二年目

第40話

 それは俺が彼女たちと会う前、汚染世界での出来事だ。俺は機動要塞『デトロイト』にいた。

 廊下で一人の兵士とすれ違う。そいつは俺に敬礼せずに、そのまま通り過ぎた。俺は三級特佐――実質少尉。奴は訓練生。親父のツラに、唾を吐きかけたようなものだ。欠礼は非礼に当たり、その場で制裁を行うのが規律だった。


 俺は奴を呼び止めると、大人しく従い振り返った。見るとまだ年端もいかない少年兵で、日夜の訓練とそれに並行した敵との戦闘で、酷く憔悴していた。

 とても殴る気にはなれなかった。だから壁際に寄らせたうえで、気を付けをさせた。


「お前は随分と疲れているようだ。だがそれは非礼の言い訳にはならん。敬礼とは一挙手一投足ですむ簡単なものだ。たったそれだけをせずに、行われる制裁なぞ、受ける方も行う方もツマランものだ」

 俺はそう言うと、しまった敬礼をやらせる。そして奴を放免した。


 途端。俺の頬に衝撃が走った。


 殴られた、と思う間もなく床に倒れ込む。呻く間もなく胸倉を掴まれ、無理やり立たされた。俺の目の前には我らが隊長、アロウズ・キンバリーがいた。

 アロウズは黒のライフスキンを身に纏い、その上から衣装用の布として、白いマントを羽織っている。更にマントの上には、白のミドルヘアが軽くかかっており、見事なストライプを形作っていた。アルビノの特徴である赤い瞳が、俺の事を睨んでいる。


「見ていたぞ……不正を見ても殴れんような士官があるか」

 アロウズはいつもの無表情だった。だが、その声は微かに震えている。怒りにではない。恐怖にだ。彼女は突き飛ばすようにして、俺から手を離した。

「貴様は殴るより、説教の方が効果的だと考えたのか?」

「その通りです。事実解決しました」

「貴様はどこにいる? ここは娑婆か?」

「いえ。ここは機動要塞です」

「そうだ。つまりここは戦場だ。戦場では道理など糞の役にも立たん。戦場では力が物を言うのだ」

「自分はそうは思えません。制裁は不必要な確執を産んだことでしょう」

「だが貴様の不埒が産んだ確執よりは、遥かに小さいものだ」


 しばらく、俺とアロウズは睨みあった。やがて、アロウズがふっと肩の力を抜いた。そして俺の髪の毛を掴み上げると、顔を近づけて囁いた。

「ではこうしよう――汚染空気の中で、私の部隊と貴様の部隊、どちらが強いか勝負をしようではないか。あいつはいい上官だ。だからこの触れれば死ぬ外の世界で殺し合えとは言うまいと、貴様の部隊が貴様を舐めてかからないかしっかりと確かめてやる。そこに道理なぞあるか? あるのは力だけだ」



 俺は自室にて、独り思案に暮れていた。

 彼女たちの目が覚めてから、一か月余りが過ぎた。食料の備蓄は順調に溜まり、収集した資材から医薬品も作ることが出来た。彼女たちも以前の気力とそれ以上の体力を蓄えて、自衛の手際も良くなった事だ。次のステップに進んでも些少ないだろう。


 アメリカドームポリス奪還作戦だ。

 卓上に視線をやると、冬の間に立てた訓練メニューや部隊編成、そしてドクトリンがまとめられている。これを徹底すれば余程の事が無い限り、異形生命体に殺される心配はないだろう。

 だが不安は絶えない。彼女たちがどう反応し、どう適応し、そしてどう身に着けていくのかは全くの未知数だ。しかし今は、とにかくやるしか方法はない。


「アイアンワンド。全員を食堂に呼べ。重大な連絡がある。警戒はお前が引き継げ」

 俺は空に向かって話しかける。すぐに近くのスピーカーが、唸りを返した。

『了解しましたわ。サー』

 資料の中から訓練に関する物を抜き取り、食堂へと向かった。時分は夕食が終わり、数刻が経ったころだ。彼女たちは部屋で、各々好きなことをやっている事だろう。俺が食堂に着くと、サクラとアイリス、そしてピオニーの姿がすでにあった。どうやら彼女たちは、食堂でお茶をしていたらしい。空になったカップを片付けているところだった。


 食堂に俺が入るとサクラが急いで席を立ち、俺の傍らに立った。

「ナガセ。何かお手伝いできることはないでしょうか?」

 サクラは俺の片腕になろうと張り切っている。しかし俺は素っ気なく彼女をいなした。

「特にない。それにお前も聞く側だ。座れ」

 サクラがしゅんとして食卓に戻る。サクラの隣では、アイリスが不安そうに眉根を寄せていた。

「ナガセ。顔が怖いです……また何か……」

「慣れろ」

 これだけは、譲れんのだ。


 俺は食堂の入り口脇に寄り掛かり、全員が集合するのを待った。彼女たちがぞろぞろと食堂にやって来る。皆ある程度、俺が呼ぶのを想定していたようだ。環境の節目、物事が始まる度に招集しているのだから、当然と言えば当然だろう。

 ただアジリアは、これから俺が何を言うのか分かっているに違いない。険しい顔をして、比較的早めにやってきた。遅刻したのはロータスだ。彼女は不貞腐れたようで、唇を尖らせている。その背中には、俺が作ってやった猟銃型のBBガンを背負っていた。


 ロータスは出来の悪いオモチャをけなすように、俺の目の前でBBガンをぞんざいに揺らした。

「ナガセさ……銃撃たせてくれるていったじゃん? これ。ビチグソみたいな弾しか出ないんだけど。鳥一匹殺せない腐れたテッポーなんていらないよ」

「じゃあパギにでもくれてやるんだな。少なくとも約束は守ったぞ。今は座れ」

 ロータスは納得がいかない様に、俺に食って掛かろうとする。だが俺の表情からこれ以上は徒労だと悟ったのだろう。アカシアが座っている椅子を、軽く蹴り飛ばして鬱憤を晴らすと、自分の席へと向かった。


 俺は全員が席を付いたのを確認すると、食卓に両手をついた。

「聞いてくれ。昨年俺が(ここで彼女たちは、意味が分からないように顔をしかめる。一年と言う概念が無いらしい。俺は言い直した)――冬眠する前だ。俺が外に探索に行った時、ここと同じ建物を見つけた」

「我々以外の人間を探しに行ったときの話ですね」

 サクラがすかさずフォローを入れる。俺は頷いた。

「そうだ。だがそこはマシラ共に占領され、住人も皆殺しにされていた」

 ロータスがヘラリと笑い、食卓の上にBBガンを放り出した。

「そー残念だったなじゃあしょうがねぇ話は終わり。ここの施設と人員を有効活用しなくちゃね。あたしが銃持つのに賛成な奴手ェ挙げろや」

 俺はロータスを無視して続ける。


「人間はいない。代わりに化け物がいる危険な場所だ。だがそこには、ここにはない機材や物資、そして施設や情報がある。ここの物資も少なくなってきたし、次も安定して冬を越せるか分からない。俺たちが生き残るには、そこを化け物の手から取り返す必要がある」

 食卓に着く面々が、重く生唾を飲み込んだ。マリアがおずおずと手を上げる。その顔には引きつった笑みが浮かんでいた。

「銃弾は創れないの? そすれば危ない事して、取りに行かなくてもいいんじゃないかなぁ?」

「今の物資ではそこの馬鹿が使えるような、オモチャの弾しか作れん。それに他に人間の居そうな場所も無い。あそこを取り返すしか道はない」


 俺はロータスを顎でしゃくった。ロータスは「へっ」と息を吐くと、背もたれに寄り掛かった。

「じゃあナガセ独りでやんなよ。アタシはヤだぜ」

「化け物は数えきれないほどいる。そして奴らは習性上逃げん。戦って殲滅しなければならない。俺一人ではできない事だ。だからお前らにも手伝ってもらうぞ」

 俺は彼女に選択を迫るような言葉使いをせず、淡々と命令を下した。

「明日より生活の合間に、戦闘の訓練を実施する。これは見張りを除き全員参加で、余程の事が無ければ欠席を許さん。基礎的な体力の向上に始め、武器の使用を教練する。ある程度使い物になるようになれば、三チームに分かれて部隊訓練をするぞ」

 俺は以前冬眠を強要した時と同じ口調でいった。当然反発を予想したが、アジリアとロータスを除く全員が、神妙に頷き返した。


「要するにこのまま引きこもって、生きていくことは出来ねぇんだな……」

 プロテアが食卓に頬杖を突きながら呟いた。

「生きるために戦わなければならないなら……それも仕方がないわね」

 ローズまでもが、鉛を吐き出すようなため息をつきながらも、同意していた。冬眠の件で俺のことを、信頼してくれているようだ。


 彼女たちの中で、ただ一人パギが関わりなさそうにしている。常に荒事から外され、今まで運動も強要された事が無いので、今回もそうだと思っているのだろう。俺はパギを視線で指した。

「パギ。お前も参加するんだぞ」

 ピクリと、アジリアの眉が上がったのを、俺は見逃さなかった。アジリアはすかさず、異論を挟もうとする。だがそれに気付かないパギが、ピコのぬいぐるみを抱きしめて、駄々を捏ねるように首を激しく振った。


「イヤ! 私化け物になりたくない!」

「殺せとは言っていない。ただアイアンワンドの補佐の元、オペレーターをやってもらう。いつもの放送を戦場でやってもらうだけだ。配置は最後部。殺されるとしたら一番最後だから安心しろ」

 パギは口のいの字に広げて、涙目になりながら俺を睨む。だがそれ以上喚こうとはしなかった。今罵詈雑言を吐こうものなら、プロテアに尻を叩かれることを分かっているのだ。アジリアも当面の危険が無い事は理解したのか、言葉ではなく濁った息だけを吐いた。


 彼女たちを見渡すと、全員が明日から始まる特別な日常に緊張して、姿勢を正している。浮かれている者は一人もおらず、事の重大さを認識してくれているようだ。俺は他に質問が無いのを確認すると、緊張の緩和を誘うように肩の力を抜いた。

「詳しくは明日の朝話す。今日は解散だ。各自元の生活に戻るように」

 彼女たちはぞろぞろと席を立つ。そして少しだけ不安そうに、俺の顔を覗き込んでから、食堂を出ていった。

 だが二人残る者がいた。


 サクラとアジリアである。アジリアは俺を見据えており、サクラはそんな彼女を睨んでいる。アジリアは腰に手を当てて、横目でサクラを見た。

「さっさと行ったらどうだ?」

「あなたが先にね……」

 サクラは歯を剥いて首を振った。さながらご主人に媚びを売る猫を、喰い殺そうとする忠犬だった。

 俺は溜息をつくと、俺はサクラに向かって、手で追い払う仕草をした。


「サクラ。行け。二人で話したい」

 サクラは傷ついたように唇を噛んだ。やがて自分を納得させるように胸元で拳を形作ると、俺に頭を垂れる。

「承知しました」

 サクラは早口でそう言うと、食堂から速足で出ていった。俺は彼女を見送ると、そっと食堂のドアを閉めた。何やら俺に言いたいことがあるらしい。丁度俺も、アジリアに示したい態度があったところだ。


 しかし――本当に賢い女だ。アジリアが二人になるのを望んだのは、自分が少数派だと理解しているからだ。冬の一件で彼女たちは、俺を心の何処かで信任している。彼女らの前で意見をしても、それが否定される可能性が高い。それに下手すれば、自分が悪役に成り下がる事を分かっているのだ。

 それは俺の役目だ。俺はあの穢れた世界に戻るのだ。戦って殺すだけの生き物に戻るのだ。

 俺は彼女たちの何かを考えた。

 俺は兵士だ。

 彼女たちの敵を殺し、彼女たちに殺される兵士だ。


「パギは――」「黙れ」

 口を開きかけたアジリアを、俺はその一言で一蹴した。

 アジリアの奴、今までで一番驚いているようだな。口をあんぐりと開けて、しばらくそのままでいたほどだ。俺は今まで、会話だけは絶やさなかった。例え一方的に命令する手法だとしても、彼女たちの真意を汲み取ることが出来なくても、大事にしてきた。それを絶った。


「貴様のちゃちな理想論に耳を貸すつもりはない。そういうのは絵本に描いて、パギを洗脳するのに使え」

 アジリアは俺を化け物だ何だと言いながら、言葉の通じる相手だと思ってくれたらしい。その言葉が通じなくなった今、彼女はどうしていいのか分からないようだ。アジリアは一縷の望みをつなぐように、再び口を開いた。

「いや聞け。パギはまだ――」


 俺は彼女の言葉を、聞く価値も無いという風に、咽喉を鳴らす笑い声で遮った。アジリアは不快感と困惑に表情を歪めて、俺から距離を取った。

「上品ぶるのは止めろ。その危ない筒を早く振り回したらどうだ? デテイケ! ヨルナバケモノーってな……」

 俺は彼女の腰に下がる拳銃を指で示し、腹の底から無力な彼女を嗤った。勝つことも、説くことも――何より救うことのできない彼女を責めた。ひとしきり笑い終えると、俺は猜疑心に歪んだあの顔を、アジリアに向ける。彼女は呆然と立ち尽くしていた。


「彼女たちを説得するんだな。俺から奪い、俺を嫌悪させ、俺より良い場所へと導いてくれると信じさせてみろ。それが出来ないなら黙れ」

 俺は食堂のドアを開け放つ。そして去り際に言い放った。

「止められるものなら、止めてみろ」


 俺は自室へと足を向ける。道中サクラに捕まって、何をしていたのか聞かれるだろう。彼女は突き放しても、自分の意志で近寄って来る。俺無しでやって行けるように、何かいい案を練らねばな。


 だがそれは、俺にとっては無用な心配かもしれない。俺は廊下で足を止めた。そして顔に触れる。

「畜生が……」

 俺は手についたそれを、ライフスキンで拭った。アイアンワンドが異変を察して、俺に語り掛けて来た。

『サー? 如何なさいました?』

「半年だ……半年がたった」

 俺はそう吐き捨てると、歩みを再開した。

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