第31話

 それからの日々は楽しいものだった。

 サンとデージー、そしてロータスと海に出かけた。沖には大きな魚が回遊しており、サンとデージーは二人がかりで、六十センチもある巨大な魚を釣り上げた。

 ロータスはキャリアの助手席で拗ねていたが、釣り上げた魚を大人しくさせる際、嬉々として荷台に降りてきた。彼女は楽し気に魚を棍棒で殴りつけ、絶命させるとクーラーボックスに放り込んで助手席に戻った。

 ピコから何も学んでいない。また別のアプローチが必要だろう。


 プラントの増設工事も進められた。水の貯蓄を使い潰さないよう余裕を残しつつ、プラントを二段式にして、もう一部屋分増やした。ここまで大きくなると、アカシア一人では対処できない。そこでプラントの管理を当番制にした。彼女らは作業着を纏い、農業に従事した。


 作業着といえば、解放された布を使ってローズが女たちの服を縫い始めた。プロテアらの肉体派は興味をまるで示さなかったが、マリアやアイリスは飛びついた。今では廊下を歩くと、ひらひらした服を着た女とすれ違うことが多くなった。

 俺にも一着縫ってくれたが、部屋のキャビネットにすぐしまった。ライフスキンのように、肌に密着しないと落ち着かない性分なんだ。随分がっかりされたが、こればかりはしょうがない。


 護身にもずいぶん慣れてきたようだ。

『サー。森から侵入者を確認。マシラ三匹、ムカデ一匹、ジンチク十一匹です』

「そうか。応援要請は?」

『ナシ』

「念のため倉庫に向かう」

 ドームポリスの外から銃声が聞こえる。俺は小走りで倉庫に行くが、辿り着くころには銃声は止んでいた。そしてデバイスに、プロテアからの通信が入った。

『ナガセ。死体運ぶからよ。人攻機を動かす許可をくれ』

「分かった。ちゃんとスリーマンセルで動けよ。二人が運び、一人が警戒しろ。アジリアとサクラ、どっちが空いてる?」

『アジリアは戦後処理。サクラはちょっと手が離せない。アカシアが薬莢で火傷したそうだ』

「分かった。俺が出る」


 倉庫ではプロテアとパンジーが駐機所の前に立ち、整備された人攻機を見上げていた。彼女らの前にある同田貫には、シャスクのパッケージが装着されている。

 ロシアの陸上機シャスクは、装甲が薄い代わりに、人工筋が割り増しされた躯体である。高い瞬発力をもち、積載重量と機動力を底上げしている。

 躯体の外観は酷く頼りない。申し訳程度に装甲が張られ、下部の人工筋肉がほとんど剥き出しになっている。見た目は筋肉質な巨人のそれに近かった。


 女たちはまだ戦わせない。そして逃げるのであれば、瞬発力が重要だ。シャスクはうってつけだった。

「搭乗」

「了解」「了。解」

 俺の号令と共に、プロテアとパンジーがシャスクに乗り込んだ。

 あれから人攻機の操縦も許した。武器は一切持たせなかったが、センサー類やオプションの使い方をあらかた教えこんだ。興味がある者に率先して教えた結果、ロータス、プロテア、サクラ、パンジー、そしてサンとデージーが、すぐに動かせるようになった。ちなみにアジリアは俺が許可を出した瞬間、素知らぬ顔で人攻機を中庭に歩ませていた。俺がいない間も、駐機所で動かしていたらしい。俺は彼女にだけ戦歩ライフルを持たせた。


「出るぞ。足元確認」

『了解』

 MA22を片手に出撃すると、シャスクたちがスコップを背負って俺の後ろに続く。

 倉庫を出ると辺り一面は、すっかり銀世界になっていた。雲に覆われた天は僅かに日光を透かすだけで、昼だというのに辺りは薄暗い。降りしきる粉雪は木の葉のように凪を漂い、大地に積もっていった。


『いつ見てもキレ~だな……これで寒くなけりゃいうことねぇんだけどよ』

 通信機からプロテアの声がする。

『人攻機。暖房。暖かい。それだけで。私。満足』

 中庭では女たちが、薬莢を拾ったり銃を片付けたりしている。俺たちは彼女らの作業を中断させて脇に除けると、アジリアのカットラスの脇を通って雪原へと向かった。そして白い海に、血だまりを作る肉塊を、森へと運んでいった。


 彼女たちのおかげで、俺の仕事はかなり減った。仕事が減った分、余裕が増えた。余裕が増えた分、共に生きることが出来た。共に生きた分、任せられることも増えた。夢を見ている様だった。


 だが夢はいつか醒める。

 二か月余りの時が過ぎた。

 その日の朝、女たちは朝食を取るために、ぞろぞろと食堂に向かっていた。

 俺もその列に加わるが、女たちの表情は一様に暗い。それは徐々に減っていく食事の量が、現実を突きつけてくるからだろう。かくいう俺も、足を引きずっているのだった。


 プラントの増加は消費を遅らせるだけで、解決には至らなかった。今では植物の根をも食べている。それは残りカスをかき集めている事実に他ならず、彼女たちを落ち込ませた。

 魚の釣れもいまいちだ。本格的な冬の到来と共に、魚が遠くへ行ったのだ。今では指の太さほどの小さな魚しかかからない。たまに大きな魚が釣れても、十四人を満足させるには小さすぎた。それに釣り自体の時間も減った。サンとデージーが冬の寒さの中、釣り糸を垂らすことに耐えらないからだった。


 動物についても同じ。残った動物は我々と、異形生命体だけだ。

 全員が食卓につくと、ピオニーがお茶を運んでくる。そしていつもの口調でのほほんと言った。

「今日のご飯は~ありませぇん」

 食料が尽きた。

 気まずい沈黙が食堂を支配する中、女たちは目の前で湯気を立てるカップを見つめていた。


「どうすんのよ! これから! アタシは死ぬのは嫌よ!」

 ロータスがカップを脇に払いのけて立ち上がる。カップの中身が隣のマリアにかかり、彼女は悲鳴を上げて衣服を払った。

「食っちゃ寝のジンチクが喚くんじゃねぇ」

 プロテアが腕を組んでロータスを睨むが、ロータスは挑発的な笑みを浮かべつつ、テーブルに拳を振り下ろした。

「は? アタシ、キタネェ泥被って手伝ってやったのに、その言いぐさは何よ! アンタそう言えばいつも何かつまんでいるじゃない。ソレ。出しなさいよ」

「てめえの腹ン中だ。今頃ケツから出てるかもな? 分かったらしばらく黙れ」

 ロータスは面白くなさそうに口元を歪めて、椅子を蹴り倒すと食堂から出ていった。


 殺伐とした雰囲気に耐え切れなくなったのか、デージーが泣くような声を出した。

「私。釣りに言って来る。今すぐ行くよ! 行く行く!」

 デージーはすぐに席を立ち、食卓から出て行こうとする。だが即座にアイリスが服の袖を引っ張って止めた。

「駄目です。風邪気味で弱っているんですから、大人しくなさい」

「いやだいやだいやだ! このままだとまた大変なことになっちゃうよ! ナガセが来る前みたいに、みんな弱っちゃうよ! 私が釣ってくればいいんだ! それでみんな上手くいくんだ!」

 デージーは躍起になって、部屋から出ようとする。だがひ弱なアイリスを振り払えない事から、かなり弱っていることが窺えた。青ざめた顔色も、この状況のせいだけとは言えないだろう。


 たまらずサンが立ち上がる。

「じゃあ私が行くよ。私運転下手だから、誰か一緒に来てくれない? アジリアは?」

「することがある」

 アジリアは俺を横目でちらりと見た後、素っ気なく言った。心が弱っている今、付け込まれないように見張るつもりのようだが、身内でいがみ合っている場合ではないと思うぞ。

 サンは少し傷ついたように顎を引く、そして縋るように俺を見た。

「ナガセは?」

「森に行くつもりだ。樹皮を毟ってくる。可能であれば、動物を探す。プロテアに手伝ってほしいから、その他の奴が頼まれてくれないか?」


「私が行きます」

 サクラが手を上げたが、俺は首を振った。

「お前はロータスを見張れ。今日に限り鎮圧機能を解放する。怪しげな行動を起こしたら黙らせろ」

 サクラはすまなそうに手を下げた。サンはサクラに微笑み返すと、ローズに懇願した。

「ローズ? お願い。助けて」


 ローズはハッと顔を上げて、俺とサンを交互に見た。そして何かを決めたのか、口元を引き締めて背筋を伸ばすと、首を振った。

「ごめんなさい。私もやることがあるから」

 サンは泣きそうになった。そこでパンジーが立ち上がり、サンの手を握った。

「私。暇。行く。その代わり。デージーの。ぬくぬく。毛布。欲しい」

「勝手に話進めるなよ! 私が行く! 行くって! 行くってぇ……」

 デージーの声から力が抜けて、ふらついたかと思うと壁に背中を預けたままずり落ちていった。アイリスが咄嗟に肩を貸して支えるが、デージーはややうっとおし気に振り払った。

「うるさいな。少しくらくらしただけだよ。ナガセだってくらくらあるだろ。私は大丈夫だよ」


 大丈夫な奴は興奮しただけでふらついたりはしない。俺はプロテアに目配せをした。

「ベッドに縛り付けろ。つきっきりで診てやれ」

「おうよ」

 プロテアがデージーを肩に担いで、食堂を出ていく。その後ろをアイリスが小走りで追いかけていった。


「はなせよぉぉぉ」

 デージーの貧弱な足掻きの声は、廊下に消えていった。

 ある程度の収拾がつくと、女たちは手元のお茶をついばむようにして飲み干し、各々の仕事をするために食堂から出ていく。俺も自分のお茶をぐいと飲み干すと、片付けをピオニーに任せて席を立った。


 さて。狩りにしても、どこから当たりをつけようか。森を超えた草原は望みが薄いし、山は降り積もった雪のせいで危険極まりない。一度雪の崩落――アイアンワンドいわく、雪崩というらしいが――にプロテアが巻き込まれて、胆を潰す羽目になった。まだ森を徘徊し、冬眠中の動物を探す方が安全だ。

 俺は携行する装備と、探索ルート、そして陣形を考えながら廊下を歩いた。


「ナガセ……ちょっといいかしら」

 いきなり後ろから呼び止められた。振り返ると、ローズとリリィ、マリアが、互いに身を寄せ合いながら俺を見つめている。珍しいこともあるもんだ。

 三人は何かを言うつもりだったが、いざ俺と相対して言葉に詰まってしまったらしい。顔を寄せ合ってひそひそと相談を始める。やがてローズが一歩前に出た。


「私、ポッドに入るわ。私が冬眠をすれば、私の分の食料が浮くわよね」

 ローズに勇気をもらったのか、リリィも彼女の傍らに並んだ。

「私とマリアも入る。冬に私たち役立たずだからさ」

「ちょっと……私のカッコいい台詞取らないでくれる?」

 マリアも前に進み出て、リリィの肩を叩いた。


「そうか……それは……助かる」

 少し気が楽になって、表情が緩むのがわかる。だが彼女らにこのような選択をさせた自分が情けなくてしょうがない。もう少し早く俺が彼女たちを信じていれば、食料の備蓄が間に合ったかもしれない。他の人類を見つけられたかもしれない。


「すまない。こんなことになってしまって」

 俺が頭を下げると、誰かが頬を手の平で挟み、優しく顔を上げさせた。ローズの笑顔が、目の前にあった。

「謝る必要なんて、無いんデスケド。ねぇ? リリィ」

「うん。ナガセと一緒に生きて来て、ナガセが手を抜いていないって分かってるもん」

「あんだけ頑張って駄目だったんだから、仕方ないよ」

 リリィとマリアも、俺を信頼し、励ますように左右の手を握ってくれた。



「本当に大丈夫なの?」

 中央コントロール室で、ポッドに横たわりながらマリアが聞いた。ライフスキンを纏った彼女の身体は、畏怖に軽く震えていた。

「ああ。冬眠には二種類あってだな、長期冬眠は血を抜いて不凍液を流し、身体を本当に凍らせてしまう。だが短期冬眠は体温を下げるだけで本当に凍らせたりしない。いつか醒める眠りを、少し長くするものだ」

「痛くない?」

「俺は過去四度体験したが、気持ち良いくらいだ」

 マリアはほっと胸を撫で下ろす。


「ごめんね。もっとしっかり話を聞いておけばよかった」

「いや。俺がしっかり話さなかったのが悪い――最後に聞くぞ。本当にいいのか? 春までずっと眠りっぱなしで、その間俺が守ることを信用するしかなくなるぞ」

 俺はポッドに横たわる三人を見渡して、念を押した。一度始めたら、もう話を聞くことはできない。春までずっとそのままだ。


 リリィが不安に軽く呻く。そして上半身を起こした。

「ナガセ。大丈夫なんだよね? 記憶を失ったり、二度と起きられなくなったりしないよね?」

「それは保証する。そうじゃなくて俺を――」

 俺を信頼できるのか?

 戦いしか知らない、ろくに寄り添うこともできない、こんな俺を。

 信頼して眠ってくれるのか?


「ならいいよ」

 リリィが俺の声を遮ってポッドに寝そべる。その顔にもう不安はなく、安らいでいた。

 リリィは俺の、何を信じてくれたんだろう。

「起きたら、また楽しく生きることができるよね?」

 マリアの問いに、俺は力強く答える。

「ああ。そして来年の冬は、こんな事しなくてもいいようにする」

「信じているわ」

 ローズもそういってクスリと上品に笑うと、全身の力を抜いた。

「おやすみ。ナガセ」


 ローズの言葉を最後に、ポッドの蓋がスライドして閉じた。同時に彼女らの腕の薬物が、空気圧で皮膚を浸透し、体内に注入されていく。中身は睡眠導入剤と、筋弛緩剤だ。彼女たちの瞳が徐々に虚ろになっていき、やがて深い眠りに落ちた。

 アイアンワンドはそれを感知すると、ポッドの中を水溶液で満たし始める。それはメディカル機能の水溶液と同じものだが、少しだけ不純物が混ぜてある。今は何の変化も見いだせないが、時間が経てば不純物は沈殿し、彼女たちの身体の下に潜り込む。そして身体を水溶液の中に浮かべ、床擦れを起こさないようにしてくれるだろう。


 ポッド内が水溶液で満たされると、ガラス面がスモークになった。あとは春まで守り抜くだけ。

 俺は踵を返して中央コントロール室を出ようとしたが、アジリアがコントロール室のドアに背中を預けて通せんぼをしていた。彼女は軽蔑に目を細め、腕を組んでいる。

 冬眠はさせないと息巻いていたからな。小言の一つや二つ吐かれるだけならいいが、騒ぎを起こされると面倒だな。できれば穏便に済ませたい。


「不服か?」

 アジリアは軽く鼻を鳴らす。

「あいつらが決めたことだ。私には関係ない」

 そして壁から離れると、俺に対抗するかのように、顔を近づけて睨み上げた。

「だがあまりに調子に乗るなよ……私は冬眠を絶対にしない。そして生き残って見せる。お前の浅はかな行動が、大事な時間を浪費するだけだと証明してやる」

 アジリアは俺に背中を見せると、速足でコントロール室を出ていった。


「待ってくれ、アジリア」

 俺は後を追う。アジリアとは話したいことが山ほどある。俺のやり方で一番つらい目を見たのは彼女のはずだ。急ぐ俺のスピードに合わせ自らを鞭打ち、俺とは違うやり方で女たちを導こうとしたのだ。俺はそんな彼女を煽り、更に焚き付けた。しかも殺されたいという、不純な動機があった事は否めない。


 アジリアは俺にいった。俺が見ているものが分からない、そして俺が行こうとしているところが怖いと。それは俺がひた隠しにしている狂気に勘付いたからだろう。

 俺はアジリアにいった。恐怖から目を反らさず、脅威から逃げず、自制と自信をもって強く生きていくべきだと。俺は自分から目を背け、逃げようとしていた。彼女たちに相応しくないと、過去を引きずるだけで、自分と向き合おうとしなかった。罪が自分を押し潰すのを、待っていただけだった。


 俺は酷い独善的な思いを持ち始めている。地獄のあいつらが知ったら、憤怒する事だろう。罪悪感が心に滲む。だがそれに逃げてはいけない。俺にもできることがあるのだ。

 俺はここで生きたい。


「今までの俺のやり方だが、あれは間違っていた――」

「前にも言っただろ。お前と罪悪感を共有するつもりはない」

 アジリアは聞きたくないように首を振りつつ、速足をより強めた。まってくれ。お前にだけは知って欲しいんだ。

「アジリア。俺も生きている。だから俺も――」

「私たちとお前は……違う……違うんだ!」


 アジリアは悲鳴のような声を上げる。俺が追いかけてくるとは、思わなかったみたいだな。まるで丸腰でマシラに追いかけ回されている様な反応だ。だけど俺は——俺は人間のはずだ!


「アジリア!」

 思わずアジリアの腕を掴んだ。アジリアは即座に開いた手で、俺の横っ面を張った。

「近寄るな! 私はお前が嫌いだ! 大嫌いだ! ヒトの皮をかぶった化け物め!」

 彼女は俺の手を振り払うと、駆け足でその場から立ち去ってしまった。

 俺は張られた頬を、軽く一撫でして溜息を吐いた。今までの怨嗟が溜まりに溜まっているようだ。俺の自業自得だ。


「今は、仕方ないか」

 それ以上追うのはやめて、倉庫へと足を向けた。

 残りは十一人。狩りに行って養わなければ。

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