第73話
「アイアンワンドの全権だと……? そんなものの為にこんなことをしでかしたのか!」
『そんなもの程度なら、私に捨ててくれてもいーんじゃないの?』
冗談ではない! 貴様が力を持つと、碌なことにならないのは分かり切っている!
「貴様には過ぎたオモチャだ!」
私が吐き捨てると、ロータスは気分を害したように声を潜めた。
『聞き訳のない糞バカヤローだなぁ。ま、別にいいんだけど。次はローズね。今度はお腹じゃなくて、四肢の先端からにするわ』
「待て! 早まるな!」
『私にいわれてもぉ……死にかけてるのは私じゃねーしさ……』
風を切る音がした。きっと受話器を動かしたのだろう。そしてスピーカーから、引きつった呼吸音が聞こえてくる。
『たすっ……たすけてぇっ……痛い……痛いんだよぉ……しにたくなぁい……しにたくなぁい!』
リリィだ。今にも途絶えてしまいそうな、激しく引きつった呼吸を繰り返している。それに反してすっかり元気をなくした声色が、彼女の命が危ういことを暗に示していた。
プロテアが怒りをぶちまけるようにして、壁を激しく蹴りつける。アイリスがヒステリックに「クソヤロー」と連呼する。
ロータスは痛くもかゆくもないように、遠くからケラケラとその様子を嘲笑い続けた。
『あと六十秒で決めてね。それすぎたら切るから』
私とプロテアが互いに顔を見合わせる。できればみんなと相談したいが、そんな暇はない。待てばロータスを打ち負かすチャンスはあるかもしれないが、リリィに次はないのだ。
サクラにも同意を得ようと隣へ視線をやると、そこには誰もいなかった。
まさか――廊下の奥を見るとちょうど暗闇に、走るサクラの背中が消えたところだった。
「サクラ! どこに行く!」
廊下で駆け足の音が止む。そして感情の籠らない、彼女の声が返ってきた。
「七階の消防管理盤の前でしょ……終わらせてくるわ」
ふざけたことをいうな。その軽率な行動で、人の生き死にが決まるんだぞ!
「リリィはどうなる!」
「自業自得。ナガセを殺そうとした罰よ。ローズも……ロータスもね」
再び駆け足が始まる。このままだと取り返しがつかなくなる。お前とは喧嘩をしたくはないが……致し方ない!
「アイアンワンド! サクラは暴徒だ! 暴徒鎮圧! 気絶するまで電気を流せ!」
『マム・イエスマム』
廊下の闇が迸る紫電で払われ、走るサクラの姿が浮き彫りになった。彼女はその姿勢のまま凍ったように固まり、うつ伏せに倒れ込んで四肢を跳ねさせた。しばらくすると紫電は収まり、廊下には静寂が戻った。
『バイタルチェック完了。マム・サクラは気絶しました』
私はプロテアの背中を押した。
「縛って近くの部屋に放り込め! これ以上ややこしくするな!」
自らの蛮行に、やや口調が荒くなる。
くそっ! くそっ! くそっ! どうして私はこんな事を……。皮肉だな今ではローズの気持ちが痛いほどわかる。昔持っていたはずの躊躇いを、目的の為なら捨てられるようになったのだ。
「後でヒデー喧嘩になるぜ……?」
プロテアがサクラを回収しに行く途中で、私にそう言い残した。
「後があればの話だがな……」
問題は腐るほどある。ロータスのタガが何処まで外れているか分からない。そしてこのドームポリスに、どんな危ないオモチャが眠っているかもわからない。それらを好きにできるロータスが、一体何をしでかすのか想像することすら難しい。
それにアイアンワンドを奪還するチャンスがあるとは思えない。私はナガセを相手に刃向かえたが、それは奴が許したからだ。そして今のアイアンワンドも奪ったものではなく、私から譲られたものなのだ。取り返せる保証なんざない!
『あと十秒~』
ロータスが時間の経過を告げてくる。私はできうる限り考えを巡らせて、一つの案を捻り出した。
「アイアンワンド。私の最上級アカウントをロータスに譲れ。だがその命令の成立前提は、『我々全員の存命』という『状況の限り』だ。いいな」
『マム・イエスマム。最上級アカウントを、マム・ロータスに委譲します。この命令は『マム全員の存命』という『状況に限り有効』となります』
これで奴は我々を殺すことはできまい。それにリリィを殺す訳にもいかなくなった。これが私の精一杯だ。
ロータスが不機嫌そうに唸り声を上げる。だがしばらくすると、虚に向かって呼びかけた。
『アイアンワンド?』
『はい。何でしょうか。マム・ロータス』
『鏡よ鏡、鏡さん。あなたの絶対服従相手はだぁれ?』
『ロジックを推察するに、それは童謡を流用したジョークで御座いますね? アイアンワンドはあなたに対して絶対の服従と忠誠を誓います』
『ホント? じゃあアジリアは暴徒よ。暴徒鎮圧。レベル3』
次の瞬間――私の身体に裂けるような衝撃が走った。叫ぶ間もない。計器の針の様に四肢が振れ、肉体がいうことを聞かなくなる。肺が引きつり呼吸ができず、視界で星がちらついた。
やがて電撃が止むと、私は切り倒された木のように地面に崩れ落ちた。
耳鳴りでキンキンする中、ロータスの哄笑が鳴り響いた。
『オッケイ。ひとまずは良しとしましょ。リリィはこちらで助けておいてあげる』
受話器の向こう側で、ごそごそと作業をする音がする。手当をしてくれているのか? だったらいいが。電撃で頭がぼうっとして、上手く物を考えられない。
『あっ……それとぉ……我々の中にナガセって入ってるの?』
途中でロータスが、思い出したよう呟いた。
『マム・アジリアの認識での『我々』とは、女性であると言う条件がございます。サーは男性です。よって含まれません』
気の利かん奴だ。そこは嘘でもついておけ。これだからブリキヤロウは。
『七番ポッド……だったよね……それの停止。さっさと殺しちゃって』
『マム・イエスマム』
私は朦朧とする意識の中、最後の気力を振り絞って顔を上げた。
「それは……よした方がいいな……」
『あのねぇ。手負いでも化け物は化け物なのよ。そんなミスは犯さないわ』
私は息を吐くことで、辛うじて笑い声を上げた。
「死んでも化け物は化け物だぞ。サクラとアカシア、アイリスが、一斉に言うことを聞かなくなるぞ……ひょっとしたら他の奴も、命令をきかなくなるかもしれんな……死ぬ気でお前に襲い掛かるかも……奴はナガセの手ほどきを受けて、隔壁を乗り越え攻め上る術を知っているぞ……フフ……フフフフ……とめるには殺すしかなくなるな……」
この台詞は特に考える必要もなく口から滑り出た。だってそうだろ。私が常々危惧していたからだ。
だから私は奴を生かそうとするのだ。だから私はまだあいつを殺せないのだ。
殺したけりゃ殺せ。私は高みの見物をさせて頂く。あの化け物を拝む狂信者を、貴様がどうやって抑え込むのかをな。貴様は不器用でノータリンだ。ナガセの様なカリスマもない。殺すことしかできないだろ。
「お前……命令する人間がいなくなったらどうするんだ? 私は一向に構わんがな……ここで独りお山の大将を気取ってろ……」
そしてお前は、その事実を無視できるほど、馬鹿でもないだろ? 仕事は山積み、人手がいる、権威を持てどそれを安全に振るえる状況にないはずだ。
ロータスが思考を巡らせるように、唸る声がする。そして冷たい返事がした。
『アイアンワンド。こいつムカつくわ。レベル5』
関節を力任せに引きちぎられたような衝撃が全身を襲った。節々に切れ味の悪い鉈をゴリゴリ押し付けられているようだ。呼吸ができない。吸うことも吐くこともできない。代わりに口角から唾液が滲み、電撃に泡立って吐き出される。
四肢は震えない。いや? 震えているか? 震えている。ただ余りに震えが細かいため、認知できないでいるようだ。
強――烈――!
少したつと痛みが和らいだ。粉が水に溶けるように、全ての感覚が混ざり合っていく。それは良く分からない何かになり、私を暗い何処かへ連れ去ろうとした。
だが私が完全にそこに落ちる前に、電撃が止んだようだ。良く分からない何かの感覚は、それ以上強まることはなかった。その代わり痛覚が息を吹き返し、気だるさが瞼を抑え込んできた。
上半身が冷たい。下半身は生暖かい。ああ。これは。ちびったな。クソ。まただ。恥ずかしすぎるぞ。パギを。同じことで。叱った。ばかりだというのに。あれ。私これと同じセリフ。でも状況が。おかしい。うまく。頭が。働かない。あれ。
意識が。微睡に。引き込まれていく。
『七番ポッドの件は、如何なさいますか?』
薄れゆく意識の中、そんな声が聞こえた。
『そうね。今ナガセに何をしてるの?』
『DNAの解析と、外部免疫系による治療を並行して行っています』
『……どうせ治せないし……振りでもした方がいうこと聞くわね……餌として使うか……っとぉ今の聞こえてた? ナシナシナシ! つっても忘れる訳ないよね。しょ~がねぇな~……』
一拍おいて。
『こいつら全員暴徒。レベル4。やっておしまい』
『マム・イエスマム』
衝撃。そして。私は落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます