威力を知った私たちは、その恐怖にとりつかれていた。
廊下は電撃による失禁によって、酷いアンモニア臭が立ち込めている。夏の熱気にあおられて、息をするだけでむせかえりそうだった。
だが誰も掃除しようとはしない。そんな暇があれば仕事をしなければならないし、掃除なんて仕事ないからな。
不意に近くのドアからマリアとアカシアが飛び出すと、プロテアの声がする方へと走って行こうとした。
しかし同じ部屋から二人の後を追って、サンが躍り出た。
「何やってんのよ! 持ち場を離れないで! こっちの仕事が時間内に終わらないじゃない!」
マリアとアカシアがその場で足を止めたが、プロテアの悲痛な催促はやまない。
「早くきてくれ! 誰でもいい!」
サンは舌打ち(サンの性格からするとあり得ないことだが、確かにした)すると、マリアに助けに行くように顎でしゃくる。そしてアカシアの腕を引っ掴んで、部屋へと戻っていた。
許可を得たマリアが、プロテアの元へと走っていく。そして廊下の向こうからやってきた、ピオニーとデージーとすれ違った。
ピオニーは右手から血を垂らしつつ、泣きべそをかいている。どうやらまた指を切ったらしい。工具なぞ使ったこともないのに、整備に駆り出されているから仕方がない。
ピオニーの両手は不慣れな仕事のせいで、青痣と切り傷で荒んでいる。この調子じゃいつ手首を切り落とすか、分かったものじゃあない。
「ひ~ん……また怪我しましたぁ……」
ピオニーが泣くと、連れ添っていたデージーがいらいらと叫んだ。
「仕事増やすなよ! お前トロイんだからこの馬鹿馬鹿! もう早くしなくちゃいけないのに! どうすんだよ!」
「でもぉ~私ぃ整備なんてやったことなくてぇ~」
ピオニーは理不尽そうに唇を尖らせたが、デージーは欠片も同情せずより声を荒げた。
「今までサボった罰だろ! 自業自得だ自業自得!」
その喧騒を聞きつけてか、サンの向かいの部屋からローズが顔を出した。
彼女は表情を厳しくしながら、デージーの前に立ちはだかった。
「その言い方はないんじゃないの! ピオニーはいつもご飯を作ってくれていたのよ!」
デージーもきつい目つきでローズを睨み返した。
「黙れこの馬鹿! もともといえばお前がナガセを殺そうとしたのがいけないんだぞ! 私に話しかけるな裏切者! 近寄るな! あっち行け! お前絶対恨んでやるからな!」
ローズは唇を強く噛みしめて怒りを堪えようとしたが、我慢ならなかったみたいだ。腰を折ってデージーに目線を合わせると、火花が散る程睨みあった。
「そのいい方は何……あなただって見ているだけで何もしなかったでしょ! サクラやアイリス、アカシアにいわれるんだったら別にいいわよ! だけどアンタみたいな日和見野郎にいわれるの、物凄く腹が立つんデスケド!」
「お前らが銃を振り回すからだろ!」
デージーの反論に、ローズは言葉を詰まらせた。
だがデージーも偉そうにいえた義理ではないはずだがな。口だけなら何とでもいえる。それにコトが終わった後ならなおさらだ。
デージーを待つピオニーは険悪な雰囲気に居た堪れなさそうにしていたが、やがて遠慮がちに二人に声をかけた。
「あの~……私がとろいのは事実ですしぃ……ご飯さんしか作らなかったのも事実ですしぃ……私が怒られるのは分かるんですけどぉ……どうしてお二人が喧嘩するんですかぁ……」
「知るか馬鹿黙れ!」
デージーが吠えて、ピオニーを突き飛ばした。
黙り込んでいたローズだったが、それを見てデージーの肩に掴みかかった。
「いい加減にしなさいよあなた!」
デージーとローズが取っ組み合いを始める。ローズはいわずもなが、デージーは格闘技の成績がすごぶる悪い。それに睡眠不足と最悪の環境が重なっているのだ。二人は互いに服を引っ張って、奇声を上げるだけの子供の駄々ような喧嘩を始めた。
しかし彼女らのあげる怒声と悲鳴は、崖っぷちの人間が上げる真に迫ったものだ。子供の精神にとっては、何より鋭いナイフだ。二人の決着がつくより早く、どこからともなくパギの泣き叫びが上がった。
デージーとローズはすぐに喧嘩を止めた。しかしデージーは争いをやめたものの、きつい目つきでローズを睨むのは止めなかった。しゃしゃり出たお前が悪いといわんばかりだ。
一方ローズは気まずそうに俯いて、所在なさげな様子である。パギが泣いたのが余程こたえたようだ。
ローズはデージーの袖を引いて、近くの部屋に連れ込もうとした。
「向こうで決着を付けましょ。パギが可愛そうよ……」
してどうなる? どうせろくな決着はつかないし、お互い満足できない。確執が深まるだけだ。それよりそこをどけ。邪魔なんだよ。
私は廊下の真ん中で固まるローズたちを、冷たい目で見やった。
「やるならパギの前でやれ」
私の一言に、その場の全員が嫌悪感に表情を歪めた。今度は私が悪者か。楽しいことだ。
「できないなら耐えろ。パギは貴様らが暴れるまで耐えていた。どけ。邪魔だ」
廊下を塞ぐローズを脇へと押しやり、彼女らの横を通り過ぎようとする。唐突にデージーが私の腕を掴んで、怒気を孕んだ声で囁いてきた。
「お前のせいでもあるんだぞ……お前がアイアンワンドをあの馬鹿にあげちゃったから……」
口だけの奴は始末が悪い。じゃあその弁舌でいって欲しいことがあるぞ。
「ほ~う? じゃあ医務室のリリィに、どうしてみんなのために犠牲にならなかったといってこい。面向かってな」
今度はデージーが声を詰まらせる番だった。それ以上何もいうことができず、ただ苛立ちのはけ口を探して虚空に視線をさまよわせている。それでも私の腕を掴む手を離さず、より力を込めてくる。
貴様に時間をかけてる余裕はないんだがな。心の中で溜息をついた。
「なんだ? じゃあ二人でお見舞いに行くか? 私は早く元気になれというが……お前は何というんだ?」
「悪かったよ!」
デージーは叫ぶと乱暴に私から手を離した。
分かっている。誰もリリィの死は望んじゃいない。だがこう辛い日が続いては、道徳も歪む。
状況は最悪だ。ロータスが権限を掌握して以降、悪政が続いている。
機嫌を損ねると厳罰、仕事の出来が悪いと厳罰、厳罰の結果仕事が遅れても厳罰。
負のスパイラルだ。奴自身はサブコントロールルームにある監督区画に陣取り、皆にその階への立ち入りを禁じている。
ちなみにロータスからは、三つの仕事が下された。
食料の確保、ドームポリス内の開拓、そして外の探索である。
しかし仕事の効率は悪く、ナガセがいた頃の十分の一も発揮できていない。それがロータスの不満に拍車をかけていた。
ナガセは几帳面な性格だ。何事も記録を取り、適性を考え、現場を確認していた。そのナガセがいなくなり、記録がないため情報が錯綜し、適性を考えないためミスが連発し、現場の監督がいないため指揮が執れていないのだ。効率がいいはずがない。
そこで私が指揮を執ろうとしたが、残念なことに彼女らは私の言葉に耳を貸さなかった。現状を招いた私を許せないのが半分、ナガセ程頼りにならないのが半分といたところだろう。
あいつがいた頃はそこそこいうことを聞いてくれていたのだが――所詮は奴の権威のおこぼれを、着飾っていたにすぎないという事だ。一番のショックだ。
弾薬箱を抱えたまま、非常階段を降りていく。光の取り込み窓から、外の景色がちらりと見えた。
この盆地には草一つない荒野が広がっていて、異形生命体が群れて赤い波となってひしめいている。誘引先から全て戻り、またここを拠点に生活を始めたのだ。
ハン。ここを突破して食料を探しに行けか。ナガセですらここを出入りするのが精一杯だったんだ。ロータスの指揮じゃ全員が死ぬだろうな。だが持ち込んだ食料は全て没収されたので、飢え死にしたくなかったら何とかするしかない。
ぼぅっと荒野の異形生命体を眺めていると、轟音がして遠方で火柱が上がる。それは数匹のマシラを肉片に変えて、空へと打ち上げた。
「あの馬鹿……また武器で遊んでいるな……」
ロータスの日課の様なものだ。保管庫の武器を適当に見繕い、私たちにヘリポートに運ばせて試射しているのだ。ナガセが見たら勿体ないと、卒倒するだろうな。
次々に上がる火柱、空気を揺らす轟音、それに混じる異形生命体の悲鳴を聞き流す。そして五階の非常階段の踊り場までやってきた。
そこではパンジーとプロテアが、壁に寄り掛かって休憩をしている途中だった。
二人は率先してドームポリス内の開拓を行ってくれている。幽閉した異形生命体を掃討し、部屋を一つずつ開放しているのだ。
おかげで二人のライフスキンは異形生命体の返り血でドロドロに汚れ、ジンチクの血のせいでスキンが斑点状に破けていた。
プロテアもパンジーも最初の頃は、血の気色悪さと異臭に顔をしかめていたものだ。だが今ではどうだ? すっかり慣れた様子で、顔色一つ変えていない。
誰がどう見ても悪い変化だ。
「調子はどうだ?」
私が聞くと、プロテアは「上々だ」と皮肉をいった。
「ロータスも分かんねぇな。閉じ込めた奴らはほっときゃ餓死するのに。何か欲しいものがあるのかね?」
プロテアはぼやきながら拾いものの煙草を咥えて、紫煙を辺りに撒き散らした。
私も不安で口が寂しい。指で欲しいとジェスチャーを送ると、プロテアはクシャクシャになった煙草の箱を私に投げてよこした。
一本咥えて、プロテアの煙草の火を借りる。
深く吸って……吐く……安物だな。屑煙草って奴だ。紫煙を吐く息は、自然と溜息になった。
一息ついてから。私はプロテアに乾いた笑いを向けた。
「私たちに怪我して欲しいのさ。よしんば死んでも、残ったのは自発的にコトを起こせない連中だからな。アイアンワンドが無くても、好きに牛耳れると思っている。何より重火器を手にしたから、もう勝つのは難しい」
視線を横に反らして、プロテアの隣で項垂れるパンジーを見やった。彼女は血の香りとは違う、独特の臭気を放っている。その手には『ジン』とラベリングされた、瓶をしっかり握りしめていた。
アルコールだ。ナガセが祭日以外禁じていたものだが、今では誰でも溺れることができる。
私の乾いた笑いは、すぐに苦笑いになってしまった。
「パンジー。この水を飲むのを止めろ。頭がボーッとして、隙ができる。煙草にしておけ」
パンジーからジンを取り上げようとするが、彼女は顔を上げないまま瓶を持つ手を遠ざけて抵抗した。
「これが。ないと。やってられない。他に。娯楽。あるか?」
「死ぬよかましだ」
私が吐き捨てるようにしていうと、パンジーが俯かせた顔を上げた。酔っぱらって顔色は真っ赤だ。そして前髪の隙間から見える眼は、とろんとして半開きになっていた。
「どうかな。このまま。死んだ方が。マシかも。しれない」
投げやりな一言に、場の空気が一気に重くなった。
荒野からは、相も変わらず轟音が響き続けてくる。惜しげもなくこう使うのだから、結構な備蓄があるに違いない。その武器がある限り、この支配は延々と続く。その事実は大きな重圧となり、私たちの心を押し潰そうとした。
私は貰った煙草を吸いきって、吸い殻を投げ捨てる。そしてパンジーに聞いた。
「サクラはどうしてる? 私が行くと……興奮させてしまう……から」
サクラはあれから医療室の小部屋に監禁してある。理由は簡単。ロータスに戦いを挑まれたら困るからだ。
ナガセを信奉するサクラは、彼の分身のようなものだ。統率をとれるが、反ロータスの指揮を執られたら全滅するしかない。そして彼女はナガセ亡き今、復讐しか考えていないのである。
パンジーは恐怖でやや引きつった笑みを浮かべた。
「ホントに。頑固。殺すと。ナガセの。二言。しか言わない。それで。ビリビリ。されてる」
「そのままだと死ぬぞ。落ち着かせられないか?」
「大丈夫。いまじゃ。ロータスが。ビビッて。放置。してる」
私は怪訝げに眉根を寄せた。身動きの取れないサクラなんて、格好のいじめの対象だ。ロータスなら電撃を加えつつ、言葉で嬲りそうなものだが。
不安がる私を余所に、パンジーはグイッとジンをあおる。そして口角から垂れた飲み溢しを袖で拭った。
「電撃するたび。しょげかえるどころか。激しくなる。そして。ナガセ。ナガセ。お前殺す。ナガセ。あれは怖い」
サクラの忠臣っぷりには頭が下がる。気付かぬうちに口をいの字に広げて、軽く引いてしまった。
これが愛の力か。恐ろしいものを感じるな。案外ナガセが男と私たちをくっつけようとしているのは、戦闘力の向上にあるのかもしれない。いや。本当に。
まぁ放置されているのなら、電撃で衰弱死する危険はなくなった。
「無事なら……いいんだ……あの境遇を作ったのは……私だから……気が咎めてな……」
「お前は悪くねぇよ……悪いのは……仲間にあんなことをするクソッタレの方だ……くそったれ……くそったれ……」
プロテアはぼそりと呟く。そして語尾を蚊の鳴くようにかすれさせながら、汚れを落とすように自らの拳をこすりだした。話しに聞いたが、サンを殴ったのは本当らしい。罪悪感に悩むぐらいなら、最初からするな。
沈黙が息を吹き返す。
プロテアは二本目の煙草を取り出し、ぷかぷかとふかし始める。パンジーはもう一度ジンをあおった後、しっかりとふたを閉めてうたたねを始めた。
もう話すことはないし、長居は無用だな。
私はもってきた弾薬ケースを床に置くと、足でプロテアの方に押し出した。
「ホラ。弾の補充だ。十二.六ミリと六.五ミリだ。間違いないか?」
「あいよ。後で確認しとくよ」
プロテアは素っ気ない返事をしたが、意味ありげに煙草の火で宙に円を描いた。
準備できたか。
プロテアもパンジーも、ただロータスの命令で開拓をやっていたわけではない。反撃の物資を得るために、進んで開拓してくれたのだ。もちろん作業は全てロータスに見られているし、武器の類は機器認証で封じられている。認証機器のない武器を探すなんて、まず不可能だろう。
だからジョーカーを切るのだ。
私はごく自然に聞いた。
「あっ。そうだ。前に頼んだ空のケース。ちゃんと用意しておいてくれたか? あれがないと整理ができん」
「中に入ってすぐの所に積んであるよ。今取ってきてやる」
プロテアは五階のフロアへ足を踏み入れると、入り口脇に積まれた弾薬ケースを一つ手に取り引き返してきた。
受け取るとそれはズシリと重く、明らかに空ではない。だが外観だけではそうと分からないだろう。
プロテアはケースを渡す際、煙草の煙にむせて前かがみになる。そして私に顔を寄せて、ひそひそと囁いた。
「後どれだけ耐えればいい?」
「少なくて一週間。多くて十日だ。あとはあの化け物の体調次第だ」
私はわざとらしく煙草の紫雲を払う仕草をすると、踵を返して非常階段を上がっていった。
「派手に暴れてくれ」
「マム・イエスマム」
プロテアのおどけた返礼が背中にかかった。その声色からは緊張が抜け、安堵で満ち溢れていた。
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