第7話 邂逅ー6

 人功機は土を抉り、スクラップと化した叢雲の脇を通り、食い散らかされた化け物の死体を踏みにじって、森へと駆けていく。


 俺はドームポリスに通信を飛ばした。

「アイアンワンド。シャッターを閉めろ」

『サー。シャッターを閉めると、電力がほぼ底をつきます。太陽光パネルによる充電を考慮すると、次の開閉に必要な電力が溜まるまで、二時間はかかると予想されます』

「構わん。やれ」

『サー。イエッサー』


 通信が切れると同時に、膝の上の黒髪が軽い悲鳴を上げた。

「ナガセ! とめて! ゆれる。ゆれゆれ! なんかきもちわるいしこわいよ!」

 歩行中の人攻機は揺れる。走行中はことさら揺れる。下手糞なバーテンダーのカクテル捌きのように、不規則で乱暴に揺れる。

 アブソーバーを弄れば環境は劇的に改善することはできるが、人攻機はリムジンではない。乗り心地と引き換えに、反応速度と姿勢制御時間を犠牲にすることはできない。


「悪いが我慢してくれ」

 顎で黒髪の頭を叩くと、彼女は「う~」と短く唸り、それっきり文句を言わなくなった。


 森が目の前に迫る。人攻機の倍ほどの大きさを誇る木々が鬱蒼と生い茂っており、森と草原の境目には若木が芽吹いていて、まだ拡大しつつあることが見て取れる。

 素晴らしい景色に、思わず口笛を吹いてしまう。


「それで狩場は」

「もりのいりぐちのきにね~、さんかくのしるしつけてあるの。そこからはいって~」

「そこから先は」

「ばけものにおいかけられて、みちができてるの。それにじめんにいしをおとして、わかるようにしてあるんだ」

「木は大体どこらへんだ?」

「もっとみぎ~」


 俺は幹に大きな三角の傷を持つ木を見つけて、人功機を森に突っ込ませた。

 陽光が枝葉で遮られて、森の中はうっすらと闇を孕んでいる。

「視界が悪い……あの化け物に不意打ちされるかもしれんな」

 五月雨の腰部に取りつけた、サブアームの拳銃を装備する。

「あれ~。せなかのおっきいのにしないの~?」

「取り回しが悪い。相手に向けて撃たなければ意味がないんだ」

 俺は説明しつつ、地面に散らばる石ころの後を追って、森の奥に進んでいく。

 疾駆する躯体が旋風を巻き起こし、木々の葉が揺れ、枝で羽を休めていた鳥が飛び立っていった。


 視界が開けた。

 そこは森の中に、ぽっかりとできた小さな広場だった。中央に湖があり、それを取り巻くようにして、赤い果実を持つ樹が茂っている。他にも俺の背丈ほどの植物が生えていて、小ぶりな黄色い果実が実っていた。


「ここか?」

「そ~」

 今の所、化け物の気配はない。さっさと仕事にかかろう。

 五月雨を湖の縁で停めて、片膝をつかせる降着姿勢を取った。

 クッションが萎んでいき、身体に自由が戻ってくる。

 俺は搭乗口を開けると、黒髪を先に下ろした。


「お前は食糧を回収してくれ。巨人のケツに取っ手があるだろ。そこを引くと、中が物入れになっている。そこに突っ込めるだけ突っ込め」

「え!? ナガセこないの?」

 黒髪はちょっと心配そうに俺を見上げると、地面に降りずそのまま宙ぶらりになった。


「大丈夫だ。独りで逃げたりしない。信じられるか?」

「ん……ひとりはいや。こわい。こわいよ」

 参ったな……無論黒髪を囮にするつもりはないし、見捨てるつもりもない。

 ただ化け物がいつ来てもいいように、五月雨で待機していたいだけだ。

 ここは三百六十度森で囲まれている。いつどこからあの猿が駆けて来るのか分からないのだ。


 だが、黒髪に独りで行けといい聞かせた所で、不安は作業の手を酷く鈍いものにするだろう。それならば俺も手伝って、信頼関係を築いた方が良いか。

「分かった。俺も行く。水を確保するから少し待ってくれ」

 五月雨が背負ったタンクのホースを湖に垂らし、給水を開始する。

 それから五月雨の足裏から集音スパイクを出し、異常な音源を察知したら警報を鳴らすように設定した。あのバカでかい猿の足音だ。広場に雪崩れ込む前に対応できるはずだ。


 俺が黒髪と共に地面に降り立つと、彼女は花が咲いたように明るく笑い、無邪気に湖の周りを走り始めた。

「おい。本来の目的を忘れるなよ。それにあまり騒ぐな」

 俺は用意したバスケットを黒髪に投げた。

「あ~い」


 黒髪は湖の周りにある赤い果実の収集を始めた。やはり怖いのか、彼女は五月雨のそばを離れようとしない。俺はそこを黒髪に任せて、黄色い小ぶりな果実をもぐことにした。

 黄色の果実はレモンによく似ていて、菱形をしている。スンと匂いを嗅いでみると、鼻の奥にハッカのような爽やかな香りが抜けていった。


「見たことのない果実だ……レモンに似ているが……」

 ユートピア計画では、一度大地をマグマに沈めて、再び地殻が生成されるのを待つ壮大な計画だ。その時『人間にとって過酷すぎる環境』が偶発的に生まれないように、大地が出来上がると同時に様々な植物の種が投下された。

 理論上、汚染前の地球に似た環境が創られるはずだったが、やはり多少の誤差が生じたらしい。独自の進化をへたり、環境に合わせて変異したのだろう。


「ナガセ! たべて! たべて! これおいしいよ!」

 黒髪が赤い果実を俺に差し出してくる。形はリンゴによく似ているが、手に取ってみると、トマトとよく似た感触をしていた。

 俺は赤い果実を黒髪に投げ返すと、五月雨の方を指した。

「俺はいい。全部巨人に積むんだ……ああ、お前は食うな。帰りに吐いちまうかもしれんからな……」

 黒髪は不服そうに頬を膨らませて、なおも果実を押し付けてきた。だが手で追い払うと、すごすごと巨人の元に戻っていった。


 俺も手持ちのバスケットが一杯になったので、一度五月雨に戻る。それを何度か繰り返すうちに、湖の果実はほとんどなくなってしまった。

「元から量がある訳ではなかったしな……まぁ機動要塞のバイオプラントも、時間が経てば次の実を実らせたし、気にする事でもないか……」

 化け物が湖に訪れる気配はないので、他にめぼしいものは無いか広場に目を凝らした。


 お? 木の根元に生えているあれは山菜か? ぜんまいによく似ていて、先端が渦を巻いているな。

「美味そうだな……ふふ。汚染世界では高級品だったからな……む? キノコまである」

 ぜんまいの隣に芽吹く、地味な色をしたかさの小さいキノコに手を伸ばした。

「だめぇ!」

 黒髪が俺の腕に飛びつき、キノコを叩き落とした。

「それはだめだよ! よわいのもってるから! まえにたべたこ、ちをどば~っとはいてしんじゃったよ!」

 迂闊だった。ここは国によって管理された移動要塞ではなく、新たに生成された新世界なのだ。それにさっき気づいたように、この世界の植物は独自の進化を遂げている。今までの知識と経験が通用しないのだ。


「このキノコで間違いないか?」

「うん! あぶないの、みんなでおぼえるから……」

「わかった。じゃあ、俺も覚えたいから、これは別に持って帰るぞ」

 俺は浮かない顔をする黒髪を余所に、キノコを胸元のライフスキンの皮で包み込んだ。


 そうだな。この世界のデーターベースも作らなければな。俺は山菜を摘みながら、今後のことをおぼろげに考え始める。


 まずは全員を健康にしなければなるまい。その上で十分な食料と水を確保し、それから――それから――どうする?


 頭の中が真っ白になる。

 そもそもここはどこだ?

 未来なのか? 並行世界なのか? それとも俺が見ている幻想なのか?

 俺はどうするべきなのか? ここにいていい存在なのか? そもそも何で俺はここにいるんだ?

 彼女たちは何だ? ここにいるべき存在なのか? そもそも何で彼女たちはあそこにいたのか?


 ひょっとしたら、俺はとんでもない事をしているのかも――


 自然と手が止まり、地面から顔を出す草の根元を、意味も無く見つめていた。不意に背中に誰かが触る。驚いて振り向くと、黒髪が怯えた表情で俺を覗き込んでいた。

「ナガセ? かおこわいよ? どうしたの? ばけものいるの?」

「いや、なんでも――」

 けたたましいブザーの音が響き、俺の頭から余計な考えがすっ飛んだ。黒髪を乱暴に抱え上げ、五月雨まで走った。


 股間の搭乗口に飛び込み、猫を摘み上げるように黒髪をコクピットに引きずり込む。

 手に持っていた山菜を全て黒髪に押し付けて膝の上に座らせると、俺はスロットルをアイドルからミリタリーに入れた。クッションが膨らみ、二人の身体を包み始める。

 身体が徐々に圧迫されるのを感じながら集音スパイクのモニターを見ると——囲まれているだと! 音源は全てで一六つ。それが広場をぐるりと取り囲み、包囲網を狭めている。


「なぜこんなに接近されるまで気づかなかった!」

 俺は八八式を五月雨に構えさせながら怒鳴った。

 マスターアームオン。トリガーに指をかける。

「わたしにいわれても……」

 膝の上で黒髪が涙声を出す。俺は彼女の頭を顎で押さえながら、じっとセンサーに目を凝らした。音源は一定の速度で接近している。それでいてセンサーが感知できなかったという事は、敵は巨大な猿ではない。ムカデでもない。地面を這うような静かな移動法を持つ、もっと小さな何かだ。


 俺は顎で黒髪の頭を叩いた。

「お前に怒っている訳ではない。いいか。これから派手に暴れるぞ。下手に身体に力を入れるな。身体を痛めるだけだからな」

 黒髪が頷いて、身体の力を抜いた。だが緊張しているのか、つばを飲み込む音が耳朶を打った。

 水の確保も終わっており、タンクはほぼ満タンだ。後はここを去るだけだ――が。


「動けん……乱れなく輪を狭めてきている……敵の姿を拝んでからだな……」

 やがて、俺の耳にも何かが木の葉を揺らして近づいてくる音が聞こえ始めた。

 得体の知れない恐怖が胃を突き上げてくる。

 そして、草の根をかき分けて、それが広場に入ってきた。


 肉の袋。


 一目見た感想がそれだった。

 敵は達磨のような身体に、不揃いな人間の手足を出鱈目に生やしている。身体の中央がぱっくりと裂けて、そこが大きな口となっており、いびつな歯がノコギリ刃のように並んでいた。

 口の周りにはまぶたのない目がいくつもついており、そのどれもが俺のことをじっと見つめていた。


 奴らは不揃いな脚で地面を蹴り、五月雨へと這い寄ってきた。

「くたばれ人外め!」

 俺は吠えると、トリガーを引き絞った。肉の袋が跳ね上がり、瞬く間にミンチになる。するとそれに呼応して、四方八方から肉の袋が飛び出し、恐るべき速さで這い寄ってきた。


 来た道を引き返すが、行く手を遮るように肉袋が二匹飛びかかってくる。

 負けじと五月雨を跳躍させて、一匹を足蹴にして踏み潰した。もう一匹はさばききれず、その大きな口で左腕に食らいついてきた。

「それしきで、カーボンファイバー製の装甲が――」


 アラートが鳴った。見ると躯体左腕の装甲に、異常発生を知らせている。

 俺は目を剥くと近場の木に思いっきり左腕を叩きつけて、肉袋を押し潰した。

 肉袋が地面に落ちると同時に、装甲がべろりとめくれ上がる。

「何だ!」

 走りながら左腕をモニタの前にかかげた。

 左腕には肉袋の唾液らしきものがベッタリと付着しており、それは装甲を歪ませて内部に浸食し、白い煙を噴き上げていた。


 酸? ではないな。分からんがこのままでは骨格をやられる。

 舌打ちと共に左腕装甲をパージししたが、異変はそれだけでは収まらない。今度は肉袋を踏みつぶした右足からアラート。超音波センサーが破損している。こっちは放置するしかない。


 バックカメラで背後の様子を確認すると、地面を這って六匹、木の枝を飛び跳ねて十匹、追ってきている。

 俺は今までの機動ログを呼び出すと、この森に入ったルートを逆走するようにコンピューターに命じた。GPSと連動していないから、どうしても誤差が生じるが仕方ない。

 手の空いた俺は背後に八八式を向け、飛びかかってくる肉袋に狙いを定めた。


 落ち着け。自分に言い聞かせながらトリガーを絞る。

 一匹が空中で肉片になった。二匹目、下半身を拭き飛ばされ、地面に墜落する。三匹目は狙いを外してしまう。食らいつかれる前に、八八式の銃身で思いっきり横に殴り飛ばした。三匹目は森の中に消えた。


 五月雨が森から飛び出し、ドームポリスへと駆けていく。

「アイアンワンド!」

『サー。ご命令を』

「倉庫を開けろ! 二時間は立ったぞ! いけるな!?」

『サー。倉庫を開くことは可能。しかし閉じる分の電力を確保できません。閉鎖可能な電力の確保まであと十分』

「何故予定がずれた!?」

『サー。雲のせいです。もし完全な情報が欲しければ、衛星との連結を――』

「倉庫を開けろ!」

『サー。イエッサー』

 ドームポリスの倉庫が開き始める。


 バックカメラを確認すると、続々と森から肉袋が出てくる。だが広い場所に出てしまえばこっちのものだ。

 俺は綺麗な陣形を組んで這い寄ってくる肉袋に、八八式を乱射した。地面が大きく抉れ、八匹くらいが肉の塊となって消し飛ぶ。しかし肉袋は即座に陣形を建て直し、なおも追い縋ってくる。


「恐怖はないのか……!」

 弾が切れた八八式をバックパックに戻し拳銃を抜く。そして肉袋に向けて乱射した。単発だし、集弾率も低い。三匹しか潰せなかった。肉袋は残り二匹に減っていた。


 ドームポリスがすぐ目の前に迫っている。倉庫の扉が開き、女たちが興味深げに飛び出してきた。

「馬鹿野郎! 外に出るな!」

 俺の罵声を耳にして、女たちは倉庫の中に慌てて引っ込む。

 俺もドームポリス内に飛び込み、何か武器になるものを探した。

 ちらと傷だらけになったダストボックスが目に入る。いかん。何を考えてるんだ俺は。他にあるものと言えば……何もない!


 ええい。ままよ!


 俺はドームポリスの外に飛び出して、五月雨の右足で一匹を踏みつぶした。

 アラートと共に、躯体がぐらりと右側に傾いていく。右足の骨格まで溶かされてしまったらしい。


 すかさず最後の一匹が胴体に食らいついてくる。胸部装甲が歪み、まるでチョコレートをかじるかのように、肉袋が装甲を食いむしった。

 胸部装甲をパージ。五月雨の胸板が剥がれ落ち、肉袋は胸部装甲と共に地面に落ちていった。


「くたばりやがれ」

 俺は五月雨の肘を突き立てるようにして、傾いた躯体を胸部装甲の上に倒れさせた。肉袋はぐしゃりと嫌な音を立てて潰れた。


 肉袋の体液が染みてくる前に、五月雨を立たせる。

 他に森から出てくる影はナシ。ようやく一息つけそうだ。

「ありがとうな。良く頑張ってくれた。お前のおかげでみんな助かるぞ」

 膝の上の黒髪を労って肩をさするが、彼女は全く反応しない。

 首でも痛めたか気を失ったか。俺は黒髪の顔をこちらに向けさせ、その表情を覗き込んだ。


「ぐるぐる~……ぐるぐる~も・う・だ・め……ぎ・ぼ・ぢ・わ・る・い」

 黒髪は顔を真っ青にして、口の端から唾液を垂らしている。やがて全身を震わせて鳥肌を立てると、身体をくの字に折った。

「ヴォエ!」


 やっぱり……吐いちまったか……むしろ今までよく堪えたというべきか、よしよしと背中をさすってやる。

『サー。電力の確保を完了。倉庫を閉鎖しますか?』

 アイアンワンドの奴め。いまさら報告されても腹が立つだけだ。

「閉鎖は中止だ。次の命を待て」

 俺はムスッと返事をした。

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