第57話

 機動戦闘車が崖から身を躍らせると、ルートに合わせて西にハンドルをきった。

 指揮車もそれに続き、二両のキャリアは岩を削りながら崖を下り、盆地に到達して車体を大きく跳ねあがらせた。


「陣形変更! 斜列隊形を組め! 我々の目的は突破だ! 前方の敵に集中しろ! それ以外はチャーリーに任せるんだ! 突撃!」

 俺の命を受けて機動戦闘車は、指揮車の左前方に位置した。

 俺たちはこれから異形生命体の群れの中を、南東から弧を描いて北東へと抜ける。そのために機動戦闘車が露払いを行い、その撃ち漏らしを指揮車が始末する。


 早くも数十匹のマシラが、隊列の側面から襲い掛かって来る。

 即座に崖上に留まるチャーリーから火力支援が降り注いだ。MA22による二十ミリ弾の雨がマシラたちを撃ち抜いていき、崩れ落ちるマシラの脇を隊列は駆け抜けていった。

 次に隊列の頭を抑える形で、別のマシラの群れが立ち塞がった。

 まるで……赤い肉の波だな。うねり、連なり、部隊を飲み込もうとしてくる。

 先行する機動戦闘車が、機関掃射でマシラを薙ぎ払う。あるマシラは構わず突進を続け、あるマシラは崩れ落ちて後続の足蹴にされた。しかし肉の波は勢いを失うことなく、キャリアを押し潰さんと迫ってくる。


「ルート変更右へ! すれ違いざまに攻機手榴弾投下!」

 俺が叫ぶと同時に、機動戦闘車が右にハンドルを切る。指揮車はそのさらに右側にぴったりと付け、隊列は肉の波に背面を向けた。

 マリアが荷台から、攻機手榴弾を一つ投げ落とすのが見えた。それはマシラに飲みこまれて消えたが、いつまでたってもなんの反応が無い。

 さては信管を抜き忘れたな!

「馬鹿がッ! アイリスッ! 遠隔起爆しろッ! 起爆対象を間違えるんじゃないぞ!」

『了解! パギちょっとどいて!』

 一拍おいて、爆発音が響く。そして肉の波の後方で、鉄片と共に数匹のマシラが打ち上がった。

 起爆はできたようだが、タイミングを逸脱しすぎだ。出鼻を挫き、先頭に立つ集団を混乱させなければ意味が無い。

 爆発によって肉の波に空いた穴は、群れの統率をさほど乱すこともできず、瞬く間に後続のマシラで埋めつくされてしまった。


『ナガセッ! ごめんなさい! ごめんなさい!』

 マリアから悲鳴の様な通信が入る。

 待て貴様。通信機は運転席にあるはずだぞ。ンな所で何をしている!? 眼の前の死より俺が怖いのか!?

「持ち場を離れるな! 煙幕弾を二発投下しろ! いったん分断する――」

 くらり。ふいに襲った眩暈にたたらを踏む。

 急に心臓を鷲掴みにされたように、俺の時間が止まった。

 肺へと空気が吸えない。肺から空気が吐けない。そもそも呼吸はどうしたか。

 俺の頭が真っ白になる。唐突な頭痛が頭蓋を焼く。目の前がちかちかする!


 たまらず身体をくの字に折り、激しく吐血した。

 ぼとぼとと吐いた血が、キャリアの純白のボディを滑っていく。どす黒い血を吐き切ると、身体はようやく呼吸を思い出す。

 興奮しすぎた――ようだ――身体の傷んだところが――激情にすら耐えれなくなっているのだ。


 前もって準備した空圧注射器を取り出し、中の薬剤を注入した。中身は向精神薬。つまり『気休め』だ。

「おっ? どうした」

 そんな言葉が耳朶を打った。

 声のした方を向くと、ロータスのにやけた顔が、サイドミラーに映っていた。そこには心配の情など欠片もない。飢えたハイエナが手負いの獣を品定めする、下卑た優越感で満ちていた。

 彼女は指でサイドミラーを、コツコツと弾いた。


「流れ弾にでもやられたのぉ? フフンざまあないわね……死にたくないでしょう? それにアンタがアタシたちを率いてるんだから、死んだら大変よねぇ……ダイジョーブ……ちゃあんとアジリアじゃなくて、アイリスに連絡入れるからぁ」

 ロータスの手が車内に引っ込む。シェルターに無線を入れるつもりだ。今統率を乱す訳にはいかん! 絶対に! ここで士気が乱れたら、ロータスが逃げ出したら! 機動戦闘車が壊滅する!


 まだくたばってたまるか!

 俺は強い。生贄を食らい、人であることを止めたのだ。今さら何を恐れる事があるのか。死が俺を裁くまで俺は無敵なのだ。


 俺は史上最強の獣、レッド・ドラゴンなのだ!


 腹の底から、どす黒い何かが湧き上ってくる。それは瞬く間に俺の良心と良識を食い散らかし、空になった心に我が物顔で居座った。

 モーゼルを抜いて派手にぶっ放す。割れるサイドミラーに、一瞬だけ引きつったロータスの顔が映った。


「殺すぞ淫売ィ! 誰がそんなこと命令した!」

 自分でも信じられない暴言が口をつく。

「でもアンタ――」

 俺の豹変にロータスが軽く狼狽える。だが俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない。『イエス』か『はい』だけだ。

「言葉も分からねぇのか! 今すぐド頭カチ割ってぶっ殺してやる!」

 威嚇するように運転席の天板を、銃把で叩きまくる。それから中に銃口を捻じ込んでやった。

「ちょ! 分かった分かった作戦ゾッコー作戦ゾッコー! マジにとんないでよこの馬鹿!」

 ロータスが無線機を放り投げたのか車内で物が転がる音がすると、指揮車は機動戦闘車が展開した煙幕を盾にとり、肉の波の前を通過していった。


 現状は良くも悪くもない。突撃したキャリア部隊は斜形陣を組んで群れの中を奔走しているが、予定である盆地の中央地点まで侵入できていない。やっとこさ中央まで三分の二までの距離を走破したところだ。

 北方の群れは依然活発だ。チャーリーが作り上げた死体の山に噛り付き、残りが壁のようになってキャリアの行く手を遮って来る。南側は少し沈静化している。投下した煙幕弾で上手く撹拌できているのだ。マシラは煙の中で踊るか、手短な死体に食らい付いていた。

 そしてアメリカドームの西から異変を嗅ぎ付けて、続々と異形生命体が押し寄せてくる。この西側の群れを、もっと引きつけてから転進する。


「シエラからチャーリーへ! 攻機手榴弾用意! 着弾点の攻撃効果範囲を、半径百メートルに取れ!」

 マップに攻機手榴弾の攻撃点を、今度は一点書きこんだ。場所はアメリカドームポリスのやや東の地点で、キャリア隊が走っている目と鼻の先だ。そこを攻撃することで、北方から押し寄せて来るマシラの出鼻を挫きつつ分断する。そして南方から攻め上がるマシラを、引き留める死体の山を作るのだ。

「アルファに告ぐ。一旦車内に退避! これよりチャーリーより火力支援を受ける!」


 俺の命令に従い、機動戦闘車の銃座からプロテアが降りた。そして荷台の銃座に陣取り、銃撃を再開する。俺自身も銃座から身を引き、キャリアへと引っ込むことにした。

 クソが。この血を見られてアイリスに騒がれでもしたら大変だ。飲料用の水を身体にかけて、雑に血を洗い流す。

 キャリアではパギが、早口言葉を習得するように、アジリアに情報を送りまくっている。ショウジョウの位置、マシラの動向、そしてジンチクがどうしているかなどだ。それに加えて先行する機動戦闘車から、ひっきりなしに火力支援の要請が来るのだ。軽いパニックに陥る一歩手前だった。

 その隣ではアイリスが、淡々と戦況を管理していた。俺は彼女の隣に腰かけた。


「状況は?」

「アルファ並びにシエラは健在。弾薬消費も予定の範囲内です。ですがチャーリーの弾薬消費が著しく、予定よりも使い込んでいます。このままだと逃走時まで持つかどうか……プロテアに火力支援を遠慮させますか?」

「いい。それよりチャーリーに、弾薬を上手く使うよう注意しろ。ショウジョウはどうした?」

「キャリア突入時、チャーリーが狙撃に成功。確認できる十六の個体の内、五体が絶命、四匹は倒れ伏し感知不能となりました。七匹は有効射程範囲外で手出しをしていません」

「狙いは?」

「温度分布がマシラと異なり、内臓配置は把握できませんでした。脚はマシラに囲まれて狙えず。そこで確実な背骨を射抜いたそうです」

「そうか。パギと代われ。次の攻機手榴弾による火力支援の後、転進する」

 俺はそう言ってディスプレイに集中した。

 状況展開図によれば、キャリアはドームポリスの真東に近づきつつある。その少し上にチャーリーが投下する、攻機手榴弾の殺傷範囲が緑円で表示されていた。


 周囲の異形生命体も、徐々にキャリアを目指して集結しつつある。このキャリアを台風の目に、取り囲むように渦巻いているのだ。上手くいっている証拠だ。

 崖の上のチャーリーチームも北上を終えている。今では北東のキャリア隊脱出予定地に位置し、そこで支援を行っているようだ。転進後、アルファとシエラはこのチャーリーと合流し、ポイントCまで走る事になる。

 手首を強く掴まれた。突然の事に驚いて脇を振り向くと、アイリスの泣きそうな顔があった。


「血の……臭いがしますけど……」

「化け物の血は臭くてかなわんな」

「接近されていません。怪我をしましたね」

「化け物がな。アイアンワンドが間違えたんだろう。これだからポンコツは困る」

 俺はそう言って、アイアンワンドが格納されている床を、踵でノックした。

「その瓶。中身は何ですか?」

 アイリスは俺の肘に取りつけられている、空の空圧注射を指した。

「ハイになるお薬だ。俺だけの特権だ。やらんぞ」

「ナガセ……一体――」

 アイリスが俺に詰め寄ろうとする。

 俺に構うな。

 俺なんかどうだっていい。

 自分のことだけ気にしろ。

 自分が生き残れることだけに集中してくれ。

 無言でアイリスの頬を引っ叩いた。そして胸倉を掴むと、今にも食い殺さんばかりに牙を剥いた。


「遠足にきてるんじゃないんだぞ。うだうだ言ってないで持ち場につけ」

 アイリスの顔から表情が消えた。彼女はぶたれたことが信じられない様に、頬に手を当てて震えている。

 そんな顔をしないでくれ。

 そんな顔で俺を見ないでくれ。

 俺が悪いのはわかっている。

 だけど——これ以外のやり方は、とうの昔に忘れちまったんだ!


 これ以上こいつと『俺』にかまけている時間はない。俺は彼女の胸倉を掴んだまま、パギの席まで引っ張っていった。

 その時パギが一際高い声を出した。

「攻機手榴弾! 発射したよ!」

 俺は動きを止めて、ちらとディスプレイを見やった。攻機手榴弾の殺傷範囲内には、結構な数の異形生命体が赤い濃淡で表示されていた。


 爆音がシェルターを貫通して、鼓膜を打った。次の瞬間キャリアが激しく揺れ、砂塵交じりの烈風が吹き付ける。シェルターは風のヤスリにかけられて、甲高い鉄の悲鳴を上げた。

 それが止むと急に辺りは静まり返り、呑気なエンジン音だけが低く響く。

 ディスプレイの状況展開図には、あれほど真っ赤だった殺傷範囲内から色が消えていた。

「パギ。ご苦労だった」

 俺はパギの首根っこを摘まんで椅子に押しやると、アイリスを代わりに座らせてシェルターを後にした。

 銃座に昇り、攻機手榴弾の成果を確認する。


 圧巻だ。

 目の前には相変わらず、マシラの赤い波が広がっていた。しかしそれらは今や、鉄片と爆圧に切り裂かれ、地面に這いつくばって伸びている。

 ほとんど絶命していることが、迸る血量と、散乱した肉片が物語っていた。

 そんな地獄の光景が、半径百メートルの円内に広がっているのだ。


 しかし死体の山の中で、蠢く生き物の影があった。

 ジンチクだ。

 体長一メートルと小柄なジンチクは、計らずともマシラを盾にとり、手榴弾の攻撃から逃れることができたのだろう。

 だが問題ない。連中は脇目もふらず、出来立ての死体にかぶりついている。よしんば追いかけてきた所で、マシラより鈍い連中が追いつけるわけがない。


「転進! ポイントCへと向かうぞ! これから先はシエラが先行する! アルファは後に続け!」

 先行する機動戦闘車が大きく右折。アメリカドームポリスと死体の山に、完全に背を向けた。指揮車はそれを追い越して、キャリア隊の先頭に立ち、縦列隊形をとった。

 後はこいつらを引き連れて逃げるだけだ。

 誘引は簡単だ。先ほど作り上げた死体の山に、異形生命体が集中する。そこからあぶれた異形生命体が俺たちを追う。それを撃退すれば死体になる。それをまた異形生命体が食らう。このサイクルを繰り返すだけでいい。

 追いつかれそうになったら煙幕を焚く。ややMA22の弾数が心もとないが、キャリアだけでも対処可能だろう。


『ナガセェ! 後ろ後ろォ!』

 唐突にデバイスからリリィの悲鳴が上がった。

 大方追ってくる異形生命体に、ビビっているのだろう。

 何気なく背後を振り返り――そして凍り付いた。


 チャーリーに撃ち倒されたショウジョウが、大地に手をついてゆっくりと立ち上がっていやがる。しかもその個体は壊れた人形のように、上半身をぶらぶらとさせていない。背筋をピンと伸ばし、勇ましく屹立しやがった。

 アジリアが背骨を壊して倒したというのにだ!


 まさか魔法やファンタジーじゃないんだ。いかにしぶとい奴らといえど、背骨を砕かれては立つことはできない。

 生命力の問題ではない。構造的に無理なのだ。一体何が――


 ショウジョウに目を凝らすと、身体にはまだら模様の黒点が穿たれている。胸部にはひときわ大きな穴があるのだが、ここから背骨を破壊したのだろう。

 その大穴から、ミミズの様な何かがはみ出している。

 あれは何だ? 内臓ではない。連中の内臓は黒か白だが、あれは気色の悪い赤茶けた色をしている。血の色にしては鮮やかさに欠ける。泥の色にしては光沢が鈍い。あれは――ムカデか……?

 ムカデだ! ムカデが損傷個所に潜り込んでいるのだ!


 おそらくムカデがショウジョウの体内で、破壊された機能を代替しているか、修復しているに違いない。

 ムカデは碌な力も無く、動きも鈍く、異形生命体の中で酷く脆い個体だ。だから俺は歯牙にもかけなかったが、そんな特性を持っていたのか。


 俺が呆気に取られている内に、撃ち倒されたショウジョウがまた一匹、一匹と立ち上がり始める。

 キャリアが突破した方角からは、まるで鎧のようにムカデを纏ったマシラが飛び出してきた。これも機関銃で、脚や内臓を吹き飛ばした個体だ。


 予想外だ。これでは異形生命体の流れが速くなる。上手くさばききれるか。

 俺が考えていると、急に空が暗くなった。

 何事かと見上げると、丸い何かが宙に浮いている。俺の視線は自ずと、立ち上がったショウジョウたちに向いていた。

 連中は投擲後のポーズをとりつつ、次のジンチクを掴んだところだった。

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