第35話

 雪原を行く五月雨のロケットが、荒波を立てるように粉雪を巻き上げる。まるで砕氷船を乗り回すがごとく、五月雨が白の大地を割るさまは見ていて壮観だ。モーゼになった気分に浸れる。


 今日は気分がいい。樹皮を毟りにいったところ、偶然見つけた獣のねぐらで、豚を狩ることができた。これでまた数日もつ。

 俺の気持ちに釣られたのか、早朝出かけ際の吹雪はすっかり鳴りを潜めて、代わりに胸がすくような静けさが辺りに満ちている。雪原が反射する太陽光に目を細めながら、白銀の世界を突き進んでいくうちに、我らがドームポリスが見えてきた。


 吹き付けられた雪のせいで、すっかりかまくらみたいになっちまって。幸い吹雪は海側から吹き付けてくるので、大陸側の出入り口が氷で閉ざされていないのが救いだな。くわえて塀があるので、中庭は雪の積もりが浅いので助かっている。


「晴れたことだし、帰ったらソーラーパネルの雪をかかんとな。折角のエネルギー源が無駄になる」

 見張り台にいたプロテアが、俺に手を振っている。寒いのにご苦労なことだ。俺が戻ったからには、辛い思いはさせん。五月雨のショルダーランプを点滅させて答えると、外部マイクで彼女に呼び掛けた。

「後は引き受けた。中に入って休め」


 プロテアは見張り台から飛び降りると、駆け足でドームポリスに戻っていった。

 さて俺は簡単に除雪をしてしまうか。中庭を回るように五月雨を滑空させて、ロケットで雪を吹き散らす。湿った重い雪も、温風ですぐに溶けた。


 作業の途中で倉庫出入り口に垂らした幕が上がり、サクラとアイリスが顔を出した。吹雪が止んだからか彼女たちの表情は明るいが、俺が仕留めた獲物を見たらもっと喜ぶだろうな。

 サクラたちは俺が作業を終えるまで、寒さの中をずっと待っていてくれた。五月雨が倉庫に入るときも、通り道をあけてくれたが、躯体の歩みに合わせて追いかけてくる。


「おい。あまり足元に寄るな。踏みつぶされるぞ」

 念のため釘を刺したところで、ようやくサクラたちの動きが鈍った。随分なはしゃぎっぷりだな。お前たちにも何かいいことがあったのなら、ぜひ聞かせてもらいたいところだ。


 五月雨を駐機してコクピットから滑り落ちると、サクラたちが駆けよってくる。

「どうした? 何かあったのか?」

 俺の問いにサクラとアイリスは互いに顔を見合わせて、どっちが説明しようかアイコンタクトを交わしている。二人に切迫した雰囲気はなく、リラックスしているのだが、どことなく嫌な感じがするな。俺に物申すことに少し緊張しているようだが、一体何をやらかしたのだか。

 やがてサクラがおずおずと前に進み出ると、深々と頭を下げた。


「ナガセ。まず謝らせて下さい。私たちの我儘のせいで、ナガセに苦労をかけました」

 アイリスもそれに倣う。

「ただナガセを助ける為に、出来ることをしたかったんです」

 俺は慌てて二人に顔を上げさせた。

「謝る必要はない。言っただろ。一緒に生きると。そのために俺は出来ることをする。俺に遠慮するな。そして気に病むな。それが当たり前なんだ。保護者として俺の義務だ」


 サクラたちは弱々しく首を横に振ったが、俺は少し視線を厳しくして二人を見返した。そこだけは譲る訳にはいかない。アカシアのように無理をさせて、倒れられたら申し訳ないからな。


 二人は俺の視線に負けて、顔を俯かせながら頷いた。分かってくれたならよろしい。俺は笑って見せることで安心させると、人攻機のコンテナから豚を引きずりだそうとした。

「よし。では飯にするぞ。驚くなよ、今日はだな――」

 サクラとアイリスが両側から俺を挟んで、腕に縋りついてくる。そして怯えに小さくなった、サクラの声が聞こえた。


「もう私たちは満足しました。その……酷く勝手ですが、今まで手伝って下さったナガセに大変失礼ですが……私たちは最善を尽くしました。そしてこれ以上は無意味だと思います。ですからナガセ。私たちも冬眠させて頂けないでしょうか?」

 次いでかちゃりとガラス瓶が触れあう音を立てながら、アイリスが注射器を見せてきた。

「薬の準備はできています」

 成程。冬眠の決心がついたので落ち着いたが、それを俺に言うのが怖かったのか。

「そうか……よく決心してくれた」

 狩った豚は、全て貯蓄に回すことができそうだ。

 だがまた寂しくなるな……。


 俺は二人を先導して、真っ直ぐコントロール室に向かった。

「寝るのはお前達だけか?」

 サクラがごくりと生唾を飲み込む気配がする。やがてばつが悪そうに、か細い声でつぶやいた。

「いえ。全員です」

「全員って……アジリアもか? それは無いだろう」

「アジリアは薬を使って眠らせました」

 なんだって!? サクラの言葉に耳を疑い振り返ると、彼女はいつか勝手にカットラスを乗り回した時と、同じ表情をしていた。自分の行動を信じ、貫こうと誓った精悍な顔つきだ。そこには以前の様な、理想に呆けて間の抜けた気配はなかった。

 少なくとも責任を取ろうとはしているようだが、俺の心中は穏やかではない。仲間に薬を盛ったのだからな。次は毒を盛るかもしれない。それにサクラはアジリアと確執がある。屈服させるために実力行使に出たのなら、それは大問題だ。


 さっきまでのいい気分がふっとんじまった。詳しく話を聞かなくてはならんな。

「何故そんな事をした?」

「先ほども申しましたが、これ以上は無意味だからです。アジリアはそれを理解していません。そして自分の責任すら果たせず、ナガセがその横暴の代償を払わされることになります。ですから薬を盛りました」

「しかしだな……」

 困った。はっきりいってサクラの行為は助かる。アジリアは俺と張り合うつもりでいたようだが、死ぬのは目に見えている。俺は鍛え上げられた兵士だが、アジリアは半年前までポッドで寝ていた生まれたての女なのだ。


 だからといって寝ている彼女を無理やり冬眠させたら、反省する前の俺と変わりない。再び無理を強いれば、アジリアと理解し合うチャンスを逃してしまうだろう。それにともに越冬という試練を乗り越えれば、アジリアと分かり合えるかもしれないのだ。

 だが、それはアジリアの強さに甘えるということなんだ。そしてその強さが折れるまで、何もせずに待つということになってしまう。頑張る彼女を痛めつけて、一体何が得られるというんだろうか。


 人付き合いって……こんなに難しかったっけか。

 兵士になって狂う前のことを、教師として生きていた頃を、ほとんど覚えていない。

 俺は彼女たちに、どう接するべきなんだろう。

 

 俺の悩みを余所に、サクラは続けた。

「これがナガセの良心に反することは承知です。ペナルティが必要なら、甘んじて受け入れます。ですがこれ以上、ナガセが苦労する必要はありません。アジリアをそのまま冬眠させて下さい」

 アイリスも同意するように、サクラの隣に並んだ。

「ナガセ。私もペナルティを受けます。サクラに薬を渡したのは私です。私は薬品を乱用しないだろうという、ナガセの信頼を裏切りました。ですが私の行いは間違っていません。こうでもしなければ、ナガセもアジリアも譲らないでしょう?」


 どうしたものかと、顎に手をかけて考え込んだ。この行為は俺を気遣ってのものだ。つまりこのまま冬眠させたら、俺の都合と俺への配慮を優先することになる。アジリアを気遣ってのものなら冬眠させてもよかったが、この場合は見送るべきだろう。フェアじゃない。

「これは俺とアジリアの問題だ。外野が口を出すな。あいつは起こす。お前らは寝ろ。それがペナルティだ。それと二度とこんな真似はするな。好きに生きるのに手を貸すが、他人には構うな。次はただでは済まんぞ」


 俺はサクラとアイリスを順に指してはっきりといった。二人は悄然と肩を落とすと、口元を震わせだす。一応反省はしているようだ。これ以上お咎めは無しにしてやろう。最悪な気分で、何か月も眠らすのは酷だからな。


 俺はコントロール室への歩みを再開しようとしたが、目の前に行く手を阻む女の姿があった。

 パンジーだ。彼女は俺と目が合うと、気まずいのかすぐに視線を伏せた。そして視線を廊下の上で走らせながら、どもりつつ聞いてきた。

「ナガセ。アジリア。守れるか?」

「もちろんだとも」

「それで。アジリア。助かるか?」

「どうにかなる前に助ける。それだけは誓う。お前も同じだ。だから安心して欲しい」


 パンジーは複雑そうに口元を歪める。そこには安堵と不安が入り乱れており、口角は上がったり下がったりを繰り返した。しかし最終的に口元を支配したのは、不安だった。

「ナガセ。分かった。誰かが諌める。大事。過ちの中。進むの。危ない。分かった。私。間違って。いた。ナガセ。ピコで。諌めた。今。分かった」

 パンジーは肩を震わせながら、きつく両手を握りしめた。

「ナガセ。私たちに。構わず。物事。進めた。私。それは。嫌だ。だけど。私たちに。構う。あまりに。何もしない。それも。嫌だ。だから。サクラ。アイリス。ナガセの代わりに。諌めた。でも。諌める。ナガセにしか。できない。一番賢く。平等な。ナガセにしか。できない」

 パンジーは顔を上げた。頬を一筋の涙が伝っていった。俺を頼るのが悔しくて仕方がないのだろう。


「ナガセ。私も眠る。私。ナガセ。信じる。だから。皆を。見捨てないで。欲しい。きちんと。怒って。欲しい。無茶苦茶。いってる。わかる。だけど。だけど。私に。私は。諌め。られない。から」

 パンジーはきつく目を閉じて、低く嗚咽を上げた。

「じゃないと……安心できない……正しいと思って……したことで……また失うのは……怖い……このままだと……アジリア……死んじゃう!」


 本当に……人付き合いとは難しいな。

 彼女たちは大人の身体に、子供の心を持っている。大人だと思い個人を尊重すれば、子供のように不安がる。子供のように過保護に扱えば、大人のように反発する。いったいどうしろってんだ。

 どうやら俺が彼女たちの中で、どういう立ち位置でいるべきかも考え直さなくてはいけない。


 俺は彼女たちのなんだ?

 親か?

 教師か?

 仲間か?

 全部違う気がする。


 彼女たちは俺にとってなんだ?

 避難民か?

 護衛対象か?

 教え子か?

 どれもしっくりこない。


 俺はこのユートピアで生きたい。だが俺と言う人間が、彼女たちに対してどう生きるべきかが今度は分からなくなってきた。

 だがきっと——冬を越して、春と共に彼女たちが目覚めるその時までには——きっと答えが出ていることだろう。


「コントロール室に来い。全員冬眠させる」

 俺の背後で、パンジーが泣き崩れる気配がする。俺は引き返すと、そっと彼女の頭を撫でてやった。

「お前は間違っていない」

 間違っているとすれば、それは俺そのものだ。

 パンジーが俺の下半身にしがみ付く。俺は彼女を抱きかかえると、そのままコントロール室に向かった。

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