教育論

 ついに私にも念願の子どもが生まれた。妻には本当に感謝しかない。

 退院してしばらくして、妻のご両親から連絡があった。明日近くまで行くので食事でもどうでしょう?というお誘い。

 私には甥や姪もいるのだが妻は一人っ子なので妻のご両親にとっては初孫というわけだ。食事なんて言ってはいるが、実際のところ早く初孫に会いたくて仕方がないようである。

「食事ですって、孫に会いたいってひとこと言ってくれればいいのにね」

 妻は笑いながらそう言った。今、私は幸せのど真ん中にいるということを感じる。


 予定よりも早くご両親はやって来た。まだ食事の用意ができてないと伝えると、店屋物で構わない、とのこと。ご両親は孫の顔を見るなり顔をくしゃくしゃにし、「はじめまちてぇ!じいじでちゅよぉ!ばぁばでちゅよぉ!」などと言っている。

「赤ちゃん言葉で話しかけても、伝わるわけないじゃない。まだ生まれて二週間ちょいよ?」

 妻も口ではそう言うが、やっぱり嬉しそうだった。


 結局食事は寿司を取り寄せることにした。ひととおり孫と遊んだご両親とお茶を飲む。

「しかしまあ、あの子は利発そうな顔してるわ。きっと立派な子になるわよ」

 生まれたばかりでいきなりプレッシャーをかけないでほしい。

「末は博士か大臣か。麒麟児と言うやつだね」

 麒麟児……聞いたことのある言葉だが……またお義父さんお義母さんが帰ったら調べよう。


 ご両親は寿司を食べ終え、また孫をあやし始めた。さすがに妻もこれには顔をしかめ、「もうねんねの時間だから今日はここまで。どうせまた来るんでしょ?家も近いんだから。今度はあたしたちの方から遊びに行くわ」

 ご両親はニコニコしながら「そうだね」「そうだな」と言って帰り支度をした。玄関を出る際に「おめでとう」と言って出産祝いをくれた。

 私は深々と感謝のお辞儀をしてご両親を見送った。


「なあ、この子、麒麟児だってさ、意味知ってる?」

「え?そういや、なんかそんなこと言ってたわね。とりあえずすごいってことでしょ?神童みたいなことじゃないの?」

「まあそんなとこだね。麒麟ってのは動物園にいる奴の事じゃなくて、中国の神獣らしいんだけど、傑出した人間が生まれてくるときに現れるそうだよ。なんでも、孔子が生まれる直前、母親の前にも現れたらしい」

「へえ、そこから麒麟児かぁ。故事成語ってやつね」

「まあ、お義父さん、お義母さんも喜んでくれてよかった」

「……ねぇ、あなた、お願いがあるんだけどね」

「???」


 その翌日早速赤ん坊を妻のご両親に見てもらい私たちはペットショップへ向かった。何でも妻の夢は子どもと犬を一緒に育てることだったらしい。確かに命の尊さを学ぶ生きた教材になるのは間違いない。私もこの子には優しい子に育ってほしい。犬用のケージと少々値は張ったが柴犬の子犬を購入し家へ帰った。


「名前は何にしよう?」

「キリちゃん!」

「キリちゃん?」

「そう、キリちゃん!麒麟から取ったの。ね、縁起がいいでしょ?」

「なるほど、確かに縁起がいいね」

「これからよろしくね、キリちゃん!」

 キリちゃんはぷうぷう寝息を立てている。神獣・麒麟の名に恥じぬ図太い神経をしているようだ。


 その日の晩のこと、キリちゃんが何やら騒いでいる。慣れない環境で不安なのか、引っ切り無しに吠え続けている。私は様子を見るべく、寝ぼけ眼をこすりながら電気のスイッチを入れた。

 キリちゃんは庭に向かって吠えている。不審者でもいるのだろうか。キリちゃんは来て早々、我が家のために番犬の役割をしてくれているのだろうか?だとしたら、えらいぞキリちゃん。などと感心しながら庭の方に目をやるとカーテン越しに外がぼんやり光っている。窓を開けようと取っ手に触れた瞬間、激しい光がカッと光った。私は目がくらみ、条件反射のようなものなのだろう。その場で丸くなり伏せてしまった。しばらくそのままの姿勢で動けなかったが、目も少しずつ慣れてきたようだ。起き上がろうとしたとき、後方に気配を感じとっさに振り向いた。まだ少し視界がぼやけていたため、異変の原因が何なのかはわからず鶏のように首をかくかく動かしながら辺りを見回した。


『これ、どこを見ておる。こっちじゃ、こっちを見よ』

 声のする方に振り向くとそこにはシルエットこそ馬だが、龍のようなひげを蓄え、鹿のような立派な角を頭に生やし、無数の鱗を極彩色の体にまとった見たことの無い生き物がいた。

『やっと気づきおったか』

 私はその生き物に圧倒された。キリちゃんだけが体に似合わない低い声で吠え続けている。

『……その様子だと儂が何なのかわかっておらんようだな。しかし、やかましい畜生だのう……』

 極彩色の馬はキリちゃんを睨みカッと目を見開いた。キリちゃんは何かを察知したのか、しぼむように大人しくなった。尾を下げ怯えるような目で小刻みに震えている。

『ほっほっほ、畜生の割には物分かりがよいの。誠に結構』

 異様な光景である。極彩色の馬が先ほどからずっと人と同じ言葉をしゃべっている。

 だが、私に恐怖といった感情は不思議となかった。


「あ、あの、あなたは一体……」

 言葉が通じそうなので単純に質問を投げかけてみた。何から解決していいかわからなかったのでとりあえず頭に思ったことを口から出した。

『ん?わからんか?ずっと儂の話をしていたではないか?』

「と、いいますと……」

『鈍いのぉ……お主の息子は将来、一廉ひとかどの人間になるというのに』


 ほんのわずかな時間だったが、私は頭の中を整理した。


「一廉の人間……え?ということは、もしかして……」

『そうじゃ、お主の考える通り。私は麒麟じゃ』

「や、やっぱり!そ、その麒麟が現れたということは!」

『麒麟様じゃ。神獣じゃぞ?猩猩しょうじょうの類の貴様らが呼び捨てにしていい存在ではない』

「あ、すいません……その麒麟様が現れたということは!?」

『お主の子の出世は約束されたようなものじゃ。まさに王の器じゃ』

「あ、あ!ありがとうございます!すごいな!王の器ってのは具体的に、一体どのような人間になるのでしょうか?楽しみだなぁ!」

『……お主何か勘違いをしてはおらぬか?王の器ではあるがその器を満たすのは貴様ら親の務めじゃろう。儂がなぜ猩猩の子に教育せねばならんのだ?』

「へ?と言いますと?」

『お主らが王たる人間に育てるんじゃ』

「え?私たちが?どんな風に?」

『……鳶が鷹を生むとはこのことじゃの。国際人に育てたければ幼いころから英会話塾に入れればよいし、豪傑にしたければ武芸百般の師をつければよかろう。何にせよ王になるにはかなりの教育を施さねばならん。少しは自分たちで考えろ』

「へ?いや、まぁそれはそうなのですが……」

『なんじゃ?』

「え?あ、いや、麒麟様は何もしてくれないのかなぁ?って思いまして、なんていうか、少し想像してたのと違うというか……」

『なぜ、儂が何かせねばならんのだ?お主の子じゃろ?赤の他人に自分の子を育てさせるのか?』


 その頃にはだいぶ頭も整理できていた。

 この麒麟とかいう生き物、予言するだけで特に何もしてくれなさそうだ。

 神獣の力で頭を良くしてくれるのだとばかり思ってたがとんだ見当違い。


「……あの、そういうことでしたら、麒麟様には申し訳ありませんが、うちの子ども普通でいいです。そんな聖人君子のような人になってもらわなくても私たちのペースで育てます。子どもにものびのび育ってほしいですし」


 そういうと麒麟は少し意地悪にニヤリと笑った。


『そういうわけにもいかぬ。儂が現れた以上、立派な人間になってもらう必要がある。麒麟が現れた以上そう運命づけられておるんじゃ』

「へ?運命?」

『まぁ、嫌なら別に構わぬ。しかし万が一、愚鈍な人間に育てようものなら麒麟の名折れ。その時はどうなるかわかっておろうな?』

 そういうと麒麟は怪しく目を光らせて涎を垂らした。その表情は獣そのものだった。涎を垂らした口からは鋭い牙が何本ものぞいていた。

『それだけじゃないぞ、神獣の誇りを傷つけることになるのだ。その罪は重い。儂の力でお主らの一族郎党は根絶やしにし、ここら一体を火の海にしても釣り合わんの』

 私はその言葉を聞いていろいろ考えを巡らせた。もしかして、この麒麟、とんでもない生き物なんじゃなかろうか……失敗の許されない教育を施す必要があるということか?

『安心せぇ!儂が現れたということは君子の器なんじゃ。ろくでもない人間に育ったとしたらそれはお主ら親のせいじゃわい』

 勝手なことを言いやがる。わけのわからん生き物まで俺にプレッシャーをかけてきやがって……

『いやあ、しかし成長が楽しみじゃのぉ。しっかり育てろよ?できれば儂も手荒な真似はしたくないのでな。……そうじゃのぉ、最低でもかの孔子と肩を並べるぐらいの人物にはなってもらわんとなぁ……』

 さっきまで吠えていたキリちゃんも今ではぷうぷうと寝息を立てていた。

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