第26話

 俺は自室の机で頭を抱えていた。

 重大な問題をいくつも抱え込んでいるが、解決の手立てすら見いだせず、俺は無能な自分を呪う他なかった。


 机の上には今まで立案した越冬計画が、何枚も放り出されている。どれもクソみたいな考えだ。

 漁業に勤しみ、食料を確保する計画は却下。冬の到来とともに、魚もどこかに行ってしまった。きっと今ごろ暖かい海を泳いでいるのだろう。

 アメリカドームポリスの奪還計画も現実的ではない。物資をいくらピストン輸送したところで、戦線を維持できない。俺一人が奮闘したところで物量に押されて負ける。

 他の人類を探すのも最早妙案とは言えない。今となっては、砂漠のど真ん中でオアシスを探すような試みだ。そんな幻を追っていたら、ミイラになってしまう。


 手元にあったコピー用紙を左手で握りつぶすと、手の平のかさぶたが裂けて血が滲んだ。

 ドアが遠慮がちにノックされた。意識がそっちに行ってしまい、頭の中の考えが霧散してしまう。思案の邪魔だな。適当に返事をしてさっさと追い払おう。

「誰だ? どうした? 何の用だ?」

 俺は少し棘のある声で聴いた。

「ナ……ナガセ~……ご……ご飯ですよ~」

 ドアの向こう側から、ピオニーの泣きそうな声が聞こえてきた。しかしご飯だと? まだ食い足りないのか。


「さっき晩飯を食ったばかりだぞ」

「え? あ……あの~……もう朝なんですけど~……」

 ピオニーの言葉に閉め切った窓を開けると、蒸し暑い室内に爽やかな潮風が吹き込んできた。きらめく海面の彼方から、昇りつつある太陽が見える。

 また無駄な一日を過ごしてしまった。俺は拳でサッシを軽く殴った。

「そうか……俺の分はいい。貯蓄に回せ」

 今更疲れが込み上げてくる。だが眠る訳にはいかない。


 ドアの向こうでは、相変わらず人の気配がする。ピオニーがまだ居座っているようだ。

「まだ何かあるのか?」

「でもぉ~ナガセ……もう丸二日何も食べてませんけどぉ~」

 何をふざけたことを。内陸調査から一日しか経っていないはずだ。少し前に外へ出たが、まだ昼だったぞ。それほど時間が経ったとは思えない。

「そうだったか?」

「そうですよぉ~……出てきてもぶつぶつ言うだけで~、人攻機に乗ってどっかいっちゃうしぃ~……ちゃんと寝てますかぁ~?」

 慌てて時計を確認すると、今では役に立たない日にちの針が二つ進んでいた。どうやら俺は余程焦っているらしい。自分で時間の概念を忘れるほど、現実から逃れようとするほど、物事に熱中しているのだから。


「寝てる暇なんざ――」

 俺は言いかけて、ハッとした。そうだ。その手があった。

「かくなる上は……」

 椅子を蹴って立ち上がると部屋から出た。ピオニーが料理の乗ったトレイを手に、眼に涙を貯めて待ち構えていたが構う暇はない。ドアの右側ではサクラが膝を抱えて眠りこけていて、左側ではアイリスが救急箱を脇に蹲っているが、遊び相手は他をあたって欲しい。

 アイリスは俺が出てくると、おずおずと俺の左手を握ろうとした。治療するつもりなのだろうが、俺はそれを振り払い、ピオニーを押し退けて、中央コントロールルームへと向かった。


 今すぐに準備をしなければ。背後からピオニーの号泣が聞こえる。胸がチクリと痛むが、俺が何とかしなければ、もう笑うことも泣くこともできなくなる。俺がしっかりしなければ、彼女たちは全てを失ってしまう。


 春がくれば余裕も生まれる。その時に謝ろう。今はとにかく彼女たちの身を守ることが最優先だ。

 俺は虚空に向かって呼びかけた。

「アイアンワンド。冬眠機能の確認」

『サー。イエッサー。冬眠機能確認――機能に問題はありません。長期冬眠。短期冬眠。共に使用可能です』

「一四人分の人間に対し、実行可能なプランは?」

『短期冬眠が実行可能です。人体の体温を下げ、活動レベルを強制的に低下させます。循環レベルを低く維持し、代謝を著しく下げることで、春までの越冬が可能です』

 俺はほっと胸を撫で下ろす。


「準備にかかれ。もう一度彼女たちを冬眠させる。それで冬を越す。全員に連絡。今すぐ食堂に集合だ」

『サー。イエッサー』

 俺は食堂に入ると、最奥部の食卓の短い辺に身を置いて、じっと女たちが集まるのを待った。

 アイアンワンドのアナウンスが流れて、一人、二人と食卓に集まってくる。そこには料理が乗ったままのトレイを持ち、嗚咽を上げるピオニーもいた。救急箱を抱えたままおろおろするアイリスも。そして赤く腫れた眼で俺を見つめるサクラもいた。


 俺は気にせずに食卓をノックして、皆の注目を集めた。早く終らせてしまおう。そうすれば万事が上手くいく。

「聞いてくれ。これから冬眠ポッドに入ってもらう。そうして冬を越すぞ」

 女たちが騒めいた。お互いに顔を見合わせ、俺に聞こえない声で何かを囁き合っている。しかし知った事ではない。どのみち冬眠せざるを得ないのだ。そうしなければ死んでしまうのだから。


「それって……あのガラスの容器に入るの?」

 サンが眉根を寄せながら、手で冬眠ポッドのシルエットを描いて見せた。

「ああそうだ。すぐにライフスキンに着替え――」

 アジリア、ロータス、ローズの三人が、俺に見切りをつけて、食堂から出て行こうとした。

「まだ話は終わっていないぞ。止まれ」

 ドスの効いた声で三人を引き留めると、アジリアを除く二人は、渋々と言った様子で足を止める。だがアジリアが俺を無視して食堂を出ていくと、ロータスがその後に続いた。


 ふざけるな。俺はアジリアを連れ戻そうと、肩を怒らせながら追いかけた。

「やだ」

 食堂を出る前に、そんなパンジーの声が耳朶を打った。俺は寡黙な彼女の発言に耳を疑いつつ、侮蔑で目を針のように細めるパンジーを睨み返した。

「何故だ」

「ナガセ。ピコ殺した。銃持たせた。それで満足しない。我儘。それは。まあいい。だけど。私は。私。私の物。お前の。好きに。させない。もう眠りたくない。私はやだ」

「俺は我儘を押し付けている訳ではないぞ。他に方法が無かったからそうするのだ。お前らには分からないかもしれないが、俺はやらねばならない事だけをやっている。それにだ。やらなきゃ死ぬんだぞ!」


 迫りくる死を前にして余裕がなくなり、俺は計らずとも大声を張り上げてしまった。パンジーは驚きも怯みもせずに、侮蔑を顔全体に広げた。

「私。あれに。入る。前のこと。覚えていない。私。ようやく。自分らしく。なった」

 パンジーは物怖じせずに俺に詰め寄り、胸元に指を突きつけてきた。

「ナガセ。今度は。私たちを。奪う。つもりだ。私たち。ピコの事で。ナガセ。恨んだ。だから。記憶消すつもりだ」

 俺は突きつけられた指を払いのけた。

「人を侮辱するのもいい加減にしろよ。俺はピコを殺した責任から逃れるつもりはない。言いたい事があるなら言えばいい。それにだ。記憶が無くなった本当の理由は俺にもわからん。そのデータすら消えているんだ」

「じゃあ忘れちゃうかもしれないじゃん! 私一抜けた!」

 マリアが口早にそういうと、俺がお仕置きする前に駆け足で部屋を逃げ出していった。俺が狼狽えて罰を下せないでいると、しめたといわんばかりに他の女たちも続いていく。


「違う。分からないのは理由で、技術的には問題はない。冬眠しても記憶は消えない」

 必死で女たちの背中に話しかけるが、耳を貸す気配すらない。残ったのはアイリスとピオニー、サクラ、プロテア、そしてローズだけだった。

 ローズは憐憫の眼で俺を見つめる。


「私たちは、ナガセのおかげで生きていられるわ。それは分かる。そして感謝している。だけど……だけど……ナガセは……ナガセはいつも切羽詰まっていて、とにかく急いでいるの。私はそれが怖い。そしてナガセの考えていることが分からない。私はナガセが……私たちと違うと思っちゃっている。そんなナガセに……自分を任せることなんて……私も嫌よ」

「しかし死ぬよりマシだ! 死んで何になる! 死んだらそれまでだぞ!」

「そんなことしてまで生きて何が楽しいの? そして楽しくないのに……生きる意味なんてあるの?」


 俺は言葉を詰まらせた。皮肉なことに彼女たちは必死で生きようとしていて、俺がその邪魔をする形になっている。自我を持ち、それを保つために俺の横暴から必死で逃れようとしているのだ。

 しかし……それでは春までもたないんだよ!


「俺も嫌だ」

 プロテアの声が俺の背中を突いた。

「しかし――」

「どうしてもそうさせたいなら、力尽くですりゃいいじゃねぇか。ピコの時みたいにな。俺。今のナガセ嫌いだよ。何か化け物みたいだ」

 俺に悪あがきをさせず、プロテアはぴしゃりと言い放った。


 プロテアがローズと共に食堂を出ていく。ピオニーも俺の目の前にトレイを置いて、アイリスも救急箱を預けて出ていく。

 サクラだけが残った。彼女は気まずそうに伏せた視線を、左右にゆらゆら揺らしていた。だが意を決したように顔を上げると、俺を慰めるように歩み寄ってきた。

「あの……ナガセ……私たち成長しましたし……たくさんの事でナガセを手伝えると思います。他の方法では駄目でしょうか?」


 それが出来るのなら、俺はこんなに焦りはしない。俺はお前らを過大評価するわけにはいかないし、無理を押し付けるようなことはしたくない。

 虚しいため息だけが、喉から滑り出る。

「お前も反対か……」

 俺の言葉にサクラは酷く傷ついたような顔をすると、オモチャの人形のように首を激しく左右に振った。

「いえあの私は刃向うつもりは微塵もありません。ただ――」


「言い訳しなくてもいい。今度は無理強いはしない。アイアンワンド……冬眠は中止だ。人攻機の準備をしろ。狩りに出かける」

『サー。イエッサー』

「貯蓄のデータと消費率を、俺のライフスキンに送れ。後で相談もある」

『サー。イエッサー』

 俺はサクラの脇を通り抜けて、倉庫へと向かった。



 その言葉は、誰もいない食堂に、虚しく響いた。

「また機械と話してる……」

 サクラは両手を強く握りしめて俯いた。

「ただ――もう少し、信じて欲しいだけです……」

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