第70話
アメリカドームポリス奪還作戦から一日が経過した。
ナガセはドームポリスに残してきたローズとピオニーを連れて、昼頃に戻ってきた。盆地は引き返した異形生命体で溢れていたが、それほどの問題にはならなかった。奴がアメリカドームポリスの保管庫から持ち出した巨大な鉄の筒(MLRSと言うらしいが)を使ったのである。
キャリアに搭載された筒から、巨大な槍のような物が次々に飛び出していく。それは空中で分裂して、地上に一斉に降りそそいだ。着弾点の一つ一つから巨大な火柱が立ち上がり、瞬く間に盆地の異形生命体を焼き払ってしまった。
そこへたてこもる我々の支援が加われば、血路を開くのは容易だ。キャリアは焼けた肉の合間を縫って、倉庫の中に滑り込んだ。
キャリアは最奥の管制室の前で停まると、まるで逃げるようにローズが飛び出てきた。彼女は僅かに表情に恐怖を滲ませて、私の肩を掴んできた。
「アジリア! 他の娘は!? どこ!? 皆ダイジョブなの!?」
心配性な彼女らしい。だが決して大げさではないだろう。仕事を終えた後、壁に向かってぶつぶつと呟いている奴が何人かいたからな。
「疲れているが……まだ大丈夫だ。だがパギが昨日ロータスにやられた。私では慰められん。見てやってくれ。パギが明るくなれば、他の連中も元気を取り戻す」
ローズは険しい顔になり、エレベーターへと走る。そしてボタンを連打して、保管庫へと上がっていった。
次いでナガセが迎え組を引き連れて、キャリアから降りた。奴は鈍い足取りで、私の前で足を止めた。
「問題は?」
顔色が悪いな。我々が一時の休憩をはさんで生気を取り戻したのに対し、ナガセは腐る前の肉のような土気色だ。今なら私でも勝てそうだな。
「問題なら、貴様の顔にあると思うが?」
ナガセは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、各チームリーダーを集めて指示を出し始めた。
「アルファチーム。保管庫と倉庫の掃除を始めてくれ。ブラボーチーム。昨日出しておいた武器を稼働状態にするんだ。シエラチームはもってきた食料を保管庫に運べ。そしてチャーリーチームは敵残存兵力の掃討を開始しろ。全部はしなくていい。生活スペースとバイオプラントだけ綺麗にして、残りには餓死してもらう。必ず地図を確認し、アイアンワンドとの連携を怠るなよ。閉鎖した隔壁を開ける時は、制圧射撃が可能にしてからにするんだ」
ナガセの支持を受けて、リーダーたちがチームメイトを集めに四方へ散って行く。
かくいう私もエレベーターの壁に寄り掛かり、寝息を立てるサンとデージーを起こしに行った。
人が散ると、一人分の足音がナガセの元へ引き返すのが聞こえる。そして引きつったアイリスの声色が僅かに響いた。
「ナガセ……お具合は……追加の栄養剤を……」
ナガセがからからと、口先だけで笑う。
「確かに疲れた。だから少し休むよ」
「そばに――ここを制圧できたから、治療を――」
「まだまだ大丈夫だ。死ぬほどじゃあない。頼むから一人にしてくれ。ホラ。リーダーがサボるな。皆が安全になって、医療区画を解放できたら、ちゃんと治療を受ける」
ナガセがアイリスを押し退けたのだろう。アイリスが倒れまいと、足踏む音がする。それから未練がましくその場でうろついていたが、やがて彼女の足音はキャリアの方へと消えていった。
素人に毛の生えた程度のアイリスでもわかるのだからな。よっぽどなのだろう。
そろそろくたばるのか。
強情な奴だ。ここまできたら、医療施設の奪還を優先すればいいものを。
奴が死んだらどうするか。我々はどこに行くべきか。何を為すべきか。
頭の中で、純白のキャンバスに未来を描こうとした。だが私には、未来を描くための絵の具も筆も持っていない。それどころか何を描くべきすら分かっていない。
これ以上ない屈辱だ。奴にはまだ死なれたら困る。もう少し我々の役に立ってから、死んでもらうしかない。
「先にいっててくれ」
武装を整えるサンとデージーをそっとエレベーターの方に押しやると、周囲を見渡してドームポリスに帰ったパンジーの姿を探した。いたいた。エレベーター脇の備品入れから、消火器を取り出しているところだ。
どうやらプロテアの指揮の元、倉庫に溜まったジンチクの血を消火器で中和するようである。仕事が始まる前に、頼んだものを受け取っておかねば。
「パンジー? 取ってきてくれたか?」
パンジーは辺りを気にして頭をぐるりと巡らせる。それからライフスキンの胸元の布を捲り上げ、小さな鉄の筒を取り出した。
私がアイアンワンドから発掘した、遺伝子補正プログラムである。
筒を受け取ろうとすると、彼女はさっと品物を遠ざけて、代わりに顔を寄せた。
「パイプベッドの中の物。それと同じもの。ナガセ持ってたぞ」
そういえば模擬戦の時部に屋を荒らしたが、こんな物があったかもしれない。無駄骨を折ったようだな。だがまだ医療施設を綺麗にする仕事がある。
「それをどうするんだ? 何に使うんだ?」
先を急ごうとする私に、パンジーが重ねて聞いてくる。お前にはこれが、何か分からないんだったな。ラベルも剥がしたし、知る術もないか。
「あいつに必要な薬だ。奴が持ってるなら、詳しくは奴に聞け。私はそれが使えるようにしてくる」
「ん? ナガセから頼まれたのか?」
「独断だ。邪魔されたくないからチクるなよ」
「巻き込まれなければ。余計な口はきかない」
パンジーは消火器を抱え直すと、大声で呼ぶプロテアの元に向かっていった。
私も装備を整えてエレベーターへ入る。ボックス内ではサンとデージーが、機関銃を搭載したオストリッチを引いて待機している。遅れた詫びを一つ入れると、医療施設のある八階のボタンをプッシュした。
がたりとボックスが揺れて、上昇していく。その時サンが小さな悲鳴を上げた。
「アジリア。そこナガセがしなくてもいいっていったところだよ。いわれたことしか私やりたくないよ。怒られるもん。それに大変なことになるかもしれないよ」
「そうだよそうだよ! 早く最上階いってパパってやって終りにしよう! ナガセのいうとーりやっときゃ問題ないんだからさ!」
私は苦虫を噛み潰したように、唇を捻じ曲げた。お前らすっかり依存してしまったな。
「黙って手伝え……私だって嫌なんだ……」
文字盤が八を示し、ボックスが止まる。私は右手を上げて、サンとデージーにオストリッチに乗り、警戒するように指示を出した。やがてエレベーターのドアが左右に開いていき、エントランスを露わにした。
相変わらずここも酷いな。クソと血の匂いが鼻につく。そして土をこぼしたかのように、あちこちに汚物が散らばっている。
「掃討戦を開始する。各員続け」
エントランスへと足踏みいれる。アイアンワンドが戒厳令を敷いてくれたため、各ブロックを繋げる廊下にはシャッターが下り、ブロック内の部屋は全てが施錠されている。道中多くのドアを通ったが、化け物の唸り声と荒い息遣いが、壁越しに聞こえた。部屋は牢屋と化して、多くの異形生命体を閉じ込めているようだ。
廊下には運よく幽閉を免れた異形生命体もいた。しかしオストリッチの掃射で簡単に無力化できる。無人の野を行くように、着々と掃討を進めていく。
やがて赤十字の書かれたドアに辿り着く。この部屋も例に漏れず、戒厳令によって封鎖されている。私は天を仰ぐと、見ていると踏んで呼びかけた。
「おい。聞いているだろ。アイアンワンド。開けろ」
『マム。イエス・マム。どうかサーを、宜しくお願いいたします』
即座に返事がして、圧縮空気が抜ける音と共にドアがスライドした。
やり取りを見守っていたサンとデージーが、訝し気な視線を私に投げかける。
「ナガセが……どうしたの……?」
サンが聞くがとても答える気にはなれん。ハンドサインで追従を指示しつつ、慎重にドアを通り抜けた。
入ってすぐにあるのは待合室らしい。ソファーがずらりと並べられ、その正面には巨大なモニタが置かれてある。待合室からは四方に廊下が伸び、それぞれの通路に案内板が掲げてある。どうやら悪い所ごとに、診る場所が違うらしい。
あいつは全部が悪いから――どこだ? 足ぶんでいると、空から声が降りかかる。
『メディカルチェックルームへどうぞ。救急救命棟、緊急治療室にございます』
その調子で我々も気遣ってくれるとありがたいのだがな。このブリキ野郎。
心で悪態をつきつつ、いわれた場所まで歩を進める。すると少し広めの部屋に出た。室内には何もなく、がらんとしている。だが壁際に寄せて、メディカルポッドが並べられていた。これに違いあるまい。
メディカルポッドのガラスカバーを手の平で何度か叩くと、サンとデージーを振り返った。
「ルート確保。ここでの用事は済んだ。さぁバイオプラントの掃討に入るぞ」
二人は私が何をしているか分からずに、眼をぱちくりさせる。だがナガセに躾けられているので、私に不平をいうことも、行動の真意を問い質すこともなかった。兵士らしく黙ってうなずき、きた道を引き返し始めた。
その時、頭上のスピーカーが、甲高いノイズを走らせた。耳障りな音の後、サクラの舌の回らない声が続いた。
『ナガセが倒れたわ! アイリス!? どこにいるの!? 聞いているのなら早く! 早くきて! 彼を診て!』
まぁそうなるわな。サンとデージーは子供のような悲鳴を上げた。それは悲しさというよりも、驚愕によるものが大きいようだ。ナガセが倒れるところなぞ、想像もできなかったのだろう。
サクラの声は金切り声に変わりつつ、なおも続いた。
『血が……血が止まらないの! 早くして!』
私は短いため息をつく。そしてデバイスを取り出すと、サクラに通信を送った。
「こちらアジリア。医療施設を確保した。こっちに運んでこい」
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