第20話 萌芽ー10
俺は一人でバーベキューコンロと、食器の片付けを始めた。ただアジリアが残り、人の骨を埋めた墓の前に佇んでいる。彼女は墓標を見つめたまま俺に聞いてきた。
「会った事もないだろう?」
「そうだな」
「卑怯だぞ。私の過ちを形に残すなんて」
アジリアはいうが、心にもない事だと俺には分かる。彼女は墓標を前に、苦悩の表情を浮かべながらも、どこか達観した眼差しをしていた。
「忘れられないものを、忘れようとするから辛いのだ。大事なのはどう向き合っていくかだ」
俺はコンロにくべた火を、水の張ったバケツの中に落とした。そして残った串焼きと野菜、スープをキッチンへと持っていった。
後ろからアジリアの気配がついてくる。足音と共に、金属同士がぶつかり合う、チン、チンという音が廊下に響いた。何の音だ? 眉をひそめながら振り返ると、アジリアが食器を両手に抱えていた。
「どうした? 今日の片付けは俺がすると言ったはずだ」
「私に命令するな」
アジリアはぷいと顔だけそっぽ向かせた。
素直に手伝うといえば可愛らしいんだがな。口にしたら殴られそうだから黙っているか。
キッチンにつくと塩漬けの入った鍋と、串焼きの食べ残しを冷蔵庫にしまう。そしてスープとブロスの入った鍋を電磁加熱器(IHと同義)にかけた。翌朝にはいい出汁が取れていることだろう。
俺はアジリアを押し退けて、彼女が流し台に置いた食器を洗おうとする。だがアジリアは邪魔だと言わんばかりに、俺を突き飛ばした。
「後は私がやる」
「お前が? 何故?」
「私はお前の奇行をあれこれ問いただしたりしたか?」
アジリアは口の端を吊る挑発的な作り笑いを浮かべた。そして黙々とスポンジで皿を擦り始める。
お前がショックを受けて、奇行に走っているんじゃないかと心配なんだがな。俺が流し台の脇で腕を組んでいると、イライラとスポンジを投げつけられた。
「今女たちに暴走されたら私が困る。そして原因はお前だ。こんなところで皿洗っている場合かアホ。さっさと始末をつけろ」
俺はスポンジを拾い上げて、じっと泡が浮いた表面を眺めた。
「お前は……どうなんだ?」
「私の事を勘繰るな。虫唾が走る」
アジリアは俺の手からスポンジを奪い取る。そしてさっきより強い力で、皿を洗い始めた。
それでも俺が動かないままでいると、彼女は皿を洗う手を止めて、震える声を出した。
「貴様は正しい……腹が立つが正しい。あいつらは何かを奪おうとするたびに、今日の事を思い出すだろう。だが正しい行いが『良い』とは限らない。私はこれ以外のいい方法があったと思う。私はそれだけだ」
「だが時間が無い……もうすぐ一切の食物が取れなくなり、俺たちは飢えるだろう。それまでに人類と合流する必要がある。お前たちには命の意味を知ったうえで自衛して欲しかった。だから……早くに終わらせた」
アジリアはスポンジを強く握りしめた。そして首を弱々しく横に振った。
「お前もピコが好きだっただろう。なのにどうしてあんなことができた。お前は何を見ている? どこに行こうとしている? どうしてそこまでする必要がある? 私には分からない。私は行きたくない……私はお前が怖い……お前が行こうとしている場所も怖い……」
確かに。俺が常に見ているのは、おぞましい過去だ。その過去を繰り返さないように、お前たちを導こうとしている。忌むべき過去を俺というフィルターで隠して、反面教師にしているわけだ。
アジリアには俺が破滅へと導こうとしているように見えても……仕方がないか。
「詳しい事は、俺が人類を見つけ出してからにしよう。俺が斥候に出る間、お前にドームポリスの守護を任せたい。明日から他の女たちにも銃を持たせる」
そう言い残して、俺はキッチンを後にした。
女たちの部屋がある廊下を一人で歩いた。そして、一つずつノックをしていく。
「パギ」
返事はなかった。それもそうか。大好きなお姉ちゃんに気絶するまで電撃を浴びせ、ピコまでをも殺したのだから。俺は次の部屋に向かった。
「プロテア」
すぐ戸が開いて、プロテアが飛び出して来た。そして俺に馬乗りになり、何度も何度も殴りつけてきた。俺は一切抵抗しなかった。プロテアは絶叫する。「抵抗しろ」「卑怯だぞ」。やがて俺を殴りつける腕から力が抜けていき、彼女は俺の上に泣き崩れた。「どうしてやめる?」と聞くと、「お前が死んじまうじゃんかよぉ!」とプロテアは泣いた。
「アイリス」
戸が遠慮がちに開けられた。「生かすのに、すごく苦労しました」数十分ほど無言で向かい合っていたが、アイリスがおもむろに口を開いた。そして目に涙を貯めながら言った。「あんなに簡単に死ぬんですね」俺はただ、「ああ、だから大切にする必要がある」とだけ答えた。
「ピオニー」
少し待ってから戸が開いた。彼女はわんわん泣いており、落ち着かせるのに手間取った。彼女は今までぞんざいに食材を扱ったことを悔いていた。そして俺以上に残酷に死体を切り刻んでいたと苦しんでいた。そして意外にも俺に抱き付き、謝罪の言葉を繰り返した。俺に屠殺と言う苦しい役目を押し付けていたと思い込んでいた。
「ロータス」
いつも通りケロッとしていた。いつもと違う事があるとすれば、「次は私にやらせてくれよ」と言ったことだ。お前には死んでも銃は持たせん。
残る七人の反応も様々だった。泣いたり、責めたり、今まで殺した命について聞いたり、どうすればいいのか救いを求めたり、扉で拒絶したりした。
同じなのは全員が、俺に仄かな敵意を抱いている事だった。
最後に俺は、サクラの部屋に訪れた。
サクラには聞きたいことがある。ハッキングとプログラムの件だ。話しは長くなるだろう。俺は一二回の訪問で、疲弊しきった精神を引き締めながらノックをした。
「ナガセ? 今開けます」
戸が開き、サクラが部屋から顔を出した。彼女は健気に俺用の笑顔を浮かべているが、どこか影があり、疲れで暗かった。
「身体は大丈夫か? 変な痺れや吐き気はしないか?」
サクラは健全さをアピールするように、自分の胸を二度たたいた。
「全然。お気になさらず」
「嘘は許さんぞ。身体に異常はないか?」
サクラは驚いて身をすくめたが、俺の心配が伝わったのか、優しく微笑んで頷いて見せた。
「すまない。どうしても確かめたくてな」
ちびるまで電撃を流したのは俺なのに、何を言ってんだか。DV男みたい――いや、そのものだな。俺はばつが悪くなってサクラから目を離した。
「その……ピコの件で話をしたいんだが……」
サクラは少し戸惑ったが、半身になって俺を部屋に招き入れた。
部屋は備品が無いためこざっぱりしている。ベッドと机、椅子が一脚、そして支給した服と日常品が少し。変わったところと言えば、部屋の隅に機械工学と電子工学の本が、数冊積み重ねてあるぐらいか。ドームポリスの資料室にあったものだろう。
ピコの話はあっさりと終ってしまった。墓を見てようやく理解できたらしい。サクラは生きる上で仕方ない行為だと認め、以前ピコの親を殺した時、怒られた理由が分かったと言った。その上で彼女は、ピコ以外にも方法があったと苦言を呈した。ピコの親を食べたことの口止め以外に、俺に言える事はなかった。
部屋はしばらく沈黙に包まれた。
俺は顔を上げて、次の質問をした。
「人攻機の件だが……ああ、いやもう罰は済んだ。そうじゃなくて、どうやって動かした? 動かないようにしてあっただろ?」
言葉の途中で泣きそうになったサクラを慰め、部屋の隅にあった例の本を手に取り適当にめくった。俺ですら眩暈のする文字の羅列がその本にびっしりと書き込まれている。
「あ……はい。ですから動けるようにしたんです。アイアンワンドは人攻機を動けるようにはしてくれなかったので、プログラムを組んでロックされた機能を代替させました。それからアイアンワンドに頼んで、装備をつけてもらいました」
手間だったが、人攻機全てに直接パスを設定、管理しておいてよかった。例えサクラが最上級アカウントを持っていても、俺の設定したパスの情報までは持っていない。それが最後の歯止めになった訳だ。しかしまだ分からないことがある。
「どうやってアイアンワンドにアカウントを設定した? プログラムもだ。一朝一夕でできる代物ではないぞ?」
「え~……あ~……その……」
サクラは顔を真っ赤にしながら、忙しなく視線をさまよわせ始めた。
何を恥ずかしくなることがあるんだ、立派な特技だぞ。俺は彼女にデバイスを渡した。
「頼む。教えてくれ」
サクラはデバイスを受け取ると、唇を尖らせながら画面を見つめる。そして恥ずかしげに俯きながら、タッチキーボードを呼び出して床に置いた。
いったい何をするつもりだと見守っていると――彼女はベッドに腰掛け、デバイスの上で足の指を走らせた。
なんだこれは!? デバイスに次々と文字が入力されていく。俺のタイプより少し早い。しかも意味のない文字の羅列ではなく、コマンドが組まれている。
サクラは足の指の動きを止めないまま話し始めた。
「手でやろうとしてもできないんです。こうしてデバイスを足の所におくとむずむずして、つい何かやりたくなるんです。それで足が勝手に……ハイ……この中から使えるものを拾い上げたんです」
この女は汚染環境で、どういう仕事の仕方をしていたんだ。サクラは物珍し気な俺の視線に耐え切れなくなったのか、足でタイプするのをやめた。そして話をそらすように、デバイスを持ち上げて画面を俺に見せてきた。
「他にもありますよ。ご覧になりますか?」
「ん……確認する。お前は分かるのか?」
俺はプログラムを確認しながら聞いた。
「はい。何となくですけど。これは撃つやつだとか……これは歩くやつだとか。だけど良く分からない文字列もあります」
「それでよく機能代替なんてできたな……」
「何となく……やってみたらできました」
無意識下で記憶が残っているのか、記憶が残っているがきっかけが必要なのか、いまいち判別できない。いずれにしても、断片が呼びさまされたに過ぎないようだ。だがこれではっきりと分かった。
逆行性健忘症。意識障害から回復した時、それ以前に経験したことものを思い出せなくなる症状だ。彼女たちはこれを患っている。考えられる理由は人工冬眠の失敗。それかポールシフト爆弾の磁気による脳波障害だろう。
しかし解せない。人工冬眠が失敗するものなのか? ユートピア計画の主柱で、人類を未来へと送る重要な装置だ。何度も実験と検査、研究が重ねられ、タブーを犯し人体実験まで行った。入念な審査を、一切の妥協を許さずパスしたはずだ。失敗したとは考えにくい。
磁気による脳波障害はもっとありえない。ユートピア計画で、地球がマグマに沈んでいる間、ドームポリスや機動要塞は宇宙に逃れることになっている。その動力源はポールシフト爆弾の磁気で、ドームポリスが張る磁場フィールドに作用し、リニアの要領で宇宙へ打ち上げるのだ。脳波障害を被る程、磁気フィールドが弱かったら宇宙に行けない。
まさかわざと――?
不安を忘れようと、サクラのプログラムに意識を集中させる。組まれたプログラムは全て初心者用で、技術者が基礎として扱うものばかりだ。きっとサクラは技術者で、よく使うプログラムを思い出したにすぎないだろう。
プログラムの中に、アイアンワンドに応答を求めるものを見つけた。これがアイアンワンドに、最上級アカウントを作らせたものか。
恐らく不正規にアカウントを作成するための、バックドアにアクセスするものに違いない。何故サクラがこれを知っているかは分からないが、本人だってそうに違いない。聞いたって無駄だろう。
「サクラ。これは?」
念のため聞いた。
「これですか? アイアンワンドにお願いする時に使いました。そしたらアカウントを作れと言われたので……」
分からずに使っていたのか。だから道具という奴は――愚痴っていても仕方がない。早い所アイアンワンドのバックドアを見つけ、塞いでしまう事にしよう。手元にアクセスコードがあるから、さほど手間にはならないだろう。
「これからアイアンワンドにお願いすることはできなくする。質問はいつも通りできるが……すまない」
「いいえ。謝らないで下さい。それがいいと思います。私には手に余りますから。ですからこれから何か思い浮かんだら、これからはご相談させてください」
サクラはにっこりと笑った。俺はサクラにデバイスを預けて、早々に部屋を出ることにした。
「話は終わりだ。長々とすまなかった。それと明日は一日休め」
俺がドアノブに手をかけると、
「お待ちください」
サクラが引き留めた。振り返るとサクラは苦悩の表情を浮かべて、俺を見つめている。そして遠慮がちに口を開いた。
「ナガセは私にペナルティを課した時、『二度と』と仰いました。以前にも、教え子に裏切られたことがあったのですか?」
サクラもアジリアと同じくらい鋭くなってきた。俺は嘘をつく気力も無かったので、重要なところをぼかしながら話した。
「教え子って訳じゃない。友達だったり、仲間だったり、一般人だったりした。俺はそいつらに色々なことを教えた。子供でいる尊さ、夢を持つ大切さ、人を愛する素晴らしさ。だが思い通りにいかず、逆に俺がいろいろ教わった。大人になる厳しさ、夢を捧げる辛さ、人を愛する虚しさをな。そうこうしているうちに、最後の仲間がとんでもないことをしやがった」
サクラがこくりと生唾を飲んだ。俺の雰囲気が暗く沈んだのに気付いたようだ。
「その仲間は何を?」
「泥棒だな。俺を縛って閉じ込めて置いてきぼりにして、大事な荷物を盗んでいった。俺は大抵のことは許していたが、その時はブチ切れた。許せなかった。それで追いかけて……追い縋って……追い詰めて……お仕置きしたよ。必要以上のお仕置きをした……もうあんなのはごめんだ」
サクラはぶるりと震えた。
「その仲間は、今どうなさっておりますか? 許しましたか? 私はまだ――」
「サクラ。お前はもう許された。寝ろ」
俺は彼女を遮って、部屋を出た。そして中央コントロールルームに向かう。今日中にバックドアを閉じてしまおう。途中でキッチンの前を通りかかった。
「凪に揺蕩いて、空を舞う――」
あの歌が聞こえた。キッチンを覗き込むと、アジリアが歌を口ずさみながら皿を拭いている。その歌は本来、嬉々とした希望を込めて歌うものだ。しかしアジリアは悲愴な表情で、さも鎮魂歌のように歌っていた。
なかなかの美声だ。俺はキッチンの入り口に寄り掛かり、黙って耳を傾けていた。
「信じてる。ねぇ、いつまでも。繋がる想い、無償の愛、抱きしめ夢を見る――」
アジリアは俺に気付いた様子も無く、歌い続けている。皮肉気な声色が気になるが、俺が知っているあの歌と、リズムも歌詞も、寸分の違いも無い。
大分保留にしてきたが、ここは恐らく、俺が元居た世界の未来なのだろう。ここは俺の世界との類似点が多すぎる。
「愛してる。ねぇ、これからも。広がる世界、目を覚ませば、そこは――ん……」
歌の途中でアジリアは声を詰まらせた。俺は壁から身体を離した。
「そこは夢で見た空――だ」
そしてキッチンの入り口を通りざまにそう言った。アジリアが顔を真っ赤にしながら振り返るのがちらりと見えた。
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