勝手にヒッチハイク
ガードレールもない道なき道を走っている。
俺の車はなぜこんな道を走っているのか。
それはずばり、美味いコーヒーを飲むためだ。
文字通り「一歩間違えれば」死んでしまうようなこの山道を走り切った頂上に、日本一美味いコーヒーを出す喫茶店があるという。
しかしこの喫茶店、幻の喫茶店と噂されており、インターネットやグルメ雑誌にも情報は掲載されておらず、俺もその存在をグルメ仲間から聞いて初めて知った。
しかも、その噂にはおまけがついている。
かつて同じようにこの山を登ろうとして運転を誤り、崖下に転落し命を落とした者たちの怨霊がドライバーの耳元で怪しく囁き道連れにするという。
けれど、その類の話はよくある話なので俺は気にも留めなかった。
怨霊が出ようが、無類のコーヒー好きの俺にとって、日本一のコーヒーが飲めるとあっては黙っているわけにはいかない。
大方そんな噂はこういった危ない所へ人を近づけないために誰かが流したデマに違いない。
もしかしたらコーヒーの価値を高めるために喫茶店のマスターが流した噂かもしれない。
何にせよあと少しで山頂だ、確かに危険な道だが注意深く運転すれば大したことはない。
大したことはないが、さすがに気持ちが張っていたのか、喉がカラカラだ。
コーヒーというものは熱くて特別濃いものに限るが今回に限ってはキレのあるアイスをぶち込みたい。
坂が急にきつくなったのか、アクセルが重たい。
急坂を走るときの自転車のペダルみたいな感覚、おまけにハンドルもかなりがっしりと握っていないと制御できなくなってきている。
何かがおかしい。
サイドミラーが曇ってきた。
フロントガラスはワイパーで何とかなっているが視界は非常に悪い。
俺は、眉間にぐっと力を込めた。
瞬きをすれば一瞬で寄り切られそうな予感、車のスピードも相当なものになっている。
アクセルを踏む力を緩めればいいのだろうが、足にかかる反発力も相当なもので、少しでも力を抜いたらアクセルペダルに足が跳ね返される。
その衝撃でハンドル操作を誤ってしまったら崖下に真っ逆さま、怨霊軍団の仲間入りだ。
少しずつだが、俺は後悔しだしていた。
さっきからの異変の正体……
何か常識では考えられない特別な何かが今、俺の周りに働きかけている。
背中は汗でびしょびしょになっていた。
大声を出して気持ちを奮い立たせようとしたが、緊張で唇が乾ききっており、くっついてしまっていて声が出せない。
(ヒキカエセ)
!?
(ヒキカエセ…)
!!!!
(ヒキカエセ、ヒキカエセ!!ヒキカエセッ!!!)
ついに聞こえ出した。
怨霊の警告だ。
耳を通して聞こえるものじゃない。
直接心に響いているような叫び声、悲痛、怨嗟、誘惑。
いろいろな思惑を持った慟哭。
(ヒキカエセ!!ヒ!!カエセ!!ヒキ!ヒキカエセ!!!)
声は一種類だけじゃない。
脅すような低い男の声。
気が狂いそうな甲高い女の声。
切なく懇願するような子どもの声。
諭すように語り掛ける老人の声。
(ヒキカエセ!!!!ヒキカエスノヨ!!!ヒキカエシテ!!!ヒキカエスンジャ!!!)
もう何も考えちゃいけない。
ただ頂上!頂上にたどり着くことだけを考えろ!
崖に落ちたらどうなるかなんて考えちゃいけない!!
恐怖に飲み込まれたら間違いなく終わる!!!
正気を保て!!!!
頂上にたどり着くことだけを考えろ!!!!!!
(ヒビヒヒッキキヒビッギギ!!ガエゼ!!!!ビギガエジデ!!!ビギガエスノ!!!スンジャ!!!!!!!!!ギャッギャッギャッギャッ!!!!!!)
…………………………………………………………………………
滝のようにかいた汗が冷え切り、ぶるると身震いして俺は我に返った。
山頂にたどり着いたとたんに全身の緊張が解けて意識を失ったらしい。
あの恐ろしい声は全く聞こえなくなっていた。
まだ少しこわばっている足を何とか動かし車から降りた。
空は青く晴れ渡っており、空気は澄み切っている。
俺は大きく深呼吸し気持ちを整え、少し遠くに見える喫茶店に走っていった。
やっとたどり着いた……
日本一うまいコーヒーをどうやって飲もう、
やっぱりアイスだ、
汗もびっしょりかいたんだ、
キンキンに冷えたアイスコーヒー、
ジョッキがあればジョッキに入れてもらおう、
そうだ!そうしよう!!いざ!いざ入店!!!
俺は喫茶店のドアノブに手をかけ体の重心を思いっきり後ろにかけた。
(ガクン!)
ドアにはかぎが掛かっており、行き場を失ったすべての力が俺の肩にかかり、その衝撃で関節が外れそうになった。
顔をあげてドアを見ると一枚の紙が貼ってあった。
『本日、コーヒー豆の買い付けのためお休み、ゴメンネ!』
(ダカラ、ヒキカエセッテ、イッタノニィ…)
またあの声が聞こえてきたが、もう何も考えれなかった。
…………………………………………………………………………
帰りも、もちろん危ない道ではあったが、行きほどの緊張感はなかった。
(セッカク、シンセツデヒキカエセ、ッテイッタノニ、ムシシテノボルカナァ…)
(アレダケ、ヒッシニ、サケンデタノニ…)
怨霊たちはずっと愚痴を言ってくる。
こんな性格だから成仏できないのだろう。
(オッサン、チャントイウコト、キケヨナァ!)
(カメノコウヨリ、トシノコウトイウヤツジャヨ…)
……こいつらどこまでついてくる気なんだろう。
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