進化、退化、変化、

「鏡よ、鏡よ、鏡さん。今晩の献立は何がいいかしら?」

 女は真面目な口調で鏡に問いかける。

「今晩の献立は、雑穀米、肉じゃが、チョレギサラダ、鯛のアラ汁がいいと思われます。」

 鏡は流暢にそう答えた。

 

 この鏡は高度な人工知能を搭載しており、その家に住む人の体質、年齢、経済状況などを考慮して常にベストアンサーを出してくれる優れものであり、少々値は張るが生産が追い付かないほどの勢いで売れている。

 

 女は以前までは自分で献立を考えていたが、その後、不安に思い鏡に尋ねると決まって違う献立を提案してくる。

 しかも、鏡の提案した献立のほうが栄養価も高く家計にも優しい、さらにレシピまで出てくるので最近では鏡に全てを任せていた。

 


「鏡よ、鏡よ、鏡さん。今日宿題で読書感想文が出たんだけど僕は何を読めばいいかな?」

「ぼっちゃんはあまり読書がお好きではないので簡単に読める杜子春をお読みください。」

 小学生の息子がランドセルを降ろすのも忘れたまま鏡に向かって問いかける。

 「商品が届きました。」というアナウンスとともにお目当ての本が目の前に現れた。

 

 自分で本を探してもいいが何を読めばいいかわからないし、文章が長かったり、話が難解すぎると大変だ。

 そんな時はこの鏡に聞けば、質問者の性格、知能、嗜好に合わせてちょうどいい本を出してくれるのですこぶる助かる。

 

「鏡よ、鏡よ、鏡さん。もうすぐ部長の誕生日なんだが、何をプレゼントすれば出世競争に勝てるだろうか?」

「部長は珍しい懐中時計を集めるのがお好きです。しかし部下が上司に時計を送るといったようなことは本来失礼にあたります。そこでこの純金のチェーンを送ると良いでしょう。」

 男がネクタイを外しながら鏡に問いかける。  

 言い終わると同時にそこには丁寧にラッピングされた懐中時計用の純金製チェーンが置かれていた。

 プレゼントなども自分で何を送るか考えて、真心と一緒に渡すのがいいのだが、見当はずれのものを貰っても仕方がない。

 口では「ありがとう」と言いながらも、がっかりした表情は隠せないものだ。

 少々味気ない気もするが、鏡の言う最高のプレゼントを送っておけば間違いはない。

 真心は後で添えれば良いのだ。

 

 ある日、男と女は些細なことから喧嘩になった。

 どれだけ科学が進歩しようと争いは無くならない。

 夫婦喧嘩も例外ではないようで大泣きする子供を尻目に2人の声はどんどん大きくなっていく。

 やがて喧嘩はエスカレートしていき、しまいには皿が飛んだり取っ組み合いになり服が破れたりした。

 2人の息は荒くなり一時休戦、膠着状態となったが目の奥には闘争の炎がメラメラと燃えていた。

 

 さあ第2ラウンドのゴング…と思った瞬間、女はくるっと振り返り鏡の前に座った。

 男は予想外の行動にぼんやりとそれを眺めるだけ。

 

「鏡よ、鏡よ、鏡さん。私と最も相性のいい旦那さんはどこにいるの?」

「奥様と最も相性のいい方は高校の頃片想いだった地元の〇〇さんです。実は彼も当時、奥様に想いを寄せており、いまでも奥様のことを愛しておられます。その証拠に彼は今でも独身です。さらに彼は今、○○市の高級住宅地にて開業医として働いておられ年収は旦那様の数十倍となっております。」

 

 それを聞いた女は男の方を一瞥した。 

 男を見る目の奥には先ほどまでの闘争の炎も消えておりそこには何もなかった。

 ぼんやりと眺めている男のことなど気にも留めず女は部屋から出て行った。


 やがて我に返った男は大声で鏡に向かって叫んだ。

 

「俺と最も相性のいい女はどこにいる!?」

「旦那様と一番相性のいい女性は、奥…先ほど出ていかれた元奥様です。ですが元奥様には他にふさわしい方がおりますので旦那様とはこの先…」

 

 言い終わる前に男は目の前の鏡を粉々にした。

 素手で殴ったので拳からは血が流れていた。

 どれぐらい殴り続けたかわからない。

 子どもの泣き声で男は正気に戻り恐る恐る辺りを見回した。

 

 粉々になった鏡。

 泣きじゃくる子ども。

 妻が作りかけていた食事。

 

 しばらくして落ち着きを取り戻した男は拳の血をぬぐい泣きわめく子供を抱きかかえた。

 子どもは安心したのか男の腕の中で気絶するように眠ってしまった。

 男は子どもをベッドに運び、しばらくしてから呟いた。



「明日のネクタイは何色にすればいいんだろう…」

 誰も答えなかった。

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