遺書
「ああ…あたしもそろそろお迎えですねぇ…来年の桜、見られるかしら」
おばあさんは窓の外の桜の木を見ながらつぶやいた。
そしてベッドの上で半身だけ起こして食事をするときに使う折り畳みの机を出し、ペンと手紙を用意した。
「大した遺産もないけれど、こういうことはしっかりしておかないとね…」
彼女には、それぞれ幸せな家庭を持つ息子と娘がいた。
「まずは息子と、娘あてに…無事に大きくなって、さらには子どもにも恵まれて…あの人のお葬式で一族が揃ったときは本当に感動したわ…」
息子と娘あてにそれぞれ遺書を書き終え、彼女は安心し目を閉じた。
その日の夜、彼女は夢を見た。
息子と娘が子どものころの夢で、自分も旦那もまだ若かった。
皆で海に遊びに行ったこと、反抗期の息子に手を焼いたこと、娘と一緒にショッピングしたこと、家族で食卓を囲んだこと、全ての思い出がアルバムをめくるように鮮明に甦る。
次の場面で、彼女と旦那は旅の準備をしていた。
外から二人を呼ぶ声がし、慌てて外へ出るとそこには息子夫婦と娘夫婦、そして孫がしきりに「おばあちゃん、おばあちゃん、」と自分を呼んでいる。
彼女はスッと涙が流れるのを感じた。
そこで目が覚めた。
外は明るくなっていた。
「あぁ、楽しい夢だった…それにしても久しぶりに夢を見ましたね」
しばらく天井を見上げ、おばあさんは夢の残した温もりを感じていた。
「ちび助たちもいつのまにかあんなに大きくなって…次はいつ来てくれるのかしらねぇ…さぁ、今日はその可愛い孫たちに遺書を書かないとねぇ」
彼女が孫たちひとりひとりに優しい言葉で遺書を書き終えた時、外はもう真っ暗だった。
無事に遺書を書き終えれた満足感と、思いが伝わるように懸命に言葉を探した疲労感で彼女はこの日も深い眠りについた。
その日の夜、彼女は夢を見た。
昨日見た夢の続きだった。
違っていたのは自分も、孫たちと同じくらいの年齢になっていたということだった。
孫たちは自分のことを最初のうちは「おばあちゃん」と呼んでいたがしばらく遊んでいるうちに下の名前で呼ぶようになっていた。
みんなでいろんな遊びをした。
鬼ごっこやかくれんぼで遊んだ後は、家に帰って縁側で昼寝、夜には花火をしてた。
花火をする頃には不思議なことに息子も娘も旦那もみんな子どもになって一緒に笑っていた。
そして遊び終える頃には同級の仲の良かった友達も加わっていた。
彼女は高校生になっており、場面も修学旅行の時に泊まった旅館の部屋になっており、みんなで布団にくるまって好きな男の子や少女漫画の話を、先生に気づかれないように気を付けて囁き合っていた。
ヒソヒソ話が盛り上がったところでガバッと布団をはがされた。
見上げると担任の先生がものすごい剣幕で彼女たちを見下ろしていた。
そこで目が覚めた。
知らないうちに足で蹴飛ばしたのだろう、布団はベッドから落ちていた。
「ああ、びっくりした…それにしても鬼ごっこ、かくれんぼ。久しぶりに全力で走った気がするわ…すごい速くって気持ちよかったぁ!」
彼女は机に置いてあった水をグッと一飲みした。
「修学旅行の内緒話、懐かしかったなぁ…怒られた後、結局先生も一緒になって恋愛相談で盛り上がったんだっけ。女三人でかしましいんだからそれ以上になるとそりゃ盛り上がるわよね」
窓の外は室内からもわかるくらいに良い天気だった。
彼女はなまった体を動かし窓を開け、体の中にあるよどんだ古い空気を入れ替えるように深呼吸をした。
「みんな今頃何してるのかしら…同窓会で会って以来だけど悲しい知らせは届いてないからきっと元気してるわよね…先生だって私たちと十くらいしか変わらないはずだから、もしかしたらまだ元気かも。…遺書っていう形にはなっちゃうけどお手紙書いてみようかしら?」
そうして彼女は椅子に座り手紙をたくさん用意して、今度は青春時代の思い出の人あてに手紙を書き始めた。
「…今日はどんな夢を見るのかしら?また遺書の数が増えそうね…人間死期が来ると思い出が走馬灯のように甦るっていうけど、あれ本当なのね…今日中に先生の分まで遺書、書けるかな?」
彼女はふと手を止め、窓の外にある葉の付いていない桜の木を見た。
「ま、今日書けなかったら明日書きましょう。…来年の桜が咲くまでに全部の遺書、書き終えれるのかしら?」
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