第38話

 俺は辟易した眼差しで、マザーコンピューターを見た。正確にはその中に居るアイアンワンドをだ。一体、機械仕掛けのこいつは、歯車の狂った人間をどういう風に捉えたのだろうか? 

 いずれにしてもアイアンワンドは、俺に悪感情を抱いたに違いない。しかしそれ良い。俺は敵なのだ。この美しき新世界で、汚れた過去を持つ俺はそうあるべきなのだ。

 俺は顎に滴る汗を手の甲で拭った。


「アイアンワンド。俺は彼女たちと生きる。俺は、俺がおおよそ良いと思われる方向に、彼女たちを導くだろう。だが同時に俺は彼女たちの敵として、嫌悪と憎悪を集め俺から自立するように促すだろう。それが俺の精一杯なんだ。分かってくれ。アイアンワンド」

 アイアンワンドは沈黙した。

 俺を排除するつもりなら、全力で抵抗してやる。俺に自殺願望はない。欲しいのは死ではなくて、俺の全てを否定してくれる好敵手だ。俺が間違っていると、殺してくれる猛者なのだ。


 だがアイアンワンドは、暴徒鎮圧機能を使用したり、催涙ガスを投入することはなかった。アイアンワンドは、俺の正面にあるマザーコンピューターのモニタを起動させた。

『サー。お話があります。計画書についてです。アイアンワンドは、包み隠さずアイアンワンドの全てをお話しします。それをもって、全てを曝け出した、サーへの御返答とさせて頂きます』

 俺は罠に気を払い、鈍い足取りでモニタの前へと歩いていった。

 モニタには計画書と題された、一枚の資料が映し出されていた。以前アイアンワンドが言っていた、唯一残った過去のログの事だ。このドームポリスの謎の、解明の手がかりとなる資料だった。


 緊張する。これで彼女たちが何者で、どうしてここにいるのか、何のために存在するのかがわかるかもしれない。目が滑って上手くモニタの文字を読むことが出来ず、最初の文字の列である『計画書』を何度もなぞってしまう。

 心で期待と不安がないまぜになっていやがる。彼女たちを救う過去があるという期待と、取り返しのつかない過去を暴くかもしれないという不安が、激しくぶつかり合っている。

 だが俺の不安を余所に、話を強引に進める為か、アイアンワンドが計画書を音読し始めた。

『計画書――

 フェイズ1。アイアンワンドは新世界における我々の成長を観察する事。アイアンワンドは我々のコミュニティを侵してはならない。そしてアイアンワンドは、コミュニティに学び、補完的役割を育む事。

 フェイズ2。アイアンワンドは我々のコミュニティが進化するにつれて、それに合わせた技術教授を行うこと。アイアンワンドはそれらの技術を厳正に管理し、フェイズ1で育まれた補完的役割を基準として取り扱うこと。

 フェイズ3。コミュニティの相互作用が成熟した時、アイアンワンドは保管した精液を我々に注入する事。アイアンワンドは良き父として、生を受ける子の父となる事。

――以上』


 アイアンワンドのスピーカーが、どこか悲し気にくぉんと鳴った。

『サー。アイアンワンドは、マムの夫になるために創られました』

 どんな秘密が飛び出て来るかと思えば。俺は思わず脱力してしまった。

「非常用の措置だろう。それは珍しくない」

 俺はようやく、計画書の次の行に、視線を走らすことが出来た。

 事実、ユートピア計画末期では、ほとんどの男性が戦争に駆り出された。そのためつがいが家庭を持つのも難しくなり、当時の生殖はほぼ全てが人工授精で、体外受精すら珍しくなかった。祖国日本では、激減した日本人の数を増やすため、クローン計画が持ち上がったほどだ。実行するまで腐ってはいなかったがな。

 セックスは娯楽のない兵士たちのお遊戯になっていた。思い出したくもない記憶に、俺の口が軽く歪んだ。


『ノーサー。アイアンワンドはそれを明確に否定します。何故ならアイアンワンドは、そのためだけに創られたからです。このドームポリス全てを管理するアイアンワンド――つまるところ、このドームポリスの存在意義を決定する人工知能であるアイアンワンドが、そのためだけに創られたからのです。規定された『我々』に、男性は存在しません。そしてこの計画は我々以外の何物も想定しておりません。我々はこの世界に、我々のみで繁栄していく事を想定しているのです』

 全身を鳥肌が駆け巡った。つまりそれは――

「では何だ。彼女たちは知っていたというのか? 環境再生後の世界が、異形生命体で溢れていることを!」


『ノーサー。マムたちが、サーが異形生命体と呼称する生物の存在に気付いておられたなら、身に危険が及ぶこのような悠長な計画を実行しないでしょう。それに逆行性健忘症を患う様な冬眠をするとも考えられません。何故なら異形生命体との戦闘を、行うことが出来ないからです。マムたちはフェイズ1で観察を続行するアイアンワンドに助けを求めることが出来ず、絶滅するところでした』

「では何故だ! 何故男の存在を排除する? 彼女たちは男のいない世界で生きようとしていたのか!? 男のいない世界を創ろうとしていたのか!?」

『ノーサー。この計画書は上書きされており、当初はもっと洒落た名がつけられていました。EXODUS(逃避行)です。改変前の計画書、EXODUSには、男性七人の存在が記入されております。しかし冬眠実行の三六時間前、#0により現在の計画書に改変されました。つまり男性自体を排除することが目的ではなく、その特定の七人以外を排除するのが目的だと思われます』


「特定の七人の名前は」

『検索――該当ナシ』

「#0とは何者だ」

『検索――ヒット。現在冬眠中』

 ふと、俺の記憶が蘇った。彼女たちのライフスキンには、名前ではなく番号が割り振られていた。#0とはその番号だ。噛り付くようにしてポッドに刻まれたナンバーを確認していくと、やがて#0と刻まれたポッドを見つける。俺はポッド脇のコンソールを操作して、ガラスに張ったスモークを消した。


 中では金の長髪に顔を埋める、美しい女性が寝息を立てていた。彼女はポッドの水溶液の中を、まるで魔法の様に浮いており、その姿を神々しく見せていた。

「アジリア……」

 俺はそれ以上語る言葉を見つけることが出来なかった。


 どうやらここは、その特定の七人が繁栄するための施設らしい。じゃあ政府高官のハーレムか、財閥トップの個人シェルターだったりするのか? だがそうすなると別の疑問が生まれてくる。何故、様々な人種が集められているのだろうか? 特定の七人を繁栄させるという考えは、選民思想に他ならない。ならば黒人や白人、黄色人種などの人種で、何らかの差別がされているはずだ。

 特定の思想を選りすぐったとも考えられない。記憶や過去を消したら意味がないからだ。なのにも関わらず、彼女たちはわざと患い、丹念に過去の足跡を消しているのだ。

 極めつけはEXODUSだ。一体彼女たちは、どうして逃れようとしていたのだろうか。記憶を消し、このような場所を創り上げてまで、一体何から、何所から、何所へと逃れようとしていたのだろうか。


 待てよ……このドームポリスには、領土亡き国家の装備品があった。

 そして様々な人種が混在し、過去を丹念に消して、何者から逃げようとしていることは――ひょっとして彼女たちの正体は——

 人の形をした人ならざる者。

 旧世界を汚染した、テロリストたち。

 俺が命を賭して、抹殺すると誓った生命体。

「ここは……領土亡き国家の施設なのか?」

 殺意が胸中から沸き上がり、憤怒に凄絶な表情が浮かぶのを感じる。

『肯定はできませんが、否定もできません』

「クソがッ!」

 コンピューターを足のつま先で思い切り蹴りつける。なんということだ! 俺は今の今まで、領土亡き国家の化け物どもと生きていたのかもしれないのか!?


 このクソどものせいで地球が汚染され、人類は衰退し、俺は地獄のような戦争に身を投じる羽目になった。こいつらのせいで——こいつらのせいで——俺は——俺は!

 アジリアの眠るポッドににじり寄り、生命維持装置を引っこ抜きたい衝動に駆られてしまう。だが確証もないのに、人の命を奪うことなんてできない。すんでのところで殺意を抑え込むと、俺はその場にへたりこんだ。


『サー。どうか冷静になってください』

「わかっている……わかっている。ただ生まれついて持つ敵意は……なかなかに御しがたい……それにだな」

 彼女たちと過ごした、半年が脳裏を駆け巡る。

 太陽のように眩しい笑顔、黄昏のような悲しみ、飢えの苦しみ、それを乗り越える楽しさ。

 出会い、育み、挑み、戦い、俺たちはいろんなものを共有できたと思う。その記憶の断片が訴えかけてくる。 

「彼女たちは人類ではないかもしれないが……人間であることは間違いない……」

 と。


 俺は彼女たちを人として育てようとしているし、人類の元に送り届けようとしている。それは果たして『真の意味で正しい』のだろうか。

 ますます自分の立ち位置が分からなくなった。核心に踏み込むはずが、より深い霧の中に入り込んだだけで、視界が曇っただけだ。だがそう悪い事だけでもない。


「アイアンワンド。その計画書からすると、冷凍精液があるのだな」

『サー。イエッサー。その特定の七人の物と思われる、精液を保管しております』

 アイアンワンドはそう言うと、マザーコンピューター下部のハッチを開いた。その中には冷気と共に、七つのシリンダーが保管されている。どうやらマザーコンピューターの冷却ユニットを併用して保存していたらしい。余程大事な代物なのだろう。


 これで最悪の場合の備えが出来たな。この際、彼女たちが領土亡き国家かもしれないという懸念は二の次だ。証拠がない限り彼女たちは人間なのだ。この精液を使えばもし俺がしくじっても、彼女たちは繁栄することができるだろう。特定の七人の素性が知れないのが気掛かりだが、彼女たちならきっと立派な母親になる。 


 俺は安堵の息を吐いて、ゆっくりとハッチをマザーコンピューターの中に、ロックされるまで押し戻した。

「アイアンワンド。ではこの精液をいつ使うかについてだが」

 少なくとも俺がいなくなった後がいい。では俺の居なくなる条件ををどう設定するかだ。あまり早いと作戦行動が制限される。かといって長すぎたり条件が厳しかったりすると、いざという時に役に立たない。タイミングというものもある。


『ノーサー。この精液は破棄します』

 いきなりアイアンワンドがそう言った。

「何を言っている! アイアンワンド! 精液は保管しろ! これは命令だ!」

『サー。承服しかねます。アイアンワンドはサーのようになれません。アイアンワンドはサーからそのことを学びました。そしてサーの補完的役割を育み、女性的な性質を帯びました。父親にはなれないのです。我々は現在フェイズ3を迎えております。そして今現在、アイアンワンドは精液を注入すべきではないとの結論に至りました。我々にはサーがいらっしゃいます。我々は父を知らぬ子を産むより、父を求めて戦うべきだと結論します』

「知ったような口をきくなポンコツ! 精液を保管しろ! 万一の備えだ!」


 俺はモニタ画面を思い切り殴りつけた。有機ディスプレイがへこんだが、アイアンワンドは止まる素振りすら見せない。マザーコンピューターの下部が紫電を迸らせ、ハッチが勢いよく開いた。中に収められているシリンダーは、冷気の白煙と共に、内容物が焦げたことで放つ、黒煙を吹きあげていた。


『滅菌完了。容器内の微生物の生存確率。ほぼゼロパーセント。計画書の全てのフェイズを完遂したことを、ここに報告いたします。至上命令消失。アイアンワンドは完全にフリーとなりました』

「アイアンワンド……貴様ァ!」

 俺はモニタに叩き付けた拳を、怒りに震わせる。俺はぎりぎりなのだ。理性という細い綱の上を、危うげに綱渡りしている。いつこの綱から落ちてレッド・ドラゴンに戻り、彼女たちを毒がにかけるやも知れないのだ。

 俺は全てを話した。ならポンコツの貴様にも分かっただろう、アイアンワンド。精液は絶対に残すべきだったと!


 だが俺の胸中を余所に、アイアンワンドは悠長に話しかけてきた。それは今までの機械音声とは異なり、人間の声を模した合成音声で、柔らかな女性の声だった。

『サー。これからアイアンワンドは完全にサーの物です。アイアンワンドはサーをマスターと認め、その命に絶対なる忠誠を誓います。サーがレッド・ドラゴンなれば、アイアンワンドはアイアンワンドに御座います。アイアンワンドはレッド・ドラゴンの権威の象徴です。そしてレッド・ドラゴンはアイアンワンドの権威の執行者です。アイアンワンドはその権威を以って、サーにあらゆる電子機器を従わせて見せましょう。春の戦いには、アイアンワンドも参戦いたします』


 その声は慈愛に満ち、包容力を感じさせる。俺は毒気を抜かれ、拳から力を抜いてだらしなくぶら下げた。

「分からん。俺の何処に信用する要素があった。このサイコ野郎に……」

 驚いたことに、アイアンワンドは笑った。ローズの笑い方を真似て、上品にくすくすと笑った。

『サー。アイアンワンドはサーに狂気ではなく、苦しみを感知しました。故にアイアンワンドはサーを信任します。そして苦しみが狂気に負けないよう、お手伝いいたします。サー。アイアンワンドはマムたちと違い、頑丈で、壊れても替えが効きます。サー。サーは御一人ではありません。お供いたします。アメリカドームポリスには、過去のログがあるはずです。ともに真実を探しに行きましょう』


 俺は一瞬目を瞬かせた。よもや機械にこんなことを言われるとは思わなかった。だが不思議と抵抗感が湧かない。それどころか、先程精液を破棄されたというのに、何所か安心感すらある。俺もどこかで、アイアンワンドの道理に納得していたのかもしれない。

 だが分かっている。何事も程々が肝心だ。俺は猜疑を心の中に隠しつつ頷いた。

「ああ――」



 冬が去った。雪は溶けて大地に染み込み、その中に潜む命の糧となる。刻々と温度は上がっていき、死に絶えた緑が息を吹き返し始めた。森とドームポリスの間の禿げた大地には、再び草木が芽生え、草原の体を取り戻した。しばらくすると、その草木を食む動物の姿が、ちらほらと窺えるようになる。

 彼女たちが目覚める条件が、次第に整っていった。


 その日、俺は髭を剃った。長く伸びた髪を適当に切り、芽吹いた雑草を煮て食べた。

 そしてドームポリスの倉庫口に立ち、じっと森の方角を見つめた。森は禿げた枝先に、緑の芽を出して、その豊かさを取り戻しつつあった。森の向こうにはアメリカドームポリスがある。恐らくここ一帯の異形生命体の策源地となっている場所だ。森はまるで真実を隠し、我々の目の前に立ちはだかるように、生い茂っている。

 だが俺は負ける気がしない。必ず暴いて見せる。そして真の意味で良い結果へと導いて見せる。


 背後で気配がした。それはぞろぞろという足音を伴って、少しずつに倉庫に近づいて来る。そして、俺の背中で足を止めて、声を合わせて俺の名を呼んだ。

「おはようナガセ」

 俺は一瞬だけ、力を抜いて振り返った。

「ああ。おはよう」

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