第52話 アカシア編 標的は遥か彼方

 模擬戦の翌日。俺はアカシアの部屋の前に来ていた。

 時刻は早朝で、日はまだ昇っていない。ドームポリス内は薄暗く、辺りは静まり返り、肌寒い空気で満ちていた。


 ドアを優しくノックし、しばらく待ってから、再びノックする。

 反応があるまで繰り返していると、ベッドで寝返りでも打ったのか衣擦れの音がして、舌の回らない返事がした。

「デ~ジ~? まだ寝かせてよぉ……昨日何やかんやでさ……遅くなったじゃなぁい……」

 どうやら間違われているようだ。俺はコホンと咳払いすると、ドアに顔を近づけて囁いた。


「出かけるぞ。来い」

 途端にベッドから、アカシアが転げ落ちる音がした。身体にタオルケットが絡まったのか、ドタバタと床の上をのたくる音が続く。やがて布を蹴るように床で跳ねる音の後、ドアが勢いよく開け放たれた。


 アカシアは俺を見ると、冷や汗をびっしりと浮かべながら、しまった敬礼をした。

「サササ……サー! ごめんなさいサー!」

「朝っぱらからやかましいぞ。皆まだ寝ている」

 アカシアの額を軽く指で弾くと、彼女はおでこを抑えて「あうう」と呻いた。

「さっさとこい」

 返事を待たずに倉庫に向かうと、アカシアは軽い悲鳴を上げておずおずとついてきた。

 廊下に二人分の、乾いた足音がこだまする。

 道中アカシアが、俺に聞いてきた。


「あの……その……サンと……デージーは……?」

「シフトは知っているだろ。就寝中だ。どうしてそんな事を聞く?」

 振り向くと、アカシアは顔を真っ青にして、全身を小刻みに震わせていた。

 ああ。このツラは「永遠の眠りについた」と誤解しているな。まぁ昨日殺すつもりだったといったばかりだし、仕方ないか。


「あの……その……ナ……ナガセェ……私勝ったよ……勝ったよ!」

 アカシアが俺の腕にしがみついて、必死になって喚き散らす。勝ったから約束通りに、殺さないでと言うことだろう。

「勝者は一切語るな」

「え……じゃ……じゃあ何が駄目なのぉ!? どうすればいいのぉ!?」

「何も駄目だとはいっていない。でかけるからこいといった。もう少し静かにしろ」


 そんなやり取りをしている内に倉庫についた。そこには出撃準備を済ませた五月雨が、リフトアップされている。

 五月雨の右腰には拳銃が、左腰には甲機手榴弾が装備されている。そして背中のラックには、戦歩ライフルより一回り大きい銃器が担がされていた。

 アカシアは五月雨の背負う武器に目を奪われて、先程の狼狽を忘れ感嘆の息を吐いた。


「何あれ……すごいおっきぃ……」

 その武器は二等辺三角形の銃身を持ち、駐退機(発射の反動を軽減する装置)の内蔵された銃床を供えている。全長は概ね八八式やMA22と同程度であるが、分厚い幅を持っており、巨大な鉄棺のようだった。

「マテリアルバスターだ。まぁ人攻機用の狙撃銃だと思え。くそ……こういうのに限って一丁しかないのだから……高級品だしあるだけで感涙ものだから、贅沢は言わんでおくか……」

 五月雨の股下から操縦席に入ると、外にいるアカシアに向かって手招きをした。

 だがアカシアは警戒しているようで、遠巻きに眺めるだけで近寄ってこない。

 手間かけさせやがって。溜息を吐くと、虚空に呼び掛けた。


「アイアンワンド。アカシアが手間をかけさせる」

『サー。それはいけませんね。レベルは如何ほどに致しましょうか?』

「いぃ!? 今行くよ! ハイきたよ! やめてね! 電撃やめてね!」

 アカシアが俺の所にすっ飛んできたので、膝の上に乗せてベルトでしっかりと固定した。

 アカシアはすっかり萎縮して、俺にされるがままだ。両膝の上で握り拳を固め、肩の間に首を埋めていた。

 俺はアカシアにヘルメットを被せて、いつしかサクラにしたように、顎でその頭を抑えつける。そして駆動準備を済ませると、五月雨を一歩進ませた。


 騒ぎを聞きつけてか、ドームポリスからアジリアとサクラが飛びだしてくる。同様に倉庫脇の医務室から、アイリスが寝ぼけ眼を擦りつつでてきた。

「誰だ乗っているのは!?」

 アジリアが駆動する五月雨を見上げて、悲鳴の様な声を上げる。俺はコクピットを上に押し上げて、五月雨の首の付け根から顔を見せてやった。


「俺だ。しかしアジリア、いつもより早い目覚めだな……どうした?」

「な!? そ! そ……そんなの私の勝手だろうが! それよりアカシアを連れてどこに行くつもりだ!? 昨日の今日だぞ!」

 アジリアはなぜか顔を真っ赤にしながら、怒鳴り返してくる。何を恥ずかしがっているかは知らないが、立ち直ることはできたようだ。

 この調子なら、しばらくはアジリアをリーダーに据えたまま、様子見でいいだろうな。


「一体如何なさったのですか?」

 今度はサクラが声を上げる。彼女は五月雨の正面に回り込み、俺とアカシアを交互に見やった。

「少し出かけてくるので留守を頼んだぞ。サクラは俺が帰るまで訓練の指揮を取れ。だが防衛に関してはアジリアの指揮に従うんだ」

 サクラが表情を曇らせた。

「お出かけの件は承知しました。留守は任せて下さい。ですが僭越ながら言わせて頂けますか? アジリアは先の模擬戦で、私が訓練したアカシアたちに敗北を喫しました。アジリアの指揮手腕が、優良とは言えない証拠です。一度ぜひ私に、任せて頂けないでしょうか?」


 サクラめ、すかさず自分を売り込んできたか。だがサクラは仲間たちの命より、俺の命令を優先するクチだ。そんな奴に集団は任せられない。

「聞こえたんだろ? 二度いわせるな」

 気のない様子でいってやると、サクラはがっくりと項垂れた。

「はい……承知しました」


 サクラが五月雨に道を譲って、倉庫の脇に寄った。

 アジリアは俺に何をいったところで、無視されるのを分かっている。腕を組んでサクラの隣に並んだ。

 すると静かだったアカシアが喚き始めた。

「たっ! 助け! ころ……殺され……殺されちゃうよ!」


 しかしサクラたちの反応は冷たいものだった。

 サクラとアイリスは感情のこもっていないジト目で、じっとアカシアを睨み上げた。それは駄々を捏ねるパギに良く向けるもので、俺を困らせるなと暗に語っていた。

 アジリアもまともに受けとっていないようで、不機嫌そうに軽く鼻を鳴らしただけだった。


 誰からも助け船を得られずに、アカシアは恐怖で凍り付いてしまった。

 余り緊張されては、今日の目的に影響する。だが何をするかはまだ知られたくはない。

 俺はアカシアを軽く揺すった。

「殺すならもっと賢くやる。アジリア。俺が一人でノコノコ戻ってきたら、その時は撃ち殺せ。そんなクソヤロウは死んで当然だ」

 アジリアはフンと鼻を鳴らすと、俺に背を向けてドームポリスに戻っていった。サクラとアイリスは、棘のある目でそれを見送る。そして心配そうに俺へと視線を戻した。


「どこに行くんですか? また何か問題でも?」

 アイリスが堪え切れない不安に、やや甲高い声を上げた。

 アイリスは俺が変わったのは、冬と同じような問題があるからだと思っている。だから海に沈められても文句をいわないし、それどころかより勉学に励むようになった。

 きっと知識に磨きをかけることで、俺が隠している問題を見出そうとしているのだろうな。

 しかしながら、俺が隠しているのは、俺の血にまみれた過去なのだ。感づかれたら困る。


「心配事も問題もない。あるとすれば訓練不足や訓練過剰で、お前らを死なせることぐらいだ。じきに早朝の訓練が始まる。アイリス。もう少し寝た方が良い」

 そっけなくいうと、サクラたちの見送りを受けながら、五月雨を外へと歩ませた。

 塀の櫓で見張りにつくプロテアと軽い口論を交わし、訓練場を通り過ぎる。五月雨は異形生命体の闊歩する、外の世界へと踏み出していった。


 俺は固まったままのアカシアの頭を、顎でノックするように叩いた。

「五月雨のルートを把握しておけ。帰りはお前に操縦してもらう」

 アカシアはごくりと生唾を嚥下すると、視線だけを動かしてモニタに映る情報を確認し始めた。


 五月雨は北西の山脈地帯へと進んでいく。

 なだらかな草原は、次第に禿げた大地となり、小岩が目立つようになってくる。岩は山の裾野に近づくほど粒を大きくしていき、麓に着くころには大小の岩石が入り乱れる岩場となっていた。

 俺は岩場で安定した場所を探し出し、五月雨に片膝をつかせて座らせると、背負ったマテリアルバスターを展開した。

 ラックが大きな鉄の塊を、背後の地面へと突き立てるように降ろす。マテリアルバスターの先端には小さな履帯が付属しており、それが本体を滑らせて脇の下に横たえさせる。五月雨は綺麗に配置された銃を、両手でしっかりと持ち上げた。


 マスターアームオン。マテリアルバスターを選択すると、分厚い砲身外装を、上下に割る亀裂が走った。外装が前方にスライドしていき、覆っていた砲身を剥き出しにする。そして外装自体はスライドした先で上下合体し、新たな砲身となって全長を伸ばした。

 今やマテリアルバスターは、戦歩ライフルの二倍の砲身長を持つ兵器となった。

 これが本来の姿である。

 小高い岩場からは、荒野と森を一望することができる。俺は赤外線センサーが拾う熱源の方角に、マテリアルバスターのカメラを合わせた。コクピットのモニタには、武器から送られてきた映像が、ワイプとして表示された。


 二十匹ほどのマシラの群れが、多少のジンチクと共に惰眠を貪っていた。連中餌を奪い合って、仲間同士で殺し合ったらしい。周辺には鹿と思しき動物と、白黒色のグロテスクな異形生命体の内腑が散らばっている。

 マシラたちは互いに一定の間隔を空けて床に就いている。それが争いを避けるためか、目につくものを殺した結果かは分からなかった。


「見えるか?」

「マ! マシラ……!」

 アカシアが鳥肌を立てて呻く。俺はアカシアの怯えに構わず、彼女の手を操縦桿に押し付けた。

「今日はあれが的だ。撃て」

「ひぇぇえぇぇ!? 無理! 無理無理無理! できないできないできないってぇ!」

「さっさとやれ。まず標的を、モニタのレティクル(照準線)に合わせろ」


 モニタの情報を狙撃モードに切り替えると、マテリアルバスターからの映像が大画面になり、人攻機のカメラ映像がワイプとして四隅に小映しされる。大画面の中央には照準の為の十字が切られており、周囲には風速や標的までの距離、その他の情報がちりばめられた。

 アカシアは震える手で操縦桿を握り、マテリアルバスターの照準を合わせ始める。そのスティック入力に従い、五月雨は構えた銃の微調整を行った。やがてアカシアはいびきをかくマシラに、レティクルの中心を合わせた。

 その距離、約一二〇〇メートル。


「火器管制装置を使わず、全てマニュアルでやるんだ。標的のやや下を狙い、地面の着弾を元に、調整ができるようにしろ」

 アカシアは浅く頷く。そして操縦桿のトリガーを絞った。


 天を裂く轟音と共に、砲弾が発射される。駐退機では殺しきれない反動が五月雨の躯体をどつき、地についた足が土をえぐりながら後退した。銃の機関部からは、ガスと共に白煙が立ち昇り、少しの間を置いて次弾が装填された。


 発射された砲弾は、目標のマシラの少し手前に着弾したようだ。装填してあるのは一〇〇ミリのKE弾(運動エネルギー弾。一般的な戦車砲弾で、タングステンや劣化ウランの弾芯を持ち、それをもって対象を破壊する)で、その威力は凄まじい。地面を捲り上げ、土砂を雨のように降らせた。当然轟音と振動にマシラたちは目を覚まし、鈍い動作ながらも周囲を見渡し始めた。


「い……今外したのは……違うよ……だってナガセが下を狙えって……」

 アカシアがびくびくと言った。俺は彼女の尻が乗る膝を、軽く持ち上げて揺らした。

「言い訳はいい。続けろ」

 アカシアは着弾点から、照準を中心より上に合わせた。そしてトリガーを絞る。今度は標的を通り過ぎ、その背後の地面が土砂を巻き上げた。

 マシラたちは完全に覚醒したのか、着弾点の周囲を走り回ったり、削れた大地を掘り起こしたりし始めた。


「うぇぇ……また……外しちゃった……でもこれ! 的が動くから!」

「集中して続けろ」

 アカシアは深呼吸を繰り返す。やがて彼女は震える四肢を落ち着け、瞳から怯えの色を抜いた。

 そう。その眼だ。

 アカシアがトリガーを絞る。するとついに荒野で、一匹のマシラが爆ぜた。

 マシラの身体は砲弾の直撃を受けて、もんどりうちながら地面を転がっていく。肉体の一部に至っては細切れになり、花火のように打ち上げられた。マシラは断末魔を上げる間もなく、使い古しの雑巾のようになって絶命した。


 アカシアは喜悦の表情を浮かべつつ、その様子を見つめていた。

「えへ……へへへぇ。やった! ぶっ殺してやった!」

 彼女らしからぬ台詞だ。だが今まで散々凌辱されて、仲間まで殺された鬱憤が溜まっているのだろう。先ほどまでの恐縮はどこへやら……アカシアは二射目の許しを求めるように、上目使いで俺を見た。

「弾が切れるまで続けろ」

 アカシアは無邪気に笑った。コツを掴んだのかは知らないが、当てる自信があるのだろう。


「へへぇ……うん。見てろよクソ化け物ぉ……脳ミソぶちまけてやる……」

 この台詞は俺の受け売りだな。俺も口調にも気を付けよう。

 アカシアはやはり光るものを持っていた。次々にマシラを射抜いていく。

 五発目は駆け回るマシラの胴体に大穴を穿った。

 そして七発目。彼女は発射した砲弾が貫通していることに気付いたようだ。マシラを二体重ねて、同時に打ち抜いて見せる。

 結局アカシアは十二発の砲弾をすべて使い、十匹以上のマシラを撃ち殺した。荒野には肉片と死体、それに貪り付く数匹のマシラだけが残った。


 アカシアは弾が切れると、鼻息を荒くしながら聞いてきた。

「弾が無くなっちゃったよ……あの……その……これはどうやって装填するの? まだいるよ。コツは分かったから、全員ぶっ殺せるよ!」

 連れてきて正解だったな。コツを掴んだのなら目的達成だ。後はちょっと痛い目を見てもらうだけだ。

 俺は操縦席の内壁に肘を付き、頬杖をついた。

「弾はそれで全部だ。もうここにはない。お前が外さなければ、三匹多く殺せたんだがな」

「うぁ……ご……ごめんなさい……でももう外さないよ! 弾を取りに帰ってもいい? あいつらみんな殺してやるんだ!」

 アカシアは抑えきれない興奮に、拳を握りながら訴える。俺はそれを嘲笑った。


「随分と威勢がいいな……遠くから狙っているから、自分が安全だと思っているだろ」

 アカシアは一瞬、悄然と肩を落とした。だがそれはただの反射に過ぎない。俺が戒める時の口調だったので、癖で反省して見せたのだ。すぐに腑に落ちない顔になり、小首を傾げた。

「あの……その……生き残るためでしょ……安全ならその方がいいと……思うんだけど」


 俺は過去を思い起こしていた。脳裏にその光景が思い浮かび、あどけない顔をするアカシアに重なった。

 顔が嫌悪に歪む。ふと酒臭い息が俺の鼻に吹きかけられ、幻聴が囁いてきた。

『何だよ……今になって混ぜて欲しいってか? もう弄るとこ残ってねぇぞ?』

 黙れ……黙れ……もうでてくるな……もう一度殺されたいか!?

 こんな顔は見せられん。手の平で覆って、アカシアから隠した。


「昔……な。『化け物』共と戦っていた時の話だ。俺たちは狙撃手を捕獲した。そいつはうんと虐められて、悶え苦しみながら死んだよ」

「ど……どどどど……どうして……」

「狙撃手って奴は……必ず仲間を、一人は殺しているからだ。お前も見つかったら、うんと虐められる。お前が知っている他の誰の死に様より、悲惨な死に方をするだろうな。お前の悲鳴を聞いて、心を痛める仲間は周りにはいない。お前は一人ぼっちだ」


 ジワリと、アカシアの顔に冷や汗が滲んだ。彼女は急に周囲を気にしだす。そして不安を和らげるように、俺の腕をきつく握りしめた。

「どど……ドームポリスに帰ろうよ……早く帰ろう……弾ないんだよね……まだ見つかっていない内に帰ろう!」

 俺は顔に当てた指の隙間から、ちらとアカシアを覗いた。

「好きにしろ。いったよな? 帰りは任せると」

「こ……このままだと……ナガセも虐められちゃうよ……いいの?」

 ほー。この俺を脅すのか。どうやらハッタリだと思っているらしい。

 俺は無言でスロットルを、ミリタリーからオフに移す。そして頭の後ろで手を組んで、静観を決め込むことにした。

 アカシアは最後には俺が折れると踏んでいるようである。膝の上に手を乗せて、じっと俺が動くのを待っていた。


 その時モニタに映るマシラに変化があった。群れ全体が死肉を貪るのをやめて、一斉に顔を上向かせたのだ。連中は風の中に頭を突っ込ませるよう、頭で空気を掻き回しだす。そして一斉にこちらの方を向いた。

「そろそろ気づかれたな……」

 俺のこぼした一言に、アカシアが恐怖で歪んだ顔を上げた。

「何でぇぇぇぇぇぇぇ!?」

「こっちは風上だ。硝煙の匂いを嗅ぎ付けてここを見つける。それに丸見えだしな」

 呑気に言う間にマシラたちは五月雨を目に留めて、即座に突撃してきた。


「ころ!? 殺され!? えええええええええ!? いやだぁぁぁぁぁ!」

 アカシアは慌ててスロットルをミリタリーに入れて、フットペダルを踏み抜こうとした。

 待たんかい。貴重品のマテリアルバスターを、放り出して逃げるつもりか。すかさずアカシアの足とフットペダルの間に、自らの足を差し込んで邪魔をした。

「待て。マテリアルバスターを収納しろ。さもなければ足はどけんぞ」

「あいっ! あっ! あぃぃ! 分かった! 分かったから!」

 アカシアはそうまくし立てて、俺の足に構わずフットペダルを踏もうとストンピングした。

 痛いなクソ。アカシアの頭に、拳骨を振り降ろす。


「分かってねぇな。マテリアルバスターを収納しろ」

 アカシアは不意に襲った痛みに頭を抱え込んだが、すぐにマテリアルバスターを展開と真逆の手順で背部ラックに背負い直した。

 ようし足はどかしてやる。これからイカレゲノムどもと追いかけっこだ。

 マシラの群れは、三百メートル近くまで迫っている。


「ホレ。来たぞ。とっとと逃げろ」

 アカシアは五月雨を立たせると、マシラの群れに背を向けて一目散に駆けだした。訓練を積んだだけはある。不安定な岩場の中、超音波センサーからの情報を元に、安全な場所を駆け抜けている。

 アカシアは目を白黒させながら喚いた。

「ナナナナナナガセェ! どっち!? ドームポリスはどっち!?」

「ここ最近、暖かくなってきたと思わんか?」

 ここでようやくアカシアも、俺が本気だと察したようだ。ロータスに虐められた時の様な、甲高い悲鳴を上げた。

 やる気を出したのはいいが、軽いパニックにあるな。甘いと思いつつも、こっそりとコンソールを弄って、モニタに地図を映し出してやった。


「あっ……何か出た……コレコレコレェ! こここ! こっちだぁあぁ!」

 アカシアはモニタの地図を確認すると、きた道を引き返しだす。何事も無ければ、このままドームポリスに戻れるだろう。だがマシラはジンチクより――つまり人攻機より速い。このままでは追いつかれる。

 マスターアームオン。サブウェポンの拳銃を選択する。五月雨は腰部ラックに取り付けられた拳銃を握りしめた。


「アカシア。機動ログを呼び出して、コンピューターに一任しろ。お前はマシラの迎撃に当たれ」

「はっ!? へっ!?」

 俺はバックカメラを指でさす。そこには徐々に五月雨との距離を詰める、マシラが映っていた。

 その数は四匹。


「追いつかれたら終りだ」

 アカシアは涙目になりながら、コンソールの操作を始める。彼女はこれまでの機動ログを呼び出して、それを逆走するようにコンピューターに命じた。それから肩越しに拳銃を構えて、背後のマシラに銃口を向けた。


「今度はオートで狙いを定めろ。殺せると思うな。『アシ』を潰せ」

 アカシアは俺の助言に従い、先頭を走るマシラの腕に狙いを定めてトリガーを絞った。マシラの腕が爆ぜて、そいつはバランスを崩して地面を転がる。

 アカシアは次に先頭に出たマシラの腕も、同様に撃ちぬいて転ばせた。そして三匹目に狙いを定めるが、そいつは跳躍して五月雨に飛び掛かってきた。


 いかん。これは不味い。俺は自動操縦を解除し、フットペダルを踏み込んだ。

 五月雨がウサギの如く真横に飛び、飛びかかるマシラを何とか躱す。だがほっとしている暇はない。着地地点をめがけて、別のマシラが肉薄してきているのだ。

 俺はアカシアの手ごとスティックを握りこみ、着地した五月雨に突っ込んで来るマシラを撃とうとした。


 俺の照準を待たずに、アカシアがトリガーを絞った。

 しまった! 胆が冷えあがる。

 今ロックオンしているのは、跳躍したマシラだ。着地地点に突っ込んできているマシラではない。このままでは殴り倒される。今のうちに復帰手順を――

 しかし——俺の焦りを余所に、拳銃弾は突っ込んでくるマシラの頭に命中した。マシラの頭部は潰れた蛙のようになり、その場で独楽のように回ってふら付いた。


 アカシアの奴め。俺が回避をした瞬間、自ら攻撃に専念してくれたらしい。それができるように訓練してきたが、アカシアには無理だと思っていた。

 敵に追われてなかったら、頭をくしゃくしゃに撫でて、頬にキスしてやりたいぐらいだ。


「あああああ! ありがとナガセェ! ぇ! ぇ! ぇぇええ!」

 アカシアは俺の驚嘆に気付かぬまま、必死になって残ったマシラに注意を払っている。

 焦った自分が馬鹿らしくなった。

「そろそろ……足を離していいか?」

「待って待ってぇぇぇぇ! 今踏むからぁぁぁぁ!」

 アカシアが再び、俺の足にストンピングをかましてくる。今殴るのは勘弁してやる。


 それから――アカシアは残ったマシラの腕を撃ちぬいて、その機動力を削ぐことに成功する。そして草原を闊歩する異形生命体を避けながら、ドームポリスへと帰り着いた。


 時刻は昼過ぎで、見張りのシフトがプロテアたちから、サクラたちに変わっている。サクラ、サン、デージーの三人組だ。

 サンとデージーは怯え切っており、俺から視線を外してそっぽを向いた。サクラだけが笑顔で手を振って、迎え入れてくれた。


 五月雨はドームポリスを囲う塀を過ぎて、中庭へと入っていく。

 そこで俺はアカシアの頭をくしゃりと撫でた。

「良くやった。もう大丈夫だ」

「へ……へへぇ……へ……うぇぇぇ……」

 アカシアはそれまで身を固くして操縦桿を握っていたが、不意に脱力して俺に寄り掛かってきた。安心したら気が抜けたのだろう。そのまま笑いとも泣きとも取れない、奇妙な呻き声をあげだした。

 駐機は俺がやってやるか。

 アカシアに変わって五月雨を倉庫へと歩ませる道中、俺は彼女に聞いた。


「お前に任せたい仕事がある。遠くから味方を見守り、敵を撃つ仕事だ。お前は一人で動くことになり、自力で全ての困難を解決しなければならない。それに下手に外せば、味方の恨みを買う可能性もある。どうする?」

 アカシアは自分で自分を抱きしめて、喉からこぼれ出る奇妙な泣き笑いを抑え込む。そして小さな声だが、はっきりとした口調で言った。

「あの……その……やるよ」

 随分とあっさりしているな。安請け合いは困る。

「別に断っても何もしない。だが引き受けたら責任を取ってもらうぞ。それでもか?」

 アカシアは考え込むように、しばらく黙り込む。やがて彼女は涙で濡れた目を俺に向けた。


「ナガセは……どうして私に頼んだの……?」

「お前にできると思ったからだ。同じことを他の奴らにもいえる。それにやらなかったからと言って、裏でコソコソお前を貶めるようなこともしない。俺の命を懸けてそれは約束する。だから無理をせず正直にいえ」

 五月雨が倉庫の駐機所に辿り着く。俺は五月雨に降着姿勢を取らせて、背部ラックのマテリアルバスターを降ろした。そしてじっとアカシアの返事を待つ。彼女は胸元に顎を埋めて、真剣に考えこんでいるようだった。

 やがてアカシアは俺の手首を握りしめつつ、先程よりも強い調子で言った。

「うん……やっぱりやるよ……ううんやらせて。私が責任をもってちゃんとする……」

「そうか……約束しろ。無理だと思ったらすぐに言え。潰れる前にな」


 俺はアカシアのベルトを外すと、彼女に降りるように指示した。

 外に出ると、駐機所の懸架装置に格納したマテリアルバスターを軽く叩く。

「これはお前専用だ。整備と点検の仕方を教える」

 アカシアは浅く頷くと、ポケットからメモ帳を取りだした。

 熱心なのは感心だ。キスはしてやれんが、ご褒美をやるか。

 アカシアにアルミでできた板を投げて渡した。彼女は突然の事で驚き、空中で何度かお手玉をした後、それを握りしめた。


「何これぇ?」

 板は手のひらに収まるほどで、スライドするツマミがついている。アカシアがツマミを押すと、中からガムが一枚出て来た。全部で十枚入り。ハッカのフレーバー。一応高級品だ。

「狙撃中はそれを噛め。落ち着く。まぁ食いながら聞いてくれ」

 アカシアはぱくりとガムを口にする。そして黙々と口を動かしつつ、俺の教義に耳を傾け始めた。



 次の日の昼。

「アカシア! 何へばってやがる! とっとと走れェ!」

 ハイポートの途中で倒れた私に、ナガセの怒号が飛んだ。


 心臓がバクバクいってる。手足はだるくて、全身の毛穴が蛇口になったかのように汗を噴いている。私はまるで泥になったように、地面に突っ伏していた。

 酷く疲れた。もう動けない。このままだと、海に放り込まれる。だけど私の心の片隅で、何かがそれでもいいやと囁いた。


 海まではナガセが運んでくれるし、引き上げてもくれる。もうすでに苦しいじゃないか。ちょっとぐらい苦しみが増えたっていいじゃないか。

 おんなじだ。内心ヘラリと笑うと、地面と一体化するように身体を投げ出そうとした。


 この調子だと、またパギに馬鹿にされるなぁ。でもプロテアとローズが慰めてくれるし、サンとデージーは愚痴を聞いてくれる。そして新しい役目も――罷免されてしまうだろう。


 あれ……? でもそれでいいの? せっかくナガセが私なんかにもできるだろうって、新しい仕事をくれたのに。

 私の心で、静かな炎が灯る。

 模擬戦をして、ナガセと出かけて、痛感したことがある。

 頼ってばかりじゃ、生きていけないんだ。

 守られるだけだと、幸せにはなれないんだ。

 そして時には一人で、戦わなければならない時があるんだ。


 そうじゃないと、自分なんて主張できないんだ。


 このままだと私が任されたもの、私が自分で受けたもの、私ができるといったもの、それが取られちゃう。私が嘘になっちゃう。私が私じゃなくなっちゃう!

 私は……信じて任されたんだ。私は……責任をもって受けたんだ。私は……私ならできるといったんだ!


 私は私でありたい。私は私を守れるように、良く在らなきゃ!

 足音が私に近づいて来る。ナガセだ。余りに私がとろいから、お仕置きに来たんだろう。


 すぐにプロテアが猟銃を放り出して、私とナガセの間に割って入った。彼女はナガセに勝てなくても、一戦を交える事で時間を稼ごうとしたらしい。

 それがとても腹立たしい。

 それがとても情けない。

 私にだって……自分の面倒ぐらいは見れる!


 荒い呼吸の合間を縫って、何とか大声を張り上げた。

「やめてよ! 人の問題に入ってこないで!」

 プロテアは瞠目して私を振り返る。ナガセはそんな彼女を押し退けて、私の方に歩んできた。

 早くしないと。ナガセが来ちゃう。私は軽くせき込みながらも、息を整えようと浅く呼吸を繰り返す。そして猟銃を支えに立ち上がり、目の前に迫ったナガセを睨み返した。

「ナガセ……『僕』に触らないで! お願い! すぐに立つから! すぐに走るから!」

 ナガセは腰に手を当てて、僕の様子を窺っている。僕はすぐに猟銃を抱えると、ハイポートを再開した。

 頭がくらくらする。脚がもつれて思うように進めない。それでも……自分を捨てたくない!

「やったぁ!」

 僕はハイポートをやり遂げた。もう身体は限界だ。ゴールについた瞬間全ての力が抜けて、前のりに地面に倒れ込む。猟銃は手から投げ出され、僕の顔は地面に向かって落ちていった。

 ふと身体が浮いたような、錯覚を覚えた。誰かが腰を抱えて、地面にぶつからないように支えてくれたのだ。

 その人はそのまま僕を抱きかかえて、ドームポリスの影へと運んでいく。僕はもう力が出ず、頭を動かしてその人を見る事はできなかった。

 だけどポツリと聞こえたその言葉だけで十分だった。

「よくやった」


 今までの自分が感じたことの無い心地。だけどこれが自分なのだ。僕はこの感情を、心に留め置くのはもったいない無いと思った。だから息切れで苦しい中、無理に叫んだ。


「ナガセ! 僕は強くなったよ!」

 見下されるようなモヤモヤも、守られているような窮屈な感じもしない。

 全部僕がやるんだ。自分で決めて、自分でやって、自分で責任を取るんだ。苦しかったり、悲しかったりすることもあるけど、それが自分を出した結果だもの。それが僕だもの。僕の精一杯だもの。

 やったよ! 僕は胸を張れる! 僕は僕として生きれる! 僕は一人前なんだ!


 すっごい幸せ!

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