第2話 トーマス
アルドたちはリンデの町に到着すると、宿屋へ向かった。
すれ違う人たちが二度見してくるのは、この際仕方ない。連れて来た男の顔がパンパンに腫れているのだ。
アルドとディアドラは気にせず、男を宿屋に運び込んだ。
中に入ると、カウンターで頬杖をついていた宿屋の主人が、こちらに気付いて立ち上がった。
「——いらっしゃい。休んでいく…か……い!?」
主人は目を丸くしている。やはり男の腫れ上がった顔に驚いているようだ。
ディアドラは主人の様子を気に留めず、ツカツカと早歩きでカウンターに近づく。
「ひとつ部屋を貸してくれ。あの男を休ませたい。」
「………」
主人はポカンとしている。男の顔に釘付けだ。
「——おい!聞いているのか?」
(ドンッ!)ディアドラが平手で軽くカウンターを叩くと、ようやく主人は我にかえった。
「——!はっ——お…奥の部屋を使ってくれ……。」
アルドとディアドラは男を抱えて部屋に入る。
広い部屋だ。大きな窓に、ベッドが2つ、テーブルと椅子もある。
窓際に置かれたベッドに男を横たえた。
「……うぅ……すみません。助かりました。」
「あぁ気にしないでくれ。それより何か思い出せそうか?」
アルドが問いかけると、男は黙って首を横に振った。
「——そうか。目立ったケガも無さそうだし(…顔以外…)、しばらく休めば何か思い出すだろう。……俺、とりあえず水と…何か食べるものをもらってくるよ。」
アルドはカウンターに戻り、主人を呼んだ。
「おーい、水を用意してくれないかー?」
————返事がない。いないようだ。
アルドが主人を探して宿屋の表に出ると、主人は町の住人たちと何やら話し込んでいる。
主人はアルドに気づくと、すぐに戻ってきた。
「——何か用かい?」
「ああ、水をくれないか?あと何か食べるものがあれば頼みたいんだけど。」
「分かった。すぐに用意しよう。ところで——」
主人は少し険しい表情だ。
「キミたちが連れてきたあの男、あの顔は……」
「え?えーっと……ま、魔物に殴られたのかな?」
(……原因がディアドラのビンタとは言えないな)
アルドは苦笑いを浮かべた。
主人は首をかしげる。
「——何を言っているんだ?私はあの男の顔に見覚えがあると言っているんだが……」
(——そっちかよ!)
「…………ん?今なんて?」
今宿屋の主人がとても重要なことを言った気がする。
「私は、——いやリンデの皆が、あの男に見覚えがある。あの男は商人のトーマスだ。」
「え!?知ってるのか!?ちょうどよかった。トーマスだっけ?あいつ記憶を無くしてるみたいでさ。」
アルドは、問題解決の糸口が見え、笑顔を見せる。
「キミたちは……どこでトーマスと?」
対照的に険しい表情の主人。
「セレナ海岸で倒れてるのを見つけたんだ。——いやぁ、ここに連れて来て正解だったよ。身元が分かればもう大丈夫だろう。あとはゆっくり自分のことを思い出すだけだ。」
主人の顔色が優れない。
「……驚かないで聞いてくれ。トーマスは先日死んだばかりなんだ。」
アルドは耳を疑った。
「どういうことだ?死んだだって?……どう見ても生きてるじゃないか!」
生きている人を死人呼ばわりするとは、断じて許容できない。温厚なアルドもさすがに怒っている。
「ああ、だから私も驚いているんだ。私だけじゃない。リンデの皆が驚いて、——こう言っては何だが、気味悪がっている。」
「何かの間違いじゃないのか?」
「残念ながら間違いないよ。トーマスは確実に死んでる。」
宿屋の主人が言っていることはどうやら冗談の類ではないようだ。
2人は宿屋の中へ戻る。
「トーマスは生まれたときからこの町に住んでいてね。小さな町だろ?皆顔見知りさ。『母親に楽させてやるんだ』って頑張って、ようやく一人前の商人になれた、その矢先さ。」
主人は近くにあった椅子に腰掛けた。
「運が悪かったんだろうな…ユニガンに向かう途中、魔物にでも襲われたのか、馬車ごと崖から落ちてしまったんだ。遺体はちゃんと発見されて葬式もやった。母親はずっと泣いてて、それはもう見ていられなかったよ。トーマスが死んだことは疑う余地もない。」
「………」
アルドも椅子に腰掛け————そして閃いた。
「実はふた———」
「——双子ではないぞ。トーマスはひとりっ子だ。」
「………」
「………実はそっ———」
「——そっくりさんでもない。このタイミングでそっくりさんが現れる方がどうかしている。」
「………」
閃きは全て砕かれ、アルドはもう何も思いつかない。
2人は無言になる。
「………あーっと、水と食料だったな。少し待っててくれ。」
主人はそう言ってカウンターの後ろへ行くと、すぐに水とパンを持って出てきた。
アルドはそれを受け取り、部屋に戻った。
アルドが部屋に戻るとトーマスは眠っていた。
ディアドラは少し離れた場所で、腕を組み、背中を壁にもたれている。
「——遅かったな。」
「ああ、ちょっとな。」
アルドは、横目でトーマスが寝ていることを再確認した。
「——ディアドラ、ちょっといいか?」
アルドは寝ているトーマスを起こさないよう注意しながら、主人が言っていたことをディアドラに話して聞かせた。
男はトーマスという商人であること。
リンデの皆が知る者だということ。
そして先日死んだこと———。
「——ふぅん。死んだはずの者が生きて現れたということか。」
ディアドラはあまり驚いていないようだ。
「……アルド、私は思うんだが———」
ディアドラが言いかけた瞬間、部屋中に大きな声が響く。
「———トーマス!」
部屋に入ってきたのは中年の女性だ。
清楚な服を着て、髪はショートカットだ。快活そうだが、少しやつれて見えた。
トーマスは目が覚めたのだろう、身体を起こした。
「ああ、トーマス!トーマスなのね?私のところに帰ってきてくれた。きっと神様が私のお願いを聞いてくれたんだわ!」
女性はアルドとディアドラを気にも留めず、トーマスに駆け寄りその手を握った。
目には涙を浮かべている。
トーマスは何も言わず女性を見ている。
「こんなに顔を腫らして、きっと大変な目にあったのね。」
(——それはもう言わないでくれ)
アルドは女性に近づき、肩をそっと叩いた。
「あの……、あなたは——?」
女性は振り向き、今度はアルドの手を握った。
「この子の母親のケイトよ!はじめまして!あなたたちがトーマスを連れてきてくれたの?」
次はディアドラの手を握る。
「本当にうれしいわ!こんな奇跡が起こるなんて!」
しばらくしてようやく落ち着いたケイトは、トーマスが休んでいるベッドに腰掛ける。
「ねぇトーマス、今夜はお祝いをしましょうね。あなたが大好きなミートパイをつくるわ。少し休んだらいっしょに家に帰りましょう。」
トーマスは無言のままだ。
ケイトはアルドたちの方へ振り向く。
「あなたたちはトーマスのお友達なの?」
「俺はアルドだ。こっちはディアドラ。トーマスとは、その——今日初めて会ったんだ。」
「そう、でもそんなことどうでもいいの。あなたたちのおかげでトーマスにまた会えたんだもの。何かお礼をしなきゃね。トーマスもそう思うでしょ?」
トーマスは黙っている。
「……トーマス?あなたさっきからずっと黙ってるけどどうしたの?具合が悪いの?」
「………」
トーマスは3人の視線を集めた。
トーマスはようやく口を開いた。
「……僕の名前は、トーマス…なのかい?…この女の人は誰かな?」
沈黙が流れた。
(忘れてた、トーマスは記憶喪失だった)
アルドはケイトの顔色を伺う。
予期せぬ事態に言葉を失っているようだった。
「ケイトさん!言ってなかったけど、トーマスは今記憶が曖昧なんだ。」
アルドの言葉で、ケイトは我にかえった。
「な、な〜んだ、そうだったのぉ?」
ケイトは笑う口元を片手で隠しながら、アルドの背中を叩く。
「それならそうと早く言ってよぉ。——大丈夫、家に帰ればきっと思い出せるわよ。」
ケイトはトーマスの横に座り直し、ゆっくりと話しかける。
「あなたの名前はトーマス。私はあなたのお母さんよ。いっしょに家に帰りましょう。」
「……かあさん…?」
うなずいたケイトは優しい顔をしている。
アルドとディアドラは、自分たちはもうほとんど覚えてはいないが、『母親』とはきっとこういうものなのだろうと感じていた。
ケイトはトーマスに、トーマス自身のことを話して聞かせた。
いっしょに虫捕りをした話。お祭りで迷子になった話。近所の友達と大喧嘩した話。初めての給料でネックレスをプレゼントしてくれた話。
ひとつひとつがケイトの心に深く刻まれた思い出だった。
トーマスの目から自然と涙が溢れる。
「——僕、家に帰るよ。」
トーマスはそう言ってベッドから立ち上がった。
「アルドさん、ディアドラさん、今日はありがとう。」
トーマスは深々と頭を下げ、ケイトに支えられながら宿屋をあとにした。
その頃には、もう顔の腫れは引いているようだった。
2人が去った後、アルドはふと思い出した。
「なぁディアドラ、さっき——ケイトさんが来る前、何か言いかけてなかったか?」
「あぁそのことか。私は思うんだが、トーマスは……いや、やめておこう。少し思ったことがあったのだが、今の私たちは『新種の魔物』を調査することが先決だ。道草を食ってばかりもいられまい。」
「それもそうだな。トーマスのことは気になるけど、任せられた仕事をやらないと。アナベルやラキシスも頑張ってるだろうし。——でも今日はもう暗くなってきたぞ。まさか今からセレナ海岸に戻るとは言わないよな?」
確かにディアドラなら言いかねない。
「——ん?戻らないのか?夜はまだまだこれからだぞ?」
ディアドラは、青ざめたアルドの顔を見て一言。
「冗談だ。」
(……冗談に聞こえないんだよ)
2人はそのままリンデで宿をとり、明日またセレナ海岸へ調査に行くことにした。
———その頃、セレナ海岸では———
「アナベル様!焚き火の跡がありました。おそらく魔獣です。それと、近くにこんなものが……。」
兵士は大きな布切れをアナベルに手渡した。
「——これは……フードね。」
布切れは大きなフード付きのコートだった。
「『フードの男』の正体は魔獣で間違いなさそうね。まだ近くにいるかも知れない。」
「——追いますか?」
「いえ、夜に行動するのは危険だわ。大丈夫、本当にユニガンを襲うつもりならそう遠くへは行かないはずよ。明日またこの周辺を探しましょう。」
アナベルと部下は、その日の捜索を切り上げ、ユニガンに戻った。
———さらにその頃、ユニガンでは———
「みなさ〜ん、出来ましたよ〜。ラキシス様も食べてくださいね〜。」
「——ああ、いただこう。」
ラキシスや兵士たちは、ソイラが用意した軽食を頬張る。
柵を作ったり、土嚢を積んだり、襲撃への備えは着々と進んでいた。
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