第36話
数分後にはコントロール室に、ライフスキン姿のプロテア、ピオニー、アジリア、そしてパギが集まった。
プロテアとピオニーはそれぞれ自分のポッドに腰かけていた。俺が入って来ると、二人はやるせない笑みを浮かべて、手を振ってきた。パギは薬で眠りこけるアジリアを、まるで人形のように動かして遊んでいる。パギは俺に続いてサクラが入ってくると、アジリアを放り出してその胸の中に飛び込んでいった。
「おい。あまり乱暴に扱うな」
人形じゃないんだから全く。玩具みたいにベッドに横たわるアジリアの様子を見ると、アジリアは今までの強面が嘘のような、柔和な面持ちで眠っていた。改めて見るとまるで両家のお嬢様のようだ。寝不足の分、眠りを貪っているのか、口角からは微かに唾液が垂れていた。
俺が居なければ、彼女はこんな顔をして、サクラと笑っていたのだろうか。
そんな事を思いながらアジリアのライフスキンに薬瓶を取り付けて、仰向けに気を付けの姿勢で寝かせた。
他の女たちにもアジリアを手本にして、同じ姿勢を取らせる。パギが駄々を捏ねたが、すぐにサクラが彼女をなだめ、ベッドに寝かしつけた。
その後全員のライフスキンに、正しく薬瓶が取り付けられているか確認して回る。パンジーは酷く落ち着かない様子で、薬瓶をチェックする俺を、横目でチラチラ見ている。まだ記憶が消えることを恐れているのだろう。
そんなに緊張してたら、いい夢は見れないぞ? パンジーの頬を摘まんで、思いっきり横に引っ張ってやる。パンジーが声にならない悲鳴を上げるが、まだまだ緊張しているな。俺はパンジーの背後に回り込んで、皆にも見えるように顔をいじくり回してやった。
「お~い見ろ。こいつのほっぺ柔らかいぞ」
隣のベッドにいたアイリスが思わず吹き出す。柱状のマザーコンピューターの向こうにいたプロテアは、ベッドから身を乗り出してこちらを窺う。そして腹を抱えて笑い出し、ベッドから落ちた。
「あに。ふる。はなへ! ばか!」
パンジーが激しく四肢を振り回して抵抗する。俺はあっさり彼女を離すと、肩を安心させるように叩いた。
「起きたら俺を殴れ。この事は絶対に覚えている」
パンジーは不機嫌そうに俺を睨んでいたが、ふっと表情を和らげてクスリと笑った。そしてゆっくりとベッドに横たわると、俺をチラチラと見るのを止め、いつもの無表情に戻った。
「よし。これから最終確認に入る。冬眠をすると春まで寝たきりだ。それでもいいんだな?」
マザーコンピューターの周りを回りながら彼女たちに聞くと、無言で頷き俺を見つめ返してくる。一部、パギは隣のベッドのサクラを見つめ、アジリアは寝息だけを立てていた。
「分かった。これから冬眠させる」
俺はコンピューターを操作しようとした。
「あれ……ナガセは……? どうするの?」
パギがふと疑問の声を上げた。すると皆がにわかに上半身を起こし、引きつったっ顔を俺に見せてきた。癇の良いガキだな。余計なことを言いやがって。
「お前らの後で寝る」
俺は何でもない様に返事をする。しかし納得いかないように、サクラが悲鳴を上げた。
「嘘は言わないで下さい! どうするんですか!」
俺はコンソールに落とした視線を、天に持ち上げた。最初っから決めていた事だ。
「誰かがここを守らなければならない」
「それはドームポリスを閉鎖すればいいのではないでしょうか? ナガセが来る前のように、閉じ籠ってしまえばいいのではないですか?」
アイリスがいうが、それは難しい。天板は剥がれているし、張り直してもそこは脆弱だ。それにアメリカドームポリスは冬眠中に、異形生命体が内部に入り込んだことで全滅した。もしかしたら構造的欠陥があるのかもしれない。確認する術はないし、安全を確保するには、敵を警戒するしかないのだ。
「万一ジンチクが内部に入り込んだらどうする? お前らは眠っている。嬲り殺しにされる」
「でもぉ~もうご飯ありませぇん!」
ピオニーが泣き声を上げた。
「おいおい。俺がお前らをほっぽりだして、ぶらぶら飯を探しに行くと思うか?」
「そう思えねぇよ……だから聞いてるんだよ! どうするんだよ!」
プロテアが問い詰めて来る。俺は笑うと、腰に手を当てて自分を大きく見せた。
「俺は強いんだぞ? 一人なら何とかなる。それに今日豚をしとめてな、俺が越冬するには十分だ」
「あ……え……でも……」
パンジーが歯切れの悪い声でつぶやく。
だから俺ははっきりといってやった。
「寝るなら寝てくれ。嫌なら起きててもいい。だが俺は寝てくれた方が助かる」
女たちは俯いて、それきり何も言わなくなった。
ただ、パギがベッドから飛び降りて、俺の目の前まで歩いてきた。彼女はボロボロになった、ピコのぬいぐるみをきつく握りしめる。そして俺を挑発するようまなじりを吊り上げた。
「独りは寂しいよ。耐えられるの?」
彼女は恨みがましい目で、俺を見上げる。俺は膝を折ると、彼女の目線の高さまで腰を落とし、しっかりと視線に答えた。
「知っている。慣れっこだ」
パギは憎しみを少し薄れさせ、俺を憐れむように表情を儚く変化させた。俺は寂しいのに慣れっこだから、ピコを平気で殺せると考えたのだろう。それはあながち間違いでもない。
パギはピコのぬいぐるみを、俺の腕の中に押し付けた。
「今度はちゃんと守って」
彼女はそう言い残すと、自分のポッドに駆け戻って、眼をきつく瞑って横たわった。
これ以上気持ちが揺らぐ前に、冬眠処置を施すか。俺はマザーコンピューターを操作して、彼女たちの身体に薬物を注入した。その眼が微睡んでいき、室内から俺以外の気配が途絶えていく。まるで彼女たちは潮の如く引いていき、俺は浜辺に一人取り残されるような、寂寥とした雰囲気を感じた。
俺は見納めに一人一人の様子を、巡回して見まわった。各々が安堵に恍惚とした表情を浮かべながら、深い眠りに酔っている。
サクラのベッドまで来ると、彼女が首を傾けて俺の方を向いた。汚れのない美しい目で、俺を見送りにきてくれた少女によく似ている。俺はその眼で見つめられることに耐え切れず、手の平で頬を押して天井を向かせた。
多分。彼女はこのユートピアに帰ってこられる。
でもどうしてだろう。俺はこのユートピアに帰れないような予感がしたのだ。
「ナガセ……私が起きたら……また会えますか?」
「ああ。待っている」
サクラは気持ちよさげに俺の手に頬擦りをする。そして夢の世界に片足を踏み入れながら聞いてきた。
「ナガセ……ナガセはどこから……来たのですか?」
俺の答えを待てず、サクラはすぐに深い眠りに落ちた。
俺は彼女の頬から手を離すと、ポッドから離れた。すぐにポッドのカバーがスライドして閉まり、中が水溶液で満たされ始める。そして彼女たちが水溶液に沈むと、ポッドはスモークになり、中が見えなくなった。
廊下を歩く一人分の足音が、虚しくドームポリスに響き渡る。静寂の中で俺の浅い呼吸が空気を乱し、普段は聞こえない自らの鼓動がビートを刻むのが聞こえるほどだった。
「どこから来たか……か……」
過去といっても信じるはずもない。仮に信じたとしても、過去何があったかなど話せるわけもない。ヒトの本性が剥き出しになった最終戦争だ。今さら必要ない事実だろう。
だが俺は過去を経てここにいる。俺は彼女たちと違い、過去のイデオロギーや、価値観を引き継いでいることは確かだ。それはこの世界では邪魔にしかならないだろう。
俺は姿見の置いてある、シャワー室前の廊下まできた。何気なく鏡を覗き込むと、そこにはレッド・ドラゴンが映っていた。
血で全身を赤く染め、肩には裏切り者から刈り取った首を担いでいる。首の数は全部で六個もあり、あまりに長い間持ち歩いたせいで眼窩から目玉がこぼれ落ち、皮膚が軽く萎びていた。背中には翼のように、二枚の旗を羽織っている。国際連合旗と、中隊旗だった。
俺はレッド・ドラゴンの顔を見ることが出来なかった。奴はそれを承知で俺を食い入るように見つめている。俺は意を決して奴を睨もうとしたが、まばたきをした一瞬の隙に、レッド・ドラゴンは消え失せていた。
俺は酷く惨めな顔をする、自分しか見ることが出来なかった。しかしそいつは偽物なのだ。
仮にだが、俺の記憶を消し飛ばしてしまえば、俺は許されるのだろうか。俺の罪は消え去るのだろうか。洗礼を受けることができるのだろうか。
いっそのこと記憶を消す方法を探し出し、彼女たちと真の意味で共に歩んでいこうか。
だが自嘲気に嗤う。
分かっている。答えはNOだ。記憶を消しても、俺の本質は変わらない。本質は必然的に自分の欲求を探り当て、同じことを繰り返す。そしていつか人類と合流すれば、嫌でも事実を突きつけられる。
俺が英雄という名の、ただの戦争犯罪者だと。
それにだ。誰かが導かねばならない。彼女たちが冬眠する間、このドームポリスを護るように、彼女たちの安全を確保するためには、誰かが方向を示さねばならないのだ。
「わかったよ。神様。俺のユートピアでの役割ってやつがな」
彼女たちにとって俺は——
親ではない。
教師でもない。
ましてや仲間でもない。
俺は彼女たちを想って命令を下し、従わせ、おおよそ良いと思われる方向へ歩ませるだろう。しかしその考えに彼女たちが依存しないよう、距離を置かねばならない。依存したら最後、彼女たちも俺と同じ化け物に変貌してしまうかもしれないのだから。
俺と彼女たちは接してはいけないのだ。
共に生きるとしても、俺は独りだ。
仕方がない。俺は彼女たちとは違うのだ。
久々の恐怖と、激しい心痛に震える。
俺の孤独は癒えない。
俺の手から、ピコのぬいぐるみが落ちた。視線は床を転がるぬいぐるみを追いかけ、胸中から寂しさと虚しさが湧き上ってくる。悪魔がそのぬいぐるみにしがみ付けと、耳元で喚いた。
もはや俺を癒してくれるのは、この布と綿でできた模型しかないのか。このぬいぐるみに残った温もりに、残り香に、顔を埋めるしかないのか。
ぬいぐるみを拾い上げると、パギの香りである、果物の酸っぱい匂いが鼻をついた。震える腕がぬいぐるみを鷲掴みにして、口元に持って行こうとする。
ぷちん、と音がした。
ピコの右足を胴体に繋ぎ止める糸が切れちまった。まるで初めて人を殺した時のように瞳孔を開き、そして胴体からだらしなくぶら下がった、ちゃっちぃ右足を見つめた。
「脆い……脆すぎる……」
自分への嫌悪感が、吐き気として胸を押し上げる。俺はぬいぐるみを放り出すとシャワー室に駆け込み、洗面台に頭を突っ込んで激しく吐いた。出るのは胃液だけで、洗面台を黄色い粘液が滑っていく。それでも吐き気は収まらず、やがて吐く胃液の色が緑色になった。
落ち着きを取り戻して口元を拭い顔を上げると、洗面台の鏡に俺が映っている。酷く無感情で、冷たく冷え切った顔で、懐疑心に軽く歪んでいる。汚染世界での俺の顔だ。
どうやら胃液と共に、弱音や甘えを吐き捨てることが出来たようだ。
『サー。草原で異常な振動を感知。振動の元となる重量から想定しますと、マシラの可能性が高いです。ただいまサーが吹き上げた雪の道を伝い、ドームポリスへ接近中です』
アイアンワンドの声がした。俺は駆け足で倉庫に向かい、五月雨に飛び乗った。そしてMA22を装備して中庭に出る。草原から粉雪を巻き上げて、こちらに突進してくるマシラの群れが見えた。
「うちのお姫様がお休みの最中だ」
俺は牙を剥き、凶悪な笑みを浮かべた。
「お引き取り願おうか……イカれゲノムども」
俺はマシラにも劣らない獣の咆哮を上げる。そして敵を迎え討った。
静寂に満ちた冬の空に、銃声がこだまする。
主を失くしたドームポリスに、その音を聞く者はいない。
ただ廊下には、右足のもげた鹿のぬいぐるみが、放り出されていた。
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