第71話

 ナガセは十分と経たずに、医療施設に運ばれてきた。

 ストレッチャーに横たえた体は、すでに血まみれだった。眼と耳からはドス黒い血を、口からは赤い唾液を、そして股間からは赤く染まった糞尿をこぼしている。この凄まじい有様を、今まで良くひた隠しにできたものだ。その点においてのみ感心しyてやる。


 ナガセの両脇を、サクラとアイリスが固めている。アイリスは血まみれになりながらも止血しようと躍起になり、サクラは彼の手を握りしめながら必死になって呼びかけていた。彼女らの周囲を邪魔にならない様にしつつ、ピオニーやアカシアが取り巻いている。

 少し離れた場所ではプロテア、ローズ、パギ、そしてロータスの四人が、複雑な表情で後を追ってきた。彼女らはさながら、化け物の死を確かめにきているようだった。


「ナガセ! ナガセ!? 返事をしてください!」

 サクラが血の垂れる耳に、優しく語りかけている。だがナガセは呻くだけで、それに応えようとしなかった。するとついてきていたロータスが、小さくない声でぼやいた。

「あ~、あ~、言わんこっちゃない。調子コイてるから死んじゃった」

 サクラがとたんにいきり立って、ロータスに掴みかかる。そのまま壁に押し付けて怒鳴りつけた。


「口の利き方に気を付けろ……頭カチ割るわよこの野郎!」

 いつもなら怒鳴り返すロータスだが、余裕の嘲笑を浮かべている。

 サクラの顔からさっと感情が消え、右手を振り上げてロータスを打とうとした。


 ストレッチャーの上で、ナガセが身動ぎした。まな板の上の魚のように身体をくねらせると、彼はむせながら血の塊を吐き出した。

 サクラは顔を真っ青にして、ロータスを突き飛ばして離れる。そしてナガセの背中をさすり始めた。

「しっかりして……しっかりして……! 何がどうなっているの!? アイリス!」

 アイリスがナガセの口に指を突っ込み、溜まったねちゃつく血をかき出した。それでもナガセの咳は止まらない。それどころか徐々にひどくなっていき、やがて呼吸が擦れ始めた。


 アイリスは金切り声を上げた。

「喉に血が詰まってる! カテーテルと呼吸器取って!」

 アカシアが近くの棚を引っ掻き回すが、すぐに涙声を上げた。

「カテーテルって何? 呼吸器ってどれ?」

「ドケッ! 邪魔ダ!」

 アイリスがヒステリックに叫んでアカシアを突き飛ばすと、細い管と手動ポンプを取り出してナガセに取り掛かった。処置を始めて数分後、ナガセは次第に呼吸を整えて、落ち着き始めた。


 サクラの奴め、黙って見ていた私に気が付いたようだ。表情を険しくして詰め寄ってくる。

「見てないで手伝いなさいよアジリア!」

「だからここを確保した。お前こそ何とかしろ。その筒を使えば何とかなるそうじゃないか」

 気のない返事をしつつ、ナガセが腰に吊る遺伝子補正プログラムを指した。奴に死なれたら私だって困る。この巨大な新家なんて、我々には手に余る。どう使っていいかすらも、わからないのだからな。


 サクラはナガセに一言断ってから、その腰から鉄の筒を取り上げる。そしてアイリスと一緒になって、まじまじと見つめだした。

「何とかなるの……? それどう使うの……?」

 見守るアカシアが不安そうに聞く。アイリスは雑音を封じるためか、無茶苦茶に喚いた。

「ビョーキナンダ何トカナルワキャネーダロコノ糞馬鹿野郎! 何トカシテコレツカウシカネーンダ! ダマッテロ!」

 アカシアは涙目になりながらも、きつく口を閉じてそれ以上何もいわなかった。


 さて、私はというと、まじまじとサクラとアイリスの様子を窺っていた。正直私にもそれをどうやって使うのかがわからない。だが二人は知っているかもしれないし、何か思い出すかもしれない。

 過去を知っている奴は要注意人物だ。私は過去を知るものを頼る必要があるし、警戒もしなければならない。過去は奴を連れてきた。ならば奴と同じ危険性を秘めているに違いない。

 だが期待外れだな。サクラとアイリスは筒を様々な方向から覗いたり、突いたり転がしたりするだけだ。過去について何も知らないし、思い出せもしなかったらしいな。


 ナガセが身動ぎし、ストレッチャーから血液が零れた。二人は焦ったのか、とんでもないことをいい始めた。

「中に注射でも入っているのかしら……」

「慎重に割りましょう……誰かノコギリを持って来なさい!」

 ピオニーがマリアと共に、わたわたと医療施設を出て行こうとする。すると部屋のドアが自動で閉まり、二人の行く手を遮る。間を置かず、スピーカーから音声が響いた。


『僭越ながら……それはおやめになった方が宜しいかと思われます。どうしてマムたちはかような時に、私を頼られないのでしょうか』

 サクラが能面のような顔でじろりとカメラを睨み上げ、底冷えする声をかけた。

「アイアンワンド……壊されたいの……? C4はたっぷり残っているわよ……」

『お好きになさってください。ですがそれは私の説明の後にお願いします。サーの病気について説明いたします』

 その言葉に部屋中の彼女たちが、一斉に顔を上げた。


『サーの病気は、遺伝子に原因があると考えられます。よってその物品で遺伝子を補正すれば、助かる可能性が十分にあります』

 聞き慣れぬ言葉に、その場にいる全員が間の抜けた顔になった。ただ私とサクラだけが、何かを連想するように自らの身体に視線を落とした。

「ドユコト?」

 理解できないローズが聞き返すと、アイアンワンドは苦笑する。


『簡単にいうと、サーの身体を構築する設計図が、滅茶苦茶になっています。そこで設計図を正しい図面を描き直すための、データが必要なのです。それがマム・サクラのお持ちになっている遺伝子補正プログラムです』

「じゃあこれがあれば助けられるのね!」

『はい』

「すぐに方法を教えてよ! 知ってるのよね!」

『もちろんです。ここのドームポリスの情報に――』


「やめて!」

 誰かがアイアンワンドの声を遮った。

 皆が驚いて一斉に声の主の方を振り向くと、ローズが肩を震わせながら俯いていた。

 平和主義のお前が……いったい何をいいだすんだ? 私以外の女も、皆が皆、目を丸くする。ローズは誰かの死を望むような人ではない。


 ローズは視線にさらされて、一瞬怯んで言葉をなくした。だがすぐに震える声で続ける。

「……やめてよ……ナガセは……このまま……」

 サクラは悲鳴を上げる。

「何をいってるのよ! 一体何!? どうしてそんな事――」

「私もそれがいい。アクマは殺した方がいいよ」

 パギがぼそりと呟く。

「私もクソガキに賛成かな? こいつアブネ~し」

 ロータスもパギの尻馬に乗って続けた。サクラは狼狽しつつも、演説するように腕を振るった。


「どうしてそんなこというのよ! ナガセは今まで私たちの為に戦ってくれたじゃない! 私たちをここまで導いてくれたじゃない! それに対する答えがこれなの!? どうなのよ! 答えなさい!」

 サクラの声に、彼女たちが後ろめたそうに目を背ける。だがリリィだけは敵意の籠った眼を背けようとせず、堂々とサクラを――その後ろに庇われるナガセを睨み付けた。


「でも……この戦いが終わったら……私使い捨てられるかもしれない……私……何回も何回も海に沈められたんだよぉ! 今度は殺されるかもしれないんだよぉ!」

 サクラは「ハッ」と息を切るようにして、リリィを嘲笑った。

「それはアンタの出来が悪いからでしょ……人のせいにしないで」

 リリィが傷ついたように顔を引きつらせる。そして今まで見たことの無い、険しい顔つきになった。

 場の空気がどんどん険悪になっていく。彼女たちは互いに警戒するように視線を交わし合いつつ、そろそろと自らの立ち位置を変え出した。


 ナガセの近くにはサクラとアイリス、アカシアが集まる。それに対するようにしてロータス、ローズ、リリィが固まった。残りのプロテアやパンジーたちはその場から動かず、傍観を決め込んでいた。

 少しでも分を良くしようと思ったのだろう。リリィが私に目を付けた。

「アジリア! 何で黙りこくってるんのよ! あなたナガセの事嫌いだったでしょ!」

「やかましい。ここを確保したのは私だ」

 おいおい。そんなに驚くことではないと思うが。ドン引きするのはやめていただきたい。私にいわせれば将来の設計も立てずに、この化け物を殺そうとするお前らにドン引きしたいぞ。


 リリィの馬鹿め冗談だと思ったのか、何度も私に聞き直してきやがって。だが私が無視をすると、地団太を踏んで叫びをあげた。

「裏切者ぉ!」

 貴様にいわれたくないぞ、裏切者の上に薄情者が。

 サクラは私の告白にジト目を送ってくるが、すぐに見切りをつけてスピーカーを見上げた。

「アイアンワンド。構う事はないわ。続けなさい」

「駄目だってぇ!」


 リリィが軽いパニックに陥り、ホルスターから拳銃を抜いた。それを天井に構えて、スピーカーを撃ち抜こうとする。

 サクラは止めようとして腰に手を這わすが、それより早く銃声がした。

 リリィの手中から拳銃が弾け飛び、床の上を転がっていく。アカシアが素早い抜き撃ちで、リリィの拳銃を弾き飛ばしたのだ。


「邪魔するのは許さないんだからぁ!」

 アカシアは硝煙の昇る銃口を、リリィたちに向けながら叫んだ。

 この馬鹿が。私は横からアカシアに飛び掛かり、構える拳銃の銃身を掴んだ。焼けるように熱いがそれどころではない。そのままハンマーに小指を挟み撃てないようにすると、関節を極めて床に投げ倒し、拳銃を叩き落とした。

「やめんか馬鹿共! 銃を使うな!」

 だが所詮私が止められるのは一人だけだ。

 銃声に反応して対峙するメンバー全員が銃を構えてしまった。

 サクラとアイリスが、ローズに。ローズがサクラとアイリスに交互に。


 なんてことだ。少なくとも我々は、互いに銃を向けるようなことはしないと確信できたはずだ! ピコの命を費やして、それを学んだはずなのだ! それが何故だ!

 こいつらは自分の軽率な行いに怯えている様子ではある。顔を青ざめさせて、奥歯を微かに鳴らしていた。だがその行いを止めることができない様子でもある。

 譲れないのは、本人が一番分かっているからだ。


 今は互いに銃を向け合うことで膠着状態に陥っている。しかし無暗に動くことはできない。今こいつらの引き金は羽のように軽い。下手に動けばそれが刺激となって、指を動かすかもしれない。

「ふ……二人をとめてよプロテア」

 傍観組へ避難していたパギが、立ち尽くすプロテアの袖を引く。だがプロテアは恐れに腕を戦慄かせながら、力なく首を振った。

「俺は……俺は……分かんねぇよ……もう誰も殴りたかねぇよ!」

 刻々と時間が過ぎていく。痛々しい沈黙の中に、ナガセの荒い息遣いだけが聞こえた。


 やがて――ローズが引き金から指を離した。そして銃を下げてハンマーをゆっくりと降ろすと、拳銃を床の上に投げ捨てた。

「はっきりイウワヨ! 私は怖い! ナガセが怖い! だって私たちを見ていないんだもの! 別の何かを見てて! それの虜になってて! そこに私たちを連れて行こうとするんだもの!」

 ローズはぽろぽろと涙をこぼしながら、嗚咽混じりに語り始めた。

「今分かったよ! 私はこんなことできなかった! 仲間に銃を向けるなんて……ナガセを殺そうだなんて……私……だけど……そうしないと……私! でもこれがナガセの望んだこと! だけど……私は! 私はァ! 皆この戦いで、変わっちゃったよ! だってこんな怖いこと当たり前になっちゃったんだもん!」


 ローズは目の前に手をかざし、見えない汚れを見せるように、サクラたちへと突きつけた。

「血を流して戦うのがフツー!? 堪えて立ち向かうのがいいの!? 無理やり突き進んでどうするの!? 逃げたっていいじゃない! 辛いのに耐えたってそれがいいとは限らないんだから! ナガセが連れて行こうとするその先なんて! 私は見たくない! ナガセの当たり前は! 私の非常識なんだから!」

 いい終えると彼女は、肩で息をしながらじっと床に転がる拳銃を見つめる。そして急に、ヘラリと笑った。


「私たち……どこか壊れちゃったんじゃ……ないのかな……ナガセみたいにさ……」

 ローズはそのまま、心底可笑しそうにケラケラ笑い始めた。

 それはパギと戯れる時に見せる柔らかい笑みで、状況とのギャップの余りに見る者の背筋を凍えさせた。そのままローズは再びに悲しみ飲まれて、眼に手を当てて嗚咽を上げた。

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