第72話
サクラとアイリスが気まずそうに唇を尖らせながら、拳銃をホルスターに戻した。だが二人ともアイアンワンドに処置の方法を聞かず、慎重に周囲の様子を窺いだした。
悪いことに、彼女たちのほとんどはサクラの熱弁より、ローズの叫びに耳を傾けたらしいな。みんな敵意で細った視線をサクラたちに向けていて、動けない様に釘を刺していた。
サクラの顔色が青くなり、アイリスが唇をきつく噛み締める。アカシアは私に倒されたまま起き上がろうとせず、床に顔を付けて泣き声を押し殺していた。
このままではナガセの奴、手遅れになって死ぬな。身内で争っている場合ではないのに。
その時、くぉんとスピーカーがうなりを上げた。
『お前は! 己が生き延びたいために! 彼女らに無理を強いれるか!? そうしてまで生き残って! 今までの全てを否定して! そこに何の意味がある! 俺は彼女らの死体を踏み越えるつもりはない! 彼女らが俺を踏み越えるんだ! だから彼女らを良くするんだよ!』
流れたのはナガセの怒声だ。
皆が飛び上がって驚き、一斉にストレッチャーの方へ視線をやった。そこでは相変わらず、ナガセが息も絶え絶えになって横たわっている。それからようやくスピーカーの存在に気付いて、顔を上向かせた。
スピーカーからはナガセの怒声に代わり、アイアンワンドの落ち着いた声が響いた。
『証拠物件 D1127・3の一部を再生しました。模擬戦後に記録した音声です。この頃からサーは発症しております。マムたちは地獄のような日々を送ったようですが、サーはそれでも優しくしていたとお考えの様で、行き違いがあったようでございますね。それにサーは目的の為に、手段を強行する事はありませんでした。マムたちが熟するまでじっくり待ち、身体を蝕まれる地獄を耐えたと考えられますわ』
そしてこのブリキ野郎は、まるで私たちが心の重いものを吐露するように、スピーカーから吐息のような音を立てた。
『アイアンワンドは――私は――十五人目の女性として発言します。我々にサーは必要です。ここで死なすべきではありません。サーがいずこへと私たちを導こうとしているかは存じません。そしてサーがそこに至ることを強制した事実は否めません。ですがそれはサーご自身の為ではなく、マムたちの為であったことも紛れもない事実で御座います』
それからアイアンワンドは、皆の慈悲を乞う様に、絞り出すような声色でいった。
『サーが可食性テストを行っていた御様子を、ご覧になられていたはずです。規模は違えど、同じことが起こったに過ぎないのです。今一度……サーにお情けを。そして、言を交わすご機会を。ご一考願います』
目には目をということらしい。ローズが感情を爆発させたように、アイアンワンドも感情を刺激する説得を仕掛けた訳だ。こんなブリキが我々のような心を持つはずがないからな。
その効果はてきめんだ。誰もがあのナガセの奮闘と、活躍を想起したようだ。ある者は恥じ入る様に俯き、ある者は自分を戒めるようにきつく腕を抱いた。未だ敵意を秘めるローズとリリィですら、考えを改めるように身動ぎをしたものだった。
やがてローズが大きくしゃくりあげた後、無理やり涙を止めて立ち上がった。
「好きにすればいいじゃない……もう邪魔……シナイワヨ……」
彼女は関わり合いになりたくないと言いたげに、ナガセに背を向けて医療施設から出ていった。
残った彼女たちは、恐れの中に同情が入り混じる視線をナガセへと送る。サクラはそれを許可と捉えて、アイアンワンドに指示を乞うた。
『サーを7番のメディカルポッドに移してください。DNAの解析が可能なのはそのポッドのみです。続きは追って指示しますわ』
サクラがストレッチャーを押して、ナガセを例のポッドの前に運ぼうとする。すると今まで静かだったナガセが寝返りを打ち、ストレッチャーを押すサクラの腕を掴んだ。彼は死にぞこないとは思えないぎらつく目で、じろりとサクラを見上げた。
「本当に……いいのか……」
「っっっぎゃぁぁぁあああ!」
私たちはナガセに碌な意識がないものと思っていた。かくいう私だってそうだ。だから好き勝手いえたし、振る舞えた。
場は蜂の巣を突いたような騒ぎになり、女たちは蜘蛛の子を散らすように壁際へと逃げて、数人が足をもつれさせてその場に倒れ込んだ。
リリィとマリアに至っては、逃げる気力もなくその場にへたり込んだぐらいだ。
ただサクラとアイリス、アカシアはナガセのいわんとすることを聞き逃すまいと、ストレッチャーに噛り付いた。
「黙れ……殺すぞ……」
女たちが阿鼻叫喚とする中、ナガセのかすれた声が凛と響いた。それだけで場は静まり返り、その小さな声は誰にでも聞こえるようになった。
「よく考えろ……俺はまた暴君として君臨するぞ……本当にいいのか……よく考えろ……」
ナガセはうなされるように繰り返す。
サクラは力なくストレッチャーから垂れる、彼の手を握りしめた。
「何を仰いますか……私たちにはあなたが必要なのです。あなたがいなければ、私たちは立つこともままなりません。お願いです。私たちの為に生きて下さい」
「本当にそれでいいのか……俺には分からない……だから聞いているんだ……俺には分からないんだ……何故ローズがあそこまで怒っているのか……そしてあんなことをしたのかも……俺には分からない……俺の常識は……お前達と違うようだ……」
ナガセはそこでむせて、床に血反吐をばら撒いた。
「お前達のいう通り……俺は壊れている……そして遺伝子を補正しようとも……『俺は直らない』……だからよく考えろ……俺に頼るな……自分で考えてくれ……俺には分からないんだ!」
サクラが握りしめる手が、ぶるぶると震えだした。彼女は眉間に皺を寄せ、必死に考え始める。だが私には分かっている。サクラは答えを出せない。だから『ナガセの命令』が必要なのだ。だからこそサクラは、ナガセなしで生きていけないのだ。
これ以上こいつらの問答に時間を割く意味はない。私はストレッチャーに寄ると、ぽかりと軽くナガセの頭を殴った。
「黙るのは貴様の方だ。おい。手伝え。それとお前ら。邪魔するのは構わんが、銃を使うな」
私はストレッチャーを、例の七番ポッドまで引きずる。サクラとアイリスが、無言で手を添え協力してくれた。
「しょーが無いわねぇ……手伝ってあげるわよ……」
何を思ったか、ロータスも小走りに駆け寄ってきた。まぁ媚びを売りたいだけだろう。仮にそれが成功して、ナガセが貴様に銃を持たせようとしたとしよう。私は気狂いになってそれを妨害してやるからな。
ナガセを運び終えると、ロータスはストレッチャーからさっと離れる。
「あとは好きにしなさいな……おいクソ奴隷。別の仕事するから手伝え」
彼女はにやにやと、気色の悪い笑みを浮かべる。そしてリリィの襟首を引っ掴んで、医療室を出ていった。
「クソ奴隷っていわないでよ……」
リリィはグチグチいいながらも、抵抗することなくついていった。
「それで……どれくらいかかるの?」
サクラがナガセを抱き起こしながら、虚に向かって語りかける。その間にアイリスがメディカルポッドの受け入れ準備を整えた。私はカバーを解放し、反吐の出る思いでナガセに肩を貸してやった。
『全行程の完遂にまで約十日。サーのヒトゲノム解析に二日、ジーンスポッティングに一日、遺伝情報書き換えに五日、書き換え後の情報の身体順応に二日の計算です』
その答えを聞きながら、我々はナガセをポッドの中に押し込んだ。
アイリスがカバーを降ろそうとしたとき、ナガセの手が伸びて皆の注意を集めた。
「アイアンワンド……お前はこれからアジリアに従え……そしてサクラに相談し……プロテアに指示しろ……」
『サー。イエッサー。それは最上級アカウントを、マム・アジリアに譲渡すると言う意味でしょうか?』
「そうだ……そうしろ……」
ナガセはぜいぜいと苦しそうな呼吸の合間に、その言葉をやっと吐き出した。
私は見てしまった。サクラの顔がショックで固まり、その双眸が限界まで見開かれるのを。そして口が言葉にならない声を出すように、虚しく開閉するのを。
おいおい。私はお前が嫌いだが、喧嘩はしたくない。ナガセもサクラの好意が分かっているなら、もっとやりようといい方があるだろうに。最も奴からしたら、嫌われようとしているのかもしれないが。
冷や汗をかく私を余所に、サクラはすぐに平静を取り繕う。そしてナガセの手を優しく両手で包み、ポッドの中に入れようとした。
だが最後の気力を振り絞る様に、ナガセは頑として入るのを拒否した。
ナガセはわざわざ上半身を起こし、私と、サクラと、その後ろで俯くプロテアを、順番に睨み付けた。
「アジリア……サクラに相談しろ……サクラ……アジリアに知恵を貸せ……プロテア……命に不服あらば逆らえ……いじょ……」
ずるりと……ナガセの身体から力が抜けて、壊れた人形の様にポッドへと倒れ込んでしまった。
サクラとアイリスが軽い悲鳴を上げる。そして頭をぶつけてないか、上半身に群がった。
どうやらこいつの身体には、本格的にガタがきているらしい。あれだけの衝撃で、後頭部がぱっくり割れたようだ。ポッドでは僅かに血が滲み始めていた。
「処置を急ぎましょ」
サクラはそういうと、ナガセの身体を綺麗に整える。そして腰にあるはずの鉄の筒――遺伝子補正プログラムをとろうとして――手を止めた。
「どうした? 急がんとこいつ死ぬぞ」
サクラを急かしたが、彼女は腰に伸ばした手を動かす気配がない。それどころか、疑るような眼つきを私に向けてきた。
「プログラムが……無いんだけど……あなた触った?」
「私にそんな茶目っ気があると――」
軽口を叩く途中で、ハッとした。例えナガセに媚びを売るためだとしても、ロータスが自発的に手伝うなんてあるか? そして自分から仕事に出ると口にするか? ナガセに近づくことが目的だったのでは?
何故そんなこと。決まっている! 遺伝子補正プログラムを盗むためだ!
「ロータス!」
私が叫ぶと同時に、部屋の外で銃声がした。どこからかガスの漏れる音が続く。
「銃!? ナガセアイツにも持たせてたの!?」
アカシアが目を白黒させて叫ぶ。
『登録情報にございません。不法に入手したものと思われます。データベース照合。九ミリ弾。グロック系と推測。ご注意を』
アイアンワンドがすぐに否定を入れるが、それどころではない。奴から譲り受けた|権威の象徴(アイアンワンド)。早速使わせてもらうぞ!
「アイアンワンド! ロータスは暴徒だ! 気絶するまで電流を流せ!」
『マム・ロータスの脱衣を確認。同様にマム・リリィの脱衣を確認。チョーカーによる追跡が不可能になりました』
野郎……こういう時だけ頭を使うとは……。
「クソが!」
私は女たちに物陰に隠れるよう指示をしながら、医療施設のスライドドアへと走った。壁に背中を預けて、拳銃を取り出す。装弾数は十五発。ロータスも似たようなはずだ。
ドアを挟んだ向かいを見ると、サクラが私と同じように、壁に背を預けて銃を構えている。彼女は激しい怒りに瞳を燃え立たせ、じっとドアが開くのを待っていた。
しかしドアは何時までたっても開かない。そういえばガスの抜ける音だが、壁からしている様な気がする。これはもしかして――
「アイアンワンド! 早く開けなさい!」
サクラが怒鳴りつける。
『スライドドア開閉機構の、圧縮空気が抜けました。もう自動では開けられません。手動で開放して下さい。私は廊下を封鎖し、マム・ロータスの動きを止めます』
「プロテア! 手を貸して!」
サクラは物陰に避難したプロテアを呼びつけつつ、コンソールを弄ってフェイルセーフを解除する。私とプロテアは二人で協力し、スライドドアをこじ開けた。
廊下には人の姿はない。人の気配すらない。ただ二人分のライフスキンと、チョーカーが投げ出してある。そして我々に見せつけるように、廊下の真ん中に鉄くずが捨ててあった。
銃弾を受けて真っ二つに千切れた、遺伝子補正プログラムだ。
「あっ! 嘘……嘘……! あ……ああ……ああああああああ!」
サクラはぶるぶると身体を震わせて、鉄くずの前に膝を折った。そしてピコの亡骸に触れた時のように、繊細で、畏れるような手つきで、鉄くずをすくい上げた。
「な……ながせが……ながせが……しんじゃうよぉ……しんじゃうよぉ……」
サクラはまるで子供のように泣きぐずり、鉄くずの欠片をくっつけたり、残った破片を拾い上げたりして、元通りにしようと足掻き続ける。だがそんな事で、直るはずもない。
本当に……あの化け物を愛しているようだ。このまま奴を失ったと思い、自暴自棄になられては困る。
私はもう一本、プログラムを持っている。まだナガセを助けることはできる。
しかしそれより早くサクラはいきり立つと、ロータスに聞こえるはずもないのに大声でわめきたてた。
「あの売女ァ! 殺す……殺してやるぅ!」
そのままサクラは廊下を走って行こうとした。私は背中から飛びついて、羽交い絞めにして引き留めた。
「待て! 奴も銃を持ってるんだ! それに外にはリリィとローズもいる! 下手に動けば取り返しがつかなくなるぞ!」
「邪魔しないで! せめてナガセが死ぬ前に……あいつを殺してやる!」
「落ち着け! いいか聞けよ! 実は――」
『マム・ロータスが空気供給管内に侵入。以降の追跡不能』
私の声を遮って、アイアンワンドが情報を送ってくる。このタイミングだ。落ち着かせるために嘘をついてくれたのだろう。そうだろ? アイアンワンド。これ以上悪い知らせは聞きたくない!
私の願いも虚しく、アイアンワンドは続けた。
『七階で銃声。悲鳴を感知。マム・リリィのものと一致しました。被弾した可能性が高いです』
廊下にいる、我々の表情が凍りついた。
ついにやりやがった。
我々の唯一のタブーを、奴は犯したのだ。
あまりに唐突過ぎて、現実として受け入れられない。まるで夢を見ているようだ。やりかねないと影口を叩いていたが、本当にやるはずはないと心の中では安堵していたのかもしれない。無意識のうちに抱いていた、絶対安心という仲間意識。
それが今、崩れ去ったのだ。
運命は、我々が現実を受け入れて戦慄く時間すら与えてくれなかった。
『マム・ロータスより通信。七階消防管理盤の通信機能を使用しています。ドームポリス内放送への切り替えを要求しております。如何なさいますか?』
冷静さを保つのが難しかった。だからサクラを投げ捨てるようにして解放し、思いっきり壁を殴りつけた。
「つなげろォ!」
通信が切り替わるノイズがスピーカーから響く。そしてくすくすと、小悪魔が微笑むような忍び笑いが響いてきた。
「貴様! 自分が何をしているのか分かっているのか!?」
怒りに任せて吠え猛る。だがロータスはそれすらを嗤って、スピーカーから耳障りな音を聞かせ続けた。
ふざけるなよこのクソアマ! まるで口を悪魔に売り渡したかのように、唾を撒き散らして罵詈雑言を連ね続ける。もちろんそれで事が進展するわけはない。あらかた叫び終えて気が静まった私は、奴の話を聞くために黙り込んだ。
『知ってる? 腹に風穴空けてもね。人間ってなかなか死なないのよ? 昆虫と一緒。だけど昆虫は一週間はカサコソ這いまわるけど、このクソ奴隷はどれだけもつかなぁ?』
何て奴だ! ナガセですらここまで酷くはないぞ!
「なぜこんな事をする!? 気でも狂ったか!? それともナガセに命じられたか!? ハハッ! それともお前はあの化け物の一員だったのか!? 何故だ! 答えろ!」
私は軽く錯乱しているようだ。悲劇に泣きつつ、それを冗談だと笑い、邪推に喚いて、怒りに言葉尻を荒げた。
狂乱する私と異なり、ロータスは至って冷静だった。異常と言えるほど冷静だった。
『取引しない? アイアンワンドの全権を私にくれたら、あのクソ奴隷どこにいるか教えたげる』
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