第67話

 我々はエレベータホールまで戻ってきた。

 まずは安全確保だ。ホールには二つのドアがある。入る時に吹き飛ばした鉄扉と、非常階段へ向かう時に開けた鉄扉だ。

 非常階段に続く鉄扉をしっかりと閉めて、吹き飛ばして開きっぱなしになった入り口にオストリッチを待機させた。それからアイアンワンドを送ったエレベーターに歩み寄った。

 一つは故障しているし、もう一つはジンチクの血で汚れているからな。

 エレベーター脇のコンソールを弄ってフェイルセーフを落とすと、サクラと協力してドアをこじ開けシャフトを覗き込んだ。


 目の前にワイヤーが垂れている。その出元を探って視線を上げると、巻き上げ機がフレームに支えられていた。今度はワイヤーを伝って視線を下げていくと、丁度一階ぐらい下の場所にボックスが吊られていた。

 怖い。暗闇が獣のように口をあけて待ち受けている。


「やっぱり私が行くわよ」

 サクラが勝ち誇ったように、優越感で声を上ずらせる。

 うるさい黙れ。カチンときて思わず睨み返した。

「いらん世話だ。十分たっても戻らなかったら、先に撤退しろ」


 それを聞いてサクラが僅かに――ナガセに向けるものに比べたら削りカス程度だ――だが、表情に苦渋を滲ませた。

「置いてってもいいの?」

 心配されるとはな。まぁお前は根が悪い奴ではないし、私だって嫌われるほどイヤな女である事は自覚しているさ。もしあの男がいなかったら、もっと上手くやれたのか? いや、その前に死んでいただろうな。

 綻んだ顔を見られないようにわざと顔を背けた。


「言葉も分からんのか。さっさと指揮を執りに行け」

 サクラはムスッと鼻を鳴らすと、踵を返して待機するオストリッチに合流した。

「嫌味を吐くぐらいなら、『助けてぇ』って叫びなさいな」

「ほざけカマトトヤロー」

 軽口を叩くとワイヤーに手をかけ、ボックスの天井に乗った。足場が私の体重を受けて軽く揺れる。少しひやりとしながらも天板を外し、ボックスに頭を入れた。


 ボックス内にはアイアンワンドが鎮座している。そしてエレベータードアは開いており、そこから九階のエントランスが見えた。

 酷い有様だな。異形生命体がいた痕跡として、地面には糞を擦りつけた後が、空気には異臭が蔓延していた。

 奴らがいるってことは分かったが、問題は近くにいるかどうかだな。

 そっとボックス内に降り立ち、アサルトライフルを構えながらエントランスに歩みでた。


 エントランスは円形をしているが、中央をカウンターと壁で二分されて、空間は半円形になっていた。私のいる空間がエレベーターサイドとするなら、カウンターの向こうが監督区域だ。あそこのコンピュータールームに、サブコントロールシステムがある。

 くまなくエントランスに視線を走らせ、動くものが無いか意識を尖らせる。エレベーターの死角、カウンターの影、そして監督施設の奥へと伸びる通路を、注意深く観察する。やがてこの部屋が無人だと分かると、肩の力を少し抜いた。


 部隊を呼ぶ前に、監督区画への道を開けておいた方がいいか。近くに隠れられそうな小部屋はない。それにきてから破れなかったとなると、逃げる時に不確定な要素が増える。

 私は部屋を真っ二つに割る鉄壁を、手の甲で叩いた。ずっしりと中身の詰まった、鉄の感触がする。キャリアの装甲なんかめじゃない厚さだ。


「これをC4で吹き飛ばそうとしたら、この階ごと灰にしかねんな……」

 仕方なくエレベーターと監督区画を仕切る、カウンターへとまわった。そこは丁度壁の中央に位置しており、壁面が途切れて通路ができている。通路の左右には強化ガラスで守られた窓口があり、『総合受付』との看板が貼ってあった。

 監督区画へと続く通路の先は、やはり鉄扉で塞がれている。開けてみようにも、ドアノブは外されていた。


 窓口のガラスを破ろうか? だが入りにくいし、オストリッチを入れられんかもしれん。いや、待てよ。そもそもこの向こう側に、異形生命体はいるのか? こんなにも厳重に守られているのだ。あいつらがやすやすと入れるとは思えない。

 窓口からガラス越しに中を覗き込むと、至って綺麗なままである。添えられた作業机には、かつての主を感じさせるほど、荒らされた様子はなかった。


 すごく不思議な感覚だ。初めて見る自分たち以外の人間の形跡に、思わず任務を忘れて魅入ってしまう。

 机には資料箱や文具入れなどがネジで固定されている。小物の一つ一つがカラフルに塗装され、愛らしい動物のアクセントがついていた。きっと机の主は、『我々と同じ』人間だろう。『ナガセ』が好むような、無骨な小物は一つもない。

 目にして触れたナガセよりも、この見た事もないニンゲンの方に親近感がわく。


「フン。やはりあいつは、我々とは違う生き物のようだな」

 机の中央には封筒がテープで留められている。どうやら持ち主が、自分に宛てた手紙の様だ。見やすい流麗な筆跡で、『一万年後の私へ』と銘打ってあった。


 一万年後――? 数の単位がおかしくないか? ナガセは芽吹き、盛り、実り、枯れる四つの長い時期を、春夏秋冬と呼んで一年として括っている。それが一万回だぞ。体感したことはないが、気の遠くなるような長さだ。そこまで命が生きられるとは思えん。

 そもそも私は自分の境遇を良く分かっていない。何故あのポッドで眠っていたのか。どうして他の人間と散り散りなっているのか。なぜこんなに高度な文明を持つのに、人間が繁栄している様子が無いのか。

 ナガセに探りを入れても、いつもはぐらかされる。その時奴は、柔和な笑みの中に、影を落としているのだ。


 ずきりと。頭痛がした。何かを思い出せそうだ。だが思い浮かばない。それがとても怖かった。これから正体不明の化け物に襲われるという、漠然とした不安に似た恐怖だ。

「おい。おいったら」

「うっひゃぁぁぁぁ!?」

 肩を誰かに叩かれて、柄にもなく細い悲鳴を上げた。

 アサルトライフルを背後に向けようとするが、視界の外から伸びた手が私の腕を抑えつける。そしてパンジーが顔を覗き込んできた。


「大丈夫。か? ぼっとする。死ぬぞ」

 ぼっとすると死ぬぞって……お前は何でここにいるんだ!?

「上にいろといっただろ!」

「遅い。サクラが。様子を。見てこい。だから。きた」

 いらん世話を……と言いたいが、のろのろしていた私が悪いな。急ぐか。


「デトコードを寄越せ。カウンターのガラスをちょん切るぞ」

 パンジーは背嚢から糸巻を取り出し、デトコードの先端を手渡してくる。私はそれを手紙が無い方のカウンター窓口に設置した。

 作業中、エレベーターシャフトを通して上階から銃撃音が響いてきた。気になるが作業が先だ。黙々と自分の仕事に専念する。だが銃撃が止まず、化け物の悲鳴が次第に大きくなってくると、集中できずエレベーターの方に視線を向けた。

 押し込まれているのか? だが入り口は一つだけで、そこを制圧射撃すれば敵は簡単に撃退できるはずだ。


 エレベーターボックスがぐらりと揺れた。そして天板の穴を潜って、部隊の連中が次々と降りてくる。

 サンが尻餅を付き、その上にデージーが落ち、アカシアがするりと二人を避けてボックス内に降りる。最後にサクラが起爆装置を手に飛び降りて、蹴るようにしてボックス内の全員とアイアンワンドをエレベーターから叩き出す。

「隠れて!」

 サクラが短く叫ぶと、私を含める全員が反射的に、エレベーターの影、そしてカウンターの隙間に身を隠す。サクラは起爆装置を押し込んだ。


 私のちょうど真上で、爆発音がした。ズンッっと、まるで重いものを落としたように天井が揺れて、埃と塵が降り注いでくる。

 エレベーターからは上階に収まり切らない爆風が僅かに吹きつけ、我々が降りるのに使ったエレベーターボックスを粉砕しつつシャフトの下へと叩き落した。


 私は耳鳴りのする頭を押さえながら、思わず怒鳴った。

「何だ!」

 サクラは身体中に付いた埃を払いながら、にべもなくいった。

「マシラよ。連中肉団子みたいに押し寄せてきて、殺した奴を盾どって迫ってきたのよ。だからシャフトに逃げ込んで、C4で吹き飛ばした」

「どうして逃げなかったんだ!? 何のために斥候を出したと思ってるんだ!」

 サクラは私から視線を離し、部隊の面々を一様に見渡して肩をすくめた。

「うるさいわね。見捨てられないっていうから、残ってやったのよ。彼女らにお礼ぐらいいったらどう?」

「誰もそんなこと望んでないぞ!」


 腰をさすっていたデージーが、がばっと身体を起こして私に突っかかってきた。

「うるさいな! 残りたくて残った訳じゃないぞバカヤロー! ホントはすぐに帰りたいんだからなァ! でも死んだら後味悪いじゃんか! お前ナガセより弱いくせに調子に乗るなよ馬鹿!」

 デージーは叫び終えると、鼻息を荒くしながらエントランスの通路を警戒し始めた。

 サンもそれに倣って反対側の通路を警戒し始める。彼女は私とすれ違いざまにこういった。

「一人で行かせた私たちも悪かったわ。ごめんね。ちゃんと一緒に戦うから、一緒に逃げましょ」


 私はしばし呆然としていた。自分は死ぬつもりはなかったし、たとえ取り残されても打開する自信もあった。だが彼女らにはそう思われていないのだ。だから心配されたし、命令も無視された。

 これがナガセだったら、彼女らは二の返事で命を受けるだろう。そして例え奴が帰ってこなくとも、その生存を信じるだろう。


 私はまだまだ……未熟という事だ。

 テストで落第点を食らったような、酷くやるせない気分になる。

 不安になってきた。果たしてあいつが死んでから、我々は上手くやっていけるのか? 奴の死体に縋り、泣くことしかできないのではないか?

 暗い顔をしていると、サクラが駆け寄ってくる。


「ごめんなさい。オストリッチと機関銃を失くしたわ」

 気が重いが、気持ちを切り替えないと。

「いい。一人も死ななかったなら上々だ。どうするべきだと思う?」

「エレベーターは使えないわ。さっきの爆発で強制停止している。非常階段まではちょっと遠いし、それ以外の昇降階段は下にしか通じていない。どこか安全な小部屋で、ナガセの救出を待つ手があるわ。それかシャフトを登る手もある」

「吹き飛ばしたばかりで危険だろう? それに押し込まれていたなら、後続がのさばっているかもしれん――」

 迅速果敢。戻るのが難しいなら、進むしかない。


「アイアンワンドを持ってきてくれ。私はカウンターの窓をデトコードで吹き飛ばしてくる」

「そうこなくちゃね」

 サクラは踵を返して、アカシアと共にエレベーターの陰に横倒しにされているアイアンワンドを回収しに行く。私もパンジーと共にデトコードの設置作業を再開し、そこに穴を開けることに成功した。


 穴から監督区画に入り裏側から鉄扉のドアを開けると、部隊とアイアンワンドを招き入れた。

 サンとデージーはカウンターに残し、見張りをしてもらおう。残りはサブコントロールの掌握だ。


 私はカウンターを離れる際に、向かいのカウンターの作業机を一瞥した。そこには白い紙片が、呼んでくれと言わんばかりに存在感を放っている。

 手紙――中身が気になる。だが今はリーダーとして、務めを果たさなければ。雑念は祓え。目の前に気を配れ。

 私が迷ってばかりだから、皆に迷惑をかけるのだ。

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