第51話

 これは夢だろうか?

 現だろうか?

 私には判別できない。

 それどころか、私は私が誰かすら分からない。

 もちろんここが何処かも、そして何時かも。


 どこかのコンピュータールーム。とにかく私はそこに居た。

 そして周囲を取り巻く女たちにこう言った。


「我々が二十三名。残ったポッドは七つ。七名だ。七名選べ」


 一人が手を上げる。

「一人。白人。だけど。差別。嫌悪。しない。むしろ。それを。差別。嫌悪。してる」

「ああ。条件はクリアだ。連絡をつけろ」


 別の一人が手を上げる。

「俺も一人見つけた。黒人だけどいいよな?」

「人種は考慮しない。あえてするならば全て満遍なくだ」

 そんなやり取りが続く。


「一人見つけた。黄色人種なんデスケド……いいかしら?」

「さっきも言ったはずだ。白人至上主義をユートピアで掲げるつもりはない」

「はいはいはい! 一人いい!? あ! でも彼、領土亡き国家なんだ……」

「もちろんだとも。我々の中にも領土亡き国家出身はいる。だが他と同じように、身辺を洗わせてもらうぞ」


 私の隣に並んでいた女が急に手を挙げた。

 黄色い肌をした、黒いミドルヘアの、足の指で仕事をする女。

 あれ? こいつは……いけ好かない女だ。いや違う。親友だった気が……分からない。分からない。分からない。

 ズクリと脳の奥で、異物が動くような痛みを感じた。

 頭が痛い。


 女は私に構わず続ける。

「いるわよ! 絶対彼しかいないわ! 日本人だけど、決して贔屓していないわよ!」

「ユウ。前に言っていた、指輪を報酬にやった奴か? あの護衛の?」

 私も自分の痛み、そして動揺に構わず続ける。まるでステージで、劇を演じている様な感覚だった。

「そう。分かっているのは作戦時のコールサインだけ。スネーク4。スネーク4よ!」


 スネーク4? 奴はスネークヘッドだったから、奴の部下か? それは……危ない? 危ない。どうして。そう思う根拠は? 私はそいつを知らないはずだ。


 頭が痛い。頭が痛い。


「そいつは……666? 666だ。う? うう? そうだ。奴の部下だ……聞いてみる」


 奴に合おう。踵を返すと、まるで暗転したかのように、周囲の風景ががらりと変わった。

 そこもどこかは分からない。寂れ荒れ果てた、ドームポリスのような場所だ。私の目の前には一人の女がいて、安物の煙草をふかしていた。


 不思議な奴だ。白い肌と髪に、真っ赤な瞳が栄えている。生まれ持つ白に反して、彼女は黒を夫のように好んだ。

 彼女が666だ。


「リリス。お前の部下にスネーク4と言うコールサインを持った奴がいただろ? ユウを救出した時の作戦だ。そいつはどんな奴だ?」

 私の問いに、女は意外そうに眼を見開く。だがすぐに微笑を浮かべて、煙草の煙を吐いた。

「スケープゴート……? フフ。お目が高いな。そいつはスケープゴートだ。だが奴は生贄にならず、生贄を食らった。今では我等より、遥かな化け物だ」

 何を言っているか分からない。そうだ。もっと革新的な質問があった。

「リリス。そいつはこの地獄から、逃れる資格があるか?」

 女は軽く俯いた。そして今咥える煙草を、最後まで楽しむ。彼女は吸い殻を指で弾くと、だるそうに口を開いた。


「私は……な。だが奴は国際連合を、裏切らないだろう」

 決まりだ。

「分かった。精液だけ預かる」

 私はその場を去ろうとする。すかさず、女は私を呼び止めた。

「私に任せろ。なァに。今まで幾度となく、奴をハメて来た」


 私は今一度女を振り返った。すると人数が増えている。酒臭い男。猜疑心に目を細めた男。そして衣装用の布を纏わない女。それら三人が、いつの間にか女を取り巻いていた。

 当の女はと言うと、二本目の煙草を咥えて、その先端を火で炙っていた。

「それに例のブツは欲しいだろう? あれでさらに助けられる数が増えるぞ。上手い事やるさ」

「確かに……な」


 それはどういう意味か分からない。私は話についていけない。しかし透明な台本が、私に役に徹する事を強要してくる。


 頭が……頭が痛い!


 私が三度踵を返すと、またもや世界が様変わりした。

 今度はどこかの監視室の様だ。壁はモニタで埋めつくされており、手元にはそれらを操作するコンソールがあった。モニタは全て沈黙しており、画面の暗闇を映りの悪い鏡にしている。

 私は何をすべきかは知っていた。震える指先で、コンソールを操作する。だが私は、何をしているかは分からなかった。


「約束が……約束が違うぞ……リリス……リリス……何所だ? 何所にいる?」

 私の指があるスイッチを入れると、部屋中のモニタが一斉に点灯する。

 映し出された部屋は密室らしく、薄暗く、足元の非常灯の光が、うっすらと室内を照らしていた。

 その中で一組の男女が、銃口を向け合っていた。女はリリスだ。男の方は初めて見る。だが好ましい人物ではなさそうだ。彼は口元に狂った笑みを貼り付けて、眼を狂気で血走らせていた。彼は酷く怒っていた。そして何かを否定していた。狂信者の呪詛のように、早口で何かをまくし立てている。しかし送られてくる情報は、映像だけだ。何を言ってるか分からない。


 私はモニタに食い入るように見入った。

「リリス……? リリス? そこで何をしている。お前達が二十三人目だ。何故そんなところにいる? 早く殺せ。殺してこっちにくるんだ!」

 リリスは笑っている。私は彼女が、あそこまで柔らかく笑えるとは知らなかった。

 リリスは泣いてもいた。私は彼女の涙腺は塞がっているものと思っていた。リリスは観念したように、銃を投げ捨てる。そして懐から安物の煙草を取り出して火をつけた。

 彼女が一服して煙を吐くと、男の銃が火を噴いた。リリスは血を吹いて、地面に崩れ落ちる。それでも奴は止まらない。雄叫びを上げて、ナイフを抜いた。皆殺しにするつもりだ。

「やめろォォォ!」

 絶叫する。同時に全てのモニタから映像が途切れ、辺りが暗闇に包まれた。


 私から遠く離れたところで光が灯されて、二人の人間を暗闇から引き揚げた。二人ともライフスキンを纏った人間で、それぞれ男と女だ。彼らは光を引き連れて、私の方に歩いてきた。


 女はユウだった。彼女は頬を軽く染めながら、連れてきた男にしな垂れかかる。

「彼よ。彼しかいないわ」

 男は無機質な視線で、私のことを見つめて来た。

「サクラ。誰がここのナンバーワンだ?」

 その男は七つの頭を持ち、赤色の体皮をしていて、背中には大きな翼が――


「あッー!」

 私はタオルケットを跳ね除けて、飛び起きた。そのまま恐怖を振り払うように、手をしゃにむに振り回す。しばらくすると恐怖は薄れていき、激しい動機と身体を濡らす汗、そして混乱だけが残った。

 酷い悪夢を見た気がする。だが今では何も思い出せない。私は荒い息を付きながら、額をしたたる汗を拭った。

 ずきりと、両の頬が痛んだ。昨晩ナガセに打たれたところだ。そこでようやく私は思い到った。


「酷い負け方を……したせいだ……な……」

 落ち着いたところで、股間に違和感を覚える。私は腰にかかったタオルケットを持ち上げて中を覗いた。案の定そこから異臭が漂っており、悲惨な光景が広がっていた。

 日頃偉そうにしているのに――なんてザマだ。同じことでパギを叱ったばかりだぞ……クソッタレが。流石にこれは恥ずかしすぎる。


「皆が起きてくる前に、始末してしまうか……」

 タオルケットでベッドの湿気を拭いとる。

 被害の方はというと——着衣はライフスキンなので問題ない。ベッド自体は撥水性が高いので、こちらも大した事はない。だがマットとシーツが大変なことになっている。これは後日こっそり洗うとして、今はシャワーを浴び、代わりを持ってこないといけない。


 私はゴミをまとめるビニルを取り出して、汚れたマットとシーツ、そしてタオルケットを入れた。それからライフスキンの汚れを落とすため、まずシャワー室に向かった。

 消灯し暗くなった廊下を、手探りでひたひたと歩く。シャワー室は、中央コントロール室を挟んで、私の部屋の向かいにある。近道をしていた私は、必然的に中央コントロール室の傍を通り過ぎた。


『マム・アジリア。如何なさいました?』

 アイアンワンドに声をかけられた。

 ぎくりと肩を強張らせる。アイアンワンドの知る事は、ナガセの知ることである。負けた上に、プライドを捨てて懇願、その上寝小便まで見られたら、たまったものではない。死ぬしかないぞ。

 近場のカメラを見上げると、やはり駆動中の青いランプを灯らせていた。クソブリキが……。


「しばらく……目と耳を閉じろ……私は恥ずかしいなりをしている」

『サーは見ておりません。サーに覗きの趣味はなく、必要最低限の時にのみ、私との映像共有を行います。サーはこの状況を意図しておらず、不必要に分類されますわ。また私に報告の義務もないので、ご安心を』

「一時的に記録には残るだろ。やめろ」

 クスリと、アイアンワンドが笑った。コノヤロウ。機械の分際で。


『マム。イエスマム。では水の使用について、調整をつけておきます。物資に関しては、そちらで誤魔化して下さいまし。私は二十分後に復旧しますので、悪しからず。そして目と耳を閉じるのは、近くの区画のみとさせて頂きます』

 アイアンワンドがそう言うと、カメラのランプが途絶えた。私は虚しい息を吐くと、シャワー室への歩みを早めようとした。


 ずきりと、頭が痛んだ。私の頭の奥に、何か引っかかっているような感じがする。それは釣り針のように私の深層心理を引っ掛け、暗い意識の底からある衝動を引き上げた。

 自ずと足は方向転換し、中央コントロール室へと入っていった。

 コントロール室中央に座す、柱の形をしたマザーコンピューターの前に立つ。そして頭の少し上の高さにある、鉄板を軽くノックした。

 音が反響している……中に空洞がある……何で私は知っているんだろう。

 鉄板に爪を引っ掛けると下にスライドして落ち、隠れていた金庫を露わにした。


 激しく脈打つ心臓に急かされて、金庫を丹念に調べる。

 酷くアナログな金庫で、シリンダー錠で封がされている。どうやらマザーコンピューターと連結しておらず、独立したもののようだ。配線やハードウェアの隙間に、埋もれるようにして配置されていた。


 私の指は、自然に動いた。シリンダーを『17459』に合わせると、ロックが外れてあっけなく金庫の口が開いた。

 封印されていたのは、一本の金属の筒だった。手に取ってみると、ラベルが貼られている。


『遺伝子補正プログラム――管理責任者 コード17459 コニー・プレスコット 2XXX年×月○日』


 なんだこれは……何でこんなものが存在する……これはあってはならない……とてもおぞましいものだ。

 爪でラベルを引っ掻いて、筒からこそげ落とす。爪が軽く剥がれ、血と共に刺すような痛みが走ったが、全く気にならない。それよりこの刻印をこの世から抹消する事が、何より大事だ!

 この筒には見覚えがある。それどころか、中の構造すら透けて見えるようである。

 私はしばらく不思議な感覚に酔った。


「例の……ブツ? いや……あれは化け物に取り返された……じゃあこれは……うっ……」

 痛い……痛い……頭が痛い!

『十分の経過をお知らせします』

 アイアンワンドが、アナウンスを流した。

 我に返って慌てて金庫を閉じると、鉄板で蓋をし直した。そしてシャワーを浴びるのも忘れて、自分の部屋へと逃げ帰った。


 自室のドアに背中で封をして、しばらく呆然としていた。

 一体何をしていたのだろうか。シャワーを浴びに行ったのに、金庫を掘り当てて、中の物を持ち出している。そのどれにも論理的な説明をつけることが出来ない。ただ私の手の中には、大事だと思われる鉄の筒があった。


 どうする? ナガセに見せるか? それともサクラたちに聞こうか? アイアンワンドに照合させるか? この筒が何か判然としない今、どれも現実的ではない。

 あんな大層に隠してあったのだ。これは重要な切り札かも知れない。これが何か分かるまで、秘匿するのが吉だろう。


 私は独りで戦っているのだ。


 とりあえずパイプベッドの脚の中に、筒を隠しておくか。

 今日はもう何もする気になれない。早朝にシャワーへ行けばいいか。最悪ばれて笑われてもいいさ。もうすでに笑いものだからな。異臭を纏ったまま、ベッドの上に横たわった。


 明日からまた一日が始まる。彼女たちは、また化け物への一歩を踏み出すだろう。気分が酷く憂鬱になる。

 私の権威は失墜したに等しい。あの化け物はもうすぐ死ぬらしいが、だからどうしたというのだ? サクラやアイリス、ひょっとしたらアカシアたちも、あいつの亡霊を拝み続けるに違いない。それを含めて、私はあいつに勝たねばならないのだ。


 私はあいつを否定できるほど、強くならなければならない。

 私たちは何が良いかを知って、それを実現できるほど強くならねばならない。そうしなければ生き残れないのも、重々承知である。だがどうも知ることが好ましく思えない。

「待て……よ……?」

 知ることは本当に良い事なのだろうか?

 世界には危険を冒してまで、手にすべきものが存在するのだろうか?

 このまま何も知らないで、ドームポリスに籠っていた方が幸せになれるのではないか?


 となると他の彼女たちも、同様に恐れているのではないだろうか? 

 そしてナガセは外から来たから好ましくないのではないか?

 今は分からない。あいつが怖いのか。それとも外の世界が怖いのか。

 とにかく怖い……怖いのだ。

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