第25話 激走ー4

 俺はライフスキンのカメラを使って、地図の写真を何枚も撮った。

「やはりな。一層は倉庫、二層が保管庫、その両方の外縁が居住区になっている。三層は……冬眠施設と、研究区画。その上の四層がバイオプラントか」

 全体図の隣にある、各層の詳細地図も写真に収める。それによれば一層が大体十階ほどで構成されているので、このドームポリスは総五十階以上の巨大建造物だということになる。


「避難通路は冬眠施設の脇を通っているな。ここから最も近い直通路は、西側非常階段だな……冬眠施設でまだ眠っている連中を確認し、中央コントロールで全体にアナウンスを流せば――」

 上から吹き付ける風が止んだ。ふと見上げると水滴が垂れてきて、俺の頬をかすめた。それは頬肉を焼いて白煙を上げると、切り傷の様な跡を残した。

 低い唸り声が振りかかってくる。何かが落ちてきやがるな。


 手綱を引いてボックスから飛び出ると同時に、エレベーターシャフトが啜りあげるような空気と水が混ざり合う音を立てた。

 オストリッチに跨りつつエレベーターを振り返ると、ボックス内でヤマンバが腹を打ち付けたところだった。骨が折れる音と、内臓が破裂するような水の音がする。

 ヤマンバのやつ落ちてくる時に擦ったのか、体中の皮がめくれて血まみれだ。おかげで俺が綺麗にした地図が、また塗りつぶされてしまった。


「血の染みはこの跡か……」

 新しいヤマンバは比較的元気で、ぐずる赤ん坊のように忙しなく四肢をばたつかせている。俺は冷静にショットガンを連射し、ヤマンバの足を一つ潰して床に倒れこませた。それでもこの個体は大地を蹴って、床を滑るようにして俺に近づこうとする。


「くそ……ジンチクより厄介だな」

 オストリッチの手綱を操り、避難通路へと続く廊下に向けたところで――先に部屋にいたヤマンバの異変に気付いた。

 ヤマンバは今にもくたばりそうで、だらしなく床にへばっている。代わりに体内が怪しく蠢き、何かが這い出ようとしていた。

 降ってきたヤマンバに背後から臭い息を吹き付けられながらも、俺は取りつかれたようにその経過を見守っていた。


 ヤマンバの体の割れ目が徐々に膨らんでいき、ジンチクがひり出てくる。同時に皮膚を突き破って、ムカデが身体をうねらせながら飛び出してきた。奴らヤマンバの肉膜から続々と這い出ると、その死骸を貪り始めた。


 俺は見切りをつけて、大広間を飛び出した。

「雄がマシラ。雌がヤマンバなのか? いずれにしろ母体が上にいるな! その正体を暴いてやる!」

 行く手を遮るジンチクの群れを踏み越えて、非常階段へと突入し脇目も振らず駆け上っていく。オストリッチの足は階段の幅より遥かに大きかったが、足の裏が柔軟に変形し階段の形に合わせた。


 非常階段は廻り階段で、最外殻とライフラインの狭間にあった。俺が駆けると緑の非常灯が点灯し、その行き先を照らしてくれる。

 上階の非常灯の光が、何かを照らして影を生んでいる。闇に浮かぶシルエットは、ジンチクより大きく、細長い体をしていた。恐らくムカデだ。


「ケツが邪魔だな。一発ブチ込んでやる」

 ショットガンに装填した通常散弾を排薬し、下方に切れ込みを入れた弾をチューブに込めた。そしてムカデのいる階段の下までくると、走りながら撃ちまくった。

 弾が実包ごと発射され、階段を貫通してムカデを射抜く。俺が同じ階まで駆け上がる頃には、ムカデはぐらりと傾いていた。通り過ぎざまにオストリッチを跳び上がらせ、脚でムカデを階段から叩き落した。


 上っていくうちに外壁が鉄からガラスに変わり、差し込む斜陽が俺を照らした。そろそろ日暮れらしい。


 冬眠施設のある三層の踊り場に到達すると、開け放たれたままの扉から突入する。研究室らしきスライドドアの間を駆け抜けていくと、やがて先に巨大な球体が見えてきた。

「あったぞ! 冬眠施設だ!」

 女たちのドームポリスのものより、二回りも、三回り以上も大きい。ゆうに数千人は収容できそうだ。その大きさの余り、球の中央しか見えず、その上下は階層に阻まれて窺えないほどだ。


 冬眠施設の球体に侵入すると、生存者を探して忙しなく視線を巡らせる。中は円周状に区画が区切られ、内縁と外縁にそれぞれ冬眠ポッドが備えられていた。見える範囲ではポッドは解放されているか、破壊されているかのどちらかだ。人の気配は全くしないし、この調子だと全員食われてしまったようだ。


 残る希望は中央コントロール室だ。そこを把握しちまえば生存者を探すのも楽になるし、防衛機能を作動させてドームポリスから化け物を駆逐することができるかもしれない。

 俺は冬眠施設の中心にある中央コントロールの手前まで来ると――オストリッチを失速させて足を止めた。

「な……に……」

 

 中央コントロール室には、ドームポリスを管理するマザーコンピューターがあるはずだ。しかしコンピューターは、冬眠施設の天蓋からぶら下がる肉の塊に押し潰されていた。

 肉塊は上階のバイオプラントから、床を突き破ってつららのように垂れ下がっているみたいだ。中央コントロールの天井をほぼ埋め尽くしちまっている。この調子だとバイオプラントも肉で埋まっていそうだな。


 この肉塊はいわば、ヤマンバの完全体という表現が相応しい。ところどころに縮れ毛が生え、その隙間に割れ目が走っている。そこから汁を吹いて、部屋中を粘液まみれにしているのだ。

 この肉塊の気持ち悪いところは、異様に白いところだな。そのせいで全身に走る血管の青筋や、赤い肉の節が浮き彫りになって、醜悪さを倍増させている。


 肉塊の周囲には、人型の異形生命体が三匹いた。全高七メートルほど。マシラの様に上半身だけ屈強な、アンバランスな体つきはしていない。完全な人型だ。

 そいつらは屈強な上半身で肉塊に抱き付き、がっしりとした下半身を肉塊に叩き付けている。まるで性行為をしているようだ。


 全身に鳥肌を立てながらも、俺は手元に残った散弾の下方に、ナイフで切れ込みを入れた。

 切っ先がプラスチックと金属を引っ掻く、甲高い音がする。人型のうち一匹が、腰の動きを止めて、俺を振り返った。


 巨大な単眼が、俺をじっと見つめている。そしてその周りにある、たくさんの小粒なような眼を細めた。そいつは剥き出しになった歯茎を歪ませて、にやりと笑った。


 ここまでだ。これ以上は死ぬ。そう直感した。


 切れ込みを入れた散弾をチューブに装填する。

 人型が肉塊の割れ目から巨大な肉棒が引き抜いて、俺に近寄ってくる。

「去勢だ。畜生め」

 人型の股間めがけてショットガンを撃つと、陰部が弾けて肉片が飛び散った。だが奴は笑みを崩さぬまま、俺に手を伸ばしてくる。


 オストリッチを反転させて来た道を引き返すと、背後から重々しい足音が追ってくる。それはゆったりとした足取りだったが、次第に猛進する激走に変わっていった。肝が冷える。

 俺が冬眠施設を飛び出ると、少し遅れて金属が歪む音と、骨の軋む音が背後からした。人型め入り口を押し広げて、冬眠施設から出ようとしているらしい。すぐに金属の悲鳴がして、激走の音が再開した。


 早いところドームポリスを脱出しないと、人型になぶりものにされる。非常階段の踊り場の壁を見ると、薄い鉄枠が張られた通風孔があった。そこに装填してあるすべての散弾を叩きこみ、通風孔のカバーを吹き飛ばした。俺はオストリッチを跳び上がらせると、ロケットを吹かして通風孔に突入させた。


 ドームポリスの外に出ると、冷たい外気が俺を包み込んでいく。オストリッチは斜陽を受けながら、翼を広げて滑空体勢に入った。ロケットを適度に吹かして姿勢を安定させると、大空を滑るように飛んでいき、ドームポリスの周りを旋回した。


「危なかったな……もうちょっとで女の子みたいにされちまうところだった」

 ライフスキンの胸元を捲って、ドームポリスを駆け抜けた際の情報を確認する。救援信号に応答する者はナシ。恐らく、生存者はもういない。気分が黄昏より速く闇に沈むな。


 改めてドームポリスを見るとまるで人類の墓標のように黄昏ていて、麓では異形生命体が地獄の業火の代わりに蠢いていた。

 死体の防波堤はすっかり平らげられて無くなっているし、遠出していた異形生命体が戻って来たのか数が増えていた。その中には例の人型が数匹含まれており、連中は一様に滑空する俺を眺めている。


「マシラより厄介な個体だな……ショウジョウとでも名付けるか。屈強な体をしているようだが、それだけではないな。生殖可能な――」

 ドームポリスのシャッター前にいるショウジョウの一匹が、足元ジンチクを無造作に掴んだ。

「冗談……だよな……」

 ショウジョウは大きく腕を振りかぶると、俺めがけてジンチクを投げてきた。

 危ねェ!?

 手綱を繰りオストリッチを降下させると、俺の頭上をジンチクが通過していった。


「道具を使えるのか……!」

 俺は呻いて、投擲をしたショウジョウを睨み返した。そいつは二匹目のジンチクを掴み、俺に狙いを定めた所だ。他のショウジョウもそれに倣い、近場のジンチクをその手に掴む。

 滑空では回避機動はできない。このままでは狙い撃ちだ。

 まるで花火のようにジンチクが打ち上げられる中、俺はオストリッチを急降下させた。俺は襲いくるジンチクを躱し、地上すれすれまで滑り落ちると、ロケットを逆噴射させて大地に駆けおりた。

 そのまま盆地を疾駆して、海岸へと逃げる。


 ショウジョウの投擲は止まない。行く手を遮るように、空からジンチクが降り注いでくる。少数は落下の衝撃でそのまま潰れて死んだ。しかし大多数は潰れた四肢を、身体を裏返して生やしたもので代替し、追い縋ってくる。

 俺は九ミリ拳銃を抜いて、這い寄るジンチクを撃った。数匹が悲鳴を上げて怯むが、絶命に至らない。一匹も殺せぬうちに、弾が切れて虚しい空撃ちの音がした。腹立ち紛れに弾の切れた拳銃を、飛びかかってきたジンチクの顔面に投げつけてやった。


 残ったモーゼルを抜き、安全装置を解除した。セレクタが余計に動いたような気がしたが、気にしていられない。オストリッチの足に噛り付こうとするジンチクに向けて、引き金を絞った。

 銃が大きく跳ね上がり、引き金を絞る間、弾が吐き出され続ける。ジンチクは一瞬で蜂の巣になり、地面に這いつくばって死んだ。


「マシンピストルだったのか……」

 瞠目してモーゼルを見直した。以外なもので命拾いしたな。

 オストリッチの速度がどんどん上がっていき、ジンチクを引き離し始める。やがて俺を追う這いずる音が消え、オストリッチが風を切る音だけになった。


 黄昏から逃げるように夕日を背に走り続け、やがて見えた海岸から海に飛び降りた。海上にオストリッチの翼を浮かべて、冷たい海の上を航行する。

 恐怖で、絶望で、身体が縮み上がりそうだ。それ以上に吹き付ける潮風が、氷のつぶてを叩きつけられるように冷たかった。俺はシートで体を覆い、身体を丸めて手に息を吹きかけた。息は白く濁り、空に溶けていく。


 何故か身体にまとったシートが、少しずつ白く染まっていく。シートに手を擦ると、氷の削り節の様なものが溜まった。

「これが雪か……」

 雪は俺の手の中で溶けていき、滴となって海に落ちていった。


 タイムリミットだ。

 とうとう追い詰められた。


 頼みの綱の人類は異形生命体に虐殺され、バイオプラントも訳の分からない肉塊に浸食されている。直せるかどうかも分からない。そもそも俺一人では奪回できないだろう。数が多いのに対し、俺の持ち込める武器が少なすぎる。保管庫の武器は使えない。ミサイルを撃とうにも外に出せない。


 他の人類を探すか? まだ内陸探査初日だ。だが近くに人類がいれば、あの群れに行動を起こしているはずだ。つまりは――

 海面を思いっきりショットガンで殴りつけた。

「くそ! くそ! くそぉぉぉぉ!」

 みっともないと知りつつも、喚かずにはいられなかった。手を滑らせてショットガンが海に落ちる。それで我に返る。どうしようもない現実を自覚する。俺は海底深くに沈んでいくショットガンを見送りながら、オストリッチの首に縋り付いた。


 そこからはどうしたかあまり覚えていない。気が付くと、俺は強烈な明かりに照らされた。

 視線を上げると見慣れた塀があり、サーチライトが俺を照らしている。

 サーチライトの脇では、緊張に息を飲む女たちの横顔が浮かび上がっていて、彼女たちは銃を構えてアジリアの号令を待っていた。

 どうやら無事にドームポリスまで帰還することが出来たらしい。


「ナガセだ。撃ちたい奴は撃て」

 アジリアの声がして、一人が塀の内側に降りて見えなくなった。

「あんたを撃つわよ。アジリア。ナガセ! おかえりなさい! お疲れ様です!」

 そのすぐ隣の女が、ぶんぶんとこちらへ手を振ってきた。サクラらしい。


「帰ってきた! 帰ってきたよぉぉぉぉ!」

 デージーの悲鳴の様な声が夜空にこだますると、塀の上の人影が続々と飛び降りて俺の元に走ってきた。


「ばかやろぉぉぉぉ!」

 プロテアが思いっきり俺の背中を叩いてきた。そういやお前の涙声を、初めて聞いたな。

「夕方には帰るって言ったじゃねぇかよ! もう真夜中だぞ! お前! お前なァ!」

 俺は返事をする気力も無く、ただプロテアの背中をそっと撫でてやった。


「大丈夫ですか!? 怪我は!?」

 サクラが心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。俺は浅く首肯をすると、ドームポリスの周囲を見渡してみた。異形生命体の死体がいくつか野ざらしにされて、月光に照らされていた。

「サクラ。被害は?」

「ありません。六.五ミリを三百発、十二.六ミリを六百発ほど消費し、マシラ四匹、ムカデ九匹、ジンチク十二匹を仕留めました」

「良く生き残ってくれたな。今死体を片付ける」

 俺はそれだけをいうとオストリッチを走らせて、一人先にドームポリスに戻った。

 少し遅れて女たちが追いついてくる。彼女たちは困惑した様子で、おずおずと俺に話しかけてきた。


「ナガセ……カットラスはどうしたの? 酷い目に会ったの?」

 サンが俺の左手を引いて、振り向かせる。ジンチクに焼かれた手がサンの手と擦れて、刺すような痛みが走った。俺はサンを振り払ったが、彼女は手にこびりついた俺の血を見て絶叫した。

「ナガセ……手が……血まみれだよ! 顔も真っ赤! アイリス!」

 これぐらいの血で喚くな。それより俺にはやらねばならない事があるんだ。邪魔をするな。俺は彼女たちに背を向けて、速足で人攻機の元に向かう。


「いや。俺は大丈夫だ。それより早く死体を片付けないと……」

 アイリスが俺の身体に抱き付いて、身体を使って無理やり止めようとする。だが彼女は小さな悲鳴を上げて、ドームポリスの床に尻餅をついた。

「冷たッ! ちょっと……ちょっとナガセ! 早く体を温めないと駄目です!」

 邪魔をするなッ! もう時間が無いんだ!

 俺は駐機所の鉄枠を、血の滲む左手で思いっきり殴りつけた。


「いい! ほっとけ! それどころじゃない!」

 俺の怒声に、女たちが凍り付いた。一斉に黙り込み、後退って俺から距離を取る。鉄枠に粘る血がゆっくりと伝っていった。俺はそれをじっと見ながら、己の野蛮な振る舞いを、ただただ恥じるしかなかった。

「すまない……今のは癇癪だった……悪いが……今はほっといてくれ」

 女たちがお互いの顔を見合わせて、困惑した顔を畏怖と懐疑に歪ませた。その表情で見られることに、俺はとても耐えられない。


「疲れただろ……寝た方がいい」

 俺は鉄枠に寄り掛かると、右手で彼女たちを追い払った。

 彼女たちは何度も俺の方を振り返りながら、倉庫を出ていった。

 俺は倉庫に誰もいなくなったことを確認すると、五月雨の搭乗口を開き、中に入ろうとする。


「大方仲間同士で殺し合っていたか?」

 背後でアジリアの声がした。振り向くと倉庫中二階に、彼女の姿があった。

 アジリアは両腕を組みながら、廊下の柵に腹を預けて俺を見下ろしていた。

「帰れ。そこで好きなだけ殺すがいいさ」

 アジリアはそれだけ言うと、大きな欠伸をして、部屋の方へと歩いていった。

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