第21話 一歩

 翌日の朝食は、酷く静かだった。

 皆が目の前のトレイから、沈痛な面持ちで肉を口に運ぶ。よく噛みしめてから嚥下すると、虚しいため息を吐く。いつもの和気あいあいとした雰囲気や、陽気なお喋りはなかった。


 パギはサクラの膝の上で食事をとっているが、俺の方を決して見ようとはせず、サクラが口の前に運んでくれるフォークに無言でぱくついていた。

 えらく嫌われたが、子供の駄々だ。別段気にすることはない。

 サンとデージーは魚釣りで命に触れる機会があったのが幸いした。他の女たちよりも立ち直りが早い。アジリアは言わずもがな、ロータスは落ち込んでいる様子はなかった。


 ただ一人を除いて。

「ローズ。どうした? 食わないのか?」

 皿に一切手をつけようとしない彼女に歩み寄ると、ローズは血の気の失せた顔で俺を見上げた。

「わたし……お肉いらない……これから野菜だけ食べるわ」

「そういう訳にもいかん。身体が持たないぞ」

「でも……きっと吐いちゃうからいい……」

 ローズは皿の端に肉を除けると、サラダだけをフォークで突いた。

 どう対応すればいいんだ。


 昨夜ローズは俺を部屋に招き入れてくれたが、俺が何を言ってもただ頷くだけだった。彼女の様子から話を聞いていないのではなく、話は聞いているが意見として受け入れようとしていないんだな。もう肉を食さない。そう心に決めているようだ。

「ローズ。お願いだ。もう一度俺に話をさせてくれ」

「うん。いいわ。だけど、何を言われても、私はもう食べない。食べない」

「だけど食うしかないんだ。それに植物も生きているんだぞ。駄々を捏ねるな」

 俺はぴしゃりと言ったが、ローズはフォークをテーブルに叩き付けた。びくりと食卓の女たちが、ローズに注目する。ローズは気まずそうにフォークをテーブルに放り出すと、目を覆って泣き始めた。


「でも……植物は……あんな目で……私を見たりしない……」

 もうローズを説得する気にはなれんな。それ以上に自分の無神経さに腹が立ってきた。肉食前提で彼女たちの生き方を定めて、菜食という生き方を考慮していなかった。

 しかし、既に払った犠牲を無駄にすることはできない。

「お前の決意を駄々と言って悪かった。魚は食えるか? 肉を食わないと、栄養が偏る」

「うん……それなら……」

 俺はピオニーに目配せをした。彼女は素早く席を立つと、キッチンへと走っていく。

『ご……ごめんなさァ~い!』

 廊下からそんな声が響いてきた。魚をさばいているのだろう。


 ユートピアで生きることは難しい。このまっさらな大地では何もかもが新鮮だ。ここを歩むことは、白紙に二度と消えないインキで筆を走らせるようなものだ。

 俺はこの白紙に理想の人間像をかくことが出来るのか酷く不安だ。

 それでも歩むしかない。


 おおよそ人間の進化というものは、渡った橋を焼き落とし、戻れなくするものに近い。

 我々は渡河する前の、大地のことなど微塵も覚えていない。せいぜい覚えているのは煙の匂いと、きっとその時泣いただろうと言う推測だけだ。

 そうして人間は変わっていく。人から全く違う人へと進んでいく。


 女たちが食事を終えると、俺はテーブルをノックして皆の注意を引いた。

「ローズ。サン。リリィ。アカシア。デージー。パンジー。マリア。そしてプロテア。来い。銃の撃ち方を教える。サクラは明日から参加しろ」

 食卓が騒めいた。皆が言葉を失い、ショックに口を開けた。


 先に口を開いたのはローズだった。

「いい……殺したく……ない。もう殺さない。もういい! こんなに悲しい事をする道具なら、銃なんていらない!」

 次いでいつも無口なパンジーが話し始める。彼女は茶髪の白人で、酷く無口な為あまり目立たない。いつも木陰から俺の様子を窺っている。しかしシャイな訳ではなく、警戒心が強い女だ。


 彼女は前に垂らした髪の隙間から、刺すような眼で俺を見た。

「私も。いい。殺すの。ヤダ」

 マリアもおずおずと身を引いた。彼女は黒人で、プロテアとは違いがっしりというより、しなやかな身体つきをしている。髪も編み込んでおらず、黒の短髪をクリップで留めていた。

「わ……私もパスかな~。殺すのヤダし……何かヤバそうだし……私には、イロイロ重いよ」


 俺は頷いた。

「そうだ。殺すのはいけない事だ。だけど自分の命を守るには必要なことだ。俺はそろそろ遠出をしなければならない。その間自分の身を護れるようになって欲しい」

「私は……? どうして私に殺せと言うの? ナガセ」

 ローズが青ざめた顔を俺に向ける。

「ローズ。お前は猟をしなくていい。だけど、化け物と戦うのを手伝って欲しい。お前は命の大切さを知っている。だからその命を守るために、皆を守るために戦ってくれないか?」


 ローズは口をいの字に広げて頭を抱え込んだ。

「少し……考えさせて……」

「覚悟のできたものは、一時間後倉庫に集合してくれ。例えサボっても罰はない。守るのを手伝いたいという者だけがきてくれ。アジリア。お前は教導を手伝え。こっちは命令だ」

 アジリアは口への字に曲げる。そしてパギを一撫ですると、食堂から出ていった。俺も銃器を用意するために、倉庫へと足を向けた。


 倉庫へと出向く俺を、ロータスが追いかけてきた。彼女は鼻の舌を指で擦ると、媚びるように俺の腕にまとわりついてきた。

「ナガセ。アタシにも教えてくれよ」

 俺はロータスを一瞥だけして腕を振りほどくと、さっさと倉庫へ向かう。

「お前は駄目だ」

 気のない返事に、ロータスは強い力で腕を掴んできた。ようやく本性を現したか。

「なんでだよ! ローズが嫌だってんならアタシでいいじゃねぇかよ!」

「二度言わせるな。駄目なもんは駄目だ」

 俺はロータスを睨み、ロータスを突き放した。ロータスは特に悪びれなく、ふふんと鼻で笑う。そして挑発的な笑みを浮かべると、腰を折って下から俺を上目使いに見た。


「は~ん。お前さ、アタシが怖いんだろ。アタシが銃を使えたらもう勝てなくなるからさ。心配しなくてもナガセのいう事は聞くし、アタシが他の奴らの面倒見てやるよ。アジリアやサクラより役に立つと思うけどなァ……」


 嘘つけ。お前はただ命令を下して楽をしたいだけだろう。そういや他の女から果物を奪おうとしていた、我の強い女がいたな。そういえばこいつだった。銃を持たせたら、何をしでかすか分かったもんじゃない。

 俺はロータスの肩を掴んだ。

 教えを受けられると思ったのか、彼女は笑みをより大きいものにしたが、おめでたい馬鹿野郎だなお前は。ロータスを回れ右させる。


「釣り好きシスターズは今日休みだ。お前代わりを頼む」

 釣り用の見張り台へと背中を押してやる。いらん時間を食ったな、さっさと倉庫にいこう。後ろから地団太を踏む音がしたが、知ったことか。


 俺は倉庫に着くと、アサルトライフルを六丁と、機関銃を三丁取り出した。プロテア、ローズ、マリアは体格が良いから機関銃を、残りは全てアサルトライフルを使わせる。

 アサルトライフルは六.五ミリ弾を使用している。汚染世界での標準的な口径だ。理由は五.五六ミリでは強化されたライフスキンに歯が立たず、七.二六ミリでは携行数が少ないし、反動が大きすぎて集弾率が悪いからだ。六.五ミリは八十メートル先の人攻機装甲に被害を与えることが出来るので、威力も申し分ない。


 ロータスが他の女の銃を奪うかもしれないが、認証をかけるから心配ない。ライフスキンのチョーカーをタグとして使うのだ。もしチョーカーを外したら、登録がリセットされる仕組みになっている。汚染世界でチョーカーを外すことは死を意味するので、そういう構造になっているが、思わぬところで役に立った。


 俺は布を敷いてその上にあぐらをかくと、銃器を一つずつ手に取り訓練に備えて整備を始めた。

 一丁目を終えた時、倉庫に二人の女が入ってきた。二丁目の途中で五人に、三丁目を手に取った時、教導補佐役のアジリアを含め、十人が揃った。

 一人多い。サクラだ。彼女には休暇を与えたはずだが、他の女たちと一緒に学ぶつもりのようだ。


 俺は整備し終えた三丁目のアサルトライフルを置くと、整備用具を床に放り出し、女たちを見上げた。

「随分……早いな。まだ三十分しか経っていないぞ」

 ローズが一歩進みでて、胸に手を当てた。

「ピコの死を見たわ。あんなの、もう見たくない。だけど……ナガセに名前を貰えなかった子たちが、死んでいくのも見たの」


 アジリアを除く女たち全員が首肯した。アジリアだけがどこか不安そうにそっぽを向いているが、その手は微かに震えていることから一番こたえているのは彼女らしい。

「何もできないまま、何もできないまま、布みたいにむしられて死んだの。助けてって叫んだ、お願いって頼まれた。だけど何もできなかった」

 女たちがローズを先頭に、俺の方に歩み寄って来る。

「それも、もう見たくない」

 ローズは俺に手を差し伸べた。

「ナガセ。守る力をちょうだい」

 俺は整備が終わったばかりのアサルトライフルの銃把を、ローズの手の中に預けた。



 数日後。俺達はドームポリスの外にいた。

 快晴。ほぼ無風。視界は良く、遠くで揺れる草葉すら良く見える。

 俺の背後には人攻機。眼前には女たち。女たちは射撃用に作った低い塀について、銃を立てながら俺の命を待っていた。

 服はいつもの白の上下だが、その下にはライフスキンを着込んでいる。チョーカーは近くに使用可能な銃器――つまるところ割り当てられた登録武器――がある証左に、赤い光を放っていた。

 本来なら亀のように、全身を防護服で覆ってやりたい。しかしそんな備蓄はなかった。


 ピコ。頼む。こいつらを護ってくれ。


 俺は仁王立ちの状態で、森とドームポリスの中間の堀に立てた、的を凝視した。

「構え!」

 俺の号令と共に、女たちが一斉に膝撃ちの姿勢で銃を構えた。

「狙え!」

 女たちは狙いを定め、浅く呼吸をし、銃身がぶれないようにした。

「単発!」

 女たちがセレクタを操作する。

「撃て!」

 引き金が絞られた。銃声が響き渡り、的が射抜かれる。彼女たちは三十発全弾を打ち尽くすと、銃を降ろした。命中率は平均二十発と言ったところ。上々だ。ただ独りアカシアだけが全弾命中だ。後で対物ライフルを支給しよう。


「次弾装填!」

 女たちが薬室を調べ、空になっていることを確認する。そして新たに弾倉を差し込み、安全装置をかけた。

 銃声を聞きつけてか、硝煙を嗅ぎつけてか、マシラが一匹森から飛び出て来た。

 女たちが色めき立つ。俺は慌てずに命令を下した。いい的だ。


「敵を確認! 構え!」

 アカシア、サンが銃を放り出して逃げた。俺は追わなかった。リリィは銃を握りしめて硬直する。俺は叱咤しなかった。ただ敵を見続けた。

 俺は「敵が何をしたか思い出せ!」や、「自分の命は自分で守れ!」など言わなかった。できる者ができることをする。それだけで十分だ。それに俺が教えたかったのは命の大切さであり、敵の憎み方ではない。


 これからもそうだ。

 憎む事は忘れ、愛することを教え、奪う事を止めさせ、護ることを教え、支配を許さず、想う事を教える。もちろん限度というものはある。我々は奪わざる得ない。しかし少なくともそれは、我々を護るためだけだ。


このように。


「三点(三点バースト)!」

 俺の声にリリィが慌てて構え直し、引き金を引いた。安全装置のおかげで引き金は引けなかったが、彼女は軽いパニックに陥った。弾詰まりを起こしたと勘違いし、銃を解体しようとする。草の上でだ。


 俺はリリィの肩を叩いて落ち着かせる。

「待て。慌てて撃たず、良く狙って撃て。良く狙うのは敵を撃つためではない。味方に当てないためだ。味方に迷惑をかけるな」


 リリィは大きな深呼吸を繰り返すと、セレクタをセイフティから三点へと移す。そして銃をしっかりと構え直した。

 マシラは堀の中に降り見えなくなる。女たちが緊張に生唾を飲んだ。やがてマシラが、掘から這い上がった。

「狙え!」

 女たちが一斉にマシラに狙いを定めた。マシラはこちらめがけて疾走してくる。十分引きつけ、俺は号令を下した。


「撃て!」

 銃声がこだました。マシラの身体に黒い雨が降り注いだように、黒点が次々と穿たれていく。マシラの皮膚が沸騰したように爆ぜ、マグマの噴出のように血潮を吹いた。マシラは鉛の嵐の中を、それでも突き進んでくる。だが次第に失速し、うつ伏せに倒れこんだ。

 それでも女たちは撃ち続けた。顔は見えないが、背中から鬼気迫る何かを感じる。俺は拳銃を天に向かって撃ち、何度も叫んだ。


「止め!」

 銃声が止む。女たちは荒い息を付きながら、標的を呆然と見つめている。

 俺は蜂の巣になって沈黙するマシラを見下ろした。全身の穴から血を吹き出し、しこたま喰らった弾の熱で、白煙を吹きあげている。

 死んでいる。女たちが殺した。俺が殺させた。

 俺は気を引き締めるように、顎を引いた。


 賽は投げられた。

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