第37話

 彼女たちが冬眠してしばらく。異形生命体との争いが続いた。

 マシラは、人攻機が雪原をかき分けて作った通路を辿って、ドームポリスに襲来した。しかし直線通路を猛進する事しかできず、より狙いやすい的になっただけだった。ムカデはあの突起状の足で雪原を越える事が出来ないのか、姿を見る事はなかった。

 厄介なのはいつだってジンチクだ。連中は袋のような身体を上手く使い、雪の上を滑るようにして這い回ることができた。そして俺が撃ち殺したマシラの死体を貪るために、ドームポリスに近づいてきた。


 俺は極力ジンチクに手を出さず、死体を喰い付くして森に帰るのを待つことにしていた。しかし貪欲なジンチクは、浜辺に輝く建造物に気付き、死体にあぶれたものから這い寄ってくるのだ。俺がそいつらを迎撃すると、新しい死体が餌になる。そして餌に気付いたジンチクが、血の匂いに誘われてドームポリスに寄ってくるのだ。


 俺は見張り台に張り付いて、不眠不休で警戒に当たった。そして黙々と狙撃銃で、雪原を滑るジンチクを撃ち続けた。

 二週間も過ぎると、異形生命体の数が、眼に見えて減り始めた。連中も冬眠を始めたか、力尽きたのだろう。それまで雪原は俺が撃ち殺したジンチクが点在し、赤い斑点を作り上げていたが、ジンチクが食い荒らす前に、降った雪に埋まっていった。


 更に一週間が過ぎると、世界には静けさが満ちた。人攻機が雪原に空けた道は、すっかり雪に埋もれてしまい、マシラはドームポリスに近づけなくなった。ジンチクも餌のない場所に興味が無いのであろう。あのブサイクな体で雪の上を滑る姿を、ぱったりと見なくなった。


 残ったのは俺と、春までの膨大な時間だけだ。やはり孤独とはきついものだ。あの畜生共ですら、例え殺す価値しかない異形生命体ですら、居なくなると寂しいと感じるのだから。

 その日もいつも通り、中庭の雪かきを始める。終わると、塀に立てたセンサーに、異常が無い事を確かめた。それから俺は、雪の中に埋めた豚の肉を取り出して、少し切り取って食べた。

 豚肉は、口内に久々の味覚として染みわたる。それは味覚というより刺激に近く、顎に軋むような痛みが走った。良く噛みしめて、唾液と共に飲み込む。空きっ腹に入った肉は、胃液を吸うように胸を苦しくさせた。


 俺はきつく目を閉じて、虚しい嘆息をついた。今のうちに慣れておけ。彼女たちが起きたら、もっと孤独は深くなる。


 俺は寂しさを振り払うように、倉庫に入って作業に没頭する事にした。倉庫の装備を再確認し、展開可能な陣形や、実行可能な作戦を確かめていく。それから倉庫の真ん中であぐらをかくと、床に資料を広げた。そして女たちとの交流から判明した適性や相性、そして効果的な運用法の考案も始めた。


 アメリカドームポリス奪回作戦の立案だ。


 部隊は四つは欲しい。機動部隊三つに後方支援部隊一つだ。一部隊で敵を突いて引きつけ、もう一部隊で待ち伏せを仕掛ける。残った一部隊が迂回して後方から攻めれば、殲滅することは容易いだろう。するとスリーマンセルが基本単位になる。残った二人はこのドームポリスの守護だ。

 はっきりいって異形生命体は猿以下の知能しか持ち合わせていない。まともに戦えば人間様の敵ではないだろう。だが奴らに恐怖はなく、逃げるという選択を取らないのがネックだ。アメリカドームポリスを奪回するには、文字通り奴らを根絶やしにする必要がある。


 虐殺(ジェノサイド)か。俺ですら数回しかしたことがない。その俺が罪の意識に溺れている。例え相手が化け物でも、心労は計り知れない。彼女たちの心がもつといいが、それまでに人類と合流する必要がある。

『サー』

 不意にアイアンワンドに呼び掛けられる。俺は床を蹴って立ちあがった。

「敵か!?」

『ノーサー。サー。申し訳ございません。誤解をさせました。サー。ご質問をお許しください。それは何に対する備えでしょうか?』

 俺は脱力してその場に座り込んだ。そして床の上に広がった書きかけの作戦や、駒が並べられた陣形図、そして内陸調査で撮った写真を視線で撫でた。俺はこの作戦通りに、彼女たちを駒のように進め、写真を見る影のない荒れ地に変える。

 俺の命令でだ。


「来年から派手にドンパチを始める。ここの弾薬が尽きる前に、我々の力でアメリカドームポリスを奪回する。そして内陸探査の拠点にする」

 アイアンワンドはしばし沈黙し、雑音だけをスピーカーから響かせた。

『サー。その必要性を、アイアンワンドは十分に理解しております。このままでは弾薬が尽き、我々の戦力は低下していきます。そして物量に押し込まれて敗北するでしょう。サーがその分岐点を迎える前に、行動を起こそうとしています』

「そうか。なら話は早いな。邪魔をしないでくれ」

『サー。同時にアイアンワンドは危惧しています。サーが目的達成のために、マムに犠牲を強いる事になるからです。そしてサーが、ご自身の歩まれた道を、マムたちにも歩ませようとしているのではないかと、推測することも可能です。繰り返します。アイアンワンドは危惧しています』

「だがな、敵の性質上、撤退などしない。奴らは欲望に率直だ。やるしかない。じゃないとやられる」

 俺は淡々と事実だけを告げた。


『サー。家庭を持たれてはいかがでしょうか? 子を為せば、グループの緊張は和らぎ、同時に護衛目標を得る事で、団結力も高まります。更に異形生命体との戦闘に意義を見出す事でしょう。候補としてはマム・サクラ、マム・プロテア、マム・アイリス、マム・ローズが挙げられます。以上のマムは、好意と呼べる感情レベルを、サーに対して抱いております』

 俺は深く息を吸った。またあの煙草の匂いだ。ここ最近匂いだけを嗅ぎまくっている。こうなったらヤケになって一服するのも手だな。俺は煙を払うように、目の前の空気を払った。だが臭いは一向に薄れない。

 俺は腹立たし気に、床の資料類を腕で薙ぎ払った。駒が空しい音を立てて床を転がった。だが臭いは消えない。俺はゆっくりと立ち上がると、逃げるように中央コントロール室に向かった。


「アイアンワンド。俺はサイコ野郎だ。その俺が家庭を持だと? む……むり……無理だ」

 声が震えた。足取りは重く、まるで泥の中を歩んでいるみたいだった。

『サー。何があったのですか?』


 ただただ寂しかった。冬の凍えは俺の身体を冷やす。それ以上に、孤独が心を極寒に叩き落している。鉄の冷たさがマシだと思えるほどにだ。

 俺は懺悔するように喚いた。


「聞きたきゃ教えてやる。俺は元々機動要塞の守備隊に配属されていて、そこで教鞭をとりながら任務に当たっていた。だが戦功を立てるうちにユートピア計画に招集され、国連軍の所属になった。そこで新設された第666独立遊撃部隊に配属された。捨て駒としてな」

 俺は両手を強く握りしめて、記憶と共に心の奥底から湧き上がる憤怒を抑え込もうとした。

「最悪な部隊だった。司令はシャレで名前をつけたそうだが、666という数字は伊達ではなかった。初日で仲間に足を撃たれ、数日後に生徒に貰ったハチマキでケツを拭かれた。俺は泣きべそをかきながら、飲料用の水を使い果たしてハチマキを洗った。貧血と脱水で死にかけたよ。聞いているのかアイアンワンド!」

『サー。イエッサー』


「奴らは人として腐りきっていてな、扱う任務も胸糞が悪くなるようなものばかりだった! それでも俺は共に戦い続けた! ユートピアを信じていたからだ! かつての生徒に希望ある未来を残せると信じていたからだ! だからどんなことでもやった……やりまくったんだ!」

『サー。サーは立派にやり遂げました。そしてこのユートピアがあるのです。それを誇りに思うべきです』

 俺ぎろりと天井に取り付けられた、カメラを睨み上げた。

「黙れポンコツ。聞きもせずに分かったような口をきくな。俺が何をしたか教えてやろう。まず最初の任務だ。何の子たぁない。年端もいかないガキを政略結婚のいため、八十過ぎのジジィに送り届けるのさ。途中で暗殺者に襲われたが、俺はうっかり勝っちまった! 親が最後の良心で放ったとも知らずにな!」

 あの子の顔が頭に思い浮かぶ。何も知らない無垢な笑顔で、『ありがとう。キョウイチロー』と、これからどんな目に合うかも知らないで、あの子はいったんだ!


 そこで俺は気を静めるために言葉を切った。しかし昂ぶるだけで、一向に収まる気配がない。罪悪感で窒息しちまいそうだ。全部吐き出しちまえ。

「二度目の任務でヨーロッパに駐屯することになったんだが、そこは領土亡き国家の特攻作戦を迎え撃つことになった。あいつらハイランダーという旧世代の飛行機に、しこたま汚染物を積んで突撃してきやがったんだ。俺は足止めの部隊に配属されていたが、急に配置転換が行われて、ハイランダーを高高度から爆撃することになった。仲間もろとも! あとで知ったよ……俺とつるんでくれた仲間を、この手でミンチにしてしまったってな!」

 あいつの顔が今度は浮かぶ。希望に笑顔を輝かせて、『勝負しようよ。どっちが英雄に選ばれるか。な。キョウイチロー』ってな! まさか目の前の男に殺されるとは、夢にも思わなかっただろう。


「そして226避難所だ。領土亡き国家にドームポリスを追われた避難民を、新しいシェルターに連れて行ったんだ。そうしたら何だ? そこは安全ではなく、暴徒に支配されていたんだよ! 避難民が暴徒に嬲られ殺されていく中、俺は一人だけ逃げた……そして……そして……暴徒を皆殺しにしたよ……千人以上をな……」

 背負った子どもの安堵の息が、耳にかかる感触を思い出す。『キョウイチロー……ココは安全なんだね』ヘッタクソな英語で、俺に話しかけてくれた。顔は——顔は——暴徒に喰いむしられて分からない。


「そうして功績を上げていく俺たちに、最高の栄誉が与えられた。人類の冬眠に必要な、遺伝子補正プログラムの輸送任務だ。だが仲間たちは俺に不意打ちをかますと、最高機密のそれを持ち逃げした。その時だ。俺は完全にキレた」


 のどがカラカラだ。かといって何も受け付けたくない。矛盾が俺を挟み、すりつぶし、耐えがたい苦痛を与えてくる。

「良く分からない。心の奥底から、残虐な想いが溢れ出て、俺の……俺の良識を食い散らかしていった。俺が狂気に溶けていく中、その感情は心を占領し、仲間だったあいつらをどうやって殺そうか、それだけを考え始めた。その時、俺の全てはその為だけにあった」

 俺の気が遠く、重く、過去に沈んでいく。そして今の俺を作り上げた、強烈な体験が蘇ってきた。過去の俺を、今の俺が殺した事件だ。

「一人目のダンは、人攻機で押し潰して殺した。地面に叩き付けた饅頭のようになって奴は死んだよ。二人目のリーはずっと簡単だった。ダンの躯体データを使って不意打ちをかけた。そいつ汚染空気に放り出して、血を吐き散らかして死ぬのを見守った。爆笑ものだったよ……三人目のリタは色仕掛けだ。心にもない愛の言葉をささやきながら、銃を手に追いかけた。止まったところをズドン。まだ息があったから拳銃をしゃぶらせてやった。ズドン。その時に腹に傷を貰った。リタは……リタは……俺がやった指輪を大事につけていた。高級品だから売っぱらっちまったと思っていたよ。俺にはそれができないからリタにやったんだ。分からねぇ……分からねぇ!」


 腹立ちまぎれに壁を殴りつける。だが痛みは心の苦痛を和らがせてくれない。


「四人目。隊長のアロウズだ。もう止まることができない。殺さなきゃ収まりがつかないんだ。自分が自分じゃない。だけどこれが自分なんだ。俺がひた隠しにしてきた俺なんだ。お前にこの絶望が分かるか!? 」

『ノー・サー』

「だろうな。俺は殺してくれと叫びながら、その女を追い詰めた。俺は銃口を突きつけ、あいつも銃口を突きつけてきた。俺は限界ぎりぎりまで、引き金を絞るのを遅らせた。だがアロウズは引き金に指すらかけなかった。くたばることが分かると、安物の煙草の火をつけて、へらへら笑いながら腹を撫でた。俺は撃った。ズドン。終わりだ。だが俺は止まらなかった!」

 アロウズは頭から血を吹いて倒れた。だがまだ生きている。まだ生きている。

「アロウズに馬乗りになり、ナイフでバラバラになるまで切り刻んだ。俺はそいつがどうしても……どうしても許せなかった! 後日回収に来た部隊が、肉片の中に血まみれで座り込む俺を見て一言つぶやいた。レッド・ドラゴンとな。それから赤い竜が俺のマスコットネームになった」


 中央コントロール室に辿り着く。俺はマザーコンピューターの前に立つと、視線を俯かせて顎を震わせた。瞳からは涙が零れ、頬を伝っていった。

「その時、俺は化けものになった。そして今までの俺の全てといえるものを……失った。その俺が……家庭をもてるか? 出来ない。俺には無理だ。俺は硝煙と血の中でしか生きていけない、化け物なんだ」


 アイアンワンドはわざと沈黙を作り、それを俺への回答に使った。恐らく危機感と、僅かばかりの気使いをかけてくれるのだろう。しかし機械は冷静で、現実的だ。見るところはしっかりと見ている。

『質問がいくつかあります。情報の補完に必要なものです。ただ殺しただけでは赤い竜の名を課せられません。レッド・ドラゴンの特性から察するに、マム・アロウズはサーの――』

「黙れェェェェ!」

 荒い息を付きながら目を白黒させる。煙草の煙に埋もれた視界を晴れさせようと、何度も何度も顔を手の平で拭った。だが霧は晴れない。

「だから引き裂いてやったんだ! あんなものこの世に存在してはいけないんだ! だから……無理なんだ……出来ない……出来ないんだよ……」

 俺は一生賢明に煙草の霧を払って、この悪夢から這い出ようとする。ここは何処だ。もう長い事この霧に煙に巻かれてきた。もういい加減ここから出たい。俺は独りのままなんだ。誰かに助けて欲しい。気が触れたように腕を振り回し、駄々を捏ねるように地団太を踏んだ。


『サー!』

 アイアンワンドの大声に、俺は我に返った。霧なんてどこにもない。居るのは俺だけだった。

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