第63話

 俺はアルファチームを引きつれて、廊下の薄暗闇を駆け抜けていく。

 ジンチクの糞で塗りたくられた床は人骨が散乱していて、床近くの非常灯が不気味なシルエットを浮かばせている。


 俺が無言で駆け抜ける後ろで、彼女たちが小さな悲鳴を上げている。かつて異形生命体に凌辱された記憶でも、呼び覚まされたのだろうか。

「狼狽えるな。今のお前らなら、そう容易く死体にはならん」

 すかさず檄を飛ばしたが、どれほどの勇気を与えられたか……。


 目的地は通路を行き当たったエレベーターホールである。そこで邪魔になるドラム缶だけを先に、一階上の研究施設まで送ってしまおうとの考えだ。

 行く手に丸いボールが幾つか転がっている。

 ジンチクの群れだ。

 いつかは遭遇すると思っていたが、こんなに早いとは思っていなかったぞ。


「撃ェ!」

 号令を下しつつ、オストリッチにマウントされた機関銃を撃った。射撃にはプロテアとマリアが加わり、オストリッチの前面に鉄の嵐が巻き起こる。

 ジンチクは床ごと爆ぜて潰れた饅頭のようになり、辺りに血をばら撒いた。


「跳べェ!」

 俺は叫んで手綱を思いっきり引く。

 俺とプロテア、マリアのオストリッチは翼を広げてロケットを噴かし、ジンチクの血だまりを跳び越えた。

 リリィは大丈夫だろうか!? 跳びながら背後を振り返ると、彼女は真っ青になりながら手綱をきつく握りしめ、血だまりに臨んでいた。


「リリィ頑張れ! オストリッチの頭を上に向かせるように、手綱を引くんだ!」

 プロテアがたまらず叫ぶ。

 リリィは慌てて手綱を下に引き、オストリッチの腹を蹴った。

 リリィのオストリッチがふらりと飛翔すると、壊れかけのハングライダーのように、揺れながら血だまりを飛び越えた。すぐ後ろを牽引するドラム缶が、血だまりの上を滑っていく。


「やった? やった! 私だってやれば……あ? あ! あ!?」

 リリィは足をばたつかせて喜んでいたが、すぐに焦りの呻きに塗り変えられた。どうやら飛び越えたはいいが、着地できないらしい。

 リリィのオストリッチは飛翔したまま次第に速度をあげて、プロテアたちを追い抜こうとする。

 この調子だと陣形が崩れちまうな……プロテアに先陣を切らせて、俺が対応してやるか。

 そう思った矢先、プロテアがリリィと並走してその手綱を奪い取る。


「お前はいつだって詰めが甘いんだよ!」

 プロテアはそのまま慎重に手綱を操り、リリィのオストリッチを降下させていった。少し危うげにふらついたものの、オストリッチは姿勢を安定させて走行を再開した。

「やったじゃんかリリィ!」

 マリアが力いっぱいリリィの背中を叩く。

「うるさい! もう無理! あんな奇跡起こせない!」

 冷や冷やさせやがって。

「残念だが、無理でも嫌でもするんだよ。死にたくなければな!」

 俺は正面に向き直ると、冷たくいい放った。


 廊下を進んでいくと、目的のエレベーターが見えてきた。プロテアとマリアを先行させて、自分はリリィが牽引するドラム缶の後ろに回った。

 エレベーターの前はT字路になっており、すでにプロテアとマリアが左右の通路をオストリッチで塞いでいた。

 プロテアがエレベーターに敵が近づかないか警戒しつつ、狂ったように開閉ボタンを連打する。

「どうだ?」

「反応した! 動くぞ!」


 エレベーターの文字盤をちらりと見上げる。『STUDY(研究区).A』で点灯している光が一つ下のここ、『RESIDENCE(居住区).A10』へと降りてくる。

 その時、エレベーターホールへとつながる廊下に、ジンチクが数匹転がり込んできた。

 早いおつきで。


「プロテア! 対処しろ!」

 俺が吠えると同時に、ボックスの到着を知らせるベルが鳴った。このタイミングでか!? ビックリ箱よろしく、エレベーターボックスからジンチクが飛び出てきたら洒落にならん!

 俺はオストリッチをエレベーターの正面に移動させて、機関銃を構えた。

 プロテアによる掃射の轟音が響く中、エレベーターボックスがドアをスライドして中をさらけだした。

 何もない。綺麗なもので、うっすらと埃が積もっているぐらいだ。多分冬眠後ここを開けたのは、俺が最初なのだろう。


 俺はリリィにオストリッチごと、ドラム缶をボックスに入れさせた。それが済むと、リリィの首根っこを猫でもつまむように持ち上げて、俺のオストリッチに移し乗せる。そしてボタンを押して、ボックスを研究区へと送った。

「次だ。冬眠施設へ向かうぞ」

 オストリッチを繰って、北の非常階段へと向かう。マリアがすぐ後に続き、プロテアも駄目押しの掃射を放ってから、続いてきた。


 道中、同じ階の遥か遠方から、爆破音がした。強烈な衝撃に通路全体が揺れて、天井から埃が舞い落ちる。一拍遅れて爆風が吹きすさび、廊下の塵を巻き上げていった。

 この威力は――C4だな。結構な量を使ったな。

 俺たちは空気中に散る粉塵を吸い込むまいと、口に手を当てて疾駆を続ける。

 俺の胸の下でリリィが、オストリッチの首に噛りつきながらポツリとこぼした。

「皆……大丈夫かな……」

「自分の心配をしろ」

 リリィの頭を顎で一喝すると、非常階段のある区画に入った。


 そこには僅かな踊り場があり、上下に延々と階段が続いている。その場で二、三度旋廻し、プロテアとマリアの到着を待つと同時に、隊列を縦一列に編成する。それから階段にオストリッチを突っ込ませた。

「オストリッチの足は、階段の幅に合わんが気にするな。足の裏面が変形して対応してくれる」

 俺たちは何者に邪魔されること無く、研究施設へと上がっていく。

 二回目の爆破音が、下の階からこだました。今度の爆発には金属に悲鳴に、化け物の断末魔が混ざっていた。

 心配だ。あいつら無事だといいのだが。


 きつく唇を噛みしめながら、研究施設へと入った。

 この区画は去年俺が侵入した場所より西側なので、未踏の地である。緊張に気を張りつめさせて、左右に並ぶ研究室のドアの間を抜け、先にへと延びる大きな廊下をひた走った。

 最奥部には巨大な鉄球の形をした冬眠施設がある。今はそこに用はない。大きな廊下と垂直に交わる通路を右に曲がると、突き当りにあるエレベーターで足を止めた。


 ビンゴ。エレベーターのドアは開いており、ドラム缶を乗せたボックスが入っている。俺はリリィをエレベーターの前に放り出すと、プロテアとマリアには敵を警戒させた。


 俺はというとエレベーターの隣にある、シャッターの下りた小部屋の入り口に立った。

 畜生め。シェルターのように堅牢な造りをしていやがる。シャッターの隙間から見えるドアには、厚いガラスが張られた窓が一つあり、向こう側に検問所のようなカウンターが見えた。

 この先にはバイオプラント直通のエレベーターがある。収穫物の搬送をするためのものだが、毒物を混入されたらドームポリスは死滅するので、このように固く守られているわけだ。


 シャッター越しにドアを軽くノックして、その厚さを計る。十ミリ未満だな。これはC4で吹き飛ばさずとも、デトコードで切れるか?

 バックパックからデトコードを取り出すと、ドラム缶が通れるほどの輪を作ってドアに張りつけた。そしてデトコードの末端に雷管を取り付け、起爆装置を手に物陰に隠れた。

「リリィ! お前はエレベーターボックスの中にいろ! 爆発させるぞ!」

 俺はそう言って、起爆装置のボタンを押し込んだ。

 灼熱の風切りがした。そして短い沈黙の跡、金属片が床に落ちる音がした。


 小部屋の正面に戻ると、ドアはデトコートで綺麗にくりぬかれ、部屋の中へと落ちていた。

 俺はリリィを呼びつつ、空いた穴を潜って小部屋に入った。中には不審物の有無を検査するゲートがあり、その向こうにエレベーターが鎮座している。

 エレベーターの開閉ボタンを押すと、すぐにドアが開いてボックスが姿を現した。俺はオストリッチとドラム缶を押し込んで上へ送ると、リリィを連れてきた道を引き返した。


「ナガセ!」

 戻るや否や、マリアが甲高い悲鳴を上げた。反射的に冬眠施設へと続く廊下に視線をやると、曲がり角からゆったりとした足取りでそいつがきやがった。

 たっぷりと筋肉がのった肌は赤茶けており、二足で歩くたびに粘液のにちゃつく嫌な音がした。そいつは首を巡らせて巨大な単眼をそこらじゅうにむけていたが、やがてエレベーター付近で固まる俺たちに気付くと、剥き出しの歯をさらに剥いて笑った。


 ショウジョウだ!


 身長は五メートルぐらいか? 他のショウジョウより一回り小さい。それが成長過程にあるからか、生まれつきのものかは分からない。だがおかげで狭い冬眠施設の出入り口から、苦も無く出てこられたようである。

 ショウジョウは歩速を次第に速めて、俺たちを捕まえようとしてか手を伸ばしてきた。


 走っている今は足を狙いにくい。致し方ない。

「目を潰せ!」

 プロテアとマリアに命令する。

 マリアはすくみ上って動けない。代わりにプロテアがオストリッチの機関銃を乱射した。


 銃弾はショウジョウの腹に命中し、皮膚を爆ぜさせながら頭を目指して上っていく。しかし射線はショウジョウの胸元でピタリと止まり、上がらなくなった。仰角の限界を迎えたらしい。


 ショウジョウは一二.六ミリの弾丸を食らい噴血を上げるが、足を止めようとしない。粗悪品の腰振り人形のように、上体を小刻みに揺らしながら俺たちへと突っ込んでくる。

 やるしかねぇな。

 俺は手榴弾をショウジョウの目の高さに放り投げると、モーゼルを抜いて狙いを定めた。

 腕よ。鈍っていてくれるなよ。


 引き金を絞ると、ショウジョウの目の前で手榴弾が爆発した。

 奴の巨大な眼玉には鉄片がいくつも突き刺さり、その場で膝をつくと顔を手で覆って蹲った。

 俺はリリィを抱きかかえて、自らのオストリッチに飛び乗る。そして手綱を引いて走らせた。


 マリアの隣を通り過ぎざまに、背中を叩いて我に返らせる。彼女はすぐに俺の後ろに続き、プロテアが後詰めを担った。

 ショウジョウは既に痛みを忘れて、立ち上がりつつあった。その脇を過ぎる際、足元に手榴弾をいくつか転がしてやる。数秒後、ショウジョウの足には鉄片が食らいつき、肉の一部を吹き飛ばした。奴は立っていられなくなり、前のりになって倒れ伏した。


「ナガセすんごぉい! やっぱサイキョーじゃない!」

 俺の胸の下でリリィがはしゃぐ。俺はリリィの懐をまさぐり、吊ってある手榴弾をいくつか回収した。

「やかましいわ! もう無理だ! あんな奇跡起こせないからな!」

「嫌でも無理でもするんだよ! 俺たちを守りたけりゃな!」

 プロテアの怒声が背後からかかった。


 何度か爆音を立てた。どんなに鈍臭い奴でも、異常に気付いたことだろう。事実冬眠施設からは、生き物が這いずり身じろぐ音がハッキリとし始めた。

 面倒になる前にさっさと逃げちまおう。きた道を戻って非常階段の踊り場に出ると、もう一つ上階にあるバイオプラントへと上っていった。

 その時。階下から、三度目のC4の爆発音がした。

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