第33話

 ロータスたちが冬眠して十日余りがたったその日の朝、私とパギは倉庫にいた。食料を探しに五月雨で外出する、ナガセをお見送りするのだ。

 ここはドームポリスの中だというのに、寒気で満たされていてただ居るだけでも辛い。だがその極寒を、ナガセは食料を探しに行ってくださるのだ。私だけが布団に潜り込んで、惰眠を貪る気にはとてもなれない。


 手を吐息で温めると、息が白く濁って空気に溶けていく。

 電灯の光は倉庫を隅々まで照らしてはいるが、私が知る太陽の光より暗く感じる。その微妙な感覚が、心に不安という名の影を落としている。この地獄はいつまで続くのだろうか?


「サクラお姉ちゃん。さぶいよ」

 私の腕の中で、パギが駄々を捏ねた。

 パギは寒さが厳しくなってから、私から離れないようになった。寝る時も、仕事の時も、ずっと一緒だ。私がこれだけ怖いんだから、パギはもっと恐ろしいに違いない。今日だって私が見送りに起きると、重い瞼を擦りながらついてきた。


 私は彼女を後ろから覆うように抱きしめた。

「その寒い中、ナガセはご飯を取ってきてくれるのよ。無事を祈って見送ってあげましょう」

「でもアレ強いからダイジョブだよ」

「アレとか言わないの。ナガセかお兄ちゃんでしょ」

「化け物だよ。アジリアお姉ちゃん言ってるもん。ピコを殺したアクマだもん」

 パギはそう言って、ローズが縫ったピコのぬいぐるみを抱きしめた。


「アジリアぁぁぁ……あの雌猫めぇぇぇ……」

 寒さで震える身体に、憤怒の戦慄きが入り混じる。

 あの女は本当に勝手だ。私たちはナガセの力を借りて生きている。ナガセの考え方で生きている。それが正しいし、一番安全なのだ。それをまるっきり理解していない。

 ナガセは間違っていたと謝ったけど、それだって元を辿れば私たちが悪い。ナガセに無理をさせて、間違いを犯さざる得なくしたのは私たちなのだ。こんな悲劇を繰り返さないために、私たちはナガセのようにならないといけない。そうして初めて幸せになれるのだ。


 だがあいつはナガセを否定している。それどころではない。ナガセを化け物と呼び、マシラやジンチクなどの畜生と同じだと思っているのだ。信じられない!

 はっきりいってしまえば、私はナガセにも苛ついている。ナガセがしっかりアジリアを叱りつければすむ話なのに、ナガセはアジリアを気に入っているのか叱らない。あんな奴のどこがいいんだろうか?


 自分でいうのも何だけど、私はよくやっている方だ。それ以外で私とアジリアを区別するのは、外観しかない。私はそっと自分の黒髪に触れた。

「金色の髪が好きなのかな……肌も黄色いより白い方が……」

 駆動音が倉庫に響いて、私はハッと顔を上げる。

 ぶつぶつと愚痴をこぼしている内に、ナガセが人攻機の整備を済ませて躯体に搭乗したようだ。五月雨がMA22を背中に担いで、入り口の垂れ幕を押し退けて外に踏み出した。

 いけない。私は慌てて手を振った。

「お気をつけて!」

 五月雨の動きが一瞬止まって、首の付け根にある外部カメラが私を捉えた。


『お前らこそ用心しろ。こう雪が積もっていては、ジンチクの接近を見逃すかもしれんからな。サクラ。俺がいない間頼むぞ』

 私はナガセの不安を払拭するため、満面の笑みを浮かべた。

「御心配なく。しっかりと留守を護ります」

 パギにも手を振るように肩を叩いて急かしたが、パギはムスッとしてそっぽを向く。そして左の中指を立てて、ナガセに向けた。


 私は全身に鳥肌を立てた。何となく、それがとてつもなく失礼なジェスチャーだと分かったからだ。

「コラ! 何てことするの! ていうか誰に教わったの!」

 パギは悪びれる様子も無く、私から眼を反らしている。

『俺にはいい。だが他の女たちにしたら、プロテアに尻を叩いてもらう。今度は止めんからな』

 五月雨からナガセの声が響いてくる。そうだ。お見送りをしていたんだった。慌てて五月雨に視線を戻したが、すでに躯体は垂れ幕の向こうに消えていた。後には外から吹き込んだ雪が、出口付近の宙を虚しく舞うだけだった。


「お姉ちゃん。アクマでていったし、私たちも戻ろうよ」

「どーしてあんなことするの! 駄目でしょ! ナガセは私たちを守ってくれているのよ!」

「ピコ殺す必要はなかった」

 パギはピコのぬいぐるみを強く抱きしめる。ぬいぐるみはそれを繰り返したせいか、糸が所々ほつれ、綿が少しはみ出していた。


「あれにはちゃんと理由があるの。あなたが大きくなったら分かるわ」

「分かったら化け物になっちゃうじゃん」

「違うの。そんなこと言ってると、パギが化け物になっちゃうわよ」

 私は諭そうとするが、パギはもう聞きたくないように、両手で耳を塞いで縮こまってしまった。

「お姉ちゃん。寒い」

 聞き分けのない子だ。このまま成長したら、アジリアみたいな悪い大人になってしまう。一度しっかりお話ししないと駄目みたいね。


「分かったわ。食堂に行って、お茶を飲みながらお話ししましょう」

 パギを抱っこする。やだ。身体が冷えちゃってるじゃない。長居しすぎたわ。

 自分の体温を分け与えるように、パギの身体を自分に密着させる。するとパギは嬉しそうに、私の首に手を回して抱き付いてきた。


 デージーたちが眠りについて食料の消費率は減ったが、状況は好転しない。食料自体が取れなくなったし、消費が増えた分人手も減ったからだ。結局何も変わっていない。

「私……馬鹿だったな。ナガセの言う通りにしておけばよかったんだ」

 ナガセは私たちを信頼していないから、冬眠しろといったのではない。出来ないから冬眠しろといったのだ。今更理解しちゃった。そして相手を信頼していなかったのも、私たちだという事もはっきりわかった。だから私たちはナガセに逆らっちゃったんだ。

 その結果がこの有様だ。


「今からでも遅くはないわ……どうにかして冬眠する方に、皆の意思を持って行かないと」

 私も加担した過ちだ。私が元に戻さないと。

 今冬眠していないのは七人。ナガセは全員を冬眠させるまで寝ないだろう。パギは私が冬眠するまで一緒にいるそうだ。プロテアとアイリス、ピオニーは、一人でも起きている限り、その人を手伝うため冬眠しないとはっきり言った。パンジーは良く分からない。話す機会が無いから。しかしアジリアといることが多い事から、彼女の影響を大いに受けていると考えるべきだろう。そのアジリアは意地でも冬眠しないことは分かっている。


 となると、目下の所障害となっているのはアジリアだ。アジリアを冬眠させることができれば、パンジーも冬眠に同意してくれるかもしれない。

 食堂に入るとピオニーとアイリス、そしてプロテアが、身体を丸めてお茶を啜っていた。問題の二人は丁度いない。今がチャンスだ。

 ピオニーがすぐにお茶の入った、二人分のカップを運んでくる。私はそれを受け取りながら、アイリスに声をかけた。


「アイリス。決心したわ。やるわよ」

 アイリスは寝不足でしょぼくれた眼を、一杯に見開く。

「やるって……アジリアを……?」

 彼女は視線を左右に振って、注意深く室内を見渡した。秘密がばれて困る人物がいないか、気を配っているのだろう。そしてピオニーを指して「バカ一号」、プロテアを指して「バカ二号」と点呼を取ると、最後に私の腕の中のパギに注目した。パギったらお話しするつもりだったのに、安らかな寝息を立てている。本当にしょうがない子。


 アイリスはヒッヒッと怪しい笑みを浮かべると、懐から粉末の入ったビニルを取り出した。

 あちゃー……寝不足でかなり精神的に参っているのだろうな。理路整然としたいつもの姿はそこに無く、卑屈に背中を丸めてビニルを親指と人差し指で挟んで揺らす様は、かなり気味が悪い。ピオニーとプロテアも馬鹿にされた怒りを忘れて、その薄気味悪さに腰を引いていた。


「プランAですね。分かりました。今準備します」

 ビニルの中身は毒キノコをすり潰したものだ。以前鼠を駆除するのに使った残りだ。アイリスはビニルの口を切ろうとするが、慌てて私は制した。

「違う。前も言ったけど毒殺はナシ。ナガセのいう事は守るの。プランBでいくわよ」

「へ? そんなものはありませんけど」

「そりゃ今考えたからね」


 私たちのやり取りにプロテアが興味を持ったのか、机の上に身を乗り出した。

「なんだなんだ? 面白そうだな。俺にも一枚噛ませろよ。何するんだ?」

 アイリスが露骨に嫌そうに口元を歪めた。

「あなたは何でも大事にするからダメです」

 そうね。あなたは行動派だから、私としてもこれから行われる謀略に手を出さず、石のように大人しくしてほしいんだけど。

 そんな私の気持ちに微塵も気づかず、プロテアはアイリスの隣の席に移った。そして馴れ馴れしく肩を組むと、パギにするように頬を指で突いた。


「そんなこと言うなよぉ~、鍋だって何でもかんでもごった煮にした方が美味いだろぉ~。俺も混ぜてみろって。意外な結果が出てくるかもしれないぜぇ~」

 わぁ。アイリスの頬が苛立ちでピクピク痙攣している。すぐに爆発しちゃいそうな勢いだ。

 プロテアが場を和ませるようとしているのはわかるが、アイリスは子供のようにあしらわれるのが嫌いだ。だからこそ人一倍勉強をして、知識を身に着けて尊敬を集めようとしているのだ。唯一先程の行動が許されるのは、博識なナガセだけなのよ。

 それにアイリスは皆が病気にならないか、気が気でないのだ。そのせいで寝不足になり、心に余裕が無いのかヒステリックに叫ぶことが多くなった。


 アジリアがいない時に話をまとめないといけないのに、余計なことしてくれちゃって。膝の腕パギが寝ているので、二人を止めに入れない。せめて視線だけでも歯止めをかけようと、私は必死の形相でアイリスを見つめた。

 アイリスは私の視線に気づいて、大きな深呼吸を繰り返し、幾分か余裕を取り戻した。そして頬を突くプロテアの指を押し退けた。


「あなた。ハーブティー好きですか」

 プロテアは世間話を振られたと思ってか、嬉しそうに自分のカップに視線を落とした。

「俺はスープの方が好きだ。けどなァ、最後の栄養源だから、もうそんなに飲めねぇんだよなァ……食い物に関する話か!」

「違いますが、結構なことです。例え話がしやすいですから。私とサクラがハーブティーです。あなたとピオニーが肉汁です」

「はぇ!?」

 ピオニーが心外そうに、短い悲鳴を上げた。だがアイリスは彼女を鋭い睨みで黙らせて、プロテアに再び向き直る。


「この二つを混ぜるとどうなりますか?」

 プロテアが顎に手を当てて考え込んでいる。やがて手の平を拳で打つと、理解が得られたと思ったアイリスはほっと胸を撫で下ろした。

「そういう事です」

「お前寝不足で馬鹿になってんじゃねぇのか? 何言ってんのか全然分かんねぇ。いいから一枚噛ませろよ」


 アイリスの茶髪が逆立った。

 駄目だキレちゃったみたい。

「バカヤロォォォ!」

 アイリスは絶叫すると、馴れ馴れしく組まれたプロテアの腕を振り払う。そして顔を真っ赤にしながら、プロテアに指を突きつけた。

「オマエ! オマエナー! ヒトガデリケートニ、イッテヤッテンジャネェカヨー! キヅケヨー!」


 アイリスの素だ。こうなると普段隠している分、もう止めようがない。

 プロテアは気まずそうに苦笑いを浮かべながら、アイリスを宥めようと両の手の平を向けた。

「なァにキレてんだよ。お前アノ日か?」

 ピオニーもよせばいいのに、プロテアに乗っかって手を上げた。

「私分かりますよ~。ハ~ブさんと、お肉の汁は相性最悪なんですぅ。ですから混ざっちゃダメなんですぅ! これで私もハ~ブティ~ですよねぇ~!」

 どうして二人は、こうも火に油を注ぐ様な真似をするのか。本当に馬鹿なんじゃないの? 


 アイリスは髪を滅茶苦茶に振り乱しながら、地団太を踏んで、唾を辺りにまき散らした。

「ウルセェェェ! コノドチクショードモガー! サクラー! プランエーダー! コノマシラドモ、アノヨニブチコンデヤルー!」

 私は溜息をつくと、彼女を落ち着ける唯一の言葉を吐いた。

「ナガセが見たらなんて言うかしら?」

 アイリスの動きが、まるで凍り付いたかのようにピタリと止まった。そのまま氷の彫像になって、彼女は微動だにしなくなる。やがて理性が息を吹き返し、内省も済ませたのか、アイリスの顔が茹蛸のように赤くなっていった。


 あなたもナガセのことが大好きだものねー。どうあがいても私には勝てないけど。

 アイリスは四肢を脱力させて、重い足取りで私たちから一番遠い椅子に腰を下ろす。そこで両手で顔を覆って、黙り込んでしまった。

 流石にこれ以上アイリスにちょっかいをかける気にはなれなかったのか、プロテアが私の隣の席に移った。反対の隣にピオニーもおずおずと腰を据える。ピオニーは納得がいかないように、「ハ~ブさ~ん」と小さく繰り返していた。


「ンで? 何をやらかすんだ? お前ら賢いから、何かいい事なんだろ?」

 アイリスに気を使ってか、プロテアは囁くように私に聞いた。

「冬眠に関する事よ。これ以上は無駄な意地だわ。私もポッドに入るわ。だからあなたたちも一緒に冬眠して、ここで終わらせましょう」

「俺はアジリアが入るまで眠らねぇ。あいつが寝るまで、ナガセも寝ないだろうしな」

「ご飯は私の仕事ですからぁ~、一人でも食べる人がいる限りぃ~、私は眠りませぇん」

 やっぱり私の考えは間違っていなかった。アジリアが問題なのだ。アジリアの意地が、冬眠の妨げになっているのだ。彼女がポッドに入れば、冬眠を拒む理由はなくなる。そうすればナガセがこの極寒の吹雪の中、危険を冒して食料を探しに行く必要もなくなる。


 ナガセも冬眠できるのだ。

「だから。アジリアには眠ってもらうわ」

 私はそう言うと、懐から別のビニルを取り出して、皆に見せた。

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