第50話

 訓練の後始末を終えると、食堂に見張りを除く全員を集合させて、デブリーフィングを始めた。

 内容は普段の訓練後にするものと変わりない。結果を精査し、反省点を上げ、それを補う訓練を提示する。あとは目を見張る行動を褒めて、それを伸ばすようにアドバイスするだけだ。

 このデブリーフィングは、俺の執政を変えようとしたアジリアたちには、耐え難い屈辱となるだろう。お前たちの決起は、俺にとっては日常の範疇に過ぎないと、暗に言ったようなものだからな。


 しかしあまり傷つけて、自信をへし折っては元も子もない。アカシアたちが調子に乗って、アジリアたちに因縁を吹っかけても困るからな。本来なら訓練中の行動の意図や推測を聴き質し、判断基準と状況認識を洗う作業が残っているんだが……次の機会にするか。

 俺はデブリーフィングを手早く切り上げ、勝者と敗者、それぞれに釘を刺すことにした。


「アカシアチームに訓示だ。勝者は一切語るな。勝ったらそれが全てだ。結果を受け入れて終れ。敗者に何も言うことを許さん。アジリアチームに訓示だ。敗者は多くを語るな。負けた理由は大いに反省しろ。だが勝者への言い訳は程々にしておけ。惨めになるだけだぞ。明日から通常の訓練を再開する。今日はゆっくり休め。以上」

『は~い!』

 元気良く返事をしたのは、アカシアチームの面々だった。


 プロテアはそれを見て、不貞腐れたように椅子の背もたれに腕を垂らしている。助ける為に立ったが、その相手が勝手に自立し、敗北だけが残ったのだ。納得いかないのは仕方がない。

「何か……いや……何してたんだろな……俺たち……訳分かんねぇ」


 プロテアは額に手を当てる。ローズも不満そうに、唇を尖らせていた。

「さぁね……ナガセの言う通り惨めだから、もう止めて欲しいんデスケド……ネェ……?」

 ローズは腕を組むと、隣に座るアジリアに流し目を送った。それに釣られて、プロテアもアジリアを凝視する。そこには少なからず、批判の色が窺えた。


 食堂中の女たちも二人に倣って、一様にアジリアを睨み始めた。

 アカシアたち勝者は殺されそうになった怨嗟を、アイリスたち第三者は日常を乱された不快感を、それぞれ視線に込めていた。

 アジリアは何も言い返そうとはしない。ただ流石の彼女も全身を刺し貫く視線と、場を支配しつつある疎外感に、耐え切れなかったようだ。膝の上に手を乗せて、視線を俯かせていた。


 俺は机を叩いて皆の注目を集めた。

「プロテア。ローズ。そんな目でアジリアを見るな。お前らが信じたんだぞ。自分の見る目を卑下するなら、他にも方法があるだろう?」

 プロテアとローズは恥じ入り、アジリアから視線をそらす。アイリスたちもそれに倣った。だがアカシアたちはなおも、アジリアを攻めるのを止めなかった。

 アカシアたちはアジリアに殺されかけたと思っているから仕方ないことだが、いくら馬鹿でもそろそろ気付いてほしいものだ。

 俺はアカシアの名を呼んで、こちらを振り向かせた。


「お前らはもっと感謝するんだな。少なくとも足手まといが、『俺に』殺される心配はなくなった訳だ。明日からも『飯を食わせてやる』」

 アカシアたちは俺の言葉に、双眸をかっと見開く。彼女らは新しく入ってきた情報を上手く処理できないらしく、しばらく真顔のままでいた。やがて俺に真意を聴こうと各々がアクションを起こすが、胸中を上手く表現することが出来ないようだ。口は空気を噛んで開閉するだけで、ジェスチャーを作ろうとした腕は胸の前でふらふらするだけだった。


 プロテアとローズはその様子を見て、俺に一杯食わされたとようやく分かったようだ。説明を求めるよう見つめてきたが、当然それは無視だ。

 勝ったのは俺だ。


「約束は守れ」

 食堂にいる全員を見渡して、指を突きつける。そして自室へと向かった。

 食堂から食卓を殴る音が聞こえた。かなりの力で殴りつけたらしく、鉄製の卓がひしゃげる音がした。

 プロテアが怒り任せにぶん殴ったのだろうな。

 にわかに喧騒が巻き起こり、それが止むとすすり泣く声が聞こえた。

 これはローズだな。


 そうだ。そうなのだ。全部、俺のせいなのだ。

 俺が……悪いんだ。


 自室に逃げ込むと、寂しさを紛らわすため仕事を始めた。

 するべき仕事はたくさんある。模擬戦のせいで乱れたシフトを正しつつ、無駄に使用したバッテリーの帳尻合わせだ。それと模擬戦の映像も、分析しなければならない。


 没頭した。


 どれくらい時間が経っただろうか。ドアが弱々しくノックされた。俺は机から顔を上げて、ドアを見つめる。

 誰だかは見当がついている。拳銃を持たせているので、一応警戒しておくか。ホルスターの留め金を外し、モーゼルをいつでも抜けるようにした。


「どうぞ」

 ドアが遠慮がちにスライドして、アジリアが入ってきた。がっくりと両の肩を落とし、顎を胸につけて視線を地面に這わせている。

 今日の敗北が、かなりきいているようだ。正義も、自信も、知恵も、全て俺に通用しなかったのだ。無理もないか。

 俺は彼女が何か話すのを待っていた。だがアジリアはいつもと違い、置物のように黙して語らない。仕方なく俺から口を開いた。


「あの規模の訓練では、三十分が決着までの相場だ。その半分の時間で圧勝。さらに三分の一で完勝と言ったところか……『出来る者』ね……俺を笑い死にさせる気か?」

 アジリアは顔を上げて、疲れ切った表情を俺に見せた。

「勝者は一切語らないんじゃないのか……?」

「『俺は』まだ勝っていない……ここからだ」

 手元の資料を脇に放ると、机の上に膝を乗せて手を組んだ。


「俺の勝ちだ、アジリア。約束を守れ」

 アジリアは再び俯く。そして震える声で聴いてきた。

「一体……何をした……どんな手を使った……?」

「何もしちゃいない。気になるなら改めてくれ。ほら。机の下に何も隠していないだろう?」

 俺はそう言って、机の下を手でさする。アジリアは俺の挑発に怒る気力すらないようで、ヘラリと軽く笑った。

 そして何を思ったか、彼女は床に膝を折って懇願を始めた。


「頼む。アカシアたちへの訓練を止めてくれ。彼女たちはもう変わってしまった。だがこれ以上変えないでくれ。私ではお前に勝てない。そして私が足掻けば足掻くほど、状況は悪化する。だから頼む。代わりに私が何でもする。だから頼む」

 俺は表情には出さないが、面食らった。おおよそ彼女が取るとは思えない行動だった。一体何の真似だ? 新しく何かを仕掛けるつもりか。

 ひとまず様子を見るため、突き放すことにした。


「チップをかけて、サイを投げ、結果が出た。もう取り消しは出来んぞ。掛け金を払え」

「私の負けだ。私はお前より弱い。私はお前より劣っている。だからお前に全面的に従う。アカシアたちの分も働くし、それだけの技量を身に着ける。だから頼む」

 アジリアは駄々を捏ねだす。どうやら本気でいっているようだ。

 おそらく女たちが暴力的に成長しないために、自分を捨てようとしているのだろうが、そんな事をしても何の解決にもならない。

 それにアジリアの無様な姿に、次第に腹が立ってきた。


 お前は新しいリーダーになる。そのお前がそんなザマでどうする。お前だけが頼りなんだぞ。

 俺は椅子を蹴って立ち上がり、アジリアの目の前に迫った。

「約束を守らん奴の約束に、どれほどの価値がある? 掛け金を払え! 明日からも訓練は続ける! 覚悟しておくことだな!」

「負けたのは私だ! 私を――私を好きにしろ! チョーカーをずっとつける! 約束事をリストして、アイアンワンドに監視させればいい! だから――」


 舐めてんじゃねぇぞこの野郎!

 俺はアジリアの頬を、思いっきり平手打ちした。

 アジリアは床に倒れ込む。そして打たれた頬に手を当てて蹲った。

 俺は「立て」と怒鳴りつつ、彼女の胸倉を掴んで乱暴に立たせた。


「寝ぼけてんのかテメェはよ。負けたのは貴様だが、賭けたのは全員だ。貴様の出した泥船に、全員が乗ったんだよ! 相手が俺で良かったな! マシラだったら皆殺しだぞ! 貴様は性根の腐った女だ。掛け金に自分の心臓ではなく、仲間の肉を使ったのだからな! その結果がこれだということを忘れるな!」


 アジリアの瞳から、涙が零れる。彼女は縋るように、腕を掴んできた。

「私が軽率だった。お前に逆らうことが間違っていた。お前は厳しいが、正しい事をしている。だがお前の崇高な思想に、誰もが付いて行ける訳ではないのだ。アカシアたちに、お前は気高すぎるのだ。だから――」

 ついに媚びを売りだしたぞ。心にもないことをいいやがって。

 お前は俺が間違っていると信じているからこそ、今そうやってプライドを捨てているだろうが。

 アジリアの腕を振り払った。


「奴隷ごっこは一人でやれ。訓練を続けるし、進むのは止めない。それとお前に一つだけ教えてやる。お前の思想は根本的に間違っている」

「それは違う……それは違うぞォ! 我々には生まれ持った天性がある! 得手不得手があり、それに合った在り方があるのだ! 殺しなんてものは! 誰もが手を染めるものではない! そんな凄まじい行為の責任は! 誰もが取れる訳ではないのだ! だから! だから! 少なくともそれを果たせる我々が、その責任を取ろうと言うのだ!」

 俺は鼻で笑った。こういう理論は聞き飽きた。


「それは違うなアジリア。自らの属する責任を果たせば、他の責任は果たさなくていいのか? 自らが属するところが上手くいけば、他は見捨ててもいいのか? そして責任を取れるものがいなければ、その責任は無視していいのか!? それは本当に良い事なのか? 適性があればローズとロータスに銃を持たせてもいいのか!? なければサンとデージーから銃を取り上げていいのか!?」

 アジリアがウっと声を詰まらせて怯んだ。

 構わずに続ける。


「お前がやろうとしていることは、人間をパーツにして機械を作るのとまったく同じだ! それでみんなが幸せになれると思うか!? 歯車になって自分をすり減らすだけに決まってるだろうが! 人間が自分の殻に閉じこもったままで、手を取り合って生きていけるわけないだろ!」

「ではどうすればいいのだ!」

 アジリアは泣き叫ぶ。マジに起きたまま寝てんのか!?

 さっきとは逆の頬を引っ叩いた。アジリアの上半身が大きく振れる。だが俺は掴んだ腕を頑として離さなさず、俺の顔の前に引き留めた。


「だからこそ『己』が良く在ろうとするんだ! 血反吐はいて、傷つきながらも、一歩一歩自分で進めるようにな! 悪いものを遠ざけて隠したってそれは消えないんだよ! 遠ざけてくれる人は何時までも居てくれないんだよ! 誰だって独りで戦わねばならない時があるんだよ! だから人はな、自分の眼で物事の良し悪しを学び、己の良心と良識を育み、それに従えるほど強靭にならねばならないんだよ! 分かるか!? それが人なんだ!」


 俺の腕の中で、アジリアがぐったりとする。どうやら駄々を捏ねる気力すら失くしたようだ。

 アジリアから突き飛ばすようにして手を離すと、彼女は立つこともままならないようだった。床に倒れ伏して、そのまま肩を震わせて、嗚咽をあげはじめた。


「それが……人なんだ」

 俺は一息をついて上がった息を整えると、席に戻って仕事を再開した。

 依然アジリアは床に寝そべったまま泣き続けている。

 ……だらしのない女だ。

「何時まで女々しく居座ってやがる。俺の部屋が陰気臭くなる前にとっとと失せろ」

 アジリアは目頭を押さえながら、ふらりと立ち上がった。そして部屋を出る直前、一度俺を振り返った。

 アジリアは固まった。

「お前……っ」


 俺はアジリアの目線に従い、何気なく鼻の下を拭った。指先に赤黒い血が付く。興奮して気付かなかったが、鼻血を噴いていたようだ。

 乱暴に手の甲で拭って、ピルケースから錠剤をいくつか飲み込んだ。

「紫外線で俺の遺伝子はズタボロだ。メディカルチェックによる修復を、半年以上していない。免疫不全だ。何をいってるか分からんと思うが、簡単に言えば俺は近い内にくたばる」

 俺は手に持ったペンで、アジリアをひたと指した。


「その時はお前に殺される。俺は獣のように狂い猛り、お前たちに牙を剥く。それをお前が殺し、彼女たちを守るんだ。そうすれば俺のアイアンワンド(権威)はお前に受け継がれるだろう。できればそれまでに、俺を否定できるまで強くなれ」

 アジリアは答えに窮するように、打たれて赤くなった頬を歪ませた。

 今日は多くの事があり過ぎた。今まともな返事はおろか、反応すら期待するのは難しいだろう。俺は手の平で、追い払う仕草をした。

「さっさと失せろ」

 アジリアはふらつく足取りで、のろのろと部屋を出ていった。

 トン――と、部屋の壁が音を立てる。アジリアが廊下の壁に寄りかかったらしい。そのまま壁に身体を引きずって、音は遠ざかっていった。


 はぁ~……先が思いやられる。ペンを机の上に放り出して、天井を仰ぐ。

 アジリアが立ち直るには時間がかかるだろうが、残された時間は少ない。

 あまりこの件が尾を引くようなら、別のリーダー候補をサクラ以外から選出しなければなるまい。


『サー。私は今、サーが遺伝子異常を抱えていることを知りました。ご提案ですが、遺伝子補正プログラムを使用しては如何でしょうか? 生存確率が格段に上昇し、メディカルチェックも不要になりますわ』

 にわかにアイアンワンドが声を上げる。アジリアが終わったと思えば、次は貴様か。少しは休ませろ。

「必要な設備がない」

 素っ気なく答えるが、アイアンワンドは珍しく食い下がった。


『マムたちは遺伝子を補正して、今現在存命中だと推測できますわ。故にこの施設には、遺伝子補正プログラムも、それに使用する機器も揃っていると断言できます。御命を無駄に捨てることのなきように、お願い申し上げます』

 部屋の棚に視線をやると、チタン製の筒が何本か飾られている。叢雲の残骸から回収した、遺伝子補正プログラムである。

 俺は運び役なので詳しい事は知らない。しかしその形状と端子の特徴から、メディカルポッドか、マザーコンピューターに接続して使うものだと推測はついた。

 だがどうしようもないんだ。


「そっちではない。遺伝子を解読する装置が無いんだよ。ここに俺の遺伝子配列情報はない。ジーンスポッティング(遺伝子の目的の箇所に、マーカーをつける事)しなければ、そんなもん使えんのだ」

『アメリカドームポリスには、全ての設備が揃っている事でしょう。マムたちにその旨を伝え、奪還作戦を急げば――』

 それ以上はいうな。部屋の監視カメラを睨み上げると、指を突きつけて喚き散らした。

「お前は! 己が生き延びたいために! 彼女らに無理を強いれるか!? そうしてまで生き残って! 今までの全てを否定して! そこに何の意味がある! 俺は彼女らの死体を踏み越えるつもりはない! 彼女らが俺を踏み越えるんだ! だから彼女らを良くするんだよ!」

『ですが――』

「貴様の意見なんざ聞いていない! 仮に一人でも傷物にしてみろ! 彼女たちが生きるためならそれは致し方ない! だが俺が生き残るためにしたら、それは彼女らを道具として嬲ってるのと一緒なんだよ! 次に上に立つ奴は、俺と同じことを繰り返す! 上に立ち続けるためにな!」


 全てを言い終えた時には、俺の呼吸は乱れ動悸が激しくなっていた。喚いただけで、この有様だ。胸を掻き毟り、無理やり呼吸を落ち着かせようと努める。だがそれより早く、不快感が肺からせり上がってきた。

 口に手を当てて激しくせき込むと、手の平に血の混じった唾がへばり付く。それを握りつぶすと、そのまま机に振り下ろした。


「お前が彼女らに余計な入れ知恵をしようものなら、その脳ミソにバックショットをぶち込んで、回路をズタズタに引き裂いてやる」

 アイアンワンドから返事がない。分かってもらえないみたいだ。俺は念を押した。

「覚えて置け……お前が俺を見ているように、俺もお前を見ている。不審点があればスクラップにして、叢雲の隣に並べてやる」

『サー……イエッサー……』

 しばらくの沈黙の後、アイアンワンドは初めて聞く答え方をした。

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