第32話

 更に二日が過ぎた。

「ナガセぇ。アタシもポッドはいるわ」

 起床して部屋を出ると、ロータスが部屋の前で待ち構えていた。この寒い中、彼女は既にライフスキンを纏っており、準備万端の様子だ。


 お前は人工冬眠を嫌っていたはずだが、どういった理由で心変わりしたのか気になるな。

「どうした急に? どうして冬眠するつもりになった?」

 俺の問いに、ロータスは親指で背後を指す。

「先に入ったあいつら、ダイジョブそうだし。これならアタシが入ってもいいかなって。正直ツライのヤだし。冬が終わるまで寝てるわ」

 ぐぅと、ロータスの腹が鳴る。彼女は腹をさすりながら、早くしろと言わんばかりに、目を細めて俺を睨んできた。


 欲求に素直な彼女らしい答えだ。思わず笑ってしまった。

 馬鹿にされたと思ったのか、ロータスが不機嫌そうに眉を寄せた。

「なァにがおかしいのよ? いっとくけどアタシは耐えられるわよ。だけどサ、そんなのつまらない意地じゃない? それにアンタも困るでしょ。アタシは大人だから、さっさとポッドに入ってあげるの。ワカる?」

「ああ。そうだな」

 俺はニヤつく口元を手で覆って頷いた。一拍おいて、場を引き締めるために、表情を硬くした。

「いいのか? 春まで眠りっぱなし。やっぱりやめたなんて寝言は、寝ているから言えないぞ」

「い~から早く。このカッコ寒いのよ。ていうか、アンタよくそんなカッコで、平気な顔していられるわね」

 ロータスは自分を抱きしめながら、身震いをして見せる。彼女が吐く息は白く濁り、震える顎が奥歯を軽く鳴らしていた。

 俺はというと、そう寒くは感じない。過酷な環境で育ったのと、俺のライフスキンは戦闘用に強化されており、高い保温効果があるからだろう。

「鍛えているからな。分かった。今から冬眠の準備をするから、三十分ほど時間をくれ」

「じゃ。先ポッドに行って、待ってるわ」


 大人しく眠るといってくれていることだし、気が変わらないうちに終わらせてしまうか。ロータスは目を離すと、何をしでかすかわからないところがあるからな。極限状態でなければいくらでも付き合ってやれるのだが、今はそんな余裕はない。

 不意にロータスが俺の腕を掴み引き留めると、彼女は上目使いに見上げて甘ったるい声を出した。

「アタシ聞き訳がいいでしょ。銃。考えてくれる?」

 呆れた奴だ。この執着を余所に生かせばいいのだがな。このまま拒み続けても、不満が溜まっていくだけだ。それに銃に固執しているので、他の事物で欲求を発散させるのは難しいだろう。

 しょうが……ないか。


「春までにな」

「やった!」

 ロータスは破顔すると、俺の頬に軽く口付けした。そして俺に手を振りながら、中央コントロール室に走っていった。

「いいとは言ってないんだがな……BBガンでも作ってやるか」

 それなら危険性も低いし、何か問題を起こしても大事には至らないだろう。

 問題を起こせば、銃を遠ざけるいい口実にもなる。問題を起こさなければ、願いを叶えてやればいい。どうなる事か、春が楽しみだ。


 冬眠に必要な薬をとりに倉庫へと向かうと、外に接しているためか空気が冷え切っている。冷えの余りに露出している顔に、刺すような痛みが走るほどだ。


 こう寒いと、外はきっと吹雪いているんだろうな。見張りの奴は大丈夫かな? ローテーションではアジリアが持ち場についているはずだが、気になって視線が倉庫の出入り口に向いてしまう。

 倉庫の出入り口には、テント用の布が幕のように下げてある。そうしないと雪が入り込んで、作業の邪魔になるからだ。俺は幕を捲り上げて、そっと外を眺めた。


 身を切るような寒風と共に、吹雪が倉庫に吹き込んでくる。俺は目の前に腕をかざして視界を確保すると、アジリアがいるはずの見張り台に目を凝らした。だが吹雪のせいでよく見えない。

 中庭には雪が膝の高さまで降り積もっている。昨日の夕方ドーザーで掻きだしたばかりだというのに、自然の猛威とは恐ろしいものだ。俺は雪を蹴りつけるようにして、見張り台が見えるところまで歩いた。

 見張り台では、黒いマントが吹雪に靡いている。アジリアだ。


「大丈夫か! しばらくしたら交代する!」

 アジリアは懐からライトを取り出すと、俺に向けて点滅させた。モールスだ。それで了解の返事を受けた俺は、倉庫へと戻った。アジリアとはあれから進展はないが、話せるだけマシかもしれない。


 とりあえずロータスを冬眠させてしまおう。倉庫脇の医務室へと歩を進めて、入り口をノックした。

「朝っぱらから誰ですか……言っておきますが、薬を食おうとするド畜生は、ケツから下剤をたらふく食わせてやりますよ」

 アイリスの返事がするが、気が立っているのかいつか屋上で聞いたキーキー声だ。

「俺だ。入っていいか?」

 部屋の中で、椅子を蹴って立つ音がする。そして勢いよくドアがスライドし、アイリスが顔を覗かせた。

 アイリスはライフスキンの上に、ローズが縫った白衣を纏っている。白衣は連日の悪天で洗濯ができないため、皺が寄っていて、斑点の染みで汚れていた。異臭もする。それらはアイリスを、より一層弱々しく見せた。


「ナガセだったのですか! すいません。プロテアとピオニーが薬を食べようとして、押しかけて来たので、また来たのかと思いました」

 アイリスは暗い顔色を少し輝かせ、すまなそうに頭を下げた。そして身体を半身にして、俺を室内に招き入れた。


 医務室の隅にあるベッドでは、デージーが安静にしている。結局風邪をこじらせて、そのまま寝込む羽目になってしまった。

 デージーは額に雪の入ったビニルを乗せて、苦悶の表情を浮かべている。肌にはびっしりと汗をかき、ときおりうなされるのだった。

 ベッドの足の方では、サンが自分の左腕を枕に眠っていた。彼女は冷えた床に尻をつけて、右手でデージーの投げ出された手を握りしめていた。

 本当に、こいつらは仲がいいな。


「デージーの調子はどうだ?」

 俺はベッド脇の洗面器からおしぼりを取ると、デージーの汗を拭った。

「あまり芳しくありません。薬で落ち着いてはいますが、栄養が取れないので、体力が落ちています。この調子ですと、メディカル機能を使って無理やり治しても、再発して寝込んでしまうでしょう」

 アイリスが暗い声で言う。彼女は不安を紛らわすためか、そっと後ろから、俺に抱き付いてきた。その身体は微かに震えており、異様に冷たかった。

 彼女は飢餓と寒さに震え、凍えているのではない。飢餓と寒さの恐怖に震え、その無情さに凍えているのだ。ただただ事実に攻め立てられ、それに対し何もできず、怯えるしかないのだから。


「ナガセ……どうしたらいいでしょうか? 教えてください」

 聞かれても答えは既に出ている。冬眠するか、しないかだ。後はそれを選択するだけ。言わずもなが、アイリスはそれ以外の方法が無いかを尋ねている。彼女たちには、各々の考えがあって、冬眠を拒んでいる。恐怖、意地、使命、心配などを、各々の胸の内に抱えている。

 だがそれを無為にせず、生き残る方法は分からない。俺も知りたいぐらいだ。


「今日も狩りに行って来る。それで獲物が狩れれば、回復の余地が出てくるだろう。成果が無ければ、無理やり冬眠させるしかない。恨みは俺が買う」

 俺の言葉に、アイリスの抱き付く力が強くなった。俺はしばらくそのまま彼女に抱かれていたが、いつまでもという訳にはいかない。これでアイリスが癒されるのは、抱き付いている間だけだ。彼女の震えが止まり、肌に温かみが戻った時、俺はゆっくりと彼女を離した。


「ロータスがポッドに入るそうだ。薬を失敬する」

「あいつが? どうしてですか?」

「ツラいよりはマシだとさ」

 俺は薬品棚から睡眠導入剤と、筋弛緩剤を取り出した。次いでライフスキンに取りつけるガラス瓶を取り出し、アイリスの机の上に置く。そして中に薬を注いだ。


「ナガセ……」

 呼ばれて俺は振り返る。サンがベッドから顔を上げて、俺を見つめていた。

「起きたのか?」

 サンはこくりと頷く。彼女は俺からデージーに視線を戻し、手を握る力を強めた。だが何の反応も戻って来ないと、眼に涙を貯めた。

「ねぇ。私とデージーも入るよ。このままだと、デージーが危ないんでしょ。ナガセお願い。デージーを説得して。それとアカシアも。あの子ずっとプラントに入り浸っているの。このままだと――」


 勢いよく医務室のドアが開き、プロテアが室内になだれ込んでくる。彼女は肩にぐったりとしたアカシアを担いでいた。

「おい! アイリス! 大変だ! アカシアが倒れた!」

「なんだと!? ベッドに寝かせろ!」

 俺は薬を机に放りだすと、ベッドに横たえられたアカシアの様子を診た。

 アカシアの奴、ほどほどにしろときつく言ったのに、今の今までプラントで作業していたらしい。作業着は泥にまみれ、水気を吸って異様に冷たい。さらに悪いことに、アカシアの顔色は青く、唇から血の気が引いている。


 アイリスは急いでアカシアの胸元をはだける。そしてライフスキンをはぎ取ると、胸に聴診器を当てた。同時に額に手を当てて、熱を計った。

「心音が変です! それに熱もあります!」

 俺は戦慄く事しかできなかった。

「狭心症だ……ストレスで患ったな……ニトログリセリンを用意しろ」

 元々アカシアは気が弱く、ストレスをためやすいタイプだ。それで狭心症を患い、体が弱り、免疫力が低下した。そこを風邪にかかってしまったのだ。このままでは下手すると、肺炎になってしまう。そうなったらもう助けられん。非常に危険な状態だ。


 思えば俺が視察に行ったとき、泣き喚いただけで、息も絶え絶えになっていた。あの時点で狭心症を疑うべきだった。

 俺は急いでアカシアにライフスキンを纏わせると、ライフスキンにニトログリセリンの入ったガラス瓶と、ロータスに用意した冬眠の薬を取り付けた。

「アカシア。残念だがお前は冬眠させる。これ以上は命にかかわるからな」

 アカシアは光を失った目で俺を見つめ返す。そして荒い呼吸の合間を縫って、もにょもにょと口を動かした。何かを喋っているらしい。俺は口元に耳を近づけた。


「ごめんなさい……ナガセ……ごめんなさい……わたし……わたし……」

 吐息と共に耳に届いた言葉に、俺の脳は滅茶苦茶に掻き回された。

「謝るのは俺の方だ。支えられなくてすまん」

「わたしがちゃんと……野菜を育てていたら……こんなことにならなかったの……わたしナガセに逆らってまで……やりたいことをやった……だからちゃんと……責任を果たさないと……すぐ仕事に戻るから……ちゃんとするから……ごはん育てないと」

 アカシアは起き上がろうとしたが、アイリスが袖を引っ張ってベッドに引き倒した。アカシアは大して逆らうこともできずに、そのまま倒れこんでしまった。


 こんなに弱るまで無理しやがって……俺はアカシアの頬を撫でながら、優しく囁きかけた。

「もういい。良くやった。それだけでいい。それだけで責任は果たしたんだ」

「でも……ナガセに責任を押し付けちゃう……それは横暴だから……駄目だって……」

「大丈夫だ。ここからは俺の責任だ。後は任せておけ。もう無理をする必要はないんだ」

「でもポッドで眠ったら……記憶が……無くなっちゃうかも……わたし忘れたくない……みんなで生きて……みんなとここまで来た記憶……捨ててまで生きたくない……そんなの私じゃない……」

「記憶は消えない。眠りっぱなしにもならない。だからローズたちも眠ったんだ。それに独りじゃないぞ。デージーもこれから休ませるつもりだ。一緒に説明するから聞いてくれ」


 隣のベットが動く。視線をやると、デージーが低い嗚咽を上げながら、ベッドのシーツを握りしめていた。彼女は何度かしゃくりあげ、泣くのを堪えようとする。唇を噛み、シーツを掻き乱して、全身を強張らせる。必死になって弱音を吐くのを我慢していた。

 どうやらデージーも、アカシアと同じ気持ちらしい。


 そっとサンが、デージーの髪を撫でる。

「デージー。私たち頑張ったよ。ナガセは私たちを信じて任せてくれたんだ。それが終わったんだから、今度はナガセに任せようよ。ナガセを信じようよ」

 デージーの身体から緊張が抜けて、彼女は号泣した。サンはベッドに横たわるデージーに、覆いかぶさるように抱き付いた。デージーもサンの背中に手を回し、強く抱き返した。


 プロテアが二人の様子を微笑ましく見守っている。

 アイリスは俺に代わり、冬眠用の薬を準備し始めた。

 アカシアは羨ましそうに、サンとデージーを見つめている。そしてにわかに起き上がると俺に体重を預けてきた。

 甘えたいのか。俺はこういうやり取りはあんまり好きではないのだが、急いで冬眠する必要もないし、少しだけならいいか。アカシアに手を回して、抱き寄せようとする。


 そこで再び医務室の戸が開けられ、ロータスが歯を鳴らしながら入ってきた。

「いつまで待たせんのよ。寒いって言ってるじゃない」

 ロータスは俺とアカシアの間に割って入ると、俺を無理やり立たせて中央コントロール室へと引っ張ろうとした。

「あっ……そんなぁ……」

 アカシアの残念そうな声が背中から聞こえた。




 俺はサンとデージー、ロータスとアカシアに冬眠処置を施した。

 残るは六人。俺は全員の元に訪れて、体調を確認する。全員弱ってはいるが、問題はない。それが済んだら狩りだ。今日も樹皮でも毟りに行くか。というより、それしかできない。

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