一年目
第2話 邂逅
「永瀬先生。どこに行くの?」
訊ねられて、言葉に詰まった。
目の前にはあどけなさの残る少女がいて、不安そうに俺の裾を握りしめている。俺を探し回って、あちこち走り回ったらしい。彼女のライフスキンは、ぐっしょりと汗で濡れていた。
ちなみにライフスキンとは、汚染世界での標準的な衣服のことである。
放射能に対する耐性を持ち、脱がずとも生活を送れるように体の洗浄機能も付いている。股間を露出することもできるので、排泄時に脱ぐ必要もない。
ただ肌に密着し、体のラインを浮き彫りにしてしまう。倫理的にそれはまずいので、ライフスキンの上には飾りとなる布切れをまとうのが一般的だった。少女もワンピースのような布切れで、ライフスキンを飾っていた。
覚えている。機動要塞『天森』での出来事だった。
鉄錆の匂いがする廊下で、俺は彼女としばらく見つめ合った。
ここは居住区から遠く離れた外縁部。子供の立ち入る場所ではない。道行く整備員や技術者たちは、場違いな少女に驚いているようだった。だが俺の真新しい腕章に気付くと、納得したように脇を通り抜けていく。
俺は何を言おうかと迷ったが、隠さず答えることにした。
「先生はな。世界を救うお仕事をすることになったんだ。だからこれから汚染世界を綺麗にしに行くんだ」
少女の顔色は晴れない。
「永瀬先生、ヘーシになるって、織宮先生泣いてたよ。先生、戦うの?」
「先生たちの仕事を邪魔する悪い奴がいるからね。先生はそいつらをお仕置きする仕事を任されたんだ」
「でもさ……ユートピア計画って、お外を綺麗にして、みんなで住めるようにするものでしょ。何で邪魔する人がいるの?」
「その人は……もうこの汚染世界でしか生きれない人たちだからだよ」
俺の脳裏に、陰鬱な情報が浮かび上がる。
機械と一体化した有機体。人の形をした人ならざる者。歪な進化を高速で遂げるもう一つの人類。
これから相見えることとなる、『領土亡き国家』の面々だった。
余程情けない顔をしていたのだろうか。少女が俺を揺さぶって来た。
「先生いつ帰って来るの? 織宮先生泣かしちゃ駄目だよ。ねぇ。いつ帰って来るの? そんな怖いとこに居ちゃ駄目だよ!」
俺は涙目になる少女の頭を優しく撫でる。
「残念だけど、先生はもうここに帰れない。だからね――」
とん、と肩を叩かれた。武官が苦々しい顔をしながら、最外殻につながる通路を親指で指している。
「永瀬。出発の時間が近い。行くぞ」
大方整備員から話を聞いて、呼びに来たのだろう。教え子との別れを邪魔するつもりはなかったが、未練を持たれては困ると慌てて声をかけたに違いない。
俺はその懸念を払拭するため、真っ直ぐに武官の瞳を見つめ返した。
迷いなんかない。この子の未来を作るために戦いに行くのだ。死んだって構わない。ただ悔やむことがあるとすれば、何の役にも立たず、死ぬことだけだ。
武官は俺の眼光を見て神妙に頷くと、先に廊下を引き返していった。
「だから、
急に世界が暗くなる。
ああ、そうだ。これは俺が軍に入った時の記憶だ。それからどうしたっけ?
戦って。戦って。戦って。手を汚し、心を削り、英雄と呼ばれて、ポールシフト爆弾の準備が整い、遺伝子補正プログラムの運び人という、最大の名誉に預かった。
そして間に合うか間に合わないかの所で、磁場障壁とポールシフト爆弾の磁場に挟まれて——
「間に合ったのか——ッ!」
がばりと身を起こすと、額を壁に打ち付けてしまった。
周囲は暗闇に包まれており、一寸先すら見えない有様だ。鈍痛をこらえながら周囲を手探りで確かめると、どうやらコクピットの中らしい。重力は真下ではなく体の左側に感じるので、横倒しになった叢雲に閉じ込められているようだ。
コクピットシートの下にある、非常電源を入れてみる。
モニタが光を放ち始め、OSを立ち上げる。そして躯体のスキャニングと、センサー類の起動を始めた。
スキャニングの結果、コンディションライトが真っ赤に染まってしまった。叢雲の状態が芳しくないことは明白だ。センサー類も全ての外部カメラが破損して、使用できない状態だ。通信機器、汚染検知装置も使えない。どうやら叢雲の頸椎部にある、メインの配電線をやられたようだ。
唯一胴体に付属しているマイクが生きていたが、こんなものが使えたってどうしようもない。呼びかけて助けてくれる場所に人がいたなら、とっくの昔に自分を引きずり出してくれたはずだ。
まぁ、俺が気を失っていたのは、そう長くないのかもしれない。それならば叢雲を洗浄するまで、俺を引きずり出すことはできない。それにユートピア計画が実行されて忙しいのかもしれない。
ライフスキンに取り付けられた時計を確認する。
「これって……壊れるんだな……」
有機ELに虚しく表示された、0000の文字列を冷めた目で見た。
とにかく待つか。
タイマーを起動して、たっぷり十二時間にセットする。
俺は大きな欠伸をすると、そのままシートに身体を預け、深い眠りに落ちた。
*
十二時間が過ぎた。
シートに座り続けたことで、こってしまった身体をほぐしながら思案に暮れる。
流石に天風に滑り込めたという、希望的観測は捨てるべきだろう。コクピット内の酸素はもうほとんど残っていない。
さて――どう死のうか?
拳銃を咥えてぶっ放せばいいだけのことだが、このまま死ぬのも味気ない。どうせ死ぬなら、汚染世界を放浪してからでも悪くないだろう。上手くいけばポールシフト爆弾が引き起こす地震にのまれる前に、領土亡き国家のクソどもをあと二、三人は殺せるかもしれないしな。
俺は装着しているヘルメットと、ライフスキンがきちんと密封されているか確認した。そしてアサルトライフルを担ぎ、残った酸素を全てライフスキンのバックパックに移した。
準備完了。躊躇うことなく、コクピットの非常脱出ボタンを押す。
フットペダル下にある搭乗口から、爆薬がボルトを吹き飛ばす音がした。内壁が軽く沈んで、少しだけ外側へと剥がれ落ちる。俺はペダルから足を浮かすと、搭乗口を塞ぐ鉄板を思いっきり踏み抜いた。
内壁が間抜けな音と共に外れて、搭乗口が開いた。外から差し込んだ光がコクピットを照らし、空気がなだれ込むように吹き付けた。
あれ――光が綺麗だ。汚染空気によって偏光しておらず、人工灯のように白い。空気も澄んでいる。汚染物を含んでいないらしく、搭乗口はいつまでたっても汚れることが無かった。
どういう事だ?
天風の連中が俺を担いだってことはないだろう。そんな事をするメリットなんてないし、軍隊はそこまで暇じゃない。第一この冗談は面白くない。発起人の脳天をぶち抜いて、やっと笑えるような悪戯だ。
恐る恐る外を覗き込むと、叢雲の脚が見えた。その隙間を埋めるようにして生える草もだ。それも汚染世界で散々睥睨した赤茶けたものではない。生き生きとした緑色の、旧世界の草だ。
心がざわめく。
搭乗口から身を躍らせる。叢雲の股間から這い出て、交差している脚を伝い、地面に降りたって柔らかな草を踏んだ。
辺り一面に緑が、草原となって広がっている。
何処までも。何処までも。
当然この草原には、バイオプラントに必要な照明が吊るされたり、水槽なども敷かれていない。代わりに蒼天に太陽がさんさんと輝き、大地には粘り気のない土が息づいていた。
遠方には森が確認でき、そのさらに向こうには海らしき青い小波が確認できる。
無意識のうちに、ヘルメットとライフスキンのつなぎ目に手をやった。例え空気が汚染されたままでも構わない。この美しい情景を目にして死ねるのならば。
密閉状態を解いて、ヘルメットを地面に落とした。
さわやかな風が頬を撫でた。鼻に抜ける緑の匂い。耳鳴りを生む風の音。
俺は大きく深呼吸をして、貪るように大気を吸った。新鮮な空気が肺を満たし、今まで感じた事のない満足感が身体を支配する。
身体は何ともない。かつて汚染空気にやられた仲間のように、皮膚が爛れたり、目玉が破裂したり、血を吐くこともなかった。
「成功したのか――はは! やったァ! やったぞ! ユートピアだ!」
俺は狂ったように髪を掻き乱し、小銃をぶんぶん振り回して歓喜した。
阿呆みたいに大声で喚き散らし、子供のように大地を転げ回って、理性で処理しきれない喜びを発散した。
数分後、落ち着いた俺は草原に寝そべりながら、空を見上げた。
何故ここにいるのか?
ここがユートピアなら、天風に滑り込めたはずである。しかし天風はどこにも見当たらない。汚染世界に墜ちたのなら、冬眠できなかった俺は死んでいなければおかしい。
しかし世界は綺麗に浄化されている。
ここは本当にユートピアなのか?
そういえば機動要塞が汚染物質を寄せ付けないために展開している磁気バリアは、副産物として時空にわずかな歪みを生じさせるそうだ。繰り返された稼働実験では、質量の一部消失が観測されている。
俺は磁気バリアに突入した上、ポールシフト爆弾の強力な磁場に挟まれた。この質量の消失と同じ現象が、俺と叢雲に発生したとしたらどうだろう。消失した質量は消えたわけではなく、別の次元に飛ばされていたのかもしれない。
今の俺のように。
飛躍しすぎた推測ではあるが、それ以外考えることができない。そして推測したところで、ここがどこかすら分からない。
ユートピア計画の成功した未来か。世界が汚染される前の過去か。それとも俺がいた世界とは全く違う、並行世界か。はたまた地球の遥か彼方にある、地球型惑星にワープしたのか。
「いずれにしても……このままという訳にはいくまい」
天頂に輝いていたはずの太陽が、僅かに傾き始める。時間は刻々と過ぎつつあった。
俺は叢雲の状態を確認した。叢雲は左半身下に、走る姿勢のままで横倒しになっていた。地面の下敷きになった左腕と左脚の装甲は、強烈な衝撃でひしゃげてしまっている。骨格も装甲ごと押し潰されて、歪んでしまっていた。
右半身は比較的綺麗だが、装甲に引きずったような傷跡が生々しく残っている。傷の始まりを追うと、背中を回って頸椎部に行き当たり、格納されているはずのケーブルが雑草のように飛び出ていた。
「クソ……頸椎部の配電ボックスがいかれちまってる。センサ類が起動しないわけだ。まぁボロボロだが……もった方か……」
俺は再び叢雲のコクピットに搭乗した。
コンディションパネルを確認して、悪い所をひとつずつ確認する。そして破損個所の電力供給をカットし、応急ツールを片手に外に出た。
だだっぴろい草原に、修理の金属音が響き渡る。鳥の囀りが聞こえると、俺は手を止めてその方角を向いた。森が見えるが、鳥の姿は見えない。それが俺の不安を駆り立てた。
この世界に人はいるのだろうか?
不安が焦りを呼び、手元が震えた。今しているのは配線の再接続だが、震える指先が作業を困難にした。
ひょっとしたら、俺以外誰もいないんじゃないか?
死の世界に放り出されるのは怖くなかった。暗闇に閉じ込められるのも怖くなかった。面白い事に、この広大な恵みの中、たった一人取り残されるという事が、それらの恐怖を圧倒的に凌駕した。
それは俺が自分を捨てて、ユートピア計画を戦い抜いたのが理由かもしれない。守るべきものを差し置いて、生き残ってしまった罪悪感が胸で渦巻く。
太陽が水平線に近づいた頃、ようやく修理が完了した。
センサー類は全滅。だが叢雲は動くようになった。
俺はコクピットに潜りこむと、スロットルレバーをオフからアイドルに入れた。カメラのフラッシュが充電する時に放つ、キューンという通電音が響く。それが治まると、モニタに躯体の各情報が映し出された。
各部の損傷に合わせて、限界値の再設定を行う。新しい限界値に合わせて、歩行アルゴリズムの構築を開始。OK。最後にコクピットの位置調節ボタンを押して、腹部から首の付け根まで上昇させた。これで首と胴体の隙間から、外部を覗くことができる。ヘッドアップディスプレイは簡素なキャノピーとなった。
叢雲を立ち上がらせた。
躯体は頼りなさげにふらつきながらも、四肢を駆使してバランスを取り、直立不動の姿勢を取った。画面に「Ready」の文字が表示されると、俺はゆっくりフットペダルを踏んだ。
叢雲が左足をかばう様な人間的な所作で、ゆっくりと歩きだす。これは歩行アルゴリズムによって構築された、今の躯体の状態に相応しい歩容だった。戦闘は無理だが、歩くことはできる。
地響きを立てつつ、俺は叢雲と共に放浪を始めた。ひとまず当分の目的は、人工物が無いか探すことにしよう。
「綺麗だな……映像資料でしか見た事が無かったが……素晴らしい」
海沿いに叢雲を進めながら、景色を見て感嘆の息を吐いた。
海は青く澄んでいて、水面が宝石のように輝いている。とどろく風は、塩の匂いとカモメの鳴き声を運んできた。風は決してねちゃつくことなく、太陽の光を勝手に変えたりもしない。空も胸をむかつかせる七色ではなく、どこまでも続く深い蒼色を湛えていた。
「凪に揺蕩いて、空を舞う。避けられぬ命運に、吹かれてきたけれど――」
俺は無意識のうちに、歌を口ずさんでいた。ユートピア計画にて、団結と慰安のために、とあるアイドルが歌っていたものだ。
「飛び立つ決意は、変わらずに。置き去りにした心と愛した者の為――」
俺の歌が、寂しく孤独な世界に響き渡った。
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