第39話

「死ね! バカ!」

 俺の手の中で、パギが激しく暴れる。彼女はアジリアのように、憎悪に猛った眼で俺の事を睨み上げた。構わず彼女の首根っこを猫のように摘み上げて、医務室へと引きずっていく。

「残念だが死なん。アイリスの所に行くぞ。健康診断を受けろ。ピコだって今ローズの治療を受けている。お前も少しは我慢しろ」

「お前が殺したんでしょ! バカ! サイテー! この化け物! お前なんか死ね!」


 パギはひたすら喚き散らし、俺の手から逃れようとした。

 無理もない。俺は彼女がくれた、最後のチャンスを無下にしたのだから。彼女がシャワー室の前で、壊れたピコのぬいぐるみを見つけた時、何を思ったかは想像に難くない。だが俺はパギに甘える訳にはいかないのだ。


 それからパギはアジリアと同じように俺を毛嫌いした。それどころか俺が抵抗しない分、アジリアよりも激しく俺に憎悪をぶつけて来るようになった。

 開いた手で耳の穴をほじりながら、罵声を聞き流す。パギは壊れたスピーカーのようにわんわん喚いていたが、やがて息切れし荒い息を付きながら黙り込んだ。

 俺はそこで彼女をせせら笑った。

「満足か? 可愛いもんだな」

 パギの顔が赤くなる。彼女は再び喚こうとしたが、息を詰まらせて激しくむせた。

 と、そこで俺の目の前にアジリアが立ちはだかる。彼女は威嚇するように歯を剥きだしにし、腰の拳銃に手を置きながら俺を睨んできた。冬眠前より憎悪が増したようだ。やっこさん、俺が薬を盛ったと思っているようである。


「ナガセ。嫌がっているから手を離せ。私が連れていく」

 是非もない。俺もガキに構っている暇はない。とにかく仕事が山積みなのだ。俺はあっさりとパギの襟から手を離した。

 パギは勢いよくアジリアの元に駆けていき、その胸の中に飛び込んでいった。

「お姉ちゃん!」

 アジリアはパギを抱きとめて、あやすように頭を撫でた。パギはそれに勇気づけられてか、俺の方を振り返ると、更に醜い悪罵を連ねて来た。

「ヒトデナシ! ジンチク! クソヤロウ! あ痛ッ!」

 アジリアは聞くに堪えないように、パギの頭に拳骨を振り下ろす。パギは頭を抱えて、涙目でアジリアを見上げた。アジリアは溜息を吐くと、パギを自らの背後にかばい、俺から遠ざけた。


「喚くな。みっともない。さっさと医務室に行くぞ」

 アジリアとパギは、連れ添って医務室に歩いていく。俺はその後姿を見送ると、中央コントロール室へ戻ることにした。ガキの面倒に駆り出される前は、そこで作業をしていたのだ。


 中央コントロール室では、サクラがマザーコンピューターの前で、頭を抱えている。彼女は俺が戻ると、ディスプレイから顔を上げた。

「ナガセ。パギは捕まりましたか?」

「ああ。早くオシメが取れるといいんだがな……どうだ? システムの調子は」

 俺の問いに、サクラの表情が曇る。

「いいえ……あまり上手く行っていません……申し訳ありません」

「気に病むな。駄目なものはどうしようもない」

 俺はサクラの肩を励ますように叩いた。

 今、新たな作戦支援システムの構築中だ。人攻機の作戦指揮システムと、マザーコンピューターの情報資料システムを上手くクロスさせてようとしている。


 作戦指揮システムとは、平たく言えば人攻機のセンサーが得た情報の事だ。レーダーからカメラ映像、そして音響図などがそれに当たる。我々はこれらの情報を元に作戦を立案し、指揮を取るためこう呼ばれている。

 対して情報資料システムとは、俺が今まで蓄えこんだ、敵の情報の事である。詳しく言うと、把握した敵の情報やその規模、可能行動、弱点、さらには意図などだ。


 この二つはとても有用だが、個別に利用するとえらく時間がかかる。得た情報を本部に送り、情報照合をして送り返す手間があるからだ。異国語の本を、辞書を引きながら読むようなものだ。しかし情報をクロスさせることで、敵を把握次第、どこにどれだけいるのか、そこにいる意図は何か、どのくらいの脅威があるのか、そして敵の総数はどのくらいかを、瞬時にはじき出してくれるのである。


 小人数を効率的に動かすには不可欠なシステムだ。サクラと協力して、徹夜で取りかかっているが、進捗は芳しくない。システム構築と言っても、二つのシステムをリンクさせるだけの簡単な作業だ。だがその二つのシステムをリンクさせるプログラムが何所にも存在せず、一から作るしか方法が無かった。

 俺は門外漢だし、流石のサクラもこれには手こずっている様子だ。ロクなものは出来ないだろう。

 それに異形生命体の体躯は、形は大きく異なるが、構造は大変似通っている。よってジンチクを、マシラと誤認するエラーが度々発生している。敵を見誤るなぞ、致命的なミスだ。

 これはアイアンワンドを戦場に連れていき、戦区を管理させた方が賢明かも知れんな。


『あら? サー。またこの文字列を間違えた可能性がございます』

 俺が作ったコードを洗っていたアイアンワンドが、滑らかな合成音声で俺に語り掛けてきた。すっかり女になったつもりでいやがる。

 正直こいつを頼るのは、未だに気が進まんがな。早い所、アメリカドームポリスを奪回し、まともなシステムを回収したいところだ。

 俺はマザーコンピューターのコンソールにに取りつくと、作業を再開した。しばらく、無言での作業が続いた。


 数十分が経った頃、廊下の向こうからパギのはしゃぎ声が聞こえて来た。アイリスの健康診断が無事終わったらしい。パギはしきりにアジリアの名を呼んで、黄色い悲鳴を上げている。アジリアも口ではうっとおしそうに追い払っているが、声色はまんざらでもない様に柔らかいものだった。

 その声を耳にして、俺の隣でサクラが唇を噛んだ。サクラはどこか悔しそうな顔をしていた。


 思えばパギは最近サクラではなく、アジリアといることが多くなったな。理由はサクラが忙しいからではないだろう。サクラが俺を慕っているから見放したのだ。心底憎む俺を慕っているから幻滅したのだ。代わりに俺を憎むアジリアに、甘え始めたに違いない。


 はっきりいってしまえば、俺なんかに入れ込むサクラの自業自得である。だがこの状況は好ましくない。サクラは賢い。アジリアの次にリーダーの素質を持っているのだ。彼女には俺に依存してもらっては困る。

「サクラ……パギの事だが」

 俺の言葉に、サクラは陰りのある笑みを浮かべた。

「仕方ないですよ。私も気にしていません。それにあの子が本当に賢ければ、自らの過ちに気付くはずです」

 サクラはパギの声を無視するように、仕事に没頭し始めた。


 俺は教祖じゃないのに、えらい信心深さだな。サクラこれを本気で言っているのだから世話が無い。

 俺にもどうしてここまで悪化したのか分からない。飴はやらず、鞭しかくれてやらなかったはずだ。好かれることも何一つした覚えもない。ただ上官の様に横暴に振る舞い、淡々と命令を告げて、それに従わせているだけだ。何故サクラがここまで俺に入れ込むのか、その理由が思いつかない。


 はて? 彼女に惚れられるようなことが、何かあっただろうか。過去を振り返っていくと、記憶のサクラがどんどん幼くなっていき、やがては汚染世界まで逆行する。ひょっとしたら、俺と彼女は汚染世界で会ったことがあるのかもしれない。


 サクラの横顔をじっと見つめる。滑らかな黒髪に整った顔立ちをしており、懸命に作業をすることで汗を滴らせている姿が怪しい魅力を放っている。

 こんな美人、一度会ったら忘れそうに無いものだがな。

 俺が食い入るように見つめていると、サクラがそれに気づいてはにかんだ。そして軽く髪を整えて俺を振り返った。

「あの……如何なさいました……?」

 俺は親指の爪を噛み、しばらく真正面から彼女の顔を眺めた。やはり記憶に引っかかるものはなかった。一応聞いてみる。


「俺を知っているか?」

「もちろんですともナガセ」

 サクラは花が咲いたように笑う。だが俺が聞きたいのはそこではない。

「以前……会ったことはあるか?」

 するとサクラの顔が、不安げに歪んだ。

「ナガセ。お具合が悪いのですか?」

「戯れだ。忘れろ」


 俺はさっとサクラから顔を背けた。全く、女と言うのは分からん。それで決着を見るのが、一番賢いだろう。俺は自分の作業に集中することにする。サクラは肩透かしを食らったように、その場に佇んでいた。しばらくして、それ以上何もない事を悟ると、口惜しそうに作業に戻る。だが彼女は先程のように没頭せず、チラチラと俺の方を窺っていた。

 効率が落ちた。思い付きで動くものではないな。


 廊下から荒々しい足音が近づいて来る。足音は中央コントロール室手前で止まり、プロテアが顔を覗かせた。

「ナガセ。塀の補強終ったぞ。他に何かあるか」

 俺は振り返らぬまま、声だけで応えた。

「アカシアの所に行って、バイオプラントを見て来てくれ。手が必要なら貸してやれ。必要ないなら好きにすればいいぞ」

 プロテアは荒っぽいが、親しみのある返事をする。彼女はすぐにその場を去るかと思われたが、何かに気付いて室内に入ってきた。


「んぉ――何だこれ?」

 プロテアはマザーコンピューターに小走りで近寄ると、サクラが嫌そうな顔をする。

「ちょっとプロテア。ここは塵とか埃とかは御法度なのよ。機械はちょっとの異物でも機嫌を損ねちゃうんだから。着替えてからきてよ」

『アイアンワンドも、マム・サクラを支持致します』

 プロテアが「わりぃ、わりぃ」と謝るが、部屋を出ようとしなかった。余程良いオモチャを見つけたのだろう。

 俺がプロテアの方を向くのと、彼女が俺にそれを見せて来たのは、ほぼ同時だった。


「これなァ、ジャムッぽいんだけど……まだ食えるかね?」

 プロテアは手に持つそれを、揺らしながら聞いてくる。プロテアはあろうことか、精液の入った瓶を持っていた。

 俺はひったくるようにして瓶を奪い取ると、思わず叫んでしまった。

「バカたれ! こんなもん食ったら腹壊すぞ!」

「バカっていうんじゃねぇよバカ!」

 プロテアはむっとして怒鳴り返してくるが、俺がいきなり大声を上げたことに困惑もしているようだった。俺の顔と、奪われた瓶を交互に見やっていた。やがて、何かに思い至ったように真顔になると、いやらしい笑みを浮かべた。


「何焦ってるんだ……あ~、なんかお前の恥かしい物か? そだろ」

 俺は瓶を背中に隠しながら、しどろもどろに呻いた。

「俺のものではないが……その……恥ずかしいがめでたいものだ……多分。ええいもう聴くな。サクラ。しばらくここを頼む」

 俺はサクラに言いつけると、プロテアを押し退けて、精液の瓶が納められたトレイを取り出すと、それを抱えてコントロール室を後にした。


「あっ! おいナガセぇ! 教えてくれよ! 何なんだよそれは!」

 プロテアの声が俺の背中にかかる。俺は彼女が追いかけてこられないよう、わざと棘のある言葉を返した。

「アカシアが待っているぞ! 早く行け!」

 プロテアは理不尽な俺の振る舞いに、腹を立てたのだろう。小さい声だが、はっきりと悪態を付き、壁を蹴る音が聞こえた。


 そういや彼女たちには、性に関する知識がかけらもないんだよな。弱ったなぁ。男が俺しかいない今、めしべおしべの話をするわけにもいかんし、自然の成り行きに任せることもできやしない。アイアンワンドめ。やはり残した方が無難だったではないか。

 いずれにしてもいきなり怒鳴っちまった。後でプロテアには謝らないといかんな。

「全く。未練がましく残さず、さっさと処理してしまえば良かった。どうせ使い物にならんし、DNAの照合をしたところで、比較するDNAがないのだしな。それに知ったところで、意味も無いか」


 俺は独りごちると、ドームポリスの外に出た。

 プロテアはしっかり仕事をしてくれたようだ。越冬で所々崩れ低くなった塀は、元の高さまで土が積まれ、綺麗に均されている。櫓が追加された見張り台では、デージーとサンが見張りについていた。二人とも、冬眠時の衰弱が嘘のように、溌剌としている。


 ドームポリスは冬で消耗した力を、取り戻しつつある。後は備蓄を貯め、女たちを鍛えるほどの余裕を作れば、戦闘訓練を初めてもいいだろう。

 倉庫入り口の脇では、火がたかれている。冬の間に溜まったゴミを燃やしているのだ。火の傍ではパンジーが、暖を取りながら火の守りをしていた。

「パンジー。この瓶は汚いから、燃え残っても回収せず、割って始末してくれ」

 俺はそう言うと、燃え盛る火の中に瓶を放り込む。そしてもと来た道を引き返した。



 炎の中。ナガセが投げ込んだ瓶が、火に煽られていた。瓶の中には決して多くない精液が、永き時を超えて保管されている。

 瓶には白いラベルが張られていて、それには何も書かれていない。それもそのはず。そのラベルは精液が誰の物か分からなくするために、貼られたものだからだ。ナガセはよもや、その下にもう一枚ラベルがあるとは夢にも思っていなかった。

 瓶が炎に炙られると、ある瓶の白紙のラベルが燃え、その下のラベルが露わになる。そこには精液の採取主の情報が記されていた。

『Name:Kyouichirou・Nagase Belong to: japan blood type:O Gene Revised』

 ラベルにはそうあったが、眼に見えたのはわずか数秒の間だけだ。すぐに揺らめく炎に煽られ、燃えて消し炭に変わっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る