大人たちの秘密基地

交番での勤務中に(怪しい団体が山を不法占拠し謎の集落を作っている)との通報があった。

事の真相を確かめるべく、私は通報された山へ向かうこととなった。

いつも一緒に勤務している巡査長も、その日はパトロールに出ていたので(只今パトロール中)という札を立てて交番を出た。


通報された山は人の手が加わっておらず、中に入っていくには木々の間をうまく潜り抜けなければならなかった。

しかし、通報者によると時々山の中から笑い声や叫び声が聞こえてくるという。

全く持って気は進まなかったが、通報された以上は現場に赴かなければならない。

通報を無視した結果、万が一、山中で変な宗教団体が怪しい儀式を行っていたり、謎の施設で非合法の科学実験が進められていたとなれば責任問題である。


渋々私は山に足を踏み入れ、気を付けながら森の中を進んでいく。

ふと、「くっつき虫」が体中にびっしりとくっついていることに気が付いた。

(子どもの頃はよくこれを投げて遊んだな)

そんなことを考えながらも最初のうちはくっつき虫をその都度制服から取っていたが、きりがないのでそのままにして森を進むことにした。

(さっさと真相を突き止めて、交番に戻ろう)


しばらくは森の中を進んでいたが、一瞬、ずっとずっと奥の方で何か笑い声のような声が聞こえた気がした。

私はギョッとし、少しばかり気味が悪くなったが、ここまで来て引き返すわけにもいかず、恐る恐る声のした方へと歩いて行った。


息を殺して歩いていくと、また笑い声が聞こえた。

今度は気のせいなどではない。

先ほどとは違い、笑い声は大勢のものである。

「誰かいるのか!!!」

思わずそう叫びそうになったが、ここで逃げられでもしたら今までの苦労が水の泡だ。

笑い声の主は一体何なのか……好奇心が爆発しそうになるのをぐっと抑え込み、出来るだけ音を立てずに声のする方へと近づいて行った。


すると、山の外観からは全く想像もできないような拓けた場所に出た。

そこには大小の岩と枯れ枝で作られた小屋のようなものがあり、川から水を引いて作られた、手洗い場らしき場所や焚火をした跡もあった。

今まで歩いてきた道と目の前の光景との落差が大きすぎて、私は、しばし棒立ちになっ

てしまった。


笑い声が小屋の中から聞こえてきた。

その声で我に返った私は小屋の中見ようと移動した。

(まさか、妖精……もしくは妖怪?)

そんな風に考えた私の期待とは裏腹に、そこには何の変哲もない人間の大人が何人かいた。


期待を裏切られた落胆はすぐにやりきれない怒りのような感情になり、私は大人たちに叫んだ。

「皆さん!ここで何をしているのですか!先日市民から山を占拠して怪しいことをやっている集団がいると通報を受けてやってまいりました!」

大人たちは少し驚いた様子だったがすぐに落ち着いた口調で返答した。

「おや?お巡りさん、こんなところまでパトロールですか?ご苦労様です」

急に登場した警官を前にして大人たちは慌てるだろうと思ったが、あまりにも落ち着いた口調で答えられたので、私は少々肩透かしを食らったような形になってしまった。


「あ、こりゃどうも……あ、あの皆さん、こちらで一体何を?」

「ん?ああ、これですか?お巡りさん、内緒ですよ……これはね、秘密基地」

「……秘密基地?」

「ええ、秘密基地。子どものころ作りませんでした?」

「え、いや、まあ子どもの頃は作りましたけど、大人になってからは……」

そんなやり取りをしていると、奥の方から意外な男が現れた。

がっしりとした体格に立派な口ひげを加えた男だった。

「大人、大人と言うが、大人というものは子どもがそこにいて初めて成立するものだと思わんかね?」

「こ、これは、署長!こんなところで何を!?」

それは私が配属されている警察署の署長だった。


突然の上司の登場に私は完全に浮足立ってしまっていた。

「何をって……さっきも言っただろう、秘密基地で遊んでるんだよ。君もどうだね?」

「え?いや、秘密基地って……お言葉ですが署長がこんなことやってていいんですか?子どもがやるならまだしも……」

そう言う私をじっと見据えた署長はしばらく黙りこみ、ゆっくりと口を開いた。

「……では尋ねるが、いつから我々の本質は大人になるんだ?成人したらか?子どもができたらか?」

「え、本質?えっと、どうなんでしょう……」

「我々だってもちろん子どもたちの前では、大人として模範を見せないといけない。だが、ここには大人しかいない。大人であるということは、相対的なものなんだ。そして大人であることに慣れてしまう、だがそれは子どもの時みたいにワクワクすることがなくなったからだと思わんかね?」

「あ、いや、少しおっしゃっている意味が……」

などと、直属の上司に訳の分からない問答をされ困っている私を助けるように叫び声がこだました。


「みんなああああ!!!食料調達班が帰ってきたぞおおおおおお!!!」


わっ!と大人たちは叫んだ男のもとへと駆けていく。

署長もさっきまでの問答のことなど放り投げて風のように駆けていった。

「ここから少し離れたところにアケビがなってるのを見つけたの!熟したのをいくつか採ってきたわ!みんなで食べましょう!」

食料調達班の班長らしき女性の報告を受け、みんなはまたしても、わっ!とアケビに群がり、目をキラキラさせ、手が汚れるのも気にせずにむしゃぶりついた。


「ほら、どうだい、君も一つ」

署長は私にアケビを一つくれた。

「あ、どうも」

実を半分に割って中のわたを種ごとしゃぶる。

特別おいしいわけじゃない、おいしいわけではないが、不思議と私は懐かしく楽しい気分になった。


「みんなはね……あぁ、いいよ、食べながら聞いてくれたらいい。……みんなは大人であることに疲れてるんだよ。君も子どもの頃、秘密基地を作ったろう?」

アケビを黙々と食べ続ける私を前にして署長は喋り出した。

「今にして思えば、あれは大人たちの前で理想の子どもでいることに私たちは疲れていたんだよ。秘密基地はそんな束縛から逃げるためのものだったんだと私は思う。今だってそうだ……大人と子どもの立場は逆転したがね、時代は変わり、今度は私たちが子どもたちの前で大人を演じなければならない。ここにいる誰もが、大人とは何か説明できないのにだ」

やがて署長の話は熱を帯びだし始める。

「みんなの顔を見てみなさい……生き生きとしてるだろう?このアケビだって普段の生活で人からもらったってそんなに嬉しくはないはずだ。だけどどうだい?今食べてみて、なんだかワクワクしなかったかい?」

急に話を振られ驚いだ私は急いで口の中のものを飲み込んだので種も一緒に飲んでしまった。

「え、ええまあ。ワクワクと言いますか、何と言ったらいいんでしょう……」

私は何と言って答えていいかわからず、口をもごもごとしてしまった。


「ここにいる人たちも、もちろん普段はしっかり仕事をしてる人たちだ。ずっとここに入り浸っているような人はいない。だけど、大人でいることにどうしても我慢ができなくなった時にこうやって思いっきり遊ぶんだ」

「………………」

「そんな場所が一つぐらいあってもいいだろう?もちろん土地の所有者には断りを入れている。と言うより、その人もたまにここで遊んでいる」

「そうなんですか?」

「左様。……君も非番の時にでも遊びに来るといい。パトロール中にふらっと寄っても別に構わないさ。私も君もここでは大人でも何でもないんだから」

「……わかりました」


正直なところ、私もこの秘密基地にドキドキしていた。

「わかってくれたかな?だが当然、この話は誰にも言ってはいかんぞ」

「もちろん!わかっております!しかし、どれぐらいの人たちがここに遊びに来てるのですか?」

「ん?どれぐらいだろうな?把握はしておらんが大人をやるのに疲れた人たちはみんな来てるんじゃないか?」

「そうですか」


そのあと私は署長に促されるまま、童心に戻り思いっきり遊んだ。

この山を出れば皆、大人に戻らないといけない。

それでもこの秘密基地の中では、誰しもがあの頃の輝きを取り戻し、無邪気に楽しむことができた。

「あ、そろそろ戻らないと……」


私は後ろ髪を引かれる思いで秘密基地を後にした。

交番へ戻る途中、私は制服にたくさんくっつき虫がついていることに気づき、丁寧にそれを一つ残らず取りながら歩いた。

(このことは秘密にしなければならない)

他の大人たちにも教えたい気分はやまやまだがそんなことをしてはいけない。

秘密基地のことは他人に教えてはいけない。

子どものころ経験があるが、秘密基地が皆に知れ渡ってしまうと、もはやそれは"秘密"基地ではなくなってしまい、急につまらないものになる。

そんなことを考えながらやがて私は交番にたどり着いた。


「ただいま戻りました。あ、巡査長、お戻りになられていたんですね。市民の通報によりパトロールに出かけていました」

巡査長はいつもと変わらず椅子にすわり仕事をしていた。

「お、そうか、それはご苦労さん。そういえば、さっきパトロール中に珍しいもの果物をもらってな。今持ってくるからちょっと待っててくれ。」


そう言って給湯室の方へ行った巡査長のズボンにはたくさんの"くっつき虫"がついていた。


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