第3話 邂逅-2

 夕日が目に眩しくなってきた。


 バックミラーで後方を確認すると、叢雲の足跡が地平線の果てからここまで続いている。

 結構な距離を歩いたというのに、今のところ何も見つかっていない。

 計器を見るとバッテリーがそろそろ切れそうだ。予備が一つあるが、余程のことがなければ使いたくない。


「明日からは徒歩での活動になりそうだな……」

 やや前方には小高い丘があるが、切り立った崖になっているのか、先端の土が禿げていた。目立つのであそこに叢雲を駐機すれば、人が見つけてくれるかもしれない。


 丘の先端まで叢雲を歩ませて、周囲を見渡してみる。やはり丘の向こうは崖になっていて、その先に広がる岬を一望することができた。

「ん……待てよ……!?」

 俺は海岸に引っかかっている、白い楕円形の建造物を見つけて息を飲んだ。


 間違いない。あれは人類の冬眠施設『ドームポリス』だ。

 心臓が高鳴る。血液が熱くなる。脳が喜びに灼ける。

 俺は即座に予備のバッテリーを叢雲に接続した。満身創痍の叢雲でも、崖を降りられる場所を血眼になって探した。


「たっ! たすけて! たすけてぇ!」


 悲鳴……? 人間がいるのか!? それに助けを求めている!

 声の主を探して、崖の上から草原を見渡した。人影は見えない。心なしか声は草原より、内陸部の森から聞こえたかもしれない。

 森のほうへ視線を向けると、ちょうど女が飛び出してきた。


 ライフスキンを着ていることから、冬眠を経た人間であることは間違いないようだ。彼女は両手いっぱいに木の実や山菜などを抱えていたが、それを投げ捨てて必死の形相でドームポリスへと走っていた。


「女……? と……何だあれは!」

 女を追って、森から異様な生物が飛び出してきた。

 赤茶けたムカデ。

 一見した感想がそれだ。ムカデは人間の胴体をつなぎ合わせた身体を持ち、肋骨の位置から足のような突起をいくつも伸ばしていた。ムカデは身体をうねらせて、突起で地面を抉るようにして女を追いかけていた。


 考えている暇はない。このままでは女が襲われる。

 叢雲の限界値の設定を解除。スロットルを、アイドルからミリタリーへ。

 叢雲を崖から躍らせて、躯体の尻と足を絶壁に擦り付けて滑り落ちていった。


 コクピットが激しく揺れ、ブザーが不平を言うようにけたたましく鳴った。

 崖下に降り立つと滑り落ちた勢いを保ったまま、女とムカデの間に割って入る様に突撃する。ぎりぎり間に合いそうだ。


「きょじん……?」

 やばい。女が俺に気付いて、驚きの為か一瞬足を止めやがった。ムカデは止まらずに女へと迫っていく。このままでは間に合わない。


「馬鹿! 足を止めるな!」

 マスターアームオン。ヘッドアップディスプレイに搭載されている火器が表示され、損傷により使えないものには赤い斜線が引かれた。

「使えるのは――爆裂式短刀と、左腕四十ミリカノン砲か……クソ! センサーがオシャカだから目測で当てるしかねぇ!」


 しかも走りながらの射撃だ。まず当たらないが、威嚇にはなるはずだ。

 四十ミリカノン砲を起動。叢雲の左手が折れ曲がり、手首から砲口が露出する。ヘッドアップディスプレイに表示されたカノン砲のレティクルを、間違っても女に当たらないようにムカデの後方へと合わせた。


 爆音とともに弾丸が発射され、肘から薬莢を排出された。弾は狙いを少し右にそれて、ムカデの半身を吹き飛ばした。女も衝撃のあおりを背中に受けて、草原に倒れこんだ。


 巻き上がった土が降り注ぐ中、俺は女の方へ叢雲を走らせる。

 またもや森から新しい生き物が飛び出してきた。

 今度は猿のような生き物だ。赤茶けた皮膚を持ち、筋肉質な上半身で、大地を掴むようにして走っている。それに比べて下半身は貧弱で、がりがりに痩せた細長い胴体が、尻尾のよう振り回されていた。


 でかい。目測で七メートル。全高六メートルの人攻機よりも大きい。

 猿は合計で二匹。女に狙いを定めて突進している。

「ちィ! 女が巻き込まれる」


 叢雲の進行方向を修正し、猿共に突撃させた。時同じくしてカノン砲が、二射目の準備を完了する。先ほどの着弾点を元に修正を施し、猿めがけてトリガーを絞った。


 爆音と共に、叢雲の左側に衝撃が走った。コックピットでは非常灯が一斉に点灯し、ヘッドアップディスプレイに緊急情報が提示された。畜生が。左腕カノン砲が発射の衝撃に耐え切れず、破裂しちまったみたいだ。


 俺は暴発で転倒した叢雲を、必死に立たせた。猿は女のすぐそばまで近づいている。いまさら走っても、もう間に合わん。かくなる上は——飛行用のフライトモジュールを使うしかない!


 飛行用のスロットルを奥まで入れると、叢雲肩部のロケットが火を噴いた。叢雲は地面から僅か数十センチを浮遊しながら、スケートを滑るように猿どもめがけて疾駆した。


 よく機転を利かせたと、自分を褒めたやりたい。猿が女に飛びかかる前に、叢雲で間に割って入ることに成功する。汚らしいボケが。ぶち殺してやる。


 右腕爆裂式短刀を展開。右手首が折れ曲がり、炸薬を充填した巨大な刃が現れる。俺はロケットによる推進の勢いを右腕に乗せて、思い切り猿の顎を殴りつけた。


 刃が猿の喉を切り裂き、切っ先が後頭部から突きでる。数刻の間をおいて短刀が爆発し、猿の頭は跡形もなく消し飛んだ。


 まずは一匹。


 崩れ落ちる頭のない猿をその場に残して、残りの一匹へと強襲を仕掛ける。残った猿も標的を女から叢雲に変えたようで、拳を振り上げて襲い掛かってきた。俺も負けじと新たな爆裂式短刀を展開しつつ、叢雲を猿へと殴りかからせた。


 叢雲と猿の腕が交差する。

 振り降ろされた猿の剛腕が、叢雲の頭を叩き潰した。あいつらの筋肉は見かけ倒しではないらしい。衝撃と共に天井が大きくへこみ、ガラスやプラスチックの破片が降り注いだ。

 しかし叢雲も負けてはいない。短刀は猿の分厚い胸板を突き破り、胸から首までを一気に切り裂いた。


 致命傷だ。

 思わず顔がほころぶ。

 そのままくたばりやがれ。


 しかし——猿は叢雲の腕を無造作に掴んだかと思うと、自らの首を切り裂きながらも、強引に短刀を引きぬいた。

 猿の首と胴体をつなぐのは肉だけとなり、頭はだらしなく背中にぶら下がった。それでも奴はお構いなしに、拳を振り上げて叢雲の胴体を殴りつけてくる。

 首がもげているのに野郎。ピンピンしてやがる。


 コクピットが大きくたわむ。俺は危うくへこんだ鉄板に押し潰されそうになった。

(何だ! この化け物は!)

 猿は叢雲に馬乗りになって、執拗にコクピットを殴りつけてきやがる。咄嗟に使い物にならない左腕でガードしたが、一発を防いだだけでメインの配電線が切れたのか、力なくぶら下がった。


 このままでは殺される! 

 俺は自爆を覚悟で猿の脇腹に炸裂式短刀を叩きこみ、刀身を奴の身体に残したまま腕を引き抜いた。猿が絶叫するが、これでくたばるようなタマじゃない。新しく装填された短刀を、がむしゃらに胸に突き立てた。

 短刀は猿の肺を貫いたのか、急に猿の絶叫が小さくなる。


 一瞬の静寂。

 それも束の間、短刀の爆発が、叢雲ごと猿をのみこんだ。

 爆発の残響が耳に残る中うっすらと目を開けると、上半身の消し飛んだ猿が叢雲に馬乗りになったまま、ぐらぐらと揺れているのが見えた。やがて猿は大きく傾くと、機体の上に倒れこんだ。


 コクピットに猿の血が、どばどばと流れ込んでくる。汚いなクソが。血を浴びながらもスティックを操り、叢雲の上から猿を振り落とそうとしたが、躯体はのそのそととのたうつだけだった。

 爆発のあおりを受けて、完全に駆動系が駄目になったらしい。棄てるしかない。アサルトライフルを担いで、股下の非常脱出口から叢雲を這い出た。


 振り返るとまるで酔っ払いのように、叢雲に猿がのしかかっていた。

 しかし頸骨を切り離しても動けるとは、なんてでたらめな生き物だ。一体どんな身体構造をしているんだこいつらは。

 興味がてらに猿の傷口を覗き込むと、白と赤の肉に黒い筋が走る、腫瘍のような肉塊が詰まっていた。これは……臓器なのか? 蟹のエラのような臓器と、腐った果物のような器官が、猿の身体にはデタラメに押し込まれている。


「何だ……こいつら……!?」

 驚愕にわななく腕に、誰かが縋りつく。あの女だ。

 彼女は言葉にならない呻き声を上げて、ある方向を指しいる。その先では俺が頭を吹き飛ばした猿が、のったりとした仕草で立ち上がったところだった。


 慌ててアサルトライフルを構えると、碌に狙いを定めず引き金を絞った。

 頭のない猿に、次々と黒点が穿たれていく。猿は一瞬怯んだが、すぐに俺の方へと突撃してくる。


 必死になって撃ち続けた。めくら撃ちのため弾がデタラメに飛んでいく。暴れる銃身を押さえることができない。気付かぬうちに、獣のような雄叫びを上げていた。


 猿は蜂の巣になりながらも、俺めがけて突っ込んでくる。トリガーが軽くなり、空撃ちの音が空しく響いた。女の縋り付く力が強くなった。


 猿がこけた。走る勢いそのままに草原を転がり、地響きを立てて俺たちの目と鼻の先で横倒しになる。そしてか弱い断末魔を上げた後、微動だにしなくなった。

 死んだ。

 俺はいつの間にか上がっていた息を押さえようと、胸に手を当てた。戦場でも感じた事のない恐怖が、胃袋を下から押し上げてくる。やがて堪えることができずに、両膝を付いてその場にへたり込むと激しく嘔吐した。


 頭がジンジンする。上手くものを考えることができない。動悸が激しくて、いつまでたっても落ち着かない。


 背中に何かが触れた。振り向くと、助けた女が俺の背中をさすってくれている。

 遠目では気付かなかったが、俺と同じ日本人らしい。東洋系の顔立ちに黄色い肌を持ち、黒い髪が川のように背中を流れている。彼女は淀んだ目で心配そうに、俺を見つめていた。


「あの化け物は何だ?」

 日本語で女に聞いた。女は訳が分からないように首を傾げた。

「あの化け物は何だ?」

 今度は英語で聞く。女は顔を綻ばせた。


「ばけもの~? わからないよ。ずっといるから。ごはんとりにいくと、ぜったいにいるよ」

 なんだこの女。体つきはどう見ても大人なのに、子供みたいな喋り方をしやがって。ライフスキンを身にまとってはいるが、衣装用の飾り布をつけてはいない。スキンが張りのある胸や、丸みを帯びた尻を浮き彫りにしているのに、まったく恥ずかしがる素振りすら見せない。


 娼婦か? それにしては身だしなみが整っていないな。身体から異臭がするし、顔には垢が浮いている。そして髪の毛はぼさぼさで一切手入れをしていない。


「そ~ゆ~あなたはどこからきたの? わたしたちとなんでちがうの?」

 困惑する俺を余所に、彼女が聞いてきた。今度は俺が首を傾げる番だった。

「私たち……? それに違うって何だ?」

「おっぱいないのなんで? からだもごつごつ。かおもなんかちがう。へんだよ~」

「俺は男だからな……」

 女はまた首を傾げた。そして俺のことを――主に身体的な違いを――じっと見つめてきた。


「ちょっとスマン。体に触るぞ」

 俺は女の身体に手を伸ばすと、襟の下にあるライフタグを探した。

 ライフスキンにはドックタグに似た、個人を認識するタグが埋め込まれている。情報を読むには読み取り機器が必要だが、名前や血液型、所属などの情報は直接書き込まれている。

 女は首をくすぐる俺の指に最初驚いたようだが、すぐにからから笑いだした。


『Name:No11 Belong to   Blood Type : O』

 名前の代わりにナンバーが書きこまれており、所属は空白。唯一まともなのは血液型のみだ。

 あり得ない。ライフスキンを製作、管理しているのは国家であり、人間は生まれると同時に着せられる。名前に番号が振られ、出生地が空白だということは、彼女は国の管轄外で生を受けたことになる。


「ない……どういうことだ……お前たちは何だ……?」

「なにって?」

「何処の所属だ? 何処の生まれだ。名前は何だ?」

 女は考えるように頭を抱え込んだが、すぐに呻き声と共に首を振った。


「わかんない。わたしがおきたら、とうめいなはこのなかでねむってたよ。そこはおおきなたてもののなかだったの。あれ~」

 女は砂浜に漂着しているドームポリスを指した。

「それでおなかがすいたからそとにでたら。ばけものがたくさんいたの」

 今度は森の方を指す。彼女の顔は恐怖に歪み、その指先はかすかに震えていた。


「きょうわたしのと~ばんだから。みんなでいって、みんなころされるより、ひとりでいったほうがいいって、きいろいかみのこがいったの。だからそうしたの」

 その時、森の方から雄叫びが聞こえた。思わずびくりと震えて、森の方を振り返った。

 幸い森から新しい猿は出てこなかったが、心は恐怖で揺れ始めた。夕日はもう地平線の彼方に沈み、その尾が藍色に空を照らすだけ。空気も冷えて、闇がすぐそばまで忍び寄っていた。


「ここは危険だ。あそこで話さないか?」

「なんで? ばけものたおしたよ。あなたつよいんでしょ?」

「もう強くない。今見つかったら殺される」

 鏡があったらきっと俺の顔は青ざめていた事だろう。


 俺は女を引っ張るようにして、ドームポリスの方に走っていった。だがすぐに女の息が切れて、足をもつれさせた。

「ちょっと……はやいよ!」


 ええい。このウスノロが。女の腕を強引に引っ張って、背中に負ぶった。

 背中で女のはしゃぐ声がする。子供のようにあどけなく、無邪気な笑い声だ。

(いったい……何があったというんだ……)

 これから人間に会いに行くというのに、心中は不安と恐れでいっぱいだった。

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