第42話

 三巡目の訓練を終えて、夕食のが訪れた。まるで通夜の様な雰囲気の中、一同が黙々と食べ物を口にする。一部、激しい訓練のせいで胃が料理を受け付けず、膝の上に手を置いて、湯気立つ料理をぼうっと見つめている者もいた。


「無理にでも食え。身体が持たんぞ」

 俺は手早く自分の食事を済ませると、食器を片付けて見張りに向かった。彼女たちは訓練で疲弊しているので、見張りは疎かになる。休ませたいのはやまやまだが、これも極限状態で精神を強く持つ訓練だと割り切って、俺は補佐に徹するべきだろう。


「見張りのシフト交代だ。チンタラするな。マリア、ローズ。食うのを止めろ。食事をもってついてこい」

 ローズは自分の食事をナプキンに包み、ランチボックスに入れて席を立った。だがマリアは席を立たず、媚びた笑みを俺に向けてくる。


「ナガセ様ぁ……私くたくたなんだ……だから今日の見張りのシフト、変わってもらえないかなぁ……」

「お前も皆と同じだけ、休息を取ったはずだが?」

「でも体がだるいんだよ……食欲もないし……」

「お前は病気か? それとも怪我をしているのか?」

「それは……違うけど」

「では行くぞ。夜は冷える。俺も水には触れたくない」

 ケージでのお仕置きをちらつかせると、マリアは料理を慌ただしくランチボックスに詰め込んで、俺より先に倉庫へと突っ走っていった。


 俺たちが中庭に出ると、マリアとローズは見張り台へと駆け上がっていく。俺は門の前で仁王立ちになる、五月雨へと近寄っていった。

 躯体脚部の超音波センサーで、俺の存在を感知したのだろう。五月雨のスピーカーから、サクラの声が聞こえてきた。

『ナガセ。交代でしょうか?』

「ああ。降りろ」

 五月雨の搭乗口が開き、コクピットからロープが垂れさがる。それを伝ってサクラが軽やかに、地面に降り立った。

 疲労で顔色は悪いが、表情は暗くない。他の女と違って、今の境遇に不満が無い様だ。


 サクラは俺に一礼すると、軍人のように無駄が無い動きで、ドームポリスに戻ろうとする。彼女は俺のしごきに耐え、その苦痛の中に喜びすら見出している。叩けば叩くほど成長するのは嬉しい。だが正直すぎるのは頂けない。


「サクラ。ちょっといいか?」

 俺が呼び止めると、サクラは嬉しそうに振り返った。

「はい。何でしょうか。何か不手際でも?」

「いや。そうではない。姿勢を楽にしろ。あ~、そのだな、お前は辛くないのか? 苦しくないのか? 自由を制限されて、刃向かうことも許されず、苦痛を強いられているんだぞ」

「しかしこの苦痛は、楽しい明日を迎えるために必要なのでしょう? 私は耐え、その先に進むことに異存はありません」

 サクラは曇りなく笑って見せた。

 正気かこの女……お前は一体どこからその電波を受信しているんだ。これが愛と言う奴か? とんでもないな。まぁいい。仄めかしても駄目なら、徹底的に叩き落としてやる。

 俺は口の端を歪めて笑うと、彼女を蔑みの込もった眼で見た。


「正直貴様は出来が悪い。要領は悪い。物覚えも悪い。俺はアジリアを集中的に育てる事にした。貴様はもういい」

 サクラはショックを受けたように、柳眉を下げた。そうそう。ショックで落ち込んで、少しでも身体を休めてくれれば——だが彼女はすぐに表情を引き締めた。


「ええ。このまま今日を終えるつもりはありません。人攻機の訓練を――」

 そうじゃない馬鹿。俺はサクラを遮った。

「しても無駄だ。もう寝ろ」

「はい!」

 サクラはしまった敬礼をすると、ドームポリスに全力疾走していく。これは対抗心に燃えて、気絶するまで勉強するハラだ。慌ててサクラを呼び止めると、彼女はUターンをして目の前に戻ってきた。


 あー……頭痛がする。もう本当のことをいうしかあるまい。

「サクラ。頼むからお前は休んでくれ。そろそろ身体を壊す。これは命令だ」

 サクラは出し抜けに俺の本音を聞かされて、一瞬間の抜けた顔になる。やがて会話の一連の流れを理解すると、嬉しそうに表情を蕩けさせた。彼女は顔を赤らめながら、もう一度しまった敬礼をした。

「承知しました」


 サクラが緊張の抜けた足取りで、他の見張り仲間とドームポリスに戻っていく。俺はその背中を見送りながら気付いた。

 サクラが自分を捨てれば捨てるほど、俺は心配する。サクラは本気だからだ。

 サクラは捨てた分だけ俺に構ってもらえるので、躊躇うことなく自分を捨て続ける。

 このままだと何もかも捨ててしまう。

 いかん。最悪な悪循環だ。かといって放置すると、またカットラスを乗り回すぞ。これも個性や運命と言ってしまえばお終いだが、俺はこの世界にいてはいけない存在なのだ。


「む……ぐ——ケホッ……ッ!」

 軽くむせた。肺が少し痛い。だがこの前のように血は吐かなかった。薬を口に放り込み、水なしで飲み込む。胸を抑えながら、虚しい息を吐いた。

 俺はいずれいなくなる。その時彼女はどうする? いなくなれば他に縋ると思ったが、彼女はもう俺の伴侶のつもりでいる。墓まで付いてきそうだ。


 五月雨から垂れ下がるロープを引いて、コクピットへと乗り込む。見張りを引き継ぐと、まず俺は外部に呼び掛けた。

「各自。状況を報告せよ」

 一拍遅れて、ローズから通信があった。彼女は右側見張り台の担当である。

『異常ナシなんデスケド……ナガセ? ちょっと聞きたいことがあるんデスケド……』

 ローズが遠慮がちに尋ねてくる。

「今は見張りに集中しろ」

『いいえ。いわせてもらうわ。私が寝た後、起きていた連中は、あなたに一体何をしたの? あなたをそこまで怒らせるなんて……並大抵のことじゃないと思うんデスケド。一体何があったの?』


 そういえばローズは最初に冬眠したグループだったな。冬眠前の惰弱な俺が、今のように普通の軍人に戻った経緯が理解できないのは道理だ。だからといって答えてやるつもりはさらさらないが。

 ローズの問いを無視して一方的に通信を切り、マリアの連絡を待った。だがいつまでたっても、マリアからの状況報告はない。野郎。おそらく寝てやがるな?


 五月雨の首をマリアが担当する左側に振ると——やっぱりな。マリアが銃座で機関銃にもたれかかり、食事を放り出して眠りこけていた。

 今日だけは勘弁してやるが、次からは電撃をお見舞いしてやる。俺は五月雨の立ち位置を少し左側にずらして、マリアの分の見張りも担うことにした。


 ローズは人攻機が動いたのに反応し、マシラが襲ってきたと勘違いしたようだ。機関銃のサーチライトを点灯し、草原の索敵を始めた。まだ練度が足りんな。反射的に動くのは、兵士として落第だ。

「ローズ。敵を呼ぶつもりか? 俺は敵を感知したと、通達していないぞ。とっとと光を消せ」

 ローズはすぐにライトを消したが、俺の横柄な物言いにカチンときたようだ。ジト目で五月雨を睨んできた。しかし彼女は見張り台で眠りこけるマリアにも気付き、事情を察すると、すぐに表情を柔らかくした。

 ローズは俺の行動をえこひいきと思わないほど優しくて、気高い女だった。


 さて見張りの配置に無事ついたことだし、片手間にドームポリスの様子でも見てみるか。

「アイアンワンド……談話室の映像をこっちへ」

『サー。覗き見ですか?』

「鬼の居ぬ間に、どんな洗濯をしているのか気になってな」

『ふふふ。良い御趣味ですね』

「それはシャワーを覗いたときにいえ」

『ご興味が?』

「オカズにはお前を使ってやる。アイアンワンド」

 軽口を叩くと、急かすようにモニタをコツコツと叩いた。正面モニタの右下に、談話室の監視カメラ映像がワイプされる。俺は見張りを続けながら、その映像にたまに目をやりつつ、会話に耳を傾けた。


 談話室では食事を終えた彼女たちが、思い思いに羽を伸ばしている。

 アカシアはクッションに埋もれ、サンとデージーは並んで壁に背中を預けている。プロテアは自分の銃を磨いており、アジリアは椅子に腰かけて新しい本に目を通していた。他の女は自分の部屋で、寝たか暇でも潰しているのだろう。

 そこに見張りから戻った一団が、談話室に入ってくる。サクラとピオニー、そしてリリィである。


 リリィはアカシアの埋もれるクッションに、頭から飛び込んでいって顔を沈めた。そのまま身体を投げ出して、人形のように動かなくなった。

「づかれだぁぁぁ……もうやだよぉ……苦しいの。でもやらないともっと苦しい目に合うしぃ」

 リリィは唯一動く口から、愚痴をぼろぼろこぼしだす。それにつられて、アカシアが泣きべそをかきながら呟いた。

「こ……こんなのが毎日続くの……こんな地獄みたいな日が……」


 サクラは皆を激励するように、両腕を振り回して訓示を始める。

「今は辛いかもしれないけど、頑張って乗り越えなきゃだめよ。私たちはあの化け物と戦うんだからね。分かってるでしょ? 連中はただ殺しただけじゃ、死なないのよ。ここで手を抜いたら、危なくなるのは自分の命なのよ。しっかりしなきゃ」

 流石はサクラ。俺のいわんとするところをしっかりと理解している。

 しかし唐突にアジリアがテーブルに本を投げ捨てて、異論を挟んだ。

「だがアカシアやリリィなど戦闘に不向きな者を、無理やり訓練する必要もあるまい。奴がやっているのは個人の適性を省みない無茶だ」

 アカシアとリリィは顔を上げると、激しく首を縦に振った。


 サクラは演説を台無しにされて、咎めるような眼つきでアジリアを睨む。円らな瞳はジト目で細長くなり、口元は苦々しさにいの字に曲がっている。おお。お前そんな顔するんだな。俺の前だと終始笑顔か、反省するかだから知らなかったぞ。


 サクラは肩を怒らせながら、アジリアの前まで足を運んだ。

「苦手だからって、何時までたってもできないままなのは、甘えというものよ。一人が一つの悩みに苦しむ必要がどこにあるの? 苦しみを分かちあって、互いに支えて生きていかなきゃ」

 アジリアも席を立って、サクラを迎え討った。

「できないことを無理やりやらせても、そいつらが足を引っ張り、士気が下がるだけだ。我々には生まれ持った適性があるのだ。互いに自らの責任を自覚し、そのために尽力するのが一番なのだ」

「どの道士気は下がるわ。戦線に出るものは、出ないものより優遇されるべきという、考えが生まれるもの。できないという甘えから格差が発生し、格差が確執を産むのよ。結果あなたが支配したドームポリスはどうなった? 弱いものが捨てられたでしょ!」

「聞き捨てならんな。私は強いからこそ、弱い者の為に何度も森にいったぞ! それに格差? 規律の事しか頭にない貴様が格差というのか!? 貴様はナガセが持ち込んだ上下関係や、指揮系統という格差を信奉しているだろう! それに格差はな! 頭の固い馬鹿が、一つの物差しで全てを計ろうとするから発生するのだ! 強い奴がえらい訳ないだろう!」

「へぇ~……そう言ってナガセに棍棒で殴りかかっていったの……誰だったっけ?」

「昔を引き合いに出すな! 確かにナガセは我々に光をもたらしたが、その暴虐までをも受け入れるつもりはないぞ!」


 アジリアとサクラのいい争いは、次第に激しさを増していく。どちらの言うことも筋が通っており、一長一短がある。

 アジリアは個性の成長に期待しているが、それでは集団の目的――異形生命体との戦闘――に外れる個性は軽視され、格差が生まれるのは違いないな。かといってサクラのように、平等を強要するのも難しい話だ。同じ権利を享受するには、同じ苦痛を強いる事になる。

 アジリアとサクラが唾を飛ばし合う中で、そろそろとアカシアがプロテアに近寄っていき、こっそりと聞いた。

「プロテアはどう思うの? どっちが正しいと思う?」

 プロテアはねじ回しで空を掻きまわすだけで、アカシアの方を見向きもしなかった。

「馬鹿に聞くんじゃねぇよバァカ。腐った肉噛ませようとすんじゃねぇよ」

 アカシアは溜息をつくと、遠巻きに二人の言い争いを見守り始めた。


 それにしてもこいつらの知的レベルには驚かされる。半年前までは幼稚園児並だったのが、今ではアイデンティティに言及し、自己の在り方を確立しようとしている。やはり記憶を失う前は、俺が猿に思えるほど賢かったに違いない。そんな奴らが何故ここにいるのやら。

 結局あれからアイアンワンドのデータを洗い、ドームポリスを徹底的に捜索したが、彼女らの出生はわからずじまいだ。

 果たして彼女たちは人類からはぐれた避難民なのか、領土亡き国家のクソッタレどもなのか……。


「アイアンワンドが見せた計画書。変更される前はEXODUSだったな」

 何から逃げようとしていたというのだ。

 勝手な憶測だが、彼女たちが人類なら国際連合軍お抱えの科学者で、何らかの理由で政府から追われる身になったのかもしれない。それならEXODUSという名前と、様々な人類が集められている事にも納得がいく。何より領土亡き国家の備品が貯蓄されている事にも説明がつく。そこが亡命先だ。

 仮に領土亡き国家だというのなら、EXODUSとは汚染世界からの脱出を意味するだろう。多種多様な人種は、イカれたヒトゲノムを遺伝子補正プログラムで補正した結果、多様な特徴が発現したのかもしれない。


 だが――いずれにしても冬眠は遺伝子補正プログラムが無ければできない。それは領土亡き国家の手に渡らぬよう、計画の最終段階にあたって配布された。ここにあるはずがないし、俺も現物を発見できていない。こいつらどうやって、遺伝子を補正しなおしたんだ。


 俺の鼻の奥に、安物の煙草の匂いが沸いた。それは瞬く間に肺を満たし、俺を幻覚の中に沈めようとしやがる。

「俺はあの時確かに、奪われた遺伝子補正プログラムを、全て回収した」

 するとアロウズたち以外に、遺伝子補正プログラムを横流しした裏切り者がいたということか。アメリカドームポリスが陥落したのは、遺伝子補正をした領土亡き国家が施設に潜り込んでいて、異形生命体を手引きした可能性を否定できないな。


 俺は彼女たちを人類と合流させるつもりでいる。我々は、我々だけでは生きてけないのだから。しかし彼女たちは、人類に対する敵意を隠し持っているかもしれない。人類に紛れ込み、世界を再び汚染するかもしれない。


 その時俺は——彼女たちをどうするべきなのだろう。

 幸か不幸か、彼女たちは過去を持たない。裏切り者だとしても、領土亡き国家だったとしても、過去のイデオロギーを忘れてさえいてくれるなら、俺もそこを突き詰めたりしたくない。

 もう彼女たちは俺にとって、娘みたいなものだ。

 幸せに生きて欲しい。ユートピアを堪能して欲しい。

 彼女たちに、楽園での生活が赦されるというのなら。

 

「アメリカドームポリスを攻略して、新しい情報が得られるといいんだがな……」

 俺は鼻で息を吐いた。それでもなぜ女しかいないのか、男である『特定の七人』が存在しないのかは分からない。今分かるのは、その『特定の七人』がこのドームポリスにこられなかったため、現在の計画書に変更されたということだろう。大方戦争で死んだんだろうな。


 俺が見張りをしながら考えるうちに、談話室では一波乱が起きそうだった。サクラとアジリアが互いの襟首を掴みあい、乱闘を始めようとしたのだ。

 リリィがクッションから飛び起きて、銃を弄るプロテアの袖に縋り付いた。

「プロテアぁッ。と! とめてよぉ!」

 プロテアはやはりねじ回しで空を掻きまわすだけで、取り合おうとしなかった。

「クソは我慢すると身体に悪いんだぜ。出してスッキリした方がいいんだよ。好きにやらせとけ」


 と、そこでプロテアは銃を弄るのをやめて、胸の前で拳を鳴らした。

「俺もナガセにぶちまけるからよぉ……」

 こい。ピコの時と違って返り討ちにしてやる。俺は声を押し殺して笑った。


 改めてアジリアとサクラに視線をやると、互いに襟首を締め上げて不細工な相撲を取っている。手が出るのは時間の問題だな。怪我でもされたら訓練に支障が出るので、別の物で発散してもらおう。

「アイアンワンド。設置した器具を起動しろ」

『直接お手渡しなされば宜しいのに』

「暴君は奪うのみだ。さっさとしろ」

 アイアンワンドが返事をすると、談話室で物音がした。

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