日本一の技術者たち
「なあ、辰さん。最近おいらな、嬉しいことがあったんだ」
按摩師の寅が、うつ伏せになっている床屋の辰の背中を指で押しながら話す。
「んん?なんだい寅さん、嬉しいことってのは……」
くぐもった声で、辰は返事をした。
「おいら、長いこと按摩の大会で優勝し続けてたろ?だけどさ、ついにおいらよりもいい按摩師が現れてな。そいつにこないだの大会で負けちまったよ。おいら準優勝。日本で二番目の按摩師になっちまった」
「おお、ついに寅さんも抜かれちまったか。長いこと日本一だったもんなぁ……だけど、なんでそれが嬉しいことなんだい?日本一じゃなくなっちまったんだろう?」
「まあ、それはそれで悔しいんだけどな、ほら、この仕事は自分が自分にできる仕事じゃねえだろ?おいらだって仕事で疲れた時、体揉んでもらいに行くんだけどよ。そこの按摩さんがいくら上手だって言ったって日本一はおいらなんだ。なんだか、物足りねえのよ」
「あぁ、なるほどな。自分で自分の背中はもめねえもんな」
「だから、いっつも揉んでもらいながら、ちょっと、力が足んねえな。揉み方が雑だな。とか思ってたわけよ。おいらだったら、もっと上手く揉めるのにってな具合よ」
「そんな風に考えてたら、体揉んでもらったって、疲れなんてとれねえわな」
寅は辰の背中をグイグイ押しながら話し続ける。
「そんな中、ついに現れたのよ。おいらよりも上手な按摩師が」
「おお、そいつはさっき聞いたよ」
「まぁまぁ、そう急くなって。けどな、大会で負けたって言っても、おいらが揉まれたわけじゃねえからな、そいつの店においら行ったのよ。体揉んでもらいに」
「そりゃあ、寅さん、ずっと日本一だったもんな。自分で確かめねぇことには納得できねぇわな」
「そういうこと。で、今みたいにうつ伏せになって体揉んでもらったのよ。そしたらこいつが上手いのなんのって。あぁ、こりゃ仕方ねえや。おいら日本で二番目だ。って心の底から思えたってわけよ」
「へえ、そいつぁ、そんなに上手だったのかい」
「そりゃもう、体中すぐに楽になって最高だったよ。負けた悔しさなんて全部吹っ飛んじまった。それに、今まで自分が日本一だったろ?だからおいら、よくよく考えたら日本一の按摩やってもらったことがねえのよ。そうやって考えたら悔しさよりも嬉しさの方が勝っちまってな。ああ、おいら今日本一の按摩受けてんだ、って感動しちまってな。うつ伏せだったから気づかれなかったけど、涙が止まらなかったよ」
「はっはっは!泣くだなんてそりゃまた!寅さんも年には勝てねえな!」
「いや、全くだ。けどな、今でこそ二番目だけどな、それまでは自分もそうやって、いろんな人に日本一の按摩してきてたんだなって考えたらまた嬉しくなっちまって、なんていうかこの仕事してきてよかったな……って今まで以上に誇れるようになったよ」
しばらく二人は黙っていた。
ゆったりとした時間が流れている。
今度は辰が、喋り出した。
「さっきは笑っちまったけど、おいらはそんな寅さんが羨ましいよ」
「おお、そうだそうだ。辰さんだって"日本一の床屋"だもんな。まだ辰さんを超えるような活きのいいのは出てこないかい?」
「いやそれがな、実はおいらもこの前の大会で負けちまったのよ。準優勝。つまりおいら、今じゃあ日本で二番目の床屋」
「ありゃ、そりゃあ残念と言うかなんというか……だけど、どうだい?嬉しかったろ?床屋だって自分で自分の髪の毛はなかなか切れねえもんな」
「まあな、おいらもかれこれ30年近く日本一の床屋やってたわけだからな。だけど30年だからな……遅すぎた。もう手遅れってわけよ」
按摩は仕上げに入っているのか、寅はリズミカルに辰の背中を叩いている。
「なあ、寅さん……"髪の毛のよく生えるツボ"ってねぇのかい?」
例え、日本一の床屋でも、そこに何も生えてなかったらどうすることもできない。
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