第58話
転進したキャリア隊めがけてジンチクが降り注いでくる。
一回目の投擲でジンチクはキャリア隊のはるか後方に着地して、自らの腹で大地に血のスタンプを押しつけた。それからのそりと蠢き、キャリア隊を追ってくる。
これは振り切れる。問題ない。
ショウジョウは次々にジンチクを投擲してくる。
今度のジンチクは頭上を通り越していった。これは進行方向に着地するな。轢き殺したいところだが、タイヤには炭素繊維が含まれている。ジンチクの血で溶けちまう。
「アルファ! シエラの尻にぴったりつけろ! チャーリー! ショウジョウは放っておけ! それよりキャリア隊の脱出を助けろ!」
叫ぶとショウジョウを狙っていた人攻機が、困惑したように挙動を止めた。そして転進したキャリア隊を阻む小規模なマシラの群れに気付くと、銃撃を加え始めた。
俺は運転席の天板を、またもや銃把で殴りつけてロータスの気を引いた。
「ジンチクが降って来るぞ。指示を出すからその通りハンドルをきれ。まず右だ」
「へいへい。あー、やっと帰れるのね」
ロータスはそういって早速ハンドルを切った。
ほどなくしてかつて指揮車の進行ルートだった場所に、ジンチクが墜落して血を撒き散らした。それはすぐに新しい足を生やして動き出すと、キャリアを追わずに引き返していった。
作戦通りに事が運んでいるようだ。
ジンチクが向かった先には攻機手榴弾で出来た死体の山があり、西側のマシラの群れがなだれ込んでいる。それは凄まじい光景で、まるでモンゴルの騎馬隊が一斉に押し寄せてくるようだ。
今や盆地に存在する異形生命体の群れの中心は、アメリカドームポリスから功機手榴弾の爆心地に移っていた。
『ナガセ! プロテアから攻機手榴弾の使用許可が来てます!』
急にアイリスから通信が入った。流石のプロテアも、押し寄せる異形生命体群に胆を冷やしたようだ。
だがまだ早い。もう少し離れた場所に死体を作らないと、群れがその場に留まって誘引できなくなる。
「合図を待てと言え」
『直接掛け合うと言って聞きません』
相も変わらずジンチクは降りそそいでくる。忙しいことこの上ない。
ロータスへの指示を、口頭命令から天板を叩く方法に切り替える。右折なら右側を殴り、左折なら左側を殴る。そしてアイリスに言った。
「替われ」
アイリスの落ち着いた呼吸音が、すぐにプロテアのゼイゼイ声に変わった。
『ナガセ! 流石にこんなに目をつけられたら、いなすのは難しいぞ! 二、三個転がす許可を寄越せ! 一番後ろにいる俺らが危ねぇんだよ! いいな! 転がすぞ!』
プロテアの声よりも、その後ろで微かに聞こえる物音が気になるな。しゃくりあげる音、鼻水を啜る音、そしてむせび泣く声が聞こえる。
リリィ……それに息継ぎからして一人分じゃない。多分マリアもべそをかいている。暴力的な数の異形生命体に追いかけられて、心が折れたようだ。
気持ちは分からないでもないが、状況は絶望的ではない。むしろ良好である。勝手に悲観にくれてもらっては困る。
「駄目だ。合図を待て。少し進めば行く手を遮っていたマシラが、チャーリーの攻撃を受けて死体となって転がっている。それがしばらく群れを鈍らせる。落ち着いて判断しろ」
『だから何だってんだ! 二発投下するぞ!』
あァ。これは軽いパニックになって、理屈が効かなくなっているな。
優しい言葉はつけあがるだけで無意味だ。口の端を歪めると、凶悪な笑みを浮かべた。
「分かった。好きにしろ。だが勝手な投下を確認次第、こちらで荷台にある攻機手榴弾を遠隔起爆する」
プロテアが一瞬黙り込む。そしてリリィが狂ったように泣き喚き始め、マリアが口早に許しの言葉を紡ぎ出した。こういう無線をスピーカーでするな。まぁこのケースだと好都合だがな。
『おいコラテメェ。聞き間違いか……? 投下した、攻機手榴弾を、遠隔起爆すると言ったんだよな……』
プロテアは確認するように、言葉を区切り区切りにして聞いてきた。
「俺は、汚い花火を、上げると言ったんだ、このボケ」
大きなため息をわざとつく。その時胸から不快感が込み上げ、胃液が逆流しようとしたが必死で堪えた。
「いい加減ウンザリしているんだ。アカシアといい、マリアといい、リリィといい。やる事もせずにうだうだ文句ばかり垂らす。だからせめて俺の役に立って『死ね』。嫌ならせいぜい頑張るんだな」
通信機の向こう側から、人の出す物音が消えた。号泣を通り越して、感情を出すことすらできなくなったか。
俺にも経験がある。喜怒哀楽をいくらぶつけてなお、理不尽な現実を突きつけられると、人形のようになっちまうものだ。
『お……お前なんて大嫌いだ! 嫌いだ! 嫌いだァ!』
おう。一向にかまわん。
その言葉を最後に、通信は切れた。
しかし困ったな。許可を求めてくる当たりプロテアはまだ冷静だ。だがもう少ししたら独断での行動を始めるだろう。
プロテアは味方を守るためなら何でもする。俺に逆らうことを屁とも思っていない、優れた戦士だ。だがその利点は経験が少ないため、今はまだ欠点となっている。そこら辺も計算に入れなければなるまい。
キャリア隊は黙々と北東へ向かって進んでいく。
降りそそぐジンチクの数が減ったので、ショウジョウの投擲範囲からは脱出できたようだ。
キャリア隊はチャーリーが撃ち倒したマシラの群れをすり抜けながら、なおも追ってくる異形生命体の群れを機銃で撃退した。やがて崖の裾野に到達して、坂を上り切ると盆地から脱出した。
誘引開始。
草原を海へと走り始める。チャーリーも転進して、キャリア隊の後ろについてきた。
後はポイントCに戻るだけだ。
少しの時間を置いて、盆地から崖の上へと異形生命体も這い上がってきた。
その勢いはすさまじく、まるで赤いわき水が溢れだしたようだ。
群れは崖のおかげで横に広がっており、非常に相手をしやすい。こいつらから二百から三百メートルの距離を維持して誘引だ。
キャリアがアメリカドームポリスを離れたからか、ショウジョウも崖の下へと距離を詰めているらしい。断崖からショウジョウが頭だけで、こちらの様子を覗いている。
あいつら銃を理解しているな。その証拠に崖に身を隠して、そこからひたすらジンチクを投擲してきやがった。
ジンチクの降雨が再開する。今度の狙いは正確だ、進行方向に落とすか、確実にぶつけてきた。
焦ったチャーリーが人攻機の頭部だけを180度回転させ、スポッティングライフルで迎撃を始めた。
「チャーリー! 投げられたジンチクは無視しろ! それより地上のマシラに気を払え! アルファ! 煙幕弾投下!」
怒鳴りつつ、俺はロータスに回避を指示するため、運転席の天板を左右に分けて殴り付けた。
煙幕をたき、盆地に潜むショウジョウの視界を閉ざせば、ジンチクの雨は止む。アルファが煙幕弾を転がすのを待ったが、いつまでたっても反応が無い。いったい何をまごついてやがる!?
徐々に投擲されるジンチクの量が増え始める。崖の下にショウジョウが集結しているに違いない。このままだと食いつかれる。
「アルファ! 早く投下しろ! チャーリー! 崖下に向けて攻機手榴弾発射! 狙いはデタラメでいい! その後アルファの煙幕を支援するように、左右に煙幕弾を発射だ!」
人攻機隊の腰にあるウェポンラックが、後方斜め上へと発射口を向ける。同時にアルファの荷台からも何かが転げ落とされた。
人攻機の攻機手榴弾が、弧を描いて崖下へ飛んでいく。そしてアルファが地面に転がした何かも、炸裂して中身を吐き出した。
それは煙ではない。鉄片の嵐――攻機手榴弾だ!
異形生命体の先陣がもんどりうって倒れ伏した。すぐ後ろの異形生命体はその死体を乗り越えて迫ってくるが、そのさらに後ろは死体に気付いて留まりだした。
異形生命体の群れの中央が、僅かに動きを鈍らせた。そのせいで両翼の異形生命体が徐々に先頭へ乗りだして、槍の様な尖った陣形を組み始めた。
「抑え込み過ぎたか……」
たまらずアジリアがフォローを入れる。チャーリーチームが各々、一個ずつ煙幕弾を投下して、異形生命体と俺たちを隔てた。
先頭の異形生命体は煙幕を突き破って襲ってくるが、後続の動きは煙に撹乱されて動きを鈍らせた。
しかし残念なことに、宙を飛んでくるジンチクには、何の効果もない。
一匹のジンチクが指揮車シェルターに墜落、もう一匹のジンチクがサンのシャスクの右肩にかぶりついた。
すかさずシェルター上のジンチクにモーゼルの乱射を浴びせた。そいつは蜂の巣になったが、まだピンピンしている。クリップ(モーゼル用の装填装置)を差し込みもう一回乱射を浴びせる。ジンチクは構わず、俺目がけて突っ込んできた。
ロケットランチャーを取り出す。それをバットのように振り回し、キャリアの上から叩き落とした。
肩口にかぶりつかれたサン機を確認する。
判断良し。サンはジンチクごと人攻機の肩を切り放していた。だが腕を切り放すのは、MA22を持ち替えてからにして欲しかったな。貴重な銃が一つ減った。
遠方で爆音がした。崖下に放った功機手榴弾が起爆したようだ。結構な数のショウジョウを始末できたようで、ジンチクの投擲が弱まった。
アジリアらチャーリーチームは追加で煙幕弾を投下しつつ、群れに向かってMA22を撃ち続けた。
畜生。馬鹿が命令無視して功機手榴弾を投下したせいで、異形生命体の群れは縦に間延びしている。このままでは群れの最後列から散って行き、現場に留まるか引き返してしまう。今一度引きつけ直さなければならない。
「一旦右折! この場で迂回機動をとり、異形生命体の後列が前進するのを待つぞ!」
この場で『コ』の字を描き、群れの先端を撒きつつ、後続を待つことにしよう。
『もうヤダぁ! ヤダぁ! ヤダぁ! 逃げる逃げる逃げる!』
リリィから悲鳴の様な通信が入った。
心底落胆したぞ小娘が。後ろからついてくる機動戦闘車にモーゼルを向けると、運転席の青白い顔目がけて引き金を絞った。
キャリアのフロントガラスは防弾。モーゼルの弾は九ミリ。距離は結構離れている。フロントガラスは豆鉄砲を弾いて、ビシリと音を立てた。
『っぎゃぁぁぁあああ!』
リリィがわたわたとハンドルを動かした。すぐにプロテアが脇からハンドルを抑え込み、安定させる。
プロテアは凄絶な表情で俺のことを睨んできたが、悪いのは命令を無視した貴様らの方だ。軽く鼻を鳴らすと、今度はジンチクを叩き落とすのに使ったロケットランチャーを機動戦闘車に向けて構えた。
「次はないぞ……」
俺はそういって、ロケットランチャーを降ろした。
その後部隊は大きくコの字を描いて迂回機動をとり、異形生命体の群れを槍型から横列隊形に戻させることに成功した。
その頃になると死体もないのに、異形生命体の群れの鈍化が進んでいった。やがて群れは停止し、その場に留まった。
俺は部隊を群れから東に一キロ離れた地点で停止させ、様子を窺うことにした。銃座から双眼鏡を覗き込むと、奴らは地面に横たわり、大多数が呑気に眠りについている。
一部は負傷した異形生命体に群がって、止めを刺して死肉を食らっている。残りの一部は追いついたムカデを、その体内へと潜り込ませていた。
『どうなっている?』
アジリアから通信が入る。俺は口をへの字に曲げた。
「疲れたのさ。中には腹が膨れた奴もいるだろうしな。群れが引き返そうとしたり、合流時間に遅れそうになったら、もう一度アタックして誘引するぞ」
銃座から飛び降りて、部隊の確認を始める。
人攻機の火力はもう期待できない。MA22は一丁減ったし、残弾も約五百ずつ、つまり千発しかない。煙幕弾並びに攻機手榴弾は使い果たした。スポッティングライフルはまだ余裕があるが取り回しが悪い。もうデクノボウだ。
こうなったら足の遅い人攻機を、先行させておいた方がいいな。
機動戦闘車に煙幕弾は十数発あるが、攻機手榴弾が三発しかない。それにアルファチームの士気は絶望的だ。戦力として期待できんだろう。先ほどの事件を鑑みて、攻機手榴弾はプロテアから取り上げて、アジリアに任せた方が良さそうだ。
俺はアイリスを引き連れて、機動戦闘車に向かった。そして荷台の後ろから中を覗き込んだ。
「攻機手榴弾を人攻機に移す。手伝え」
荷台は空薬莢が散乱し、むせかえるような硝煙と汗の臭いがした。手前には煙幕弾と攻機手榴弾が積まれている。その中に身を隠すようにして、マリアが頭を抱えて蹲っていた。
マリアは小刻みに震えているが、表情は能面のようにのっぺらだ。俺に気付いた様子も無く、自分の世界に引きこもっていた。
マリアに近寄ると無理やり立たせて顔に飲料水を浴びせる。そして頬を平手打ちして、意識をはっきりさせた。
「攻機手榴弾を人攻機に移す。手伝え」
マリアは瞳に意識を宿すと、怯えの色を見せる。そしてびくびくと攻機手榴弾に手をかけた。
金属を殴りつける音がした。ふりむくとプロテアが運転席から荷台に入り、銃把で荷台のフレームを殴りつけていた。彼女は怒りに身体を戦慄かせながら、俺に凄んできた。
「俺にはお前が分からねぇ……作戦の時、もっと俺らを大事にするような口ぶりだったろ。どうしてこうなっちまうんだよ! お前誰だ。ナガセをどこにやった!?」
何をいってるんだこの馬鹿は? 俺は俺だ。俺以外の何物でもない。俺の指揮に御立腹のようだが、ここは娑婆じゃない。戦場だ。そんなところでふざけた真似をする、お前らに問題があるのだ。
ここが汚染世界じゃなくて命拾いしたな。ここが軍隊ではなくて助かったな。俺は――
そこでハッとした。
ここは汚染世界ではない。ユートピアだ。ここは軍隊ではない。共に戦い生きる集団だ(俺は除外されるが)。
俺は……一体何をしていたのだろうか?
それを聞こうにも、先程まで心を占領していた、どす黒い何かはすでに消えている。俺は自分でもどうしていいか、分からなくなっていた。
足元で物音がする。マリアが一人で攻機手榴弾を運ぼうと、もぞもぞと動いているのだ。俺は彼女の肩を優しく抑えて、作業を止めさせた。だがマリアは懲罰に怯えるように、びくりと身をはねさせた。俺は熱いものに触れたかのように、慌ててマリアから手を離した。
酷く。居た堪れない心地になった。
『なにするね。仕事させればよろし。この女ヘマしたね。いい罰なるよ』
分からん。どうして戦闘中、幻聴が聞こえなかったのか。
どうして人道的になると、幻聴が聞こえるのか。
安物の煙草の匂いが消えない。鼻をパイプにして吸っているようだ。頭がガンガンする!
俺は一体何だ。俺は一体誰だ。そして俺は一体何処にいるんだ。そして俺はどうするべきなのだ!?
「ナガセ……わかんねぇよ……どうしてそんなに変われるもんなんだよ……何かあるならいえよ……頼むよ……」
プロテアが嗚咽混じりの声をだすが、俺は彼女と向き合うことができなかった。
無言で攻機手榴弾を固定する留め金を外すと、一つ肩に担いで荷台から飛び降りた。
「ご苦労だった。運搬は俺一人でやる。ゆっくり休んでくれ……」
捨て台詞のようにそういいのこして。
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