第68話
監督区画は迷路のような造りをしていた。
蜘蛛の巣みたいに通路が走り、意味のない曲がり角が多く設けられているのだ。視線だけで先を見ようとしても、すぐに曲がり角で遮られる。曲がり角まで歩いたとしても、また別の曲がり角が視界を塞いでいる。
道中の部屋や別れ道には案内表示など優しいものはなくて、無骨なアルファベットと数字が記されているだけだった。
唯一の救いは、床がジンチク共の糞の汚れていない事ぐらいか。
監督区画の地図はナガセも持ち帰れなかったが、サブコントロールルームの大体の位置は分かる。
天井を舐めるように見ると、通風孔パネルがある。私はそれを指さして、皆の注目を集めた。
「このダクトを進めば、空調システムまで辿り着ける。システムの近くには、最も重要な冷却対象であるサブコントロールルームがあるはずだ。サクラ」
サクラを呼びつけて通風孔の真下に屈みこむと、跨った彼女を天井に押し上げてやる。サクラは手早く通風孔のパネルを取り外し、上半身をダクトに突っ込んだ。
「風が吹いてくる方に進め。デバイスで移動方角と距離を測るのを忘れるなよ」
サクラがダクトに潜り込んでいくのを見送りながら叫ぶと、彼女は返事をするように通風孔を二回ほど蹴りつけていった。
後は下手に動かず結果待ちだな。サブコントロールルームが独立した冷却装置を備えていたならどうしようもない。撤退するだけだ。
腕を組んでその場に立ち尽くしていると、アカシアが誰にというわけでもなくつぶやいた。
「えへへぇ……最初は絶対無理だと思ってたけど……上手くいきそうだねぇ……ナガセはすごいなぁ……こんな化け物相手に勝っちゃうんだもん」
「余り奴を持ち上げるな。あいつ自身もいっていただろう。『俺一人ではどうにもならない』とな。我々の力でもあるんだ。もっと自分の力を評価しろ」
つい影口を叩くような口調になってしまうが、アカシアは私の意見を聞いた風もない。
「えへへぇ……でもナガセのおかげで一人前になれて、ここまでこられたんだもん。私のできるトコ見てくれて、伸ばしてくれたんだもん」
それはナガセの基準でいう、『一人前』だろうが。奴にとって戦えなければ、『一人前』足りえないんだ。そしてお前はナガセを権威的に思い、それに認められることで満足しているに過ぎない。承認欲求の固まりか?
それよりも自分がどうしたいか、どうありたいかを実現するのが大事だろうに。
「でも。ここの。制圧。終わった。どうする。つもりだろう?」
ふと、パンジーがつぶやく。
それもな。考えなければなるまい。
あいつが死んでから我々はどうするべきだろう?
私には明確な未来のヴィジョンはない。
アカシアも間の抜けた顔になった。
「へ? あの……その……それは……もう終わりなんじゃないの? だってここをお家にできたら安全なんでしょ? 食べるものに困らないし、化け物を逐一警戒しなくて済むようになるんだからさ」
パンジーは首を振った。
「あいつ。私たちと人類を。合流させる。いった。ここにはいない。だからきっと探すの続ける」
私は賛成できない。人類と合流することが、良いこととはとても思えないのだ。
私には化け物と戦う恐れと、外に出る恐れがあるが、その二つは切って離せない関係にある気がするのだ。私は化け物と人類を同一してるのかな?
しばらく痛々しい沈黙が場を支配する。やがてアカシアがふっと表情を和らげたかと思うと、とうとうと語り始めた。
「なんとなぁく。分かったことあるよ。私たちって……私たちだけでは不完全なんだ。蝶々も柄の違うものがつがいになって、鹿も大きいのに小さいのがすり寄ってるんだ。鳥だって二羽が一緒になって、卵を温めてる。そういうことなんでしょ。それで……ナガセみたいな種類が、私たちの他にもいるんだと思うよ」
「それは。分かるけど……ナガセみたいなの。いないと。子供が。できないのか?」
アカシアはこくりと小さく頷く。
「ナガセって、私たちと違うじゃない? おっぱいないし、ごつごつしてるし……だからそうだと思うんだけどさ……だからナガセも必死で探してるんだと思う」
アカシアは何を思ったか、顔を耳まで真っ赤にして、俯いてしまった。
「だけどさ。あの……その……私は……それでいいと思ってる……ん……だ……だから……危ない事して……探さなくても……いいのになぁ……って」
う……うげぇぇぇ……お前もサクラと同様に毒されたか。
いくらお前が良くても、私はあの化け物と一緒になるのは嫌だぞ? それこそ死んだ方がマシだ。
「皆の意見もあるんだからな。勝手に話を進めるな」
「分かってるよぉ」
アカシアが申し訳なさそうに頭をかいているが、ひょっとして私も夫婦になりたいと勘違いしているんじゃなかろうか。躍起になって否定したいが、照れ隠しだと思われるのも癪だしほっておくか。
だが待てよ。脳裏に何かが浮かび上がろうとして、意識が深層心理へと吸い込まれていく。
皆の意見? そう皆の意見を聞いて決めた。ポッドは七つ。七人選び、そして六人が残った。何を。相応しき人をだ。それで繁栄できたはずなのだ。
という事は、ナガセと同じ種類が六人いたはずだ。
「ナガセみたいなの。いただろ。あの七人。どこに行った? ナガセが来るまえに。死んだっけ?」
パンジーも覚えているものがあるのか、唐突にそんな事をいった。
「いや? 六人だろ?」
私は反射的に答える。お互いの記憶違いが鮮明になり、私とパンジーが真偽を探って顔を見合わせる。でもポッドに入る前と、ナガセと会うまでの記憶は、どうもははっきりとしないんだ。まるで霞がかかったようにぼやけている。
「え……へ? そんな人いたっけ? 僕は昔の事あまり覚えてないんだけど……」
アカシアが見つめ合う私とパンジーにそう声をかけた。
「確かなことは言えないが……いたような気が……」
「私も。いたと思う。けど……」
過去の記憶を掘り起こそうと躍起になる。頭がムズムズし、ときおり脳を掻き回されるような痛みが走ったが、一向に埒が明かない。
そのうち頭上の通風孔から、サクラの声が聞こえた。
「サブコントロール発見!」
彼女はそう叫ぶと、ダクトから私たちの元に飛び降りる。
「空調システムへの道中に、柱型コンピューターのある部屋を見つけたわ。そこで間違いないわよ」
サクラが見せるダクトの移動記録が映ったデバイスによると、サブコントロールルームは現在地より北東へ十数メートル移動した場所だった。
「通路を確認してこい」
話を中断しパンジーを顎でしゃくると、彼女は北東方向に近い通路を駆けていく。しばらくして戻ってきたパンジーは、首を左右に振った。
「駄目。違う方向。曲がってる」
ならば道を開けてやる。私は目的地に近い壁をノックした。
「この壁だ。吹き飛ばせ」
素早くパンジーが背嚢からC4を取り出し、壁に設置し始めた。
私は近くに隠れられそうな小部屋が無いか探す。スライドドアを発見。入るとそこは資料室の様で、書類で満載の棚が陳列してあった。
設置を終えたパンジーが戻ると、見張りのサンとデージーに発破を予告する。それから部屋に隠れて、見張りから退避完了の報を受け取った後、パンジーに発破を命じた。
轟音がして、部屋の外が激しく揺れる。外に出るとC4を仕掛けた場所には、人とアイアンワンドが通れるほどの穴が空いていた。壁からはパイプや電線などが、無残な姿で露わになっているが、多少は仕方ないだろう。
「今度はドンピシャだな」
「えっへん」
胸を張るパンジーを押しのけて、穴をすり抜けてより奥を目指す。途中壁が立ちふさがると、同じ要領で穴を空ける。その作業を何回か繰り返して、サクラが調べた場所までの距離を詰めていく。
やがて我々は銀色の光沢を放つ、鉄扉の前に辿り着いた。それは両閉じのスライドドアで、一見して分厚いと判断できるほどの存在感を放っている。
扉には奇妙なマークが二つペイントされている。一つは赤と青のストライプで、左上に星がちりばめられたもの。もう一つは中央に星があり、上半分には星から放射状に放たれる光が、下半分は青色で塗りつぶされていた。
「吹き。飛ばすぞ」
連続で爆発させてすっかり気持ち良くなったのか、パンジーが私の命令を待たずにC4の成形を始めた。
私が慌ててC4を叩き落すと、サクラが引ったくる様にして回収した。
「よさんか馬鹿者!」
「駄目に決まってんでしょ!」
私とサクラが声を揃えて叫ぶと、パンジーに詰めよってまくし立てた。
「この中のデリケートな機械に用があるんだぞ!」
「コンピューターが壊れたらどーすんのよ!」
パンジーがあまりの剣幕に気圧されて、気まずそうに視線を伏せた。
反省したならいい。
それとお前だお前。妙に息の合ったサクラを横目で睨みつけると、相手も面白くなさそうに腕を組んでいる。本当に腹の立つ奴だ。
私はふいとサクラから視線を離すと、アカシアを手招きした。
「テルミットで溶かしてみろ。場所はドアの合わせ目と、その下の床付近だ」
アカシアは背嚢からテルミットの入った缶を取り出すと、私の指示した場所貼り付けて導火線に火を点けた。
テルミットが燃焼し、眩く輝きながら白熱を発生させる。スライドドアは熱を帯びて赤く変色していくが、一向に溶けだす気配がない。やがてテルミットが燃え尽きると、スライドドアも元の銀色を取り戻してススの跡だけを残した。
やはりそう簡単にはいかないか。
サクラも短い嘆息をつく。
「駄目みたいね……」
「撃つ?」
パンジーがアサルトライフルを持ち上げる。私はその銃身に手の平を当てて、下げさせた。
「跳弾したら危ないだろ。止せ」
「あの……その……通風孔から入っちゃ駄目なの?」
アカシアが天井を見上げながら呟いた。サクラが考えるように爪を噛む。
「格子で塞がれていたのよ。デトコードでも中に爆風が抜けて、下手したら駄目になっちゃう。テルミットで溶かせるかしら……?」
他に何か打開策はないか。周囲に注意を配ると、ドアの脇にコンソールがある。見てみると液晶とテンキーが設置されており、画面にはIDと名前の打ち込み欄が映っていた。何かのセキュリティだろうな。
やたらめったらに打ち込んでみるか? まぁ開く可能性は皆無だろうがな。そもそもこれに使えそうな、IDと名前に心当たりが――待てよ。
そういえばアイアンワンドの所で発掘した鉄の筒に、コードと名前があったな。あれほど大層に隠してあった物の持ち主だ。ひょっとしたら通用するかもしれん。
「物は試しかな」
IDに「17459」と、次いで名前の欄に「コニー・プレスコット」と打ち込んだ。
カメラと指を押し当てる装置が、緑色の光を明滅させた。どうやら入力自体は通ったらしい。だが見たことの無い装置にぴかぴか光られても、私もどうしていいか分からない。
私は装置をじっと見つめていたが、ふいに天井のスピーカーがうなりを上げた。
『本人確認を行います。網膜スキャンと、指紋照合を行ってください。五秒経過か一致しない場合、セキュリティに通報します』
全員がスピーカーを見上げる。そしてじわじわと表情に焦りを滲ませていった。
「ちょっと……どういうこと……これって……まずいんじゃない?」
「あの……その……セキュリティって……ビリビリされるんじゃないの……アイアンワンドみたいにさぁァァァ! アレやだァァァ!」
「いや。チョーカーの。情報。合わないはず。だから――え? やばくないか……!?」
各々が不安を口にするが、かくいう私も冷や汗で背中がぐっしょりと濡れた。ここまできて、こんなつまらん理由で全滅してたまるか!
網膜は目だ。指紋は指だ。このカメラを覗き込み、指を押し当ててやればいいのだな!? 私は『アジリア』だが、何もしないよりはマシだ。いわれた通りにしてやる!
認証装置に取りつくと、緑の光が目と親指の先を照らしていく。
そして――あっけなく銀の扉はスライドした。
『遺伝子補正プログラム開発チーム所属 コニー・プレスコット一級特佐 と確認。入室許可が下りました』
我々は唖然としながらその電子音声を聞き、呆けて鉄扉の向こうの空間を見つめていた。
電子音声はなおも続けた。
『プレスコット様。監督官より物資についての確認要請がありました。至急監督官室へ出向して下さい』
サクラは信じられないといった顔を私に向けた。
「何したの……? アジリア。あなたも一体……何所からきたの?」
そのいい方は止めろ。まるで私がナガセと同じ所からきたようではないか。
私は違う。私はあいつと同じ過去など持っていない。私はお前達と同じなのだ。
そのはず……なんだ……。
「……知るか。アイアンワンドを接続するぞ。急げ」
不愉快な質問に答えるつもりはないし、時間も無駄にはしたくはない。一足先に銀の鉄扉を抜けていった。
サブコントロールルームは低温で保たれているらしく、冬のような寒さが体を襲い、吐く息が白く濁った。間取りは我がドームポリスの中央コントロールルームとよく似ていて、中央にアイアンワンドと同じタワー型のコンピューターが鎮座していた。
違いといえば、冬眠施設を兼ねていないことぐらいか。壁面にメディカルポッドがなくて、代わりにコンピューターキューブが並べてある。それらの半分は沈黙しているが、残りは駆動ランプを光らせていた。
私はタワー型コンピューターの足元を覗き込み、キューブの取り出し口を露出させる。その合間にサクラたちが、アイアンワンドを運び入れた。
取り出し口のテンキーを叩いて、現在あるメインキューブを排出させる。そしてサクラたちから受け取ったアイアンワンドを、震える腕で押し入れた。
やった! やり遂げたぞ! 誰も死なせなかった! これでもう終わりだ!
「任務完了!」
達成感に思わず叫んでしまった。釣られてアカシアが万歳をすると、根暗なパンジーすらサクラに抱きついた。
『グッドモーニング・エブリワン』
天井のスピーカーから、聞きなれたアイアンワンドの合成音声がした。
『ここはアメリカ共和国、アリゾナ22ドームポリスです。これより管理システム、キュリオテテスとの通信を行い、状況を確認します――』
しばしの沈黙の後、アイアンワンドは再び言葉を発した。
『キュリオテテスの応答ナシ。最高意思決定機関の不在により、アイアンワンドが一部権限を代行します。アリゾナ22内の状況を確認――』
またもや声は止む。そして先程より時間をかけて、アイアンワンドは声を上げた。
『内部にデータリストにない生命体を確認。内十二名をメインキューブ・アイアンワンドのリストにより追加します。残りの対象群を、侵入者と定義。加算方式による危機レベル極大。これより非常事態を宣言し、アイアンワンドが最高位の権限を代行します。戒厳令を発令。これにより各ブロックを封鎖。全ての行動を制限します。また州法により、義勇兵への武器の開放を提案。最高意思決定機関の不在により、アイアンワンドがこれを承認します』
最後に部屋中の監視カメラが、一斉に私の方を向いた。
『マム。近くに異形生命体はいませんが、念のためその場で待機なさってください。じきサーが武器を手に救援に駆け付けますわ』
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