第41話

 翌日の朝から、彼女たちの訓練が始まる。

 見張りのシフトがあるため、訓練は三チームに分けて順次行う。すると彼女たちの日程は、見張りをして、訓練を行い、それから休憩という形になる。


 まずは一巡目だ。起きたばかりの女たちを、ライフスキンに着替えさせる。理由は汗をかくので作業着だと、洗濯の手間が増えるからだ。それに人攻機に搭乗するには、ライフスキンが最適である。今のうちになれさせるのが吉だ。


 俺はそのことを告げて、柔軟運動とランニング、そして筋トレをさせた。内容はいつもさせているものより、量を少し増やした程度だ。能力は瞬発力と持続力を折衷させる。俺が育てるのはアスリートではなく兵士だ。何でもできないと困る。


 訓練を終えると、彼女たちは荒い息を付き、額を滴る汗を拭っていた。そこにはまだ、余裕の表情があった。

 デージーが水分を補給しながら、隣にいるサンに声をかけている。

「何だ何だいつもと変わんないね! 激しくなっただけで」

「そうだね。いつもの運動と同じだね。これなら頑張れそう」

 今の内にはしゃげ。いきなり激しくしてはもたない。真綿で首を締めるように、徐々に厳しくしていく。


 二巡目、三巡目と彼女たちを訓練し、それを一日二回繰り返す。俺は監督の合間に睡眠をとった。異形生命体の襲来があれば、迎撃を監督して訓練の足しにした。

 二週間が過ぎると基礎体力を、彼女たちは身に着けはじめる。もやしのような身体が筋肉で引き締まり、ちょっとぐらいの運動では汗一つかかなくなった。俺は査定を始めた。


 やはり優秀なのは、俺に意見するほど強い女たちだ。成績の良い順に並べると、プロテア、ロータス、マリア、アジリア、サクラ、ローズだ。以降に平均としてデージーとサン、パンジーが続く。落第は元から体の弱いアカシア、頭脳系のアイリス、身体の小さなリリィ、マイペースなピオニーだ。こいつらは個性を伸ばす。


 未知の可能性を秘めているのは、成長期にあるパギだ。こいつはオペレーターなんかよりも、兵士として英才訓練を施した方が素質を生かせる。だが俺には、そこまでレッド・ドラゴンに譲ることは出来なかった。パギみたいな子供――子孫の為に、銃を取っていることを忘れてはならない。


 訓練メニューを変える。単純なランニングからハイポート(銃を装備して行う長距離走)と匍匐前進に変更する。筋トレも、綱登りやアスレチックに変えて、より実践を意識させるようにした。

 このころから彼女たちの表情に、苦悶の色が浮かび出した。日夜襲い来る筋肉痛や、訓練による怪我。規則正しく機械的に行われる訓練に、制限されるプライベートな時間。彼女たちは憔悴し始めたが、それでも健気に頑張った。口数を減らすことで文句を言わず、俺から顔を背ける事で嫌な顔を見せなかった。


 何度かアジリアとプロテアが、俺に訓練を優しくするように直訴に来た。俺はそれにも黙れといって取り合わなかった。

 アジリアはそれで俺とはもう会話はできないと悟った。

 プロテアはそれで俺が自分たちのために何かを隠していると信じた。

 それっきり何も言わず、幸せそうに訓練に没頭する、サクラに混じった。

 だが限界は訪れる。


 訓練メニューを変えてから、数日が過ぎた。俺は中庭で彼女たちに、ハイポートをやらせていた。訓練グループの二巡目で、面子はプロテア、デージー、サン、アカシアである。時刻は昼で、空にはさんさんと太陽が輝いていた。


 人攻機の資料を確認しながら、遠巻きに彼女たちを監視する。彼女たちは両手で重しをつけた猟銃を掲げて、中庭を円を描くように走っている。息を荒げ、額を伝う汗を拭うこともできず、喉の渇きに耐えながら、忠実に訓練をこなしている。

 ちなみにアサルトライフルを使わないのは、軽すぎて訓練にならないし、落として壊れでもしたら大変だからだ。


 炎天と言うこともあり、俺の傍らではアイリスが氷を用意して待機している。アイリスは待機時間を利用して、救命措置の手順のおさらいをしていた。


 その時——中庭を走っている一人が倒れた。

 ついにきたか。資料を放り出して駆け寄ると、そっと身体を仰向けにさせた。

 倒れたのはアカシアだ。彼女はすまなさそうに俺を見上げると、激しい呼吸の合間に、かすれた言葉を出した。

「な……ナガセ……ごめん……もう無理……」


 アイリスが俺に追いついてきた。彼女は吸い飲みを使って、少しずつアカシアに水を与え始める。

 その間に俺は、アカシアの体調を見た。体温は運動していたことを考えれば普通だ。汗もびっしょりかいているが、異常ではない。受け答えもまともにできているし、水も飲めている。こむら返りも起きていない。

「熱中症ではないな……ただの疲労だ……『ただの』疲労だ……」


 アカシアは決して、手を抜いている訳ではない。必死でここまで頑張った。だがその評価なぞ、戦場ではクソの役にも立たない。


 やるかやらないか。

 やるかやられるか。


 手が震える。気の迷いが、彼女を支え、抱きかかえようとする。だがその甘えで救われるのは、俺の罪悪感だけだ。

 握り拳を創る事で、浮かんだ考えを打ち消した。俺はアカシアに猟銃を押し付けると、彼女たちが走る事で円形に禿げた大地を指した。

「後一周だけだ。さっさとこなせ。今すぐできないのなら、最初からやり直させるぞ」


 俺の隣で、ぎくりとアイリスが表情をこわばらせる。無視してアカシアを無理やり立たせると、彼女は小鹿のように足を震わせる。そしてすぐに膝を折って、俺に寄りかかった。

「でも……もう無理なの……身体が……」

「それは俺の知った事ではない。走れ」

 冷たく言い放つ。

「でも……私……私……うえぇぇぇ……」

 アカシアが俺に寄りかかって、顔を胸に埋めて泣き始めた。まるで許しを請い、慰めを求めるように、抱き付いてくる。

 俺だって抱き返したい。だけど無理なんだ。ここで縋る弱さを許したら、それが後に命取りになる。


 アカシアを突き放すと、彼女は尻餅をついてその場に倒れ込む。そして傷ついた顔で俺を見上げた。

「できないというなら、できざる得なくするまでだ」

 アカシアの襟を引っ掴むと、波打ち際まで引きずっていった。そこにはドームポリスの見張り台から、コンテナを改造したケージが二つ海に浸してある。一つは生け簀として使っているが、もう一つは訓練用に用意した物だ。

 ケージは天板が外してあり、上から物を投げ込めるようになっている。俺は木造りの桟橋を渡り、ケージの中にアカシアを投げ込んだ。


 ケージの中には、立っても脚がつかないほどの海水が満たされている。そしてライフスキンは水に浮かない。アカシアは海水の中でもがき出した。

「ナッ! ナガセ! やめ! 助けて!」

 俺はケージの中を、動物を見るように覗き込んだ。

「ほう? 喚くほどの余裕はあるようだ……泳げ。さもなければ溺れ死ぬぞ」

 アカシアは絶望に表情を暗くすると、泣き叫び始める。だが俺は取り合わず、檻から離れた。


「アイアンワンド。溺れたら引き上げろ」

『サー。了解しました』

 俺が波打ち際を離れて中庭に戻ると、プロテアが猟銃を投げ捨ててこちらに走ってくるところだった。どうやらアカシアを助けるつもりらしいが、邪魔させてなるものか。プロテアの前に立ちふさがる。

「プロテア。貴様の訓練はまだ途中だぞ」

 プロテアは一瞬立ち止まった。彼女は困惑したように視線を彷徨わせる。俺と自分の良心、どちらを信じようか迷っているようだ。だがアカシアの悲鳴が途切れると、俺を押し退けていった。

「うるせぇぇぇ!」

 そうだ。それでいいのだ。

 理想ではなく現実を見て、上官に逆らう能力を持っている。

 お前はいい兵士だ。

 だが今回は俺に従ってもらうぞ。


「アイアンワンド。ケージを沈めろ」

『サー。イエッサー』

 俺が虚空に語り掛けると、見張り台の滑車が滑ってケージを海に沈めた。もう泳いでいるかどうかは関係ない。海に沈められては、息ができんだろう。

 プロテアの奴は発狂したのかと思うほど、喚きだした。アイアンワンドにケージを引き上げるように命令し、脅して、懇願していやがる。だがアイアンワンドが沈黙を守っていると、俺を振り返った。彼女は顔を青くして、唇を戦慄かせていた。


「どうしたんだよ……お前どうしたんだよ一体! あんなに優しかったじゃねぇか! 俺たちと一緒に生きて来たじゃねぇか! 自分を削ってまで……俺たちを……それが何で、急にこんな事をするんだよ! 今のお前! 冬眠する前より怖ェぞ! まるで……まるで……」

 プロテアは言葉にできない思いに喉を詰まらせるが、俺の知ったことではないな。

「貴様が駄弁るのは構わんが……アカシアの命を削ってまで話す事か? さっさと訓練の続きをこなせ」

 プロテアは涙目になって中庭に戻っていくと、猟銃を担ぎ直してがむしゃらにハイポートを再開した。

「檻を早く上げろ! ナガセェェェ!」

 プロテアが走りながら絶叫する。

「お前が無駄にした時間ぶん。アカシアにはしっかり苦しんでもらおう」

「ちくしょうがぁぁぁ!」

 プロテアの叫びは、訓練中の彼女たちにも伝播した。彼女たちは自分の身を案じて、身体に鞭打って訓練に没頭し始めた。効率上昇。まぁ満足だ。

 次の訓練を控えている、見張り台の彼女たちは何をしているのかな——と。視線ををやると、俺の暴虐を目の当たりにして、戦々恐々としていた。


 その中にはアジリアもいた。彼女は以前のように、息巻いて俺に怒鳴りこむような真似をしなかった。ただ侮蔑の視線を投げかけながら、怯える彼女たちの顔色をつぶさに観察していた。何か考えているようだな。楽しみだ。


『サー。今までの訓練と比較して、暴力のレベルが高すぎますわ』

 アイアンワンドが俺のデバイスから忠告してくる。俺は鼻で笑った。

「これから殺し合うんだぞ? それ以上の暴力があるか」

『ですがこのままでは、マムは限界を迎えて死んでしまいます』

「限界を自分で定め、諦めた瞬間死ぬんだ。だから死ぬ気でかかれと言う意味を、身体で理解してもらう」

『サー。それは精神論です。合理的でありません』

「確かにこれは精神論だ。だが俺は旧軍のように、『己が魂を銃弾と化し、敵を粉砕せよ』とは言っていない。自分で限界を定め、未来を諦めてはならない事を教えている。これは精神論だが、精神を鍛えるためのものだ」

 アイアンワンドは、それっきり何も言わなくなった。


「ナガセぇぇぇ! もう止めてくれぇぇぇ! お願いだから止めてくれぇぇぇ!」

 プロテアが顔を悲痛に歪めて、哀願し始めた。そろそろ頃合いだろう。

「ケージを海からあげろ……」

『サー。イエッサー』

 ケージが海から引き揚げられ、その中でぐったりとするアカシアを露わにした。そう長い時間は沈めていない。アカシアは自力で水を吐いて、呼吸を再開した。

 俺がケージの傍に歩み寄ると、アカシアは闇を湛えた瞳で、じっと見つめてきた。

「ながせ……くるしい……よ」

「苦しいのは嫌だろう」

「うん……」

 ケージからアカシアを引きずり出し、猟銃を彼女に押し付けると耳元で囁いた。

「なら後一周。早くこなせ」

 俺は中庭に向かって、アカシアの背中を押す。彼女はふらふらと揺れながら、一歩二歩と踏み出した。やがて気力――いや、死力を振り絞り、ハイポートを再開した。


 その日。俺はリリィとアイリスをケージに放り込んだ。

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