第34話

 とりあえずプランBを説明しちゃいますか。私がつらつらと説明していくうちに、みんなの顔が複雑そうに歪んでいく。だけど代案が出せない以上、それしかないと思ってくれたのだろう。


「俺ァ見張りの交代に行く。アジリアにはここに来て、茶でも啜るよう言っておく」

 プロテアはさっと席を立つと、椅子の背もたれにかけてあったマントを背に羽織って食堂を出ていった。

 ピオニーはというと、頭を抱えて子供のように唸っている。やがて顔を上げると、彼女は申し訳なさそうに、柳眉を下げた。

「私も手伝いたいですがぁ~、私は手伝いませぇん。皆さん私を信用して、ご飯さん食べますぅ~。そのご飯さんに怪しい薬は入れられませぇん」

 ピオニーは席を立つと、私の膝の上で眠っているパギを抱っこした。パギは軽くうなされたが、目覚める事はなかった。


「ですから私はパギちゃんと寝ていますぅ~」

 彼女は食堂のドアの前まで歩いていくと、じっとドアの取っ手を見つめた。そして泣きそうになりながら私を振り返った。

「あ……あけられませぇ~ん」

 今まで無言で俯いていたアイリスが立ち上がる。そしてドアを開けてあげると、ピオニーの背中を押して食堂から出ていった。


 私も準備しないと。自分のカップを掴むと、食堂の奥に向かった。流し台と一体化した箱型の電磁加熱器があり、茶の入ったポットと、スープの入った鍋がかかっている。

 私はアジリアのカップを取り出すと、例のビニルの中身をカップの底に敷いた。あとはアジリアが食堂に入ってくるまで、この場で待機だ。あいつが来たら先にアジリアのカップにお茶を注ぎ、次に私のカップに注ぐ。それから食堂に持って行けば、その頃に粉末は溶けてくれるだろう。


 丁度その時、食堂のドアがスライドする音がした。

 ちょっと緊張してきちゃった。荒ぶりだした心臓を、必死に理性で抑え込む。そしていつものように、気だるげに振り返った。


 アジリアだ。彼女は白い息を吐きながら、羽織ったマントに顎を埋めている。忙しなく手で両腕を擦り、必死に体を温めようとしている。

 腹の立つことに、アジリアの顔に生気はないが、瞳には強い芯が通い真っ直ぐを見つめている。そして意欲に燃えて輝いていた。

 生きる気合は十分なようだが、身体がついていけてないようだ。この調子だと死の直前まで意地を張り続けていそうだ。私はその時を待とうかとも思ったが、すぐにかぶりを振った。ナガセを待たせるわけにはいかない。


 アジリアは食堂内を見渡し、人の姿を探していた。そしてキッチンでポットを手にする私を見つけると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。当然だろう。私だってマシラを見る目で、彼女に相対しているのだ。アジリアの愛想が良くなるはずもない。


 アジリアは暖かいお茶を飲みたいのか、キッチンを向いて佇んでいる。だけど私が中に居るうちは入りたくないようで、不機嫌そうな顔をより険しくして急かしてきた。

 プロテアならこれを好機と、アジリアのカップに茶を注いで持っていくだろう。だが私とアジリアの仲は最悪だ。私たちが互いの為になるような事をしないのは、お互いが良く知っている。そんな真似をしたら、アジリアが不信感を抱くだろう。


 まずは軽いジャブから。私はアジリアのカップを、彼女に見える位置にずらした。

「あなたも飲む?」

 返事は簡単に想像がつく。

「いらん。余計な世話だ」

 ムカつくやつだ。毒キノコも混ぜてやろうかしら? ていうか態度以上に、アジリアの所作がナガセに似ていることに腹がたつ。


 アジリアはナガセを忌避する癖に、その所作と口調はナガセに近づいていく。まるでナガセのまがい物が、ナガセのように私に接する事に、激しい嫌悪を覚える。

 わかっている。この感情は嫉妬と焦燥。

 怖いのだ。ナガセがアジリアだけを特別に、教育しているのではないかと思うと怖くて仕方がない。そして私が望む場所にアジリアが立つことを想像すると、居ても立ってもいられなくなる。


「そう言わずに。少し話せるかしら」

 今は雑念に惑わされている場合じゃない。カップにお茶を注ぎ込むと、粉末が渦を巻いて溶けていく。私が自分のカップにお茶を注ぎ終える頃には、アジリアのカップはいつもと変わらぬ、琥珀色の水面を見せていた。

 私は自分とアジリアのカップを持って椅子に腰かけると、テーブルを挟んだ対面にアジリアのカップを置いた。そして立ち尽くすアジリアに、座るよう視線で促した。


 いつもの私だ。対するアジリアも、強硬な私の態度に眉根を寄せている。不審ではなく、厄介にだ。いつものアジリアだった。


 アジリアは私の対面まで来ると、カップだけを手に取った。

「嫌味なら聞き飽きた」

 そう吐き捨てて、食堂を出て行こうとする。アジリアがカップを口にするまで目は話せない。

「言葉の意味分かる? 私は話せるかしらと言ったのよ。嫌味はこれで終わりよ。話を聞く気があるならね」


 アジリアは入り口付近で立ち止まる。そして引き返してくると、私の対面の椅子に腰を下ろした。

「手短にな。私は生きるのに忙しい」

 何が生きるのに忙しいだ。ナガセの言う通りにすれば、それはいらない苦労になる。自分の駄々と好き勝手を、まるで必要な労働のようにいうとは、本当にいけ好かない奴だ。

 私は煮えくり返るハラワタを鎮めるため、カップに口をつけて中身を啜った。


「思えばこうして向かい合って話すのは、初めてかもしれないわね」

 一息ついて、私はアジリアにいう。アジリアはつまらない雑談に、指でテーブルを叩き始めた。

「能書きはいい。さっさと本題に入れ」

 殴りたい。テーブルの下に隠した左腕が、怒りに握り拳を作る。何でこんな奴が私より、ナガセの近くにいるのだろう。本当に理解が出来ない。


 だがいい機会だ。アジリアはどうしてナガセに逆らうのか、ナガセはどうしてそれを許しているのか、ストレートに聞いてみることにしよう。

「どうしてナガセに反対するの? 駄々を捏ねているのかしら?」

 アジリアは私の問いに、口の端を歪めて笑った。

「お前に話す義理があるか?」

「私は話せるかしら、と聞いたのよ。座ったからには、ある程度の義理を果たしてもらえる?」

 アジリアはそこで目を丸くして、浅く頷いた。彼女はテーブルに肘を付き、両手を重ね合わせると、その上に顎を乗せた。そして試すように私の瞳をじっくりと覗き込んできた。

 私は取り乱す事も、眼を反らすことも無く、その視線に答える。私の眼には、きっと業火の様な嫉妬が宿っていた事だろう。


 やがてアジリアはまた笑みを浮かべた。それは口の端を歪める挑発的な笑みではなく、ふと表情を緩めて内心が漏れたような笑みだった。私にはアジリアが、何が可笑しいのか分からなかった。


「あいつが化け物だからだ」

「化け物? どうして。ナガセは優しいわ。誰にだってね。そしてここにいるより誰よりも博識で、それを肌の色や髪の色、性格などで区別せずに分け与えてくれるわ。ロータスのように、よっぽどのことが無ければね」

「誰にでも優しいか……それは奴に賛同するからだろう」

「いいえ。そうだったなら、あなたはここまで私を苛つかせていないわ」

「私が自由だとでも? 私はあいつのオモチャにすぎん」

 アジリアは説明する言葉を選ぶように、視線を伏せて思案に暮れた。しばらく、吹雪でドームポリスが揺れる音しかしなかった。


 やがていい言葉が選べたのか、アジリアは立てた肘をまっすぐに伸ばし、テーブルの上に投げ出した。

「逆に聞くが、何故ピコを殺したあいつを許した」

「それはナガセと生きて分かったからよ。ナガセが喜んでピコを殺した訳じゃ無いって。ナガセは私たちが過ちを犯さないように、命の大切さを教えてくれたのよ。ナガセは命の大切さを知る、素晴らしい人よ。許すも何も、私は自分の過ちに気付いただけよ」

 私は真剣に、そして心を込めていった。ひょっとしたらアジリアがその事実を知らないから、抵抗しているかもと思ったのだ。

 しかしアジリアはとても残念そうに、溜息をついた。そして悲しそうに笑った。


「違うな。それはお前らがナガセの考えを受け入れたからだ。ナガセの思想に同調したからだ。我々は弱く、そうせざるを得なかった。だがそれだけは避けるべきだった」

 アジリアはそう言って、お茶を啜った。私の目論見は達成されたが、私はアジリアから目を離せないでいた。

 何故ナガセの考えを受け入れたらいけないのか。どうしてナガセに同調してはいけないのか。


「どういう事かしら?」

 私が促すと、アジリアはカップの中に視線を落とす。そして今まで聞いたことのないような、か細い声を出した。

「あいつはこことは違うとこからきた。何所かは知らんが、それは確かだ。そして重要なのは、我々とは違う過去を持っているという事実だ」

 アジリアは緊張しているのか、ちびりと口先で、何度もカップを啜る。


「あいつの過去は知らない。だがあいつは鼻歌を混じりに化け物と戦い、眉一つ動かさずピコを奪った。私たちにはとてもショッキングなイベントだよ。だが奴は何一つ失う素振りすら見せず、苦しみも垣間見せず、平然と戦い続けている。きっとこれまでに、それ以上の何かを奪って来たのだろう」

「それがさっきの話とどう関係あるの?」

「奴は過去の経験を元に私たちに教えている。私はそんな奴の汚れた過去などいらん。そんなものを教えられたら、私たちも奴と同じ化け物になる。いいか。はっきりいうぞ。あいつは態度を軟化させたが、それがどうした? あいつが自分の過去を教えるという行為は、変わらないじゃないか。そしてあいつがおぞましい過去を持っている事もな。あいつは私たちのコミュニティに侵入し、私たちを化け物にしようとしているんだ」


 何をいうかと思えばあほらしい。すっかりアジリアの主張に興味を失っちゃった。

 納得がいった。ナガセは聞かん坊のパギに甘いように、アジリアの妄言も大目に見ているのだろう。何故なら両方とも、理屈の効かない子供だからだ。でもパギは悪罵を連ねるだけで可愛らしいものだが、アジリアは駄々を捏ねて醜態を晒しているだけだ。

 こんな奴に怯えていた自分が馬鹿らしいわ。

 この調子だといずれナガセの隣に立つのは私で間違いない。


 アジリアの瞼が下がり、口が半開きになった。薬が効いてきたようだ。彼女は眠気を堪える為か、左の手を開いたり閉じたりし始める。

「私たちは、私たちの記憶で過去を築いていくべきだ。無垢から初めるが故に、過ちを犯し、悲劇に見舞われる時もあるだろう。だがそうするべきなのだ。あいつは「それ見た事か」と笑わせておけばいい。しかしそれでこそ、私たちは「私」足り得るのだ。真の意味で自由なのだ。生きるためとはいえ、根本的に思想、行動を束縛された今に、自由などあるものか」


 アジリアが体を支えきれなくなり、テーブルの上に突っ伏した。顔面がテーブルに叩き付けられたが、その衝撃は彼女の眠気を覚ますことは出来なかった。カップが押し倒され、中身がテーブルに零れた。

「私は……さいごのとりでだ……あのばけものからわれわれをまもる……さいご……のりょうしんと……りょうしき……なのだ」


 その言葉を最後に、彼女は安らかな寝息を立てて、動かなくなった。私は席を立つと、彼女を冷たく見下ろした。

「続きは夢で楽しみなさい」

 これで問答無用でポッドに入れることが出来る。後はナガセに納得してもらうだけだ。どう説明しようかは考えていない。だがナガセは多少の嘘は看破するだろう。純粋な私たちの思いを分かって貰うしかない。

 私は反吐の出る思いで、アジリアを背負った。そして中央コントロール室に運ぶことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る