第3話 違和感ありまくりの『……。』

 皆さま、こんばんは、浅葱 ひな です。


 第1話 『はじめまして』と、第2話 『段落、使いませんか?』を読んでいただき、ありがとうございます。

 皆さまからの予想以上の反応に、嬉しいのと同じくらいに驚いております。


 現在、書かれてる作家さまにとっては、やはり、読者視点は気になる……ということでしょうか?

 わたしが遅筆なので、なかなか頻繁に更新とはいきませんが、少しずつでも、皆さまにお伝えできればと思います。


 さて、『あさぎ文章研究所』の、本日、第3話のテーマは『……。』です。


 会話文の最後に『。』をつける、アレですね。皆さまが、挙って、それは間違えだ! と仰る、アレです。

 この、駄文に近い創作論を読んでいただいてる皆さまの多くが、間違いだと思っておられることでしょう。


『近頃の若いモンは、文章の作法すら知らねぇのか?』


 と、感じてることでしょうか。

 まずは、そこのところの誤解を解いておこうと思うんです。

 この、『……。』を使ってるのは、若い人に多いと思いませんか? そりゃそうです。だって、わたしたち、学校で、そう教わったのですから……。


 今は、どのような教え方をしてるか知りませんが、わたしが教わった頃は、『……。』が絶対ではなく、どちらでも正解だったのです。

 学問って、日々、進化していくのだから……と、長い時間をかけて、入れ替わるまで、どちらでもOKだったのです。

 わたしの父は、歴史の年号が、自分の学んだ時代と変わってることにも驚いてました。


 たぶん、『……。』は、わたしの歳くらいが最初。歴史の年号は、父くらいが最後。

 そんなはざまの時代だったかもしれません。



 と、これほどまでに、けっして間違いではないんですよ……と、擁護はいたしましたが、まだまだ、『……。』は、少数派。作品中に『……。』があると、わたしには違和感しか感じません。

 だって、皆さまのお持ちの『本』に、『……。』みたいな表記はありませんよね?


 教わってきたわたしたちにとっては、間違いではなくても、紙媒体の『本』で育ってきた人たちにしたら、違和感どころか、完全に間違ってる! なのです。



 さて、どうして、『……。』が、『読まれない』ことに関連してくるのか……?

 わたしの個人的見解ですよ。独断ですよ。


 ほとんどの人たちは、それを間違いだと指摘なさいますね。それどころか、文章の作法すらなってないと、お叱りを受けたりしますね。


 さぁ、皆さま……?

 おとなの人たちも小さい頃、文章の書き方を教わってきてるのです。そして、それが絶対! という自信があるのです。

 たったひとつの、会話文の中の最後の『。』、こんなことも知らない奴が書いた作品なんて、どうせ、その程度のものなんだろう? という心理が働きます。最初から、マイナス評価です。悪い印象を抱えたまま読み出すのです。

 そんな不満を持ったまま読む作品は、最後まで読まれることはないと思います。


『やっぱり、作法のなってない奴の書く作品はつまらねぇ……』


 これくらいで済めばいいかもしれません。しかし、作家さまごと否定されてしまったら……。

 そんな簡単な理由で離れてしまった読者さまは、もう、戻ることはないと思いませんか?

 教わってきたわたしでさえ、違和感を感じてるんです。おとなの人たちは、もっとだと思います。



 ということで、『……。』の表記を使ってる皆さま。まだまだスタンダードな、多数派の表記に変えてみませんか?

 文章の作法が間違ってる……と、嫌悪されることがなくなれば、今とは別の年齢層の読者さまが増えるかもしれませんよ。



 第4話は、皆さま、流行り物には敏感ですか? 『長文タイトルって?』です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る