僕の神さまを殺さないで

愛裏の裏

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『きっと、あなたは自己矛盾という男からはもう逃げられないんでしょうね』


一切飾っていないのに良く通る美しい声が脳内に響く。彼が呆れているのか喜んでいるのか、僕には理解できなかった。

そうですよ、僕がどれだけ楽しもうが苦しもうがその通りですよ。

土曜日のゴールデンタイムに始まる3〜6時間の長い長い生放送。

絶対に他のことをした方が実になる気がするのはわかっているけれど、体は操られるように面会室の扉を叩く。

その度に僕の心の中に住む神性は穢れていくというのに。

『趣味の世界ですから、あなたなりに楽しいことをすればいいと思いますけれどね……。前々から言ってるでしょ、義務感でやるなって』

違うんです、義務感であんなところに行っているわけではないのです。ただ僕の崩れかけの神さまを治したいんです、たまにバグるから。

『隠していただけで元々あんな感じだったと思いますけどね、あなた自身も冷静な部分ではちゃんとわかっているでしょう、そんなことをしたってただ苦しいばかりではないですか』

その声に釣られて顔を上げてみれば、彼の顔は純粋に僕への慈愛故に悲しみの色に染まっていた。

けれども、あそこには僕の愛した自己矛盾もまた眠っているのだ。

その鱗片がある限り、どれだけ苦しもうとも一生通い続けられる気もする。

『もし面会室がクローズドなままだったら、あなたはずっと一人楽しく私の虚像に傾倒できたと思うと、少し悲しくなりますね』

けれどその扉は開いた。最初は目を輝かせて飛び込んだ。僕が愛したあなたは虚像なんかでは無いのです。真実です。今までの表現を見れば分かります。

『けどそれだけでは無かった! 自己矛盾という男はやたらに目立ちたがり屋で意地悪で俗で露悪趣味でワガママで、おまけに偏差値が低い』

自覚があるならやめてください。僕の前でそんなことを言わないでください。意地悪な笑みを浮かべないでください。それと漢字と英語は正しく読んでください。

『あ、なんならあなた×自己矛盾営業もしましょうか! 一部の腐女子が喜びますし、二人の売名もできてキャラクターとしての要素も増えて一石三鳥ですね』

僕は投稿者がキャラクターになるのもクッキー☆で売名するのも内輪ネタも諍いも嫌いです。あなただってかつてはそう仰っていたではありませんか。

本来の自己矛盾兄貴はそんな邪なことは考えず、他者の表現を愛し、ただひたすらに己の表現を追求する、どこまでも美しい孤高の求道者だったのではありませんか。

だから僕はあなたをこんなにも敬愛し信仰しているんですよ。

この愛は本物なんです。

何も知らない他人に売れるものなんかじゃないんです。

『人は変わるものですよ、あなたも私も。それに孤高だなんだと好き放題理想を言ってくれますけど、当時だって面会室で投稿者同士で話はしてましたし……』




「違う! 僕の神さまはそんなこと言わない!」

無意識的に出してしまった己の大声でハッとする。自分はちゃんと自室に居て、この無様が他人に覗かれなかったことを確認して安堵する。

8月の3週目の土曜日以降、僕の神様は悪い影響を受けて時折おかしくなってしまうのだ。それがたまらなく苦しい。完璧だった世界がぼろぼろとひび割れてきている。

頭を左右にぶんぶんと振り、脳内から狂ってしまった彼を追い出す。

『……大丈夫ですか?』

はい、僕は今日も元気です。自己矛盾兄貴の作成途中らしい雰囲気動画、楽しみにしています。もし良かったらまたHSI動画も作ってください。生きる活力になります。

『ふふふ、そうですね』

自分はあくまで数多くいる彼の信奉者のうちの一人に過ぎないので、こんなありきたりな言葉の返答はわりと冷淡だ。けれどそれで良い。

aviutlを起動する。神さまは表現者に対して等しく優しい。

『あ、このシーン左右の方向が今まで提示していたものと違ってちぐはぐで分かりづらくないですか?』

ゔ、本当だ。プレビュー画面のイマジナリーラインが逆になっている。すかさずメモを取った。他のミスも見つけなければ。

僕の神さまは優しい声で編集ミスや改善点を教えてくださる。もちろん演出にベターはあれどベストは無いので、彼と共にああでもないこうでもないと悩む時もあるが、それもまた充実した幸福な時間になるものだ。

作業が捗る。動画は少しずつだけれど、背景が生まれ、キャラクターが動き、BGMや効果音やエフェクトが付いていく。

『ここの動き、躍動感があっていいですね』

「光栄です」

たまにお褒めの言葉を授かったりもする。思わず顔がにやけてしまう。動画を作っていて良かったと思える瞬間の一つだ。

まだまだ楽しい作業を続けていたいのに、不意にあくびが出てしまった。

『キリのいいところまで完成しましたし、明日に備えて今日は一旦終わりませんか?』

確かにマウスを握る手や触りっぱなしだった腰も痛くなってきた。神さまのいう通り、そろそろ眠ることにします。

今日のプライベートの大半を電子機器の前で過ごしたことに後悔は無い。むしろ、自分なりに満足のいくものが作れていることが嬉しいし、途方もない多幸感が湧いてくる。

僕はaupファイルを保存してパソコンの電源を落とした。

様々な才能が集まるこの界隈的に見ればそう大した動画でもないかもしれないが、投稿者である僕にとっては唯一無二の愛情を詰め込めるだけ詰め込んだ子供みたいなものだ。

おはようからおやすみまで、24時間365日、ずっとこうして神様と二人きりで動画を編集していたい。




大学は嫌いではないが退屈だ。神さまは教室の隅でニコニコとただ佇んでいる。僕は上辺の友人と上部だけの会話を繰り返す。

……この無駄な時間を全て、僕の神さまと動画に捧げられればどれほど良かっただろうか。現実的に不可能なことを考えたってどうしようもないけれど。

エンターテイメントというのは他人の視線を意識することと、他人の考えや表現を吸収することも大切であるとわかっていても、真に自分をさらけ出すことができないのはどうしても虚しい気分になってくる。

今の僕はaviutlの中の素材なんかよりもずっと出来の悪い、よくわからない何かに操られるだけの空虚な泥人形だ。

まあ、神さまが居てなんてことを実際に口に出してしまったら速攻で精神病患者のレッテルを貼られてしまうだろうし、自分でもそうする。

そもそもクッキー☆だの動画制作だの自体がある種の狂人のためのコンテンツなのだ。


けれど今の生活に納得はしている。自分の性質が世間離れした狂人なのは確かで、こっそりと楽しく狂ってはいるが、気弱で小心者で他人と衝突するなんて基本的にまっぴらごめんなのもまた本当だ。


僕の神さまもまた自分で勝手に




『なら、面会室のコメントでももう少し暴言を抑えた方があなたの心の平穏のためだと思いますけどもね』

そうです、僕は今本当に暗澹たる状況なのです。

助けてください、今まであなたを信じ愛していた分だけ自己矛盾という男を直視するのが辛いのです。

現実のあなたに面会室のコメントで呪詛を吐くなんてそんな当たり障りのある問題行動、一切しない方が良いのもわかっているんです。今の自己矛盾の盲目ニワカクソ信者共に、場の空気を壊して何なんだこいつは……という呆れた目で見られているのもわかっているんです。

でもこんな、焼けるような裏切りの憎悪を一人で飲み下すなんてできないんです。耐えられないのです。

『言ったって、野次馬に少し騒がれるかあなたが避けられるだけで根本は何も変わりませんよ』

あんな男嫌いです。大嫌いです。絶対に僕はああはならない。自分をコンテンツ化しようとしやがって、他人の表現にケチつけやがって、挙句特定されやがって。幻滅だ。

僕の神さまを無残に殺しやがって。ぶち殺してやりたい。

僕は島谷直樹のために言ってるんじゃありません。現実の神さまはもう戻らないんです、あの男に僕の心は何一つ伝わらないことも知っています。

『それがあなたの慰めになるなら止めませんけれどね。行くたびに色々なものが傷ついているのではないですか?』

別に、外聞なら表面的にはちょっとこぼしているだけですから。僕は感情を飲み下して隠すのは得意です。

あれらの言葉だって飲み下せなかった極々一部だけですし、ツイッターだって僕の理性が働く状態だったら送信する前に消しています。

周囲の人間がどう思おうが知ったこっちゃないですが。

というか、僕自身のことだってどうでもいいんです。

ただ僕の神さまさえかつての理想の状態へ戻ってくださるなら、他はもう何だって構いません。世界が滅んだっていいです。

いっそのこと、もう滅んだほうがいいんじゃないかな。


『……私への信仰心など、一刻も早く粉々にぶち壊れた方があなたのためなのかもしれませんね。このままあなたの気が済むまで幻滅し尽くして、私など忘れて心穏やかに過ごした方がきっと幸せでしょう』

違います! それだけは絶対に壊れません、僕が死んでも守り通します。

何度でも言います、現実のあなたは本当に超のつくド畜生だし大嫌いだけれど、僕が愛した部分もまた真実なんです。

神さまみたいな顔をした自己矛盾兄貴を見るたびに僕の心は高揚し安堵するんです。あなたが表現者である限り、僕はあなたを信じ愛します。

何に誓ってもいいです、神さまでも僕の命でもこの世の全てでも。

それなのに自己矛盾という男はひどい人だ、僕はこんなにもあなたを愛しているというのに。

くだらない諍いに楽しそうに首を突っ込んで意地悪を言って、やたらと目立ちたがっては妙なアンチを作って自己矛盾を叩かせるんだ。

あなたを見つめる信者の僕がどんな気持ちになるかなんて1ミリもおわかりにならないで。

僕の神さま、いや神さまの元になった人物に何も知らないバカが失礼なことを言うたびに、それだけでもうパソコンの前で発狂しそうになります。

いやごめんなさい、そんな物の価値のわからない虫ケラどもはどうでもいいです。

ただ、神さまの元になった男が僕のことすら裏切ってもう碌に直視できないような醜態を晒すのが辛抱ならないのです。呑み込めないのです。



あなたは知らないかもしれないけれど、僕はきっと世界で一番のあなたの敬虔な信徒なんですよ?

しりりのように僕を愛せなんて烏滸がましいこと言いませんし言うつもりも一切ありませんが、僕なんて面会室にいる大量のモブの一人として扱っていただいて構いませんが。

むしろそれだけでも十分身に余ることですが。

ただ孤高で高潔で神秘的で何もかもがきれいな表現の神さまでいて欲しかった。

だって僕が見た昔の自己矛盾兄貴はそうだったんだもん。悲しい、ただただ悲しい。

僕の神さまを返してくれ。平穏を返してくれ。

幻滅して見限れるならその方がずっと良かった。けれど悪戯に僕の愛した神さまの顔をするものだから、その度に僕はあなたを崇拝し幻滅し幻滅しまた崇拝して幻滅して。

どうすれば良いんだ、助けてください、救ってください。

僕は自己矛盾兄貴だけに縋りたいんです。

どうしようもなく陳腐で使い古された言葉ですが、そんな言葉しか出てこない自分が惨めったらしくて情けないことこの上無いですが。

あなたがその手で作り出した数多のMADを、魔理沙とアリスの自己矛盾☆を、ダークで緻密な絵を、声を、話し方を、その真摯な姿勢を、あなたの内面を。

ただ信者として愛しているから。




僕は涙でぐちゃぐちゃになった顔で彼に縋り付いた。僕が勝手に作り出して信仰した脳内の神さまは僕を抱きしめてはくれない。

ただ、哀れな子供を見るような瞳で僕を見つめている。

『そろそろ土曜の8時になりますけれど、今日はこのまま眠った方が良いのではないですか?』

「あ、教えてくれてありがとうございます。絶対に面会室には行きます」

今日はどんな動画がピックアップされるだろうか、どんなコメントをしてくれるだろうか、僕の神さまは汚されないだろうか。

『あなたは自己矛盾という男からはもう逃げられないんでしょうね……』

神さまが何か言った声は、現実の声にかき消されて僕には届かなかった。

きっと、自己矛盾も僕も神さまも何も変わらないのだろう。


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